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2022/01/11
90年代は中学生である。
だから80'sもロックも、「勉強」しないと知れない。
深夜にしか、しょ~もないテレビ番組は映らない。
何の意味もない芸、今はそれを「芸」とまでしかワードがわからず言えないが、虚しさと、ギャグに対峙して新たな「自分」にたいする憧れ、芸人の元気、次週への酷い焦燥、フランス映画のような無意識的な高いテーマ、
baseよしもとをご存知だろうか?
難波の地下にあった、yes-fmの劇場だ。
大澤さんも、かつてここのリスナーであり、ラジオ大喜利では特賞を獲得している。私も自分が嘘をついてしまう、という悩みを何度か相談していた。ステッカーを貰っていた。
大澤はそれからアイデアが覚醒して大喜利の回答を送りまくったらしいが、それから、一切、何も読まれなくなったわ…。と、ぽつり言っていた。
私が舞台に足を運んだのは、超若手のゴングショーライブだ。100組ほどの無名のコンビのネタが、隙間もなくチーン、と流れて行く。
友近さんや、今や南海キャンディーズ、も、このライブにいらっしゃった。
芸人が、自らチケットを買い、それを街で手売りしている。
芸人だというだけで、声をかけて買ったインスタントカメラで一緒に写ってもらう。
何かの「ファン」というだけで、日々がとても楽しくなる。
普通にキングコングに爆笑して、西野っちのソロ芸を家で真似して、
世間的な面では苦しんでいた。
八木さんにナンパされたクラスの子が、番号をみんなに回して、電話をかけた。それは、授業中を華やかせた。
深夜、
base単独イベントの特集、「吉本超合金F」などを、私は栄養にしている。
野爆の、芸術作品が否応なくFUJIWARAに割られていく回を、母と観ていた。
「可哀想」といいつつ、見入っている。職場に薦めたら、軽蔑された。
これらのテレビが、子供に見せたくないワースト1が、視聴者の自慢となっている。
それには色々理由があって、
色んな色のもじもじ君などを、「カラフル」と銘打ったり、
ずば抜けたセンスや、ロゴ文化、音響、
「妖怪水もらい」や、「ここ曲がる」など、「金玉しわのすけ、の滑り方」、よくないそのいつもの後に刺さるオールザッツでのポン太さんの大ウケの表現、
卓越していた。
こちらも読んでいる。
モテることは不吉なことをはらんでるが、
攻守を睨んで知りに行って欲しい。今の人も。
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2022/01/11
芸人の芸、上方がいまほぼ基礎になるから、
「上」目線になってしまうが、
何か苦悩して生み出す振る舞い、は、
孤独でも、KYでも、個性として、
時、場所、時間、が相応すれば、
フランスでは、アメリカでは、やっていけるのである。
「俺は日本人だ。」と、強く主張してしまうのを見るが、
芸にならって、それが自分の中で消化しているのなら、
「老い」をぐっと引き出すことができて、
ちゃんと目立てるのではないか。
しなずに、柔らかく、苦悩をしないと。
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2022/01/11
フランスのジャパニーズフェアにて、
コスプレを見たことがあるだろうか?
言葉を失うほど、美しいのである。
映画を観ても、美術をみても、思想をまなんでも、
見上げるか憧れるしかなかったのだが、
人間でも、なんでもいいから、等しい底辺、天地を引いたときに、
なんの「差」があるだろう?
その方、社会性のある国とは、
社会が人間にとって、死ぬほど難航して、一番辛いのだから、
それをいちおしにやっていってる、ということは、
精神的に先輩なのは、感覚的にわかる。
社会にたいして既に、長けている、事は、
最強、底知れぬ!強靭なパワー、名セリフをあの人たちは素直に敵えることが出来る。
心の中に立ち位置があったほうが、感情が円滑だ。
家族的なメタの関係ではあるが、兄(アメリカ)、叔父(北朝鮮)、友達(黒人)、先輩(フランス)、親父(中国)、先生(韓国)、もっともっと家族はいるが、何で不思議と滑らかに纏まっているのだ。
ドイツ、と書いたら締まっちゃうから、
なにしろ、自由に展開すべきである。善いことは、思い出は持って帰りなさいよ、と、身分の偉い方の方は言っているのだ。
拒否してるのが、幽霊の関係だ。
そんなこんなを、
見つめてしまい、私はふるえるほど焦ったのが、
日本文化な私( I )、の執着だ。今への、
個性的な「くらさ」だ。
だから、自分の肌身に馴染むのなら、幽霊でもお化けでも、ありえない、許せない!仙道でも、
自慢出来て、なんでもありがたい。
鎖国を続けるのを止めて、海に一歩出てみた利点は、
広ーい、価値観だ。
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2022/01/10
お化け(最低値)
いつも「妖怪」と呼んでいたが、お化けと云ったほうが聞こえが良かった。
精神が小さい、故にそんな理由でいつも見ることが出来ず、私が「憑かれる」と、覆い被さるようにやたらでかいので、その人格と下の霊に間違われる。
成仏がない。
妖怪
運命によって揉まれ過ぎた精霊の落ちこぼれ。
霊魂
「憑いて」いても、善の為ものがわかる。
昔のこの記事が、神様の話にカテゴリは入っていた。
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2022/01/10
恋愛は、別に神秘体験でもなくて、
一般的なことだから、
普通の考えってあって、
その上ならいくらでも続けていられる。
___________________________
さようなら
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2022/01/10
話を元に戻し、そのうち主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような「光」自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。透明な光とはスペクトルではあるがもっともらしいイメージは何色だろうか。論理的にはわかっていても、
電球クン、あるいは漏電クンみたいなイラストは電力関係のキャラクター、あるいは街中の呼びかけポスターに実在する。がしかしどれもぜんぜんかわいくない。つまり「電気」あるいは「生活電気」など高い認識へ掲示しているのだろう。これがなんだか怒りっぽい感じの表情にみえてならないのだ。
雷のマークやデザインというのが、近づくと危険、または警告の標識にとりはやされ、一方「光」であふれていくさいは奇跡、光臨、天国、悦超、神、昇竜、巨大な存在感、幻覚体験などは、効果の程度は非常に大きな影響を与えるものの、奇跡シーンを照らし出す強烈なムード後光であり、形にならない。
おおまかにいえばつまり、光とは単なるエネルギーである。受け取る側にすれば、まさに情報のカオスである大量のビット数を、光学機器スキャナやカメラなどを入力として、構図、ピント、そのた創造的意図によって収めたり、スポット光で的を当てたりと、大量のランダム光の「情報を知性化」をするのみが現状である。
大澤湯
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2022/01/10
私のモチーフは「光」である。まず、油彩画とテレビを見比べてみた。
このような物体を透層や透明な塊で包みこんだものそれから得られる感じ方と、液晶などの発行するモニターを見つめる感じかたとの、これらの視認に前傾の姿勢でのぞんだ。
それらの結果次第では、発行する画面と典型的古典絵画との、これら二つに関連する項目、有り得ないように思われるが共感する光の性質、これらに期待したが、ままままま。実際には前者が減光混色で視覚7万色以上、後者は屈折または乱反射と加法混色でありこれらはまったく異なるものであったのだ。
主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような光自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。
「光」をキャラクターイラストにしようとする難題を掲げるのは、それが触れることが困難であるのにも関わらず、テレビの混色ノイズによって実に容易に視覚化しているからである。つまり目の前にご馳走を並べてあるのに決して手が届かない、この感覚はアニキャラに萌えたことがある人にはわかってもらえるのではないだろうか。
光が現れる時のさまざまなエモーションが起こっており、また激しい脳波の振幅ではあるだろうが、それでも実態は見えてこず、っていうのは神々に伴った後光や、奇跡の瞬間に伴うまた後光、トランス内部での友人体感のときには光に包まれた不思議な舞台でまた、などど現れては神秘的なことでもその場の雰囲気を残していく。
こうのような感じる光を、テレビ上で効果として撮影した光のカットを合成するれていくの光源と同列に見なされ見過ごされるのも近いだろう。私たちは非日常的な奇跡体験の数以上に、大量の発行する光源を見つめ続けている。
万古にあらず近代での不思議な夢体験の例としてはアインシュタインが電線の中を電子とともに泳ぐ夢想にふけった感覚も、光を認識する人類の発見ではなかろうか。私の前にはもうすぐそばまで光がありもう少しで手で掴めそうな気さえする。
大澤湯
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2022/01/10
町会費
2009/05/31
を滞納している。立て替えてくれた長老の住まいは花屋敷ではないが、
数々の草花を造園して今時のころになると満開のサボテンが数えて5鉢。
過ぎたる頃にはすぼんで首を折り散る花弁、枯るるは支払いともどもに。
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2022/01/10
「ケモノヅメ」
2009/03/26
「ケモノヅメ」
監督:湯浅政明
キャラクターデザイン:伊東伸高
製作マッドハウス
単独にして野原しんのすけはついに新興大人帝国へ進撃の歩を繰り出し、高々とそびえる最上階へむけて非常階段を必死の形相で駆け上がり続ける。これは覚悟をきめた突撃兵の全力疾走のモニターイメージというものを、単なる網膜像動画としてではなく知覚像動画そのものを有用した希有な名シーンとなった。
アニメーター湯浅政明が手掛けたうちのひとつ「クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲」に用いられた知覚像的な手法に創意工夫がなされ、以降の映画「MIND GAME」(STUDIO 4℃)や「ケモノヅメ」などさらにもまして意欲作となっている。
アニメーションの手法のひとつである知覚像、つまり
(1)オプティカルフロー(集中線、効果線、移動線など)や、
(2)大きさの恒常性をより知覚的に改造する遠近法をほどこす手法(望遠レンズの映り込み背景と、超広角レンズの映り込み背景など、遠くにある背景側のみにおいて異なる画角を矢継ぎ早に入れ混ぜるなど)や、
また(3)搭乗撮影や流し撮影などにみられる画では動き続ける背景に対してもつ両眼視差による遠近法(近景、中景、遠景などを別々の空間を異なる速度で動かす)をさらに知覚的に工夫しているなど、
他にも様々あるがこうした作画空間の中にさらに、最近の作ではこれらに加わったのが、光学的空間遠近法、それが実写映像との合成だ。
アクションの動画のカットやまた風景カット、表情カットなども合わせ加工をほどこし、様々にまじえ、ストーリーの骨肉の争いに乗じて知覚象的実写を合成をするなどが実現されている。
カメラ自体が走る、飛ぶ、落ちる、揺れる、激突するなどして、重力と力学的法則を伝えているVFX迫真映像にも精通する手法もふんだんに盛り込まれた、激走ホラー恋愛アクションエイリアン・・・・つまり今やオールジャンルと成ったSFとしての期待作である。
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続く
comment
大澤さんの文章。
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2022/01/09
休まないか?
日本人は休みが下手でゆうめいらしい。
ねてばっかり。体を動かすことで疲れが取れる。
日を浴びることで、希望をアウトプットしている。
だから昼間に鉄骨作業などをするおじいさんでも、元気が有り余っている。
昔気付いたのだが、時間は作って増やせることだ。
それを知るにも、
まずは、ちゃんとした身体機能の休みを。
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