揶白 (KF)

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  • 大阪のモラル

     

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    個人的に考えるのが自立の証しで、

     

    大阪は古風が強く、そのモラルがある。塩梅の良い

    モラル性がある。それを目指してるだけだとしてもその風紀が存在している。

     

     

    要は自他が違う。

     

     

    こうポストモダン的で、積極的な性格を明らかにするなら冷めたこれでない「冷えて居る」事だ。それら、必ず脱モダンから経て遂げらるた長い痕跡が街には多く見られる。

     

     

    当然、個人が何か考える時には学んで欲しいと思ってる。

     

     

    こういったガムみいなもの、こんな風な物、感じを噛んでみたい。

     

    これら心斎橋から御堂筋一面に税金を行使し果たされた、そういう展示場は粋(いきだな)よりは粋(すいだ)、に思うは客観性の歴史を大通りに倒しかける。まるで、着物絹のマントをひるがえしたようだ。それが、大丸百貨店の前にあるから見せる昔からの気遣いの細い線が割れるように光ってる。大丸が店の大御所だと、私は相合橋か小通りの小さな板で見知る。街の理知から、現状と自分自身を把握する。

     

     

    本のページを、舐めてめくることをしよう。後ろに何かを伝えるのだ。

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  • 水を掛けて目を覚まさせる事

     

    「何か色々間違ってる人が前後にいるんだ。」

     

     

    義務教育を受けていてそれはおかしい!

     

    やったあかんことは出来ない運命。悲劇性もそこで取らえる。

     

     

     

     

    それが分からん自分が見(視)えると信じるな!

     

    はなしてて心の頭で一瞬感じたことを捉える。疑いとネガティブのガム、噛まない。ガム噛みながら大変なことを挑まない。

     

     

     

    川かガムか簡単に見分ける。

     

     

     

    「衛星のはやぶさって何ではやぶさって言うんだろう?」

     

    言葉のしりが偶然こうぶつかる様が、意地悪のように思えて、お笑いだよ、と教えてあげる。珍しい考えでも色んな考えでもそういう人が学校でいるのを知ってなおかしい!

     

     

     

    キーワード、一つ足りないくらいで。(by B'z)    義務教育。

     

     

    目が優しいのであれば、感じとっても痛くない。痛いか痛くないで判る。勘違いにひたすらついていく限りを見ると変なひと。

    実際のいたみだけが、痛くないを感じとるものでもない。このへん歯がかゆいが、しんでも痛くないを指して意味する場合が多い。遠いのに伝わらない。心も耳もない。

     

     

     

     

     

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  • 精神的な癒し

     

    片方の手が自我、もう片方は自意識。これを合わせて、二つの大きさを観察する。

     

    目の前に有るものを数える。これも、行となる。心の中に起こること、自分の感情をそう捉え感動する方法。

     

    死世界観光で知識を使った、というよりは知識を得た私の霊がどこかをただ有ったという、現実が有る。

     

    私という固有の者の霊に、勝手に入って来ていると霊に断られる、という現実。現実は、良い意味で距離感がある。正しい間をそのままにする。その上で、何かそれでも残る物があるのでればちゃんと悩めば良いのだと思う。

    自己、と言う何かはっきりした肉体や、その肉体の道行きがないと、霊、とは言えないのだと思う。はみ出たりしているのは背後霊。背後霊は靴という足の方で下を見ている。読み解けるのは、靴を失っている状態か、カネに落ちたかだ。落とし物なら靴が何なのかたるやを、詩感で解く。

     

    良い感じ、悪い感じ、自分で心の状態を感じとり掴むそれだけのことは難しい。霊的なはそれ自体次元なので厳しい。スピリチュアルヒーラーも険しいと言っていたのを覚えている。感じることに理性を合わせて行くだけなので、これを「気練り」という。形を調整する時に考えるメタ。霊界に現れる光、メタ自体、間の構造主義だ。メタルという語感の副次言語。人を思う一手間。これも気練りという。積極的な世界の工夫。理性の種類に漫画という接着のツールは咀嚼と実践値の二段階の勇気で応接を解決する。誰でもわかる簡易な接続ツールが、欲しいのにないなら辛いと思う。

     

    過去にも普段会わない霊と逢瀬する時期があり、霊界も、抱き合うような春の喜び、ぱっと栄える秋の喜び、から衣替えは、書物や暖かさの良い冬となったのと聞く。確かに、世間体はあったが、人間関係の大事に思うのは初めてかもしれない。

     

     

     

     

    変なものが自分にへばりついた感覚では疲れてしまう。よこしまな気持ちを感じとるからだ。

     

    邪神、ヤマタノオロチ。こういった良い、美しい神様を想像して、そこは当然スキップして飛ばすこと。蛇の道は蛇に聞くというわけだ。

     

    この時は前を向き、変なものをヤマタノオロチて包む。

     

     

     

     

     

    ある「辺」がもし、あなたに見えるならそれはスタートの事だと思う。辺は、難読漢字。

     

     

     

     

     

     

    さて、心のトラウマに立ち向かう。治す、テーマ。と、思うと楽しみになってくる。

     

     

    楽しみだ、その良い気を意識し想像する傷辺りに手を当てる、トラウマが癒えてくるのを感じてる。

     

     

     

    寝る、この良さは寝るだけで力が溜まるし、寝るだけで良いからラクだ。夢を見るのも好きである。私は眠剤を貰いに精神科に行く。若い時に統失であったが、一生懸命の時を経て、一応寛解を得た身からすると、病気に遇うと精神科なら働いている医者の方が精神が強いので何かといっても良いが医者のペースに合わせるとまた治りの姿勢なのだ。タイミングであり偶然の働きだが待ってて、と言われ待つ時にはじりじりする。この間に精神を強くする、こういうアプローチがある。精神が弱いから精神を強くする、見えなかったが療法は通っているのだ。

     

     

    精神科に行って体を押さえられる、と言うショックな感じの景色も、結局は心に良い、主体本人の主観のその中だけなら色々感じる心が和むのを感じる筈だ。心と心を通わせるとは少し辛いことのことだ、心だからそうなのだろう。そうした自然と調和した心と、患者の心が揉まれることに心の傷はすっかり治りを見せる。見えないので本人も痛いとまではわからないが、治ったらここが痛かったのか、と感想を得る。

     

    想像的な自分が積極的だ、積極的であること、や、癒えている、と自信を持つのは自分だけだと、伝えなくてはいけないが文学的な土地感がこういう時にあるのが心配だ。プリントでいいから病気の主要を厳しく知りたかった。院内はもやもやしてる気と治してあげたい医者らの気が対極してやさしい気を生み出たされいたが、ひたすらもやもやは溜まる一方だった。循環に組み込まれるまるで近隣住民や退院した霊が、生産系で働くことを薦める占い師の祈りを、光を誘導する形で感じながら、気になる気の正体を読み解く、読み砕く。

     

     

    私は、罰があたる、という迷信や噂を聞いた時に何が悪かったのだろうを思い馳せ、それでも日々心の整頓はゆっくり叶えられていた。

     

     

    今は念願にしていた「光」と遊ぶ、健やかなことを思い出し、成就に身技体を磨く、この気持ちでいる。

     

     

    暗い一界の世界が光を通過する日もある。

     

    世の中にある文学的興味、それと現実にある何か。

     

    教えたい、ただそんな気持ちでも何か感じる心ならば解りの光があり癒せる。思考した時、感謝と思いその時に自己吸収、消化している。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 霊語

    霊には、自分の許(ヨ)があります。

     

     

    金色に輝く意識を持ちます。

     

     

     

    それは

     

    =不思議と思う感覚です。解明性のあまりない、不思議という言葉そのものです。

     

     

     

     

     

     

    ・心がある程度皆同じだから、重なり、離れ、雲のように自由になれます。楽しむ事。可能と不可能を良く検討する貰えた時間です。間違ったら神仏に謝りに行き、それは、手や足をしっかり使うことが供養になります。大切に楽しさを学びましょう!

     

     

     

    日進月歩。仏は一日でならず。整理する心から、死世界を良く思う意識と霊を研ぎかける努力が、霊になるのだす。物に感謝する気持ち。わくわくする心のエネルギー。興味を持って見て観察する五感。鎮静。こういった研ぎ澄ましの訓練で出来る。

     

     

    無とからっぽは異なり、

     

     

    一、時間

    一、前方

    一、わたし

    一、意でも天地でも、好きな言葉を得ること

     

    を、自身が取り、

     

    それが「南」→ココナッツや海、南の島、良いものに向かいますように、のお祈り。

     

     

     

    四界及十方

     

    (四つのこの海をぎゅっと持ち、)

     

    利益不唐捐!

     

    (御利益を捉えるぞ!給えるぞ!受けるぞ!)

     

     

     

     

    四界の「火」、此れに自分を保つ「南無」。

     

     

    霊がまだ霊になっていない、とは実際に本人に未整理ごとがあり、思いを迷う人が有る。迷いが回りで存在する方も有る。見えない言葉の分別が理を伴っているから伸ばせる事の出来る理性が有る。ここに「間」の計らいがなければ、言葉や霊からは理屈的に剥がれる。気にしすぎなくて良い◎

     

     

     

    立つも、座るも基本姿勢は実際の自身の前、前方を見て、視線が前を向くことにそう在るべきことを迎える。自分で決める霊、そこに形の無い霊の癒し。そして力を抜いたキラクな、癒しや、修行や、試練。

     

     

     

     

     

     

     

     

    「決定番」

    霊は、自分のことだから自分の好き、決めるも自分。だから霊。

     

     

     

     

     

    ~かな?くらいで、プラスに捉えて わからないことは飛ばして、与えられた自分の問題を解いて行く。前を見失わない、前方に光がある。これ霊の理屈。自分の整理をつけれたら、つけれるのなら、霊が死世界で動くことも許可。その頃は良い自戒の仏霊か見ているから、街(もり、守り)や世間的にも霊だ。心もとなくて良いから上にそれが何なのか聞いてみよう、一回聞きや相槌じゃ駄目だ。一年練習しよう。きたない気持ちになったら悪いもの憑きをみたら、神社に治療、散歩!

     

    本来より。

     

    不可解なら不可解で良いんだ、不可解は、なのが霊。

    不可解は、まだ生じない問題。

     

     

     

    向上心と欲、似てる物の分別。見えない霊。

     

     

    見えない物、気も体、体は霊。

     

    気にならないから気にしない。しつこかったら通報。供養は自分とあなたの健康。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ・わけわからない悪霊を自分から祓う為に、心の炎を綺麗に燃やしてる

    憑かれた悪霊を見てる

     

     

     

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  • 私の霊修行

    祓い

     

     

    冥人(めいじん)と、形なき達者、

     

     

     

    至っていて安全な者である。

     

     

     

    陽と陰の異なって同じ道を冥王星と海王星にたとえている。何かの関係を感じて心に夢を合わせて、それが添っていくように練習を何年もする。夢見る心地とは、自己の他にあるやたら大きなものとも違って、理想とは理や天地を実際手だけて見はからう。心する、心に受けたことをちゃんと纏めて感謝してるから自分の上や天井が仏で、自身の自戒の証明になる。

     

     

     

     

     

    このように、ペットボトルのキャップを浮かべる。

     



     

    これを「力」と言う。この小さく軽いが、プラスチックと言う物の間隔と理解。純粋にしたら力は、力の強さではなく、力のことだ。久しぶりに物に取り組み感じることをしたら日焼けして美しく見えるのかしらんけど、この中のネジじるしが、人間の心を描いているようにも思う。製作する時間があり、こういった時の流れと水星、あの何も特にない惑星の周回その綺麗な感覚だ。蓋、自分を閉じる、寂しさを閉じる。ラベルには様々な字や絵があって、世間との取り組みを表せ、向上する人間の痕跡らがこういった全てを霊の養いで、喉を潤している。霊グッズを神棚以外は100円で揃えるのだ。そして最近水晶を持ちたいと、思っている。

     

     

     

    これも、霊は得意。日本の十円である。

     

     

     

     

     

     

     

     

    見えない光。見つめ観察可能の本であるから人の養いを諦めない。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    モラル。見えないものが、この方が見えなくて、そう合っているからやってみよう。

     

    自分はこれを一人で感じるということに乙があり、自分が動くほど、好きな霊は動いて、

     

     

    そこで何も考えなくて良い、無心のあしどりたちが、今日こそ山へ上る。

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  • 交換士とは委嘱の関係だ

    藩とは縄文からの古い人のことで、委とは、丘が丘、役所が役所と言う事だ。。学校で初めて「委員会」を習う様に、自分からして任すことでもないという意味。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    夢をもって大切にしてきたけど、

     

     

    大きな大きな溝があって

     

     

    真念を持ちたい我が気持ちと、許されないような悲しさの蓄積と、疲れと、

     

     

    こうしたい、世界にこんなものがある、そういう風に憧れるものの為にいたい、でも出来ない。寂しい。

    でも、何か足りない中で愛して生きていく、そう生きていたと思う古来の、生き方の条件だけが残っている。

     

     

     

    寂しい。血が吹き出そうなこの穴を完全に埋めて、男が微笑む。

    寂しいと言うこの傷を完全に癒やして、女が微笑む。

     

     

     

    人の良い怖さと、悪い怖さがあって、悪い怖さは怖くなくて、

     

     

    先住民という言葉と、あるべき一人で越えていく壁と、もうあなたと死ねたら良い、という花のような漠然とした星の様な胸の期待と、

     

     

    黙り込んで木板を積むあの人の理由が、切なさと絶望が心にぐるぐるし、せい

     

     

     

     

     

     

     

    北に向かうと、女の方の耐え難い恐怖の顔があって、

     

     

    私は国籍や歴史を思い浮かべた頃、「もう愛さないぞ。」という答えを持って、寛(ゆた)のたゆたに、誰かにたいする愛情とも違う。いつから積んだか責任の木に、箱に、心が入っていて、当たり前にそう動いて良い悪いよりも先にこう決めるという自由な「わたしの冒険」の淵には、モネかマネのびよびよした睡蓮のくろい歪んだ水の影がある。背景が、わたしを包むものがずっとずっとウルトラマリンで、絵には、可愛い秘密、見てやらぬ秘密、目を閉じる秘密、そんなモラルはあっただろうその時代に、もし写実が光って、イラストでも純然な文的作品でも絵とはこういうふうにある、と思う中にいてこういう複雑な水の影を一本の線で描いたことに感銘を受けていた。世界がこういうふうにあると思う時に、傍らで色々感じ、勉強していて、こつこつ描いて行ったらこう描けて来た、のかな。

    すると、「否定」は、そこから初めて人と交わす絆のような心なのかな。自分の中に昔広がった風と何か大きなものを思い、私が削れても砕かれていても、変わらない空があって、それを、日がな安定していた美術生活から正確に刳り抜く。

     

    正当化と押し合いから隔たれた、そんな場所にぼちぼち向かいたい。

     

     

     

     

    アメリカ人は嫌い、日本人はもっと嫌い、フランス人は一番嫌い。

     

     

    私が私にたいする身にたいする平等三権を手に握りしめて、

     

     

     

    やっと心を抱くような。

     

     

     

     

    落ち葉がパリパリ鳴る道を踏んで、ロープを引っ張って歩く。

     

     

     

    悲しくて、感動をして、

     

     

     

     

    悲しみは、ただ大きな真白なダンボールになって、

     

     

    私はそれを切り裂く鋏と、孤独が欲しいのだ。

     

     

     

    それが欲しくて、は「働く」という歩く税となる。花や花のまにまに見えもせず、いつでも社会から消えそうな役人で特に、「自分を知ってほしい。」と思う。

     

     

     

    歴史的注意

     

    意気を準備するのに、わかんないけどという見えないことの準備をすると、枠が見えないものになってるから、それをやると重なってて運気が倍になるはずだから、先の問題にも自分が回り込めるし、動く軸が悪い方を目印にすると体がそっちに傾くから、間に見ててくれるの嬉しいし、板にチェーンとかも付いてるからじゃらーって

    ついてきて巻き込むし、それじゃヤバイから。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    そんなことを書いていたら、死ぬのはまだ先で良いヤ、と思えてくる。背には権威がないと誘導しにくい。そんなで、客観性に前向きさを取り戻し、照って苦しみ出している。修行と、「受難でもないカスみたいな苦しみ(特定された複数の

    人名)」がある。大変だから細く見分けている。あっても良い手間と時間だ。

     

     

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  • 明治が、厶(蟲)ーの天皇

    日本は古代から続いてる

     

    時間というもとの流れに合わせて、自分に任せる

     

     

    男働きの得意なやつ、造りの理解の好きなやつが、これからも暫くむしろ蟲(厶)ーをみていかな、でも、こうして自然に思えるなら良いと思う。次世代の次世代がある。

     

     

     

    天皇がその時の、その時のあって、いらっしゃて、争いはあったが戦争じゃなかったとおもう

     

     

     

    山や野のふんわり柔らかく理解するが、

     

     

     

    昔より広く今、海外の世界、客観性が出てきて、何が大事か言えないでいる。もし社会が出来るなら、

     

     

     

    精神だとおもう、ゆたかな内面(キリシタンに深い海外人)、と、ゆたかな精神、

     

     

    自分よりも古い動物は、感情を分け合う。得意な感情が動物に様々ある。精神だ。

     

    日本人が、要請されているんだと思う。伝搬していないことが強い心配

     

     

     

    蟲(厶)ーを、

    7日ごとに名前を仏が読まれる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    蟲(厶)ーについて書いたことでも、勝手にコピーしても、言い換えてくれても、「実際に」声をかけてくれても良いからね。

     

     

     

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  • 廣田神社

    お願いごとリスト(自宅の好きな仏像にお頼みする。よく、「お頼みしましたぞ!」と言うが)

     

     

     

     

     

    ・水泳プールをしていたとはたして言えるだろうか、こんな皆を言う言葉だ。

     

     

    ・腕が当たってすいません。

     

     

     

    ・どこどこでどんな自分に起こったことを人仏にお伝えする。(ヒトボトケ、大阪でわかったが、ヒトボトケなら外でも深くならばしゃばしゃしてもいい)

     

     

    フロム 大黒天などの発散。

     

    (四天王寺、と場所を言わないのは「四天」として有名であるから、切り替えの言い方。)

     

     

     

    お祈りを自覚する人は、猛烈にこんな風にしていると思う。

     

     

     

     

     

     

    廣田神社

     

     

     

    ポテンシャルが整っていない→ポテンシャルが整っていなくて通ったその時、意志を問われた。方法は、私を売った。

     

     

     

    私、方法は自分でイメージできる、・色んな人と話してる ・想像を諦めない ・あるところからのガタツキが見えてあり、今実際本当は、もしかしたら解っている人もい

     

     

     

     

     

    古いひとに、蟻とうんこをかけた心のメッセージを私は拾った。あり、んこ。ありんこ。

     

     

     

     

     

     

     

    皆、素直な心に還るんだ、と、見渡そうとした時、人に何かにさえぎられる。→戻って修行する。

     

     

     

    もう怖いのではないか、と思うが此時、神が、「自分より間違うわけがない」という神道者と話して出会って論理を伝えたいのだ。働いている人は広さを完全に忘れて暮らさなければいけないときがある。

     

     

     

     

     

     

    北摂津で、必要な意識、と、役に立つ意識は違う。役に立つが、必要でない意識もある。その場合があるとこにはある。聞いて感じていると物凄く役に立つ必要がある、と受け止めるが何があったのか、私も個人で好きに気にすることが、大事だと思う。巻かれて揉まれていたが、真実を知るより空想派だった自分を思い出せた。

     

     

     

     

     

     

     

    一方が長けてもって、一方は助けたが自分は救われなかった。それは、大きさを感じるまま神話で、個人に帰結しない。

     

    アッテルのゆたかな内面世界。

    わたしのゆたかな精神。

     

     

     

    …自分は、精神を守ってほしいことがわかった。

     

     

     

    精神は、

     

     

    精神の強さや強さのことではなく、鳥とか猫とか犀を、このようなことをそう言う。

     

     

     

    摂津から高槻の白塚古墳へ。ヤマトタケルの話に戻る。黙ってたたかいを愛した人がいる。天皇が違うから昔の価値観からして争いでもないのだと、そんな鉄火の時の排気ガスかな、蟲(厶)ーを見てそう思う。

     

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  • 考えているかどうかはわからないけど

    ヤマトタケルを、心に見たら三回唱える。

     

     

    前に、性善説と性悪説と言って神は悪いのか?と問いかけたことがある。つまり、神が出ているのに神が悪いわけないだろう。

     

     

     

     

     

    タカヒムスヒ、カムヒムスヒ

    →ヤマトタケル

     

    (タカヒムスヒやカムヒムスヒに比べたら、ヤマトタケルは幼児の書いた名前みたいだ)

     

     

     

    何かはしました

    →ヤマトタケル

     

     

     

    ・守る為でした、守りました ・こうこうこうでした

    →ヤマトタケル

     

     

     

    自分も、私も、みんなといます

    →ヤマトタケル

     

     

     

     

     

     

    心に火がともる。

     

     

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  • 良いものを知ってる

     

     

     

    良い悪いがわかるのに客観性がいる

    それが心なのかもしれない

     

     

    何らか耐えてないと

     

    心はわからないくらい落ち着いてる

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