揶白 (KF)

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  • 映画「君の名は」

    君をまだ知らないという慎みが有る。縁は、意思に関連して紡いで行くか、行かないかの判断だ。「君の名は」映画で観た、色んな色を、鮮やかな、糸を織る様な。風の国では、固く結ぶミサンガのジュエリーの様な綻んだ笑顔のことだ。

     

     

     

    もっと一人一人が平等であるとか、逆に特別だとか勉強は必ずそれぞれで、多岐であり、他人を私が心の中から隠すのはその人の良さなどは、自分の目が知る事だからだ。気強さは内心に収めて、自身がどのような上かを人と話を説明する勉強をしなければならない。逆に神道ということを知り、道から逸れること無い「道」の概念が解って来る。ぼんやりしていることをぼんやりしていると認識する、これが道。

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  • ニ色ムー、人がムーにしか見えない

    小室さんなどみていても、人にお優しい方だと思う。しっかり自らの位置する所におられて、私たちを心強くして下さる。

     

    ニ色ムーは、ムーで悩んでいる人の事でムーにしか見えない人である。ムッとしていてムーの事ばかり考える人の目つきは、人を隔離させる。しかし、その目つきでいる事や暗い気持ちは、人には必要な時間じゃないかな、と思う。この点、隠れていて良いことと隠れてこそこそは全く違うから自然体、つまり影になる時間帯と笑える日と空気が有る事をこれを含める事を大切にするべきなんだと思う。

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  • 言葉の質問2

    「こう思った。」を伝える時、

     

     

     

     

    美しい様子を見たので感動しました。

    美しい様子を見たので見習います。

    美しい様子を見たので負けずにそうなりたいです。

    美しい様子を見たので癒やしにします。

     

     

     

    思った、どんな副詞なのか、言葉の正直を鍛えると主体が身に付き、主体が影になって自分を守ることが出来る。主体が身に付くと逆のブレた客観性から自我を守る。

     

    後は、具体性。言葉を噛む!硬い言葉を噛むのだ。そうして養われる骨。具体的だとは骨格の事なのだ。ただの言葉をカルシウムに変える。

     

     

     

    どこに敬語があるのか、を考えている。

     

    言葉までにしなくても自分を大切にしている態度が、すっと敬うの字を立てる事に感動している。

     

    アニメ絵を描いていた昔、笑われた時、BLに没頭するストレスのあった頃、高校デビューしてしまった時。自分の暗い方を考える。こういった黒歴史、シネ、もさってる、ムー、一見下品な言葉でも泳いで行こうとする思いや意思、あるいは歩いて行こうとする意思。

     

    山や川はそんじょそこらにある。私は野を走る。

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  • ムーに対抗する時代

     

    購読しているのだが、ムーという同名の不思議月刊雑誌がある。

     

     

    宇宙ミステリーや、UFO、古代オーパーツなど面白い不思議な研究をしている。月刊ムーのCMにもなるので、普段でも「ムー」という言葉は大きく使って欲しい。もともと私が悪く使っている方のムーは、大國主と卸した言葉だ。大國主は武士に縁があり、一人で何かに強く対峙しなければいけない時力を引き出してくれる。色の柄など当人の気がよければ言い当てる。のほほんとした武士が背中にいる。つまり、今のこの私自身なのでそろばん教室での読み上げの如くメモるのが良い。いずれでも「こう構える、こう躱す」というのを私も練習している。

     

     

     

     

     

    ムーを無視した人間が悪いんじゃないか、と良さ気に思う。

     

     

    人は正しいと、何度か確認したことを、マイペースに実践して行くだけだと思う。

     

    小学校の頃から(気にならないが)少し意地悪だなぁ、と思う。

     

     

     

     

     

     

     

    〜に対して

     

    何か素晴らしい事に対して、自分はどうか?

     

    「watashi」は、省くことで研げて行く。アニメの女の子等を、思うとよく見える。余計に打たれない!これを学ぶ日本の霊性。キリスト教の言葉を加えても、ムーに対抗する心を、考え方を、貰っても不利だ。不利なのだ。

     

    悪い人は地球と逆走している。逆走したのが先なのか、何か嫌な、悪いことをして逆走をしているのか。神は、ムーが神になることをムー自身に対して叶えるが、人が人で動いていくという輪郭をみる。ムーが自身を偽るから現に怒られて、天使は、祈りの丈も長さも有るから始めから御使いなのだ。悪過ぎると惑星からは自然と振り落とされ、気持ちの良い「かゆみ」となる。星は、処置が自然で、ムーには怖さがない。善とは何だろう?「私」と言う私が、生まれる前から有った星や、夢中になること、悪を考える思考も、自我を成さんとする哲学も、宇宙の神秘も、文化も。

     

    精神的に、「ムーがマイナス」を覚えなくてはいけない。自分自身が創造する「無」とムーと異なる。ムーがネガティブという言葉に相応することをわかったとき、無がポジティブなのだと仏のフォルムを探した。

     

     

    ・最近のムー

     

    東京にいた分かりにくいムー(悪い人とムーが混ざり合ってる)

     

    武士のムー(このムーがトントン拍子になることを塞いだ)

     

    武将のムー…武将や弁護士、複雑な仕事にムーはいない。ムッとさせる所ではないめちゃくちゃ気を悪くさせるが、次から色んな事が必ずラクになる。

     

    奈良のムー(全ての主要が短冊箱揃一式纏まっている。手袋をして丁寧に拝見)

     

    デリカシーのムー(デリカシーのムーに対応するアッテルが手に届く所に置かれる)

     

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  • 惑星が好き

    強い力とは何か?

     

    自分より生まれる前からある歴史や、惑星である。強い力とは、それらが続いて行こうとしている姿である。物理的な意味の「強い力」である。

     

     

    昔から星空や惑星が好きだった。そんな趣味を要はムーに押し込められ、忘れてしまった。努力してプラネタリウムに行っても、視界に映るのは物々しいムーの次元ぜろの低世界。

     

    宇宙の始原、ブラックホール、天の川銀河系の外のまた銀河系、それが何なのかばかり考えて過ごしていた。地球とは、何と木々ばかりではなく建物を創造しようとしている。

     

     

     

    海には仕切りが有る。これは自分を押す力と自分を引く力のこと。「人を仕切る」という意味。建物は、木を切って作るから自然と対比されているが、共存するものである。

     

     

    続いていこうとする自分の意識について行くと、意志的なもの、哲学、こういった形ある自分に出会える。

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  • 海に告ぐ

    外人という程、地平線の向こうにどのような自分を見出だせるのかを私たちは知らない。

     

    国中を感じる「自分」には甘えが出てくるが、海外の人なら、自分や主体にたいして自意識する限りに於いてニュートラルを保つ修行が成り立つ。優しさそのもの、海の中のウォッチングを、それを目指して出来る事がある。

     

    海のノリとか、外国人の大きな背中を見て「友達」に何かされても時にして解決できるなら、人間関係を捨てずに笑っていられるなら。

    心の清貧に恵まれたら、物が見える。

    潔ければ、先が有る。

     

     

    「仲良くなろうとする」ことには、心の黒さもあって、その深さは、自分が感じる物語に対してである。各々がそうする難しいこれをやって行こうとしてる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    様々はノリと性的なもので進めてはいけない。この終止はフィクションと名付けよう。

     

    私は違う。

     

     

    怠惰と、対極に位置しないこの無我夢中は、めもの凄くポジティブ。

     

     

     

    それなりに体を大切にしている自分を見抜いてとまではいわない。お前に向かって、母への感謝もなく「嫌い」以外に何があるんだろう。

    後悔なんか慣れている、と言うんだろうか、その危うさを考えたことあるんだろうか?(縄文お父さん)

     

    ちなみに私は縄文おばあちゃんの役係を貰った。

     

     

     

    大仙古墳など教科書で読んだ時から好きだった日本歴史。面白く思って降りて来てくれている。

     

    祖が、「空気読み」なのだ。大変な事を聞いた。

     

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  • 上下のムー

    お洒落は、退廃思想は、思考でない心から始まっている。心の大きさを「見て」いる。

     

    カテゴリ「心致滅却」が、入れるべきものをだだ抜かしていた。昨日調整した。

     

     

     

     

    ムーが同時に二人いると気付いてからは、補助線があった。この上段のムーと下段のムーを今度は印なしで早く気付けるかやっている。「早く」と言っても早さは、スピードが全てを良しとするものではない。上下(来るムー、逃げるムー)。

     

    上(天)の方では、東にはムーをお洒落にイキった奴と、西にはムー商売で成功した奴がいる。

     

     

     

     

    ・最近のムー

    悪党に見せかけたムー(茨木)

    店のムー(上下が揃ってた)

    大阪のムー(手間がかからなかった)

    優秀なムー(戦争時代に生きていたとイキるムー)

    欲張りのムー(買い物を考えているときにいる)

    姫ムー

    ブルジョアジーのムー

    仏が遣えたムー(仏が遣える、と言うのは最初に解りきって挟んで置かれたのだと思う。仏にムーが遣えているのではない。)

    真田幸村のムー(自分が真田幸村だと豪語した不良の女)

    東大のムー(東大生も自分だと思って大変だった、話の途中に「自分だと思った」この理解が、ムーが他人だという意識をクリアにした。)

    こだわりのムー(何だったか忘れた)

    イザナミのムー(美人だった)

     

    ムーが、人を応援する熱量で溶かせるかも知れない、だって精神力に負けるから。という話を聞いた。受験の学びや大学での応援団、例えば東大を思い浮かべると焦りと元気が出てくる。

     

     

     

     

    阪急の方に自分がムー商売で成功した人だと勘違いしてくる人がいる。自分もムー取りを手伝いたいが、この高さからでは手が届かないと言っていた。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 良い物を慕う、物について関心を持つ2

    潔さと集中力があれば、身の幅が異なっている人ても話せることがある。私は鳶職をやっていたことがある。日照りが気持ち良く風が心地良く、毎日を働いた。後から来た男の子に簡単に抜かされたので、挫折して辞めた。

     

    ただ人も学んで欲しい事は、物に親しむこと。クレヨンで何か描いていた時の音を思い出してほしい。鉛筆などでは拾えないとても小さな音。客観性(ちせい)によって取りに行く必要はないが気は良くなるだろう。

     

     

     

     

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  • 良い物を慕う、物について関心を持つ

     

    色んな物に触っていた方が大人になって「入り」やすいのだ。

     

    着物を着れば、自分の全てが変わると思った事がある。今後もこう思う若い子ほいると思う。

     

    良くしようとと思うよりも、次世代、未来の人にやらせてみること。そして自分がそれを思うことで手伝ってみること。国の成り立ちによってそう思う。

     

    肌なじみが、落ち着く場所を知り、肌なじみが良いと言葉が良くなり賢くなる。

     

     

    日本の古い、夜に面したしきたりをすこしすつ教えなきゃいけないと思う。

     

    青空の美しさもあるが、人が賢くなるのは、醜いものに面した時、不細工、ではなく醜いもの。

     

    忘れるよりも感謝が、ボケ防止、ボケすら防止し、文化も大切に出来るかもしれない。

     

     

    今おる如来(美しい人)は、心の普通に良い人。普通の段に丈の長い人。巷できらびやかな笑顔を見るが、取れる自分の輪郭が「無」として心を高鳴らせた。おまえは死だ、と誰か詩人に言われても、気にせずすすめることがわかる人。神を整えることが出来る人も沢山いる。私は厳かに方法を伝えられる人。

    如来の前に出る人もいるが、そういう人は認めるようと努力する。

     

     

     

     

    あの日、何をやっても自分の死んだ心にたいして認められないと悩んでいる事、これが「心を見つめる」。

     

     

     

     

     

     

    街を歩いていて大切な言葉が、汚さでも古さでも詰まっていて気が気であることが、その街の「清め」だと思う。「清さ」とは言えないが、良さ白さばかりでない祈りや願いが、渦巻いていて綺麗だ。そこに心地良さを感じる。

     

     

     

    私はタイミングが色々良い。好きで目指しているから、その方の味方が多い。普段足が進んで向いている。自分の感覚を覚まさないと。(私は今見える仲間より一人が好きだった)「死」を伝えられないのは、釈迦が男性であり、これが女の話だからです。

     

     

    そろばんを探し求めて森の宮まで来た。雲州堂に行く為だ。直販売をされていない。もともと剣道着の様に置いているものじゃないんだから、小さな物から始めなくてもいい。でも大体売ってない。天では何かあったのか?聞いてみる。ロイヤルホームセンターからそろばんの武士が現れる。

     

     

    武士のアイスクリーム

     

     

     

     

    武士の痕跡が伺える。憧れるものを武士にするか、ペンダント即ち戦士はにわ。どっちにしようかな。モール文化の私。しなだれて名指しをするよりも前より一歩、がある。

     

     

    私のそろばんは、青色を表現した「員兒蓮籔旦栖葡璃」という名前を彫っている。暴走族のようだなと思っていたらそれを入れていた鞄のひったくりに遭った。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 昔書いた日記

    Maybe you can understand the pain for a moment. Even if you don't understand it, you can think about the world view. When I am poor, I would be happy if I could at least give people an opportunity to know their position by telling them. A person with taste is more organized and able to give than a young and selfish person. At this time, Westerners will have two choices (Yes or No), either to strengthen themselves or to sharpen them. Both are sensitive because LOVE is intangible. My heart is weak, so I still live to polish it. It will never be a yes or no result, but have joy and Don't waste your misery, Even if you step into sympathy, it's hard to live because there's something in you. In that situation, if you tell me that you are not alone, but the world is your family, you will feel harshness, but you will also feel the harshness of your spirit. I think that he thinks without falling into the temperature difference in people's sympathy. I would like to think that I will not grow old. "Thinking" is, after all, imagining. To cultivate reason is to imagine.

     

     

    Love between a man and a woman is not the first. Like Adam and Eve, they don't get along, quarrel and grieve at first, but somehow they get along and brighten up. As I write, ordinary good intentions are scattered, and ordinary things that I offer can be passed on to the future. I also want you to help me

     

    When I feel the reality of the "end", I somehow feel that it is so, and I can somehow accept it. I want to be proud of my soul. "Weaving together and living is prayer, and just nodding is also prayer." There is love that derails and falls from there, but I think it would be really good if we could say let's reflect on each other. Nothing particularly interesting, every day, I don't need a tropical reality, Find what you have. We want more and more to God.

     

    ちょっとは辛いことを理解できるかも知れない。理解はせずとも、世界観を考えることはある。
    自分が貧しい時、それを伝えて、人は自分の立場を知るきっかけに少なくともなったら嬉しい。
    若く我が儘にしている人より、一人でも味のある人の方が整頓されていて、与える事が、出来る。
    この時欧米人は、我を強くして行くんか、我を削って行くんかの二択(Yes or No)になる。LOVEは無形だから、両方気が利く。
    私はHeartが弱いから、研磨するためにまたまだ生きる。Yes or Noの結果には決してならないけど、喜びを持ち、
    悲惨さを感じていた事も無駄にせず、
    同情に踏み込むにも自分には何かがいるから生きて行く事は大変だ。その中で「一人ではなく、世界が一家だ」と私へ伝えられたら、厳しさを感じるが、精神の厳しさを感じる。人の同情にある温度差に陥らず考えてくれてるんだと思う。
    私は老いないように考えたいとおもう。「考える」というのは、結局、想像をする事だ。理性を養うとは、想像をする事だ。
    男女の恋愛が初めではないのだ。アダムとイブのように、反りが合わず、啀み合い、嘆きながら最初はスタートするが、何となく仲が良くなって明るくなる。
    「こういったことを人間は受け入られますので、どうかよろしくお願いします。」と私は神社に参った際、そう祈る。

    みんな成長してしまったけど、私の中に昔からいた人を大切に思いもうすこし勉強してから外側に発信していきたい。

    書くように、普通の善意がばらまかれる、差し出す通常の事は未来にも渡せるように「苦労は買ってでもしろ。」とはそのとおりで子ども達には苦労して欲しいと思うし、人に助けて頂いて欲しいとも思う。


    「終わり」をリアルに感じるとき、そうなのだと何とか感じるが、何とか受け入れもすることが出来るが、終わりがあるなら私は何をすれば良いのかを考えるとき、超越した人間、対動物としての魂、を誇らしく考えたい。
     織り合って生きていく事がまた祈りで、ただうなずくことも祈りなのだ。そこから脱線して倒れてくる愛もあるが、反省し合いましょうと云えたら、本当に良いと思う。
    何も特別に面白い事が、毎日で、南国のようなリアリティはいらないけど、

    自分に有るものを探す。

    私たちはもっともっと神にかけたい。

     

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