揶白 (KF)

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  • 星の名前(書き直し)

    星の名前

    2022/06/21

     

    心到滅却

    火星 ファイト

     

    木星 歌

     

    月 叱り

     

     

     

    地球 難しさ

     

     

    青星 心、精神

     

     

    水星 不明

     

    土星 逆行

     

     

     

     

     

    神無月 ムーを祝う

     

     

     

     

    私…向かない

     

     

    青龍より年下で、上の成り立ち

     

     

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  • 言葉の質問

    目に入る言葉だけに着いていく「コミュニケーション」と、

     

    言葉の内容をよく汲んで組み立てを望む「話」は、

     

    異なる。質問者に、菩薩が違う、とまでは言えと言われた。菩薩が違う、私は解けないが、それぞれ持つ重さが有ると言いたいのだ。

     

    私はさらに、文章で言えることなら最大限に紙の能力を引き出して、「言った、言われた」の領域を超える力を付けながら、

     

    また(誰かは)説き伏せながら、

     

    この道に若い人に読む力を手渡したい。

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  • それは関係のない人ではないだろう

    私は解らないことを知った

     

    道からはずれていないか気にしているだけでいい

     

    毒を口にして生きたいならトイレで吐きなさい

     

    難しいことをこの人のように簡単に思ってみよ

     

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  • 成長の違い

     

     

     

     

     

     

     

    成長の違い、成長には違いがあると思われる。ムーにもムーでないムーと横繋がりのムーに似たムがいる。最近解っている。

     

    読みからして非常に危ないからムーといっている、要はムーと同じなのにあと少しで「無の創造」という、無を試みている人の近くを「子宮」としべっとり。これは、確かに大澤君なので、

    私を何でも問いただして下さい。

     

    難しいでしょう。

     

    まず、わかるのは、

    ・大澤君の前にまず先祖霊や守護がいてて、霊に入り込まれる磁石があるのを、昔彼のオーラに見たのを今解って覚えている。

     

    ・優しいのが皆別の人で、弱小な人の良さを唱える人も、春うららと歌う人も、絵を楽しむ人も、不思議な話だが他にいて出てきた。楽しいアイデアをしていたのは私。

     

    ・難しいことを言っているが、連打しているだけちゃうか、と思える。意味が繋がらないのを理解したことがある、大澤君自身が解ってないふりがあった。「ばらばらに描くね」と先生に言われていた。デッサンを連ねていたのそれからだと知っている。

     

     

    思い出、とも言えず、「私の一生の中の不思議な出来事」として今霊性を高め続けることで、過去さえ幽玄に変えれる事に驚く。お侍の霊だ。お侍は自由気ままに几帳面にやりたいことを貫く。「君を褒め称える、

    未来のお前を愛している(当時聴いていたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの歌詞)」など花言葉とオルゴール。

     

     

     

     

    天を悪く思わない所から、人の良い所があらわれる。

     

     

     

    陰とは、五行で女、苦さ、夜、下部

    辛いが陽にあるが、自分が辛いからといって五行など精神にはない。自分に縁の深い方を考えること。わくわくする、自分のエネルギーを高める。

    人生を見ても陰の気が深い、とまで修行してる。

     

     

    修行とは、お坊さんのお修行とは全く異なる。

     


    私には夜が有ります。静けさや名乗らない瓦、土の気を性と読み、秋と冬、冬は「逆に温かい」とし、自分の養いと成すべきことをこう切り換えます。

     

     

     

     

     

     

     

    守護霊、私はもっともっとこの縁を楽しみたい!天から頂けるもの全てを然と感じ取りたい。女、夜、苦さ、下部、など、陽にあたっては、火、偏らぬことに偏らず、これを喜ぶ!

     

    陽に応(あた)っては、天のモノを分かち合う。

     

    まず、自分のトラウマを癒やす術を知らなければ、五行の信用も与えられない。

     

     

     

    ムーが「誰か」判ったら、睨む焦点を作るから、頑張れる人が増えると思う。

     

     

     

     

    思うに、自分が興味を持てば(あるいは持っていたはずの)

     

    誰でも伸ばそうとする。きっと仙人だ。

     

     

     

    ここで溺れるのなら、良くない、

     

     

     

    無我に務める中で悟りを得る人もいる。その人も悟りを得た人は、他人を羨ましがらない。他人の良いとこに微笑むことが出来る人。

     

     

     

    難が有り受け入れた私とは何なのか。

    性格の喜びについて、今度語る。

     

     

    縁とは、縁を繋いでいこうとするのは、自分に紡ごうという意志をもったものだから。その中に運が有るのだ。

     

     

     

    霊との会話記録

     

    こういう繊細な思考の中に、いきなり太い波長の魂がやって来る。

     

    そんなことは放っておいて、

     

    霊がいらっしゃるのには意味があって、何故「あなた、私と心を重ねましょう」その名前が、ここにあるか、意味を自分が長いこと考え理解するのも修行の一つです。

     

     

     

     

    他人に勧めてはならない

     

     

    ムーがいて、有ることないことごちゃごちゃにするからある程度気が強くないと

    「見えない。」

     

    自分に客観性が有るから

     

     

     

     

     

     

     

    少し気にして欲しい理由

     

    私は霊感を、日頃の人間関係を心から丁寧に過ごす気持ちで養った。母を亡くした悔いをこう挽回していた。自分なり、という意味で。仕事をして自分を殺して、プラス自分の放課後をこしらえる(趣向を見つめ直す時間のこと)筋力というイメージといったらわかるだろうか? これで霊感は出来ている。もともとは、霊とは精神の強さでありそれを捉える毎日は心を癒やし、最高の喜びに満ちている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 人の立ち直り

    私自身が立ち直ってきたことに、ムーは何も関連しないじゃないか。ムーを拝んだり、祀ったり何もかもした後、こう言える時代になって来た。

     

    祀られたムーもいたんや、と内容的になって

    笑ってるのは人。私は今日も年上のムーとか見ていた。

     

     

     

    精神界。

     

     

    仮に心の中を、もっともっと目を瞑って考えて良い、とは良識を大前提としていう。

     

    心のわるい人を想定する。

     

    自分が、親や周りに今まで躾けられて来たこととか解れないので、軽薄だし、そういった周りを無視した人とは喋れないと思う。省く。あなたが他人だと選んだこのめちゃめちゃ他人の世界があなたにたいして優しい存在ではないから、優しくして欲しいと感じるなら私なら必死で周りにしがむなど言って帰ってもらう。自分のことを認識してくれ、決して解ることはないこの水を告げることだ。他人のもとあるご縁を祈る水。そんな時間を、執着とか自意識がどんどん食ってヨボヨボにする。塩を撒く。だから「気が選んだらお帰り下さい」とお願いしている。本当に好きだ、ハマったは、また知性活動なのだと思う。世話はない。

    お願いをする態度ではないぞ! と言われるその時、ありのままの自分の体とか供養そういったものが優先だ、何故なら道だからです。そうじゃない、と思えば自分がそうすればいい。「誰」がどこにいるんだ。私はその辺をより強く睨んで噛んでいる。しかと話せる人と話したとき、自分が修行者だと分かる。こういう世界の敬語と社会語は全く別なのだ。その中で、社会だったらいいのにな、人を苦しめる時間さえは許されている。頭がおかしいから普通に頭がおかしくなる。

     

    人には噂が有るのだと思う。最悪の人とかよく聞いたけど、例えば全く相手にしてないのに指示を無視して「私が!」と押しのけて行き、良い顔をして、その裏で人の希望を横取りしている。哀しみを忘れたい人の空気に乗っていつまでもいるが実際自の悪さで喋ることが出来ない。こういうどこに残りもしない噂のご本人が何とムー。ムーに苦しめられて食われて来た人はムーにしか見えないので、こういう辛いことを、正しく人に伝えるのもめちゃめちゃ高度がいる。ちゃんとムーに向かって怒ってくれたらと不意に思うがムーは地球と逆走するので必ず公正しない。全く相手にしない人の考えは正しい。だから、ムーに「(食べた者を)吐きなさい」と唱えるのが望ましい、本当だと思う。ムーは、必ず自分自身がわからない良い所にいる。例えば祟りなどは、その字通り必ず知性が起すものなのでムーは必ず起こさない。起こさないというよりは、起こせない。祟っているひとの前に自分事として虎の威を借りたムー。ムーのいないその昔、性格ぶすが駄目だとして、排除したそう。その後「ぶすはどこだろう?」として笑いを失い虚しくなった町がある。性格ぶすはまだ何もしない、しても受難であるが、ムーは何かしかしないし、天国に行こうともしないまして地獄にも行かない。

     

    だから、ムーがもしいなくなるとすれば、私や人に変わる勇気があるかどうかだか、ある、と答えておく。後悔しても良いような気がする。

     

     

     

    家を、部屋が散らかる時はそのままにしている。色んなことがあって寝ぼけているのもある。常識的に何も持たず、ちゃんと自分の息を詰める綺麗さも有る。私自身がこうじゃないと、他人の花ばかりを言ってられないことと、そのままにしているのは占い(まじない)である、こういった自分の勉強の大きさがある。

    と、言っていたら何もない部屋を作っても良いのではないかと言う事に気付く。だだ、あの時に悪い人に見られたくないのは今もそう思うからそんな心の動きがある。自然だと思う。もとからそう有ることが精神だから。

     

    人に、自分の心に相談することだと思う。ムーを省いて考えなきゃいけない。

     

    箱に入るような覚悟は一般的に完全にあり、お告げによってその中ではないこの中というのが有る、を知る。

     

    不意な視界を許さぬこと。

     

     

     

    精神界を喜び楽しんでいま す。 目上の人などの存在も

     

    精神などで気ばかり強くは

     

    なりません。

     

    伯父などをみて人生にたいする味の方がより高いと思 うからです

     

    霊の勇気に感謝するとともに祈りの取り組みをしてい ます。

     

    (何に何を祈ればいいのか、こういう自分はボケているのか、その意味がわかって来ました。)

     

    もっと身を任せられるようになりたいです。

     

    トラウマを直す為に生きているというところがある

     

    課題としたのは人間の力

     

     

     

     

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  • 点と線

    問題は、私がこれらを勉強して知ったのではなく静かな日にネット詩などで拾い集めた言葉ということだ。自分が興味を持ってわかったのだから、人も意味がわかるのを解るのであり、わかるとこが、神妙だと思う。私の偶然が、人の色んな順序を守っている。

    名の話(神)と無名の話(仏)の間と言う、ここで自分にも主観があるが、外に向かう客観性では煩悩がある。

     

     

     

     

     

     

     

    釈迦如来など、

     

    聞いて喜びを光を、目指していくが、

     

    一直線では自分自身のことが減りはしないだろうか?

     

    同じところに行きたいのであれば、同じくらい厳かでなければいけないのではないか。

     

    今にも、聖く記述する人有られる、

    私とは方向を示す。

     

     

     

     

    昔から優秀な人がいるとして、

    人を比べることすらやめ、お喜びになられる。

     

    人と比べ、そう生きて来たのなら、あなたはかく在りし仏だろう。

     

    その為にちゃんと生きているのなら、あなたはかく在る仏だろう。

     

    それについて喜んでいるはずだ。

     

     

     

     

    仏道をこう解ける、進化だと思う。

     

     

    無心の熟知について、無にたいする「点」の違いが三界に有る。三界は国のこと。

     

     

     

    「顔」についての美しさに縁深く点を思い

     

     

     

    「線」は、「私」を切り分け走る者である。ムー

     

     

     

     

     

    「次元」は、その奥。そう認知する「私の内側」に有る。

     

     

     

    それらは、時間に「面」している。何か流れの在るものに面している。

     

    ここに怒りが有る。

     

     

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  • 強く考える

    どうして罪もないような人が人の為に手を汚したとして、挙げ句罪を被らなければならければならないか、嫌だと思う。

     

     

    悪すぎる人なら、その人たちがいつもより早く自を食う、言葉も悪いが、私は同時にこう考えることに気付いた。

     

    想像すれば、私は一人でお願いごとをしよう。

    私の想像力は、使えないだろうか?

     

    あと、とても大事な相槌を思い出せた。清潔とは、自分が理解していたら心の中でさえ整えられる。心をよく考えて来た、感情があることも、面があることも。この「心の中」も、私の想像力を使えないだろうか。日々願う。

     

    やっと思い出せた。

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  • 色んな抵抗

     

    天井といっても聞こえが良く ないが 仏界はまた頭の上に 有る。

     

    虚空蔵菩薩から聞き受ける

     

    善と悪 ではなく 善と地獄の地が分かれた 釈迦如来は こうしたいと云われた 仏を蹴り落とした。 躾けをであった。

     

    依って(難読熟語)

     

    こうしたいと意思を同じ所から 蹴られるムーは悪であり、 名前をムーと呼ばれる。

     

    その仏は、地で笑われることに喜びを信じたのだ。 私は自律があると知る。


     

     

    これは、良い! と思うこと 有って、

    そこにムーがいる

    調子を横倒しにしてやって来た

    ただ自分のいうなれは犯罪を

    背負ってどこかに運ばれている

    胸に手をあてたり、見回しても、

    わかる。 頭を下げる心の清まい。 忘れなくても、もう大丈夫なん だと わかっ た 

     

    紙垂

     

    自分が自分の手を加え 頑張って来たから神も頑張るん だ。

     

    ムーは平気 平気で生きてないここに来て 知能がないのはおかしい

     

     

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  • 今後もやって行きたいこと

    守護霊、私が何を望んでもあなたはあなた方のどうしたいかのままだと思います。

     

     

    あなたは、吐き気のする重さの鞄を背負って来た自分に自信を持つように、ただ人の嫌なとこを聞いてみる力を私に宿します。括弧な滅ばぬ霊性とする為にどのようにしたらいいですか。

     

    「人は人。」と仰います。

     

    私は、己におののくのではなく恐怖を恐怖することを人に伝えたい、精神的な根性を。

     

     

     

    これは私がこのまま霊媒としてずっと活躍する覚悟のあるという意味です。

     

    最近頭の上に仏界があることの光をみました。

     

     

     

    失くしたものが、出てきた。絶望と失望はちがう、失望は失ったから前者に比べてはまた戻ってくると聞いたことがある。全能というムーの試し方。努力には一切いない、なにかへのハマり方がだらしなくハマって出る気がないのは引き篭もりだ、努力を常にその外側からいていじめてくる

     

    ムーを、人にたいする言語を喋ってるムーが普通に対等にいた人であった自分の覚えの正しさをいつも思っていた。普通に対等にいたをしらばっくれる努力をこんな微妙なことを必死でしてしまうから信じられない。

     

     

     

     

    仏界にムーはいません。単に犯罪者のたましいが運ばれているのを見ます。

     

     

     

     

     

    ムーを正そうとする人は出てくる。

     

     

     

    心の手前では、自分にたいする優しさや感謝、その為に自他を肯定しないそういう気持ちも必ずあります。

     

     

     

     

    しかし、

     

    憎悪がある、ムカつく、嫌だ、という意味で私はムーを「犯罪者」と言って人として拒否しています。

     

    ムーが表面上学識や、技術を持ってもそこにいるのは必ず他の霊や神で、本人がよく見えれば価値のある高さはありません。多分、昔悪いことをして約束を破ってもう一回している。

     

    デプはだめ、ハゲは運命、というチラシを見た。

    欲の分、ちゃんと運命をつけられていて、知能を覚えられず アリバイにだけ動いている。 すぐに心もなくなってる。

     

    横形にしようともコロナで非ない 何にも成さえしない。 自己形成なんで汚ないと思う。

     

    長いあいだ、「お前はどこ?」かと  聞かれた。どっと流れない涙 買いた。 涙が体を要埀ななかせな その時が見れなくなった。

     

    欲の分、ちゃんと運命をつけ られていて、初めからよその となっている。ここに来てそうまる 知能を覚えられず アリバイにだけ動いている。 すぐに心もなくなってる。

     

    横形にしようともコロナで非な 何にも成さえしない。 自己形成なんで汚ないと思う。

     

    長いあいだ、「お前はどこ?」かと  聞かれた。どっと出ない涙が貫いた。 その時、神が見れなくなった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • わたしの修行記録

     

     

     

     

    少し強くなりました。

     

    最近の観察

     

     

     

     

     

    出来るとこまでの繰り返し

     

    ムーロを突きだして いた、その後から脂に乗っ ていた(脂に乗る... 物事がは かどる)

     

    嫌がる事をする、つまり誰 もしないことをして「かっ こよくなった自分」に興奮 が止まらなくなる

     

    人で居続けようとする場合 は 何か出来た自分に興奮する、ここが違う。

     

    前者だと、 耐えていないこ とになる。 かっこいいこと の、精神的に耐えていな い。

     

    ・しばらく苦しみを楽しむ (自分の明かるいところ)

     

    ・ムーを離さない努力

     

     

     

     

    (ムーで起こる多少の出来事)

     

    動けない、金縛りなどによる人前での精神の弱さ

     

    自分はそうじゃない、 人前にそうでても堪え忍ぶ

     

    という意味で自信をもつ

     

     

     

     

    「私の意味」

     

    私は普段も生活しています。そこでわかったその時の自分とはを纏めました。

     

     

     

    お不動や仏を見て、卒倒してファンになる、こうなるよりも、 奈良などで古いその建造を 実際見て

     

    天上界の人と自分の違いとか、フィギュアを買って慕う

     

    私は、声のでかい者としてこれを教える必要がある

     

    同じように上記をこう考えてる人は居る。

     

     

     

     

     

     

    天上界といえば神が何か?ここでは

     

    自分より物事を知ってる人と例えましょう。

     

    彼が言うには、人ははみ出していても考え反省する為よいそうです。

     

    考えることが適さない時代も、考えることが適す時代もあり、そのどちらにもいたということと、戦国など忠義と言っている苦しい日々は今もありそこに生きている自分として、色々悩むのが無駄じゃないことを感じています。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    色んな物の理解が出来て安心する時間が増えました。

     

     

     

     

     

     

    「緊張感は安心している状態 から作り出す

     

    お年寄り おばあちゃんも 言いたいことを詰まらせる が、ボケてたわけじゃな

     

    い。

     

    これからの人が知ること と、ボケないことを祈る

     

    これを前向きに取り組んで いける、」

     

     

    守護霊に祈る、それは本当の味方のご先祖様。

     

     

     

    体が痛いけど、 見る、こう一本で見れるの

     

    なら

     

    ただこれが仏に起因する眼 識を磨いてることになる

     

    そういうスケールが自分に ある

     

     

    「これからも続いていく取り組み」

     

     

    聖と同じには立てない

    この自戒が大事だと思う。

     

     

    尊敬の意味と今自分のこの持つ気持ちと バイタリティを家で祈る。

     

    有るものの感謝を込める。

     

     

     

     

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