揶白 (KF)

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  • 遊びに行く兄者、家にいる私(編集)

     

    実際を通した夢日という遺産

     

     

    現実を強く養う者には夢が見えるらしい。

     

    自分にとってその概念は、永遠の輪、とか、裏表の繋がりがある程度円滑に出来ているメヴィウス、精神性、物自体の精神、

     

    こういったことである。

     

     

     

    だから、

     

     

    なにかをしたあと、受け答えできるかの勇気。

    各々自立した言葉と言葉の間を埋める、実際の行動。

     

    (「ホンマモン、ホンモン」という弔いがあるが、墓の立つ畏怖にたいしては、理由として考える余地がないからだ。生きているのなら考えよう。)

     

    言うけれど、これは、どんな本を読んでも掴めないコツである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    その夢日の中で、ごにょごにょ喋り続ける、と言う「言葉」そのもの、は確かにある。物の丈の長いは、その負を浄化したり、挽回する抵抗を持っていると言うこと。

     

    お城の言い方であるが、

    客観性ではないものに、主観にとどまる「客観」がある。

     

    それは単一の間延びした主観をどうこうと、次は興奮するが、躱したり逃げたりしながら「聞く耳」とはこう持たなければいけない。

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  • 自戒

    2023/12/14

    蟲ー

    蟲ーがちゃんとかっこ良く見える時があるのは、コロした人の表情。

     

    蟲ーが一生見つからないとも思える所に逃げるのは、逃げる為に生まれた人がそこに隠れないわけがない、自分がめちゃくちゃ必死ならを想像するという意味。

     

    蟲ーが面白いマヌケの素振りにたいしてそれを疑ったが、その一瞬は本当だった。

     

    蟲ーの中身は常に汗だく。ムッとしている。

     

    蟲ーは、循環する地球が悪いものを追い出そうとして、そのスピードで同じ空間に二体集まる。逃げる蟲と来る蟲、犯罪番組で見たことがある図。

     

    蟲ー同士は、いくら仲良くみえていても、反れる。反発はない。発する力が本体にないから反発もしない。そのへんを落ち着くと少しだけ思う。

     

    蟲ーは、物として垢や埃やからすにもなれない。地球上を実は過ぎていて物質に満たず、ましてからすなんて精神領域であるから何からも弾かれる。

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  • お仏像

     

     

     

     

    好きな仏像を選ぶと言っても、守護神は各でも宿られる。

     

     

     

    物に真面目な人ほど気付かなかっただろう。

     

     

     

     

    木が良いか銅が良いかは、普段着込みを期待し試練を飲む我には足が軽い。私が説明しでも損で、それは、好みに求められるポテンシャルスキルがないからだ。

    それでも言えることに、何でもショップ店員に聞き渡る、という特訓が良い。

     

     

     

     

     

    「位」とする場合、客観のあるなしは成り立つ位が必ずある。これは仏語て

     

     

     

     

    創価学会とは人付き合いのことを千度言い、一度で良い話が聞け勉強も出来て拝める、その1000パーセントのわたしを求め、次に嘆く様は大阪さんそのものだった。皆と協力を銘打たれ、気にしていることがあるらしい。池田会長と日蓮の上の一人が蟲ー。

     

     

     

    仏像が好きだ。

     

     

    お仏壇には、好きなご本尊をおずおず置いていた。その一つにあるのはお不動さんである。日蓮系の家族を立てるため、やや自身の信仰の為、そのご本尊を真似てみるような感じ。

     

    自分にわかる、感動した字の意識からも、交信、心の痕跡が上手くいき、念じることなく心を輝かせる。

     

     

     

     

     

    迷ってはいない事がある。

     

     

    色んな良いものが店には置かれている中で、

     

    あれが良い、これが良い、やっぱこれが良かった、こう長い間ぐるぐるしていても、辿り着く時は最も優れた用意をするだろう。

     

     

    宗教について話すと、暗い影があるが見ると大きな楠木があった。村とわかると良く映えた。

     

     

     

     

     

     

     

    仏像の利点

     

    仏像という、何とも見ている側のある中の意識を持つ事で、人に繋がりやすい精神を作れる。

     

    神は、自分のタイマンが何かを知る為のリセット領域。そこに相談という忍耐がいる。人が崇めるものだから、間に人の「言葉」が今あるのだろう。

     

     

     

     

    蟲ーがちゃんとかっこ良く見える時があるのは、コロした人の表情。

     

    蟲ーが一生見つからないとも思える所に逃げるのは、逃げる為に生まれた人がそこに隠れないわけがない、自分がめちゃくちゃ必死ならを想像するという意味。

     

    蟲ーが面白いマヌケの素振りにたいしてそれを疑ったが、その一瞬は本当だった。

     

    蟲ーの中身は常に汗だく。ムッとしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 次ぐ人と次がない人(編集)

    私の金柑。それに、戸のステンレスの良さを発見している。

     

    このところ、釈迦紛いのアッテルの蟲ーが威勢を張っている。

     

    「次のため」と言っているが、私はエスカレーター式のラクチンな世代があっても良いと思うのだ。それはしかも、成功を授けるのではなく、失敗を恐れない所から来ている。

    これと、としても自分がだれたのは、自分たちのせいだし、私の方にあるしんどい気持ちは紛いもののことで、ハイを楽しむ私には生活は守られても体力など庇われるのは辛すぎ。蟲ーと分かった後に出てきた三つ目は、それと、既にある運がもしあるのならどう進んでいるだろうか。三つ踏まえて五分と良いになる計算が何かあるだろうと期待しながら明日を待つ。待つ=生活から知れる動詞

     

     

     

     

     

    街で人が何か言ってるとき波長を霊という見えないもの

    形のない

     

    と合わすと、背景や空気と活一致する。

     

     

    情報量の重い言葉を持ってしまう、言ってしまう、で悩む人は多い。その間合わせる波長が現実的過ぎるのかも知れない。必ず心の中を検索する時間は回顧心とまず繋げなければいけない、もうちょっと砕いて纏めたら、自分の意識の高さに気付く練習とかして、「ミッ」とロボと感じる記録が出来るのかも。。

     

    私もテスト中。

     

     

     

    自分にある苦いこと、恥ずかしいこと、を普段から把握して、腹を出せるようにならないといけない。ストレス発散をし、良くないと思ってたそれが後に木の光合成に繋がるとわかった。

     

     

    イモい  卑下語。押す言葉ではなく、サゲル。

     

     

    この言葉が鮮やかに甦った。

     

     

     

     

     

    重なる   が、重ならなくなるから、気持ちは意識しないを推奨している。現実に思うことに見たら、色々思い浮かび妄となる今、わたしの目には前があって、

    掛け走るあとで気付くよりも、見て「前」に気付いた。 

     

     

     

    見てもないが、仏道入門中、無格山の水のその内のほとりに出会ったが、そのアッテルは心に思った悪意がそのまま悪事となる為、境涯という透明な存在に気付き、別、他界として閉じる小恋愛を経験した。

     

     

     

     

    この所に、何を選んで良いかわからない苦悩があるが、暫し楽しんでも良いと思う。

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  • 論書

    童の環境「外見の良さは脆い、化粧水パックを使用し丁寧に暮らしている。清潔について色々考えた結果こうなった。命名が諸あるから少ししか言わない。」

     

    仏にたいしての感謝に、気までが体を解る身にたいしては、かなしい。

     

    あらゆる混同してしまった理解が、いらぬ混色のようにしてマリアが肩をおとすような良い色に発光はしなかった。気になる人にどんな色か伝えるとすると、青に灰が混ざってぐちゃぐちゃにしたような感じ。

     

    ただこれが私にとって現実化しないのは、境涯による。それがそのまま現実化される悪人はある。悪い人、良い人がいて二人と数えたとき、同じ時間に「つらさ」という同じ重さのやつをそれぞれ持つ。すると潰れる人と耐える人があり、離れざるを得ない。

     

     

     

    時間軸と言う幅の長い広い物があってその中で瞬発的に遭遇の叶うときはある。

    勢いはある、いける時はいける、こう俗語にて許している事だ。

     

    …こんな言葉から、俗世と天世が別れたことを示し

     

    俗世に引かれる者に対して、境涯を上げる、とか、転生する、とか仏教が現る。

     

     

     

     

    昨日、チョンという既知の想像があることを学び直した。補足すると言語のニュアンスは「バツ」。

     

    チョンペケスミダ、私はそれが挨拶なんて素晴らしいなと感じていた。韓国料理店は近くにも沢山あるが、

     

    基本、「自分を民だと思うとき」

     

    に、これを解る。

     

     

     

    いけるときはあるよ、と尊を人とする者が言う。

    伝達の方法を考えるとして、その方法とは想像より遥かにある。心配いらない。

     

     

     

     

    「私の世界の客観って?」謎の悪党は、自身が村人とわかって、その後ストレスが消えた。

    今は全てを、単に肩凝ってただけだと理解して、「名」が苗字ではなくなった事を知った。

     

     

    先に言いたかったが、

    「南無天孫」は、あなたも祈って良い。

     

     

     

     

    母の始まり

     

     

    子は、如来が何だかはやく理解したい。

     

     

     

    別世界の存在が解る。如来とは、物の器が大きい。個数を意味する時は入らない。

     

     

    金色の予感を張り倒して会いに来てるのは、金迦羅。→自分を失くした痕跡と、体による時差に耐える為、

     

    金伽羅…童子と言う中途半端な形。悪人にはただの人以下に見える。

     

     

     

     

    釈迦文句「強調する言葉を養って下さった親から来た。」

     

     

     

     

    ここは、

     

    嘘でも本当でも、そこで信じたいものを自分で取りに行っている。そこに鍛えの必要な養いなど

     

     

     

    右に罪悪感を、左に自信を、罪悪感を取りに行くのは難しいが、これらを合わせる。罪悪感は、哀しいってのとは違う。

     

    自分に対することは、心の優しさからか気合いを必要とする。

     

    苦い程、それは怖しいと思うが

     

    火に手を入れるくらいの程。

     

    火に手を入れるくらい、と書けば、構造がわかる。

     

     

    合わせた手を、「もう触るようなことはしません!」と、実際に破ることが自身にあっても言う、と、言えたらあなたに神がやっと付きます。

     

     

    神それは私ではなく、私はとっくに神を付けた後の分けれる理解を有する人。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 世間と社会の違い

    人遣い、とは、

     

     

    今が、今、

    自意識が、自意識、

    嫌が、嫌

    好きが難しい、

    趣味が、趣味

     

    こういう、

     

    今が、今といった意識の中で光を作っている。

     

     

    日が射すとはそう言う事だ。

     

     

     

    時間超過、原因が人の気を存在する間を埋めて既に存在する面を退いて無視すると、神使いの枠からはみ出てしまう。それは後で払うと言えることではなく、

     

    電車線路から落下する、命をほかさなければならなくなる。

     

     

     

     

     

    人を認知しない中で戦争を考え、そういった怪しい人を考える、こういった自己研究もある。

     

     

    そんな人は兎に角、世間間の了解がある。もしくは、それを自分で求めることが出来る、その心得がある。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    悪意もないが、うざいと捉えられる言葉もある

     

     

    その際は自分が離れる、とか、

     

    その面を案じる、とか、

     

    時間が経った時それを嫌がらない、とか、

     

    仲良くなれる、を知ったり、

     

    実際の社会に立つ時では出来ることをしていて、

     

     

     

     

    人と力がつくのに、人を知らないと言うと、

     

    自分の世間値を落とす

     

    人の家に、悪意で社会を持つ

     

     

    社会が自分の中に存在しないと高める、と言った

     

    自分と社会との繋がり

     

     

     

    社会は

     

     

    社会性のある私の家に入れない

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  • わたしの回顧心

     

     

    アカるさにたいして躊躇する、

     

     

     

     

    屑は、

     

    五目(ごもく)、芥(あくた)、と言う。

     

     

    大切に思う分、ゴミは、ゴミ箱と身体を働かせる事が出来る。

     

     

    では、今は、「今」となる。

     

     

    二点も持てば、この強さが二倍ということになる。

     

     

    空っほになった大きな空白を、「モノトーン」といって纏めたら

     

    面になり、

     

    それを熟語と書く。

     

    体から解る書くことの意味。

     

     

    持てる情報量が違う、と巨大な筆は言っていた。

     

     

     

    「うち」が強い。

     

     

     

     

    自分でわかってるねん、解ってくれて嬉しいな。

     

     

    これを伝えるための、接続機としたことばをもつ

     

    言葉があったら、なかった時は何言うてたっけ?

     

     

    形のない頃、「自分」の強さを思い出す。

     

     

     

    こうする力として、認めた雨は、、

     

     

    勉強机の中から

     

    死ぬまえに戻れる、

     

     

    タイムマシーン。

     

     

     

     

    大阪は古い。氏は、

     

     

    天宇津女命、

     

     

     

     

    渦のこと。

     

     

    天(あま)を、天(あめ)、そのまま言ったりする。

     

     

     

    雨は、真実にはさらっとしてるか逞しいか、

     

     

     

    そう思う。中に、じとっとした悪い雨は蟲の事だと思ってから、形状を表すために除算したからだ。

     

     

     

    好きになった、雨を。

     

     

     

    例えば「忠臣蔵」と言う演目の裏版に、「四谷怪談」がある。

     

    この裏表の形は、不文律性の極として「生」の表現を高め上げている。

     

    雨を、手捏にして何か作る。どこかに置いて、

     

     

    その作品を、誰かが見る。

     

     

     

     

    体に、体から置いた分、流れ、

     

     

     

    もとからある濁った「液」で、

     

    その時「粉」が要る。

     

     

    固めて、「火」に煎って焼く、この手順が純粋。

     

    美しい好みの煎餅が出来ると、

     

     

    信じて。

     

    オオクニ、例えば別れることなく気持ちが繋がり、

     

     

    顔が判り、壁があったら。

     

     

     

     

    つまり、家の建造と言うこと。

     

     

     

    「泣いてるねん」

     

     

    その顔は、む表情ではない。

     

     

     

     

    わからない

     

     

     

    そういった所から守られてる。

     

     

     

    心と身体が繋がれるという変わらないことである、

     

     

    そういう自然一体があるかな

     

     

     

     

     

     

    別れることなく、雨がある時渦の雲は満ち、体的に鍛えられれば、

     

     

    かんじがわかったら、

     

     

    君がこれ側に入ってくれたら。出られるかわからんけど。おんねん。

     

     

     

    (怨念)

    ただ恨みせず、怨霊になっている体感としては恨みとは全く違うものである。何もしない、と言う決まった点により区別する。しっちゃかめっちゃかになりにくい強さを持っていて感謝を覚えたままの心は気高き事である。

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  • 客観性の聖

    前前述の学習にたいして世界世知の格差、これから言っていたが、

     

     

     

    この段差自身が、自身として正か、又は負である。

     

     

     

    正とは、それそのままで、対象と噛み合いが付けれる。無格としてあってもこう意味する。

     

     

     

     

     

    光そのものとして意味する、出現する可能事のなかの、

     

     

    心読は二曲がり三曲がり以上するそう。

     

    誰もまったくしなかった。

     

     

     

    最も「フラット」と言えるようなほぼ立体感のある物として認識するのではなく、慌てたのか、

     

     

    単なる紙と思えるような平面横移動をして、

     

     

    身を引き裂いた。

     

     

    線と面を丸ごと含めたことをフラットといって、簡潔に纏まった語の存在にも驚きがある。

     

     

     

     

    華道のある陸、を見て、村社会である自分を知った。

     

     

     

    内向性のある「うち」に「あの人」が来る、それを思い詰めていた。

     

     

     

     

     

    思うことのアウトラインがはっきりしてると、癒えるときにすっと直る。

     

     

     

    思うことのアウトライン、影とは、

     

     

     

    自信のこと、自意識を自意識として認めたり、

     

     

     

    自分にある問いを整理しておく。

     

     

     

     

    こういった

     

     

     

     

     

    自分一人で出来ること、全体感が必要な事か全体像が必要な事か、

     

     

    向き不向きの「ついていくこと」に対して、

     

     

     

    他、見る側としてほっといて良い、が分けられる。

     

     

     

     

     

     

    自分にある問いを整理しておく、

     

     

     

    こういった事柄のこの意味でも、客観性という言葉の登場は、めでたいものがある。

     

    生んでからが大変、と聞くが、

     

     

     

    頑張って行きたい。

     

     

     

     

     

     

     

    言葉も荒らしいが、

     

     

     

    哲学、生きる上で考えることそのもの

     

     

     

     

    それの万遍ない聖の「子」。

     

     

     

     

    普遍な大きさである。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    森のゆとりの中、

     

     

    してしまったことの手延べとは自分だけの中にある負を検討するである、それをすることに

     

     

    必ず出来ないことがそこにあって

     

     

    差し引いて出来ること、起こること、

     

     

     

     

     

    起こることに

     

    その理解が揃ってる

     

     

    この意味で

     

     

    手助けが間に合ってると言う定上のもとにいる。

     

     

    効果、修行がすすむ。

     

     

     

     

     

     

    今は、一人のときに自意識を透明にすること、

     

     

     

    思い出せるというよりは、

     

     

     

     

    蟲ーというだけで外見上が最悪で、

     

     

     

    無理という答えがある。

     

     

     

     

     

    思い出さない、思い出せない、

     

     

     

     

    ここに否定出来ない悲しみから始まったその言葉としている。

     

     

     

     

     

    蟲ーは、うざい人間ではない。

     

     

     

    だから抵抗として確かにフォルム化し、

     

     

     

    その間の自分の精神性について研究したり、

     

     

     

     

    確認、という行為そのものが研ぎであり、

     

     

     

     

     

    向上を忘れない。

     

     

     

    「約束」に自らの行動を返還させる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    キリスト教のそこから派生する芸術アートは好きだか、宗祖キリストの霊光を見たときに考えは嫌いだとはっきり思う。こう親しみがあるが、あなたは親しみを愛しますか?

     

     

     

     

    十字架を、

     

     

    日本はやや斜めに倒して、置き方としての位置から、物を倒すという身体と、物自体の栄え方。こういった象徴の方法が存在する。

     

     

    ~文学的に、土着の思うそれからの理解~、では、こういう空間法の形に非存在の事物が確かめられる点がある。それが、否定事としての認識が起こされる「それは現実ではない、という意味ではない」を、おさえ風化の阻止、それとしての苦みは生みと祝われる持続。

     

     

     

     

     

    こう知識する聖典を。今から読む。

     

     

    理解の仕方があること、象徴を信じるこの意味が、仏境涯の考える、文化する事のアプローチから、

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    チョン、といった軽蔑語が存在することを、その意味を解読出来ている。

     

    中国人でもない、日本人でもない、韓国人(この時、朝鮮半島全般)でもない。

     

     

    否定にたいするこのことば、

     

     

    妙味、がここにあることが詩に現れるのを見ている。

     

     

     

    「黒いもの」が浮き出るが、人知にたいして美しい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    総体があるこういった事は、皆を誘いたい。

     

     

     

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  • 夢と現実、詰合わせ

    前述の考えの下に、

     

     

    一本杉、のような木。これは、

     

    物凄い暗いようなこのカベともいえる太陽の続き。

     

     

    何と、「続き」があった。

     

     

    この「線」の向こうには、ちゃんと人がいる。

     

    「意識は悪いが、確かめたいことがある。」

     

    良いことも悪いことも想像中は物凄い考えながら、

     

    見離さずにいたい線。

     

    嫌なことでも分離化が出来てるからすすめれること、

     

    があり、理由があるを原因に二分とし、真似してはいけない事も相応して存在する。

     

    恒常的な、その間に愛があったことを、

     

    流れる糸の中でちゃんとある。

     

     

    自分の思う順序に、足してこういったことがあったのだ。流せぬ涙をここに落としておく。

     

     

    抑制し過ぎている感情を、どうにかしたいと願い願われるがわからない。

     

    静かに思う。

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  • インド学習、常自分

    伝えておきたいのは、

     

    自分が平均化という作業が出来る時、自分が違うものにたいして考えているときの文章は、

     

    わたしの顔、「わたしの表現」を何故にか現せて楽しさを感じる。

     

     

    こういった顔など自分の前にあるものとして、一定の警戒について予感があるのを心に見る。

     

     

    良いことがあったら、悪いことがある、として、

     

    良いことがあったら、問題が起こることを観察している。

     

    驚いて凹みの出る部分である。

     

    24hバイト、仕事、そんな何でも揃えたい宇宙コンビニをその光を見て、

     

     

    無関係だと思っていた諸の事情や、理解できなかったことがある。存在する。

     

     

    もっとも、重要なのは、

     

    理解できなかった、ということに自信を持つ。この一つの手間である。

     

    理解できなかった、という過去を芯に

     

    自信の形成出来る。心強い自分になる。

     

    いい加減には、

     

     

    良いことがあったら、抵抗あることがある、として学びたい

     

    学習という言葉が、深まりを始めるのだ。

     

     

     

     

     

     

    方位の鬼門というのは、そもそも厄払いをしたり、悪いことに対しての抵抗力をつける、

     

    減点ではない、と言う意味がある。

     

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