揶白 (KF)

絵画

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    Works 46

揶白 (KF)

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揶白 (KF)

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    Works 46
  • 確かに咀嚼される主義の道

    前回言った霊獣と仙人。仙人のイメージを昔から正していた方を読者として知っている。

     

     

     

     

     

    組み込まれて格好いい雷神がた、や、独断の動きをしていく格好よさ、は様々であって険しい地球に寄り添っている。自分の住まいを鵜呑みにし、目の外を見つめる。自然の理に自らのファッションを自の思いから覆して何とか近付こうとしていて、そこに透明な詩人を見ることを楽しむのだ。

     

     

    やっぱ精神に形はあってはいけない。

     

     

    「血に濡れて、私は休む。」

     

     

     

    傷にガーゼをあてるようなもので、人生の20分。

     

     

    夢とは自分の現実がフォルムになっていて、と理解する今、「夢」を適えていてはいるが、希望している、する、と対面したときのこの圧力や弾力の壁に抵抗して行くような前向きな、わたしの修行、私のこと、と言えるこの光の中の状態とは全く違って、満身して石を岩に削り立てることは、減ることとは程遠いのである。肯定を確かめるような○の字は、

     

    この布を重ねて癒やす生活空間とは単なる出来事で、物との対峙や対象の解決、には至ってない。ナカマルが一昔に仏道を日本語で「解決して行くのなら、〜(なんたら)」と言っていた。

     

    尚、見えず証拠がないからといって、あっても仏語では自我、いはば己に関わる何かを確証することにはならないから、目の奥から広がっている視界とは、ページの厚みにより立体化した「奥行き」とは、線の数を増やすこと即ち目の彩度の高まりなのだ。私は岩の上から摩擦される雨水の縦線を皮膚に感じている。静かな。

     

     

     

     

    上記の上はSWORDの「CROSS OVER 斬」言っていた安らぎの美学で、仙人を表していたのだ。と、何とか言って、こう言った地道な努力と甲斐もある中では、何の説明や論説があろうと広く間違っているからにはいかづちが降りるのである。外道とも言われるのは神仏、人間、のこう言った繊細なもののヨソと言う訳である。その広さという面積は線になっていない状態で、つまり私の身部の一体は関係しない。線は、の一言のうん、やYESによる、板のようにも小さく思えるが、我が家を守るかたちで創作する唯一の方法として、主題を持ち、主題があると言うのは仏道に繋がっている。私は仙人です、様々な面から見ても、こう見ても不審を感じられるが、信用出来ると言いたいのだ。点を、作れそう。

     

    文で心を表現してみると滅多に降りず、普段は幻想を石としているので身なりの事正しとは無縁である。まぼろし、こう読んでみるとも実存を感じる。一人立ちに関しての際に回し読みされた実存の本の内容はこうである!

     

    実際に存在しないが、存在する。と、言う文殊のままに言葉を描けるこの奥深さや文性の尊びから満足を済ませていて尚かつこの一縷の信用を取りこぼされたことで怒ってしまった。頼りなんか、信頼なんか、肉体のその三角定規にはなかった筈だ。何を図っても解せないのはこれが理由だ。真実に穴を開けシヴァの用意を既にこしらえてくれていたことには認識する。

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  • 一息つかされた

    天神のその場所に誇り高く、挑戦をし、意志を確かめ。

     

     

     

     

     

    今何でも詰めるより、

    後世代と分かつ

     

     

    ほっといても明日が来るのだ

     

    この方が定説に沿ってる

     

     

    その間に精一杯、私らに努力させた方がいい。目に見えないが大人の方が大事で後にヒイテいる様に怒りが込み上げる。

     

    ナカマルさんのゆうこと聞いとけば良かった って、私も思ったことがある、

     

     

    同じ後悔をしない権利はあなたにはあるのだ。自分を治めて。

     

     

     

     

     

     

    太宰治の斜陽という本に、狐と狸の嫁入りではどうお支度が違うのか、と、戦争時代のその春と何でも咀嚼していく冬のような今を照らし合わせぼんやりと心を持つ、白くひかった曇り空を眺めている。美しさにグゥの音がしてる。

     

    霊獣。  スースーのことだ、稲荷系なので想像力のない今何の説明も出来ないが、この獣の字は蟲(ムー)と違って間違いなく漢字だ。

     

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  • 憎しみを乗り越えるそうだ

    首が飛んでも、動いてみしょう

     

     

    歌舞伎の名ゼリフに感銘を受け、立ち止まったまま

     

     

     

    わかるのは、価値を持つにはそれなりに辛くても、どこにいても、地上にいないといけない

     

     

    そしてから初めてつけることの出来る神、この霊感ってやつさ

     

     

    まいにちとける綿菓子みたいな儚い魔ほうが視界をうろつく

     

     

    添加物の中毒を起こしている栄養失調のやつ

     

     

    出来ない人のペースに合わせても

     

     

     

    どちらも恥ずかしい

     

     

     

     

    関与するのが嫌で嫌で仕方がない

     

     

     

    喧嘩しても隠している

     

     

    喧嘩だけする人間の間で、一律にして良い存在がわかる人と

     

     

     

    理解できず、一律とも記号にしてもわからない人がいる

     

     

     

     

     

     

    拒絶感はそこのかんかくのヒントで人でもないところで人を求められたくないからだ、という普通さには辛さも求めれ時間と空気が均等に描かれる

     

     

    お得だ

     

    気、などはばりばりその内部だが、

     

    体という、限界もわからず

     

    それがどこの土地霊にも本当に失礼だが

     

     

     

    そういう自分に関係のない痛みを一度覚えると、

     

     

    わりと果てまで無縁が続く

     

     

    そういうのに障る、その人の不徳を認識している

     

     

    私は、たまたま下の列に落ちたところの話だった

     

     

    いつも思ってたことだが、ヨソンス人といったこれらは話しが非常に長くその間、私の頭上に決まってそのオッサンが体重丸ごと乗っかっている。歩くときも重くて辛過ぎた。上で日本人とかアメリカ人がそいつと笑っている。激しい憎しみであったが今存在したらあかんけいの事実。私は記憶から消した。いくら消しても上書きのようにべちゃっと足されるこの感覚。もっと短い話で済んでくれないか。

     

    全て、世界の温泉スパワールドの怖そうな像に報告している。何十年も前からブルーライトのハーブ風呂でゆったりと女神と会話をしていたが、あらゆる見えるムーや、吸血鬼を呼称するたんなる低級霊などは、見ても感じてもちんけであった。

     

    「見えないもの」を見るは、ちゃんと見えてるものに注意をそそいで、“私の思い込み”で問題を終えないでほしい。想像を!

     

     

     

    知らなかったらこれからで良いはずだ

     

     

     

    心は、本当に何も決めていず、決めていず、という状態のまま点をする

     

     

     

    文は曖昧で、高密度ならバンジーガム(薄っぺらな愛という名称の漫画の技)のように言葉をめっちゃ伸ばすことが出来る。

     

     

     

    詩っていうのが、雰囲気ではなく空気感ともししたら、心は詩に組み込まれているので

     

     

     

    どこでも居やすい、

     

     

     

    だから大事にした、でも、善に傾くこころって、そんなもので良かった

     

     

     

     

    憧れているから、そんなもので良かった

     

     

     

     

     

    水をかけても育つもやしが憎たらしい

     

     

     

     

     

    ところで、諦められないのが動物など高い精神の前提だ。

     

     

     

    この世界のペースめっちゃ皆無

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    何かわかってた、言葉も今は知ってるけど

     

     

    組み方の具体的な側面にして、乗り越えたのが憎しみというのか

     

     

     

    こう驚いた

     

     

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  • 竹の成長

    超平面、この概念を手に取ってみている。

     

     

     

    中之島を歩いている時である。

     

     

     

     

    私を袋にしてしっかり持ち運んでも

     

     

    こういったものは、祖のもので

     

     

     

     

    ちゃんと理由(イシ)がないと、

     

     

    理解させてくれないんじゃないかぁ

     

     

     

    布を取る

     

    私の私を映す鏡は、たけのこの身だった

     

     

     

    私は、とうに大きくなって竹に成ったのだ

     

     

    惑星の連続性のように

     

     

    竹になった今、

     

     

     

    小さなたけのことは無関連た

     

     

     

    この夢中、という花ことばを得て

     

     

     

    苦難を割り砕くことの精神を

     

     

     

     

    追求している今もなお

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ムーをよそから押されるその中、

     

     

     

    袋に入ったその中で、

     

     

     

    悲観をやめろと言われるのが、

     

     

     

     

     

    腐った話が、連想されるこのひ、

     

    誰かを「いらない」と言うために流すことでも無く

     

     

     

    誰がこの上に来ないのだろう

     

     

     

     

    回避 には運動神経、即ち感性がいる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    穴の空いた体を、もっとも塞げる方法を私は模索中。

     

     

     

    そこに、本来の医学の可能性が

     

     

     

    私には悲しさって

     

     

     

    誤魔化す弱さとか、受けれない現実を心配するより

     

     

    空気に慣れ、悲しめないよりは、

     

     

     

     

    こういった悲観よりは、私はマシだ。

     

     

     

     

    意欲によって、私は、空気ほどに身を砕いても

     

     

     

     

    キカイ、の心である

     

     

     

    スニーカーの外視、花や、こうした生の色彩から学んでいる

     

     

    ハイテクな自然を自らにする、とは、

     

     

     

     

    形を遠ざけてはいけない、苦しんでも立ち向かう黒髪などは

     

     

     

    盆栽の感覚を秘めて、染めても

     

     

     

    ボルトと、錆びた鉄板のかけら、私はそれを屋根に

     

     

     

    純粋な力、虫と話しながら

     

     

     

     

    自分自身だけで、自分の実験

     

     

     

    みたいなことが、

     

     

     

     

     

    周りに知られているが、

     

     

     

     

     

     

    どうかこの

     

     

     

     

     

    こうゆう私の研究室、森にある秘密基地の、野のほうの開けた塔なのである

     

     

     

    野、がポイントで

     

     

     

    と思って、人も自前の冷静さで自由に見ていてほしい

     

     

     

     

    本当にこのまま、死ぬまで暮らす気だ

     

     

     

     

     

    あとは、寿命が薄いのはムーで、私には本当にまだまだ時間があるので、

     

     

     

     

    そのへん誤解していたら正してほしい

     

     

     

     

     

    おっかなくてしかたがない。

     

     

     

     

    大阪の街では星がみえないので、惑星いっこだけを覚えて

     

     

    天の川を心に描くそう

     

     

     

    性格が眼鏡君で、日本人のぜんたいがガリ勉だそうだ

     

     

     

    こうメタキャラと言って、派手目な感じの不良など合わない性格はもともと離れているのを見る

     

     

    星空を実際みると、色んなことが現実と意なんだ、星以下の厶ーは太陽系ではしぬ、身を委ねよう

     

    まず自分が地球人じゃないと宇宙に縁がない

     

     

     

    力点がわかるだろうか だから

     

     

    複雑なことを考える人もいるが、

     

     

    友愛を、仕事のために捨てていく「私」は、

     

    この先も仕事だけになる、

     

     

    その中で、いる人だけがいればと思うとき

     

     

     

    見渡しがきかなくなるところを見たら、

     

     

     

    抑えて歩調を合わせることが出来ている、という、

     

     

     

    無人島のこの空想だ、うひひひ。

     

     

     

     

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  • 良い病い

     

    仏のヤマイ、というよりは、

     

    役立たずの病気の人間だ。それが、わざと蟲を拝んでいる

     

     

     

     

    こういったどうしようもない奴をおばはん、と言って

     

     

    蟲が、一度神に思われたが、今の捕らえることの出来るようになったその時を信じる気持ちとして、昔々、あえて祀ったことがある

     

     

     

    坊主のムーが、

     

     

     

     

     

    醜美を説こうとしている

     

     

     

     

    おばはんがそのときに色を付けて、心の苦労を語ろうとする

     

     

     

     

    そんなんは、実際にリアル生活でいつでも聞いてもらえる話で、

     

     

     

     

    自分を福祉環境に落としたくないのか

     

     

     

     

     

    このように私から話した時に、やっと自分の目を正せ、

     

     

     

     

    必ず福祉環境の内容などは覚えないムーの

     

     

     

     

     

    その輪郭を具体的にすることが出来る

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    婆婆様や

     

     

     

    すかすかになった理由が、もっと深い事にある

     

     

     

     

     

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  • 弥勒菩薩

    仏ならチャネリングで降ろせるかも。って言っても仏だから極楽だし苦しみと会話出来ないからお前らがしろって。そう、まず今が正しくなきゃね。は〜、苦しい〜。

     

    世界を見つめる、赤い足音が何度もしてただろう。日本書紀古事記に次の字が書かれているのを知っている。天孫降臨してから、弥勒が私を押さえつけていた。一ヶ月前に、顔を上げるともう包囲されていることを風の吹いた如くわかった。

     

     

    あの世では月刊釈迦になっていて親しいらしい。江戸の用事に来た用事霊が、昔の手ぬぐいを頭に巻いた「急ぎのようす」で可愛らしく走り込みしているのを私は見た。

     

    こちらはこの世の書籍。上の写真は美術手帖の過去誌19年発刊。仏像は東寺にある。

     

    奈良は大きな仏像館があり、半分あの世で歩いても仏の見渡しがやさしかった。私も弥勒がレゲエセレクターのムーに食べられていたのを奈良国立博物館に駆け込んで仏たちに聞いて貰った。世界スケールのイメージがよく判るだろう。

     

     

    今日は6月9日、ミロクと読める。弥勒は来るときに来る仏。

    57億光年先から来るときに来る。それから4万年私たちと修行している今、というわけ。龍門で、ムーで腹筋をされていたのをちらと見た。

     

    この話し方が習わしだ。

     

    これは、と書いたのをこちら、に訂正した。したいことを出来る範囲を込めてする。これを考えと言い、これを心と解す。この積み重ねがどこでも動く力になっている。

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  • 空想如来 仏伝

    オン ダラマ ケシュタ サラ

     

    如来が何人かいて、また概念が無く一つで、

     

    菩薩と並び、

     

     

    語ること自体が仏道のときであり、

     

     

    という限定がある。地上で感じられる空(くう)の中で。

     

    だから、実在のしない理由と理屈がある。

     

     

     

    また、十字架が占術等の歴史として作品という想像で、

     

    占術修行からすると、私は、その道にかけて没頭した途中でありました。と説く。

     

    作品、それが大変でキリストが天から伝えられた。大変だというのは、自分はそのままのイタリアのイメージのニュアンスだが、そう呼ぶ証拠の一貫性は、空気を感じていてよくわかる。

     

     

     

    それが芸術性を帯びた、作品という言葉の形が街では誉れられる。なんと言ってもそれ自体が次なる時流を伝える。アッテル、そんな良いものを受け継いでいるのか。道から来たのだろう?もう体現的に知ることの出来ない言葉が私にはあると思った。知ることが出来ない事があることがわかるが初めてのことだった。急いで周りを歩き回り道に戻った、仏教だ。ないはずのアイデンティティを戻し、はっきりした色になり別れる精神を捉えて感じていた。しかし、自は運動を続け分けて立つうち宝石のようにも見えるほど丁寧に積まれた石々納骨に出会い居合わせている。

     

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  • ホッテルの争う心

    坂本龍馬などよりやさしい人がいる。

     

     

    形がついてるのを見たら、対象を見たと思って思い込む。自分の態度に迷いが出る。

     

    その形、やさしさを目指さなくても、こうしていたら

     

     

    その時代の方たちが生身で感じていたような、難しい意味や、高度が合って、優れはせずとも「それ」になって来る。

     

     

    「愚直(ぐちょく)」という想像が、字だと知り、それがしかも熟語なんだとわかると漢字を知る。しっくり来ている。

     

     

    今までの自分の方が視線も出来ている。姿勢も立ちやすい。

     

     

     

     

    変わらない一の心は、一と書けば変わらなくなるのか、

     

     

    内面、外面の関係を私は考える。

     

     

     

     

    外界に間違いがあっても、必ずと言や

     

     

    一定めに間に合わないのは、この場所が川だったことで。土着心が最も強い。

     

     

     

    …難波は賢所(かしこどころ)と言い、一番古い宮である。

     

    祀りのときも、全国から人が来た。

     

     

    古い、の想像が、高さや偉いと直で繋がっていて、古いの概念を説明出来ない。

     

     

    説明書の用意はある。それは平成からの現代では難解過ぎるだろう。

     

     

     

     

     

    大阪が山なら、山の性格があり、恨みが本当に愛だと想う人もいる。全部、にくしみの単一色に思ったホッテルが自ら一定にし、その位置から人々の高さを一律にし、自と他人も人間と決め込む心を、

     

     

     

    言葉と心の位置表記が逆を向いていてマッブの合ってないホッテルを、簡単に直したい。

     

     

     

    ホッテルで細かく繊細にウラミと、にくしみを入れ替えてくれないか。

     

     

     

    他にしょーもない奴が、ここで名を得ようと急に現れてその焦った勢いで強く衝突してくる。

     

     

    そこに、解決を試みたホッテルが醜い人間感で身の頂点を目指して全てを押し付けてくる。醜い人間感とか物を見れるようになった人間の成長の話でこの通り何の感性もないのに、色とか、食うをパスワードにして何人もの連れのホッテルが襲いかかってくる。聞いてかなしかった。一言いっておくがホッテルお前たちは醜美に関連しない。

     

     

    平成の時に、日本がよそで木を切っていると聞いたが、道や言葉を感じる今、これを知らせるためだったんじゃないだろうか。救われなかったはずの、それの行く末を見越した遺書だ。

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  • 方位の学び

     

    鬼門…味方。話をし、門に一と戸を立てたり飾りを付けて迎えよう。

     

     

    ちなみにおもての東北は、鍛えるとこと説く

    北は寒い感じ、東は日が良い。

     

    裏鬼門は、見るからに何かの言葉がある。見るからにと言うのは明るい南と、赤みがかった西なのか。

     

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  • 菩薩道2

    汚いこと、悲しいことがある。本来そのとき神社を思い出し、穢れの知恵を神と分かつ。時間をかけて。

     

    私はまず、精神上、私の霊に起こる事を見て

     

    テーマを定める

     

    人から始まっている、これを諦めることなく見る知恵

     

     

    慣れるよりも自分が進んで行くことによる

     

     

    苦しいときに苦しむこと

     

    それが苦を無くす

     

     

    苦しいときにアソんでる

     

    これで格差を見る

     

    今出来ることを今する

     

    人に委ねられない事が常にあると解る

     

     

    こう人に言って頂けた

     

    「自分が自由なら、相手も自由になる。これを構造主義と言った。」

     

     

     

    誤解の間には文脈が取れ、心を鮮やかにし、本来の明度を

     

     

    取り戻す人は他者に与えることが出来る

     

    完璧、完成は違うだろう

     

    より簡潔(抽象)

     

    よりから

     

     

    目一杯、キャンパスを使うには端を取る

     

     

    これを辺、と呼ぶ

     

     

     

     

    思いが、足りない そしてまだ言わない

     

    ここにカネの音を聴く 

     

     

    良いときに良いことをする為

     

    教養の労りがあると聞いた

     

    あなたのことでしかなく

    自分が何もしないから、

     

    聞けない語りもある

     

     

    説明をここにし、以下を省略する

     

     

     

    悪いところに手をつき質を落とす、依ってそのヒトは悪い

     

     

    続くと良くない 笑

     

     

    私の家では、自分に先立つものの見直しをみんなでする

     

     

    「理解を委ねたことで入れてはいけない者を捕らえず

     

    言ってくれることを待っても不在だ」という

     

     

     

    仏(キリスト)の恩恵で人を傷める奴など笑止千万

     

    言っている

     

     

    家族のする遠慮と我慢で苦が絶えない

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