揶白 (KF)

絵画

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  • あの世をセット(観世菩薩)は、再起動

    気違い(きちがい)…実在する

    キチガイ…実在しない

     

     

    わたし…キチガイとなる

     

     

    想像と妄想…どんどん隔て分ける

     

    想像が心

     

    妄想が未だ恐れか下ゴコロ

     

    心は「上」と何とか自分に命じなければ

     

     

    心…≠優しさ、綺麗さ、醜さ、

     

    あらわしてみる。「無」むく、そぼく、純粋

    こうしたものに近い

    身体も大切に思えば、

     

     

    身体…心として、身体を自らそのまま失う「背からの行動」

     

    こう中立していて、正しさを意識すれば上下の存在を見つける(立ち場、その場所)

     

     

    口を開け、助けてもらうセカイじゃない

     

    セット力低すぎ

     

     

    ・現実の自己定着性が、あの世の「観察」を許し

     

    「功徳」は自由という名の神が、自分が欲しければそうして行く

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  • 本間にドローンに

    「色」は人間の掟である。わたしは、素木で追求していた。

     

    素が見たい人もいた、素で研究、そういう人がいる中で、色彩感覚が乏しく色んな色を何故か背後から貼り付けられた 一気に身体がずしんとちちぎれるほと重みが乗っかり、鍛える事も出来なくなり その重い目の動きが自分にかかり 修行をすべて断念しなければいけなくなったきっかけだ

    神も、長く話せない間“そのひと”がわたしだと勘違いしていたのだった

     

     

    仏眼から飛び出して、自分の目とおもう8150「背後霊(うしろ)」が、度量の起点や、目がくっ付いた当人より下過ぎると、説明も何もなくなる

     

    くっ付くのが、前提的に犯罪だから「声」は何も言わない、これと間違えて、中に善霊もいるのに間違えてしまったという人もいた

     

    どちらにしろ人が存在してはいけない取った目では、必ず何も教えられず話されない。心は憎悪でぐるぐる渦巻いているが、「もの」との心の付き合いは人間は大前提に切っているから伝達こそはなく、人の精神を背からエラそうにそれだけでも憎しいのだが、判断のつかない出来ない上行とも知らず、

     

     

     

     

     

     

     

     

    あるアッテルは、

     

    人に攻撃しても許される自戒に、人から縁を断つ儀式として自戒にニンゲンドローンになったそう、破壊前提だろう

     

    対象を良いものを楽しむ民を対象に自らドローンになり密着して自分を民に設置し。瞳孔が開いて反応したものを、調べつくす

     

     

    仏の目を盗んだ罰とは、本当のドローンになる為に、宇宙で数万年の修行をしなければいけない。

     

     

     

     

     

     

     

    大阪城などの、自分の商売に使う為の秘密の技術や秘密の作り方ばかりが対象だ。レシピ見たやつの手、壊れろって思う

     

     

    タケコプターを二つも持ってる

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  • もう出現しない頭領は、海賊ではないからだ

    つまらな「過ぎて」身震いする

     

    震える「声」を保持するには沢山の経験がある

     

    それだけでコミュニケーションをしている

     

    そっから離れる程度の技術量で、心を同じ配置には天はしない

     

    いきなり幸せだな、なんて、アッテルに一秒以上は存在しない現象であることを何回も知ってる

     

    本間のカンフーの様に、

     

    敵が本間は人でもなく、原因が「弱小」だからで、本当に存在しているなんて、ショッカーのように単なる黒い●を見て、初めて考えた。弱小だなんて、キャラ名ではなく存在出来ない、という隠語なのに。

     

     

    “親切”な人をわざわざ選んで、違う人を鼻摘みにし、

     

    何がわたしが親切じゃ

     

    アッテルが仏道踏み歩いて、何で直す有余をなしに出来る筈があるねん、

     

    仏道歩いて、何で学せへん理由があんねん

     

    わたしには、わからない

     

    だから、ショッカーのアッテルって死ぬことも出来ず殺される為に生きてるひとって教えられてんねんやろ?

     

    自分はぼーっと横つく思ってるんか

     

    どうやったらそんな計算なんねん、

     

    教えんでくれや

     

     

    五分が意識なら、三部を引いて一部を取るより、三部だけを取ってどれだけ身が委ねる力を持つようになるか、が「五」という数だ。

    合わんと知って、身を引くことがどれだけ人の役に立つかを、得るは取るより、マイナスを勝ち取る。三部から始めることの三部、五部取りが現れている。

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  • 春と歩く前に「必須」

     

    上手にしたい、

     

    上手くいきますように、と良さを洗い返して思い出す。

     

    物事が。

     

    その為に、

     

    一歩目の障害が、「供養」の不足である、心が楽しい…好きな場所、景色、世界感、心地、

     

    それを睨むように、同じく供養を貰おうと、そんな素振りで慎ましく神が睨んでいる。

     

    やはり、先祖神は実際の星空や遺跡巡りだそう。

     

    つまらない現実を歩いて来た原因が、霊的良い結果や表現を引き起こしている、と原因に限ることを。これだけは死んでも忘れない

     

     

    二万年、自分まで続いた生き方を、自分で終わらせることには平気なのだろう。一分一秒を何とも思えない自分の肯定をやめないことを注意されず、されればされるほど、

    日本の社長がアッテルになってから、三部すすめて一部を取る、の繰り返しを24時間人々を巻き込み十年続けて、アッテルは余裕であとから来たのに自分もと同じように面して自分だけの方法を詠って、リーダー顔をする。かちんと来た

     

    下手なままで進む、なんて、出来ないを前提に衰える等、神か巨匠の生き方を強行されたから、たまらない。

     

    やるかやらないかで、人の顔は…格段に違うからだ。

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  • 方法論17,18 陰陽

     

    火が焚く木

     

    火を負かす水

     

    水が負ける土

     

    これが逆⋯「汚れる」、これが気学の五行である。

     

    自分が「水」ほどの時、土に役立つ

     

    水を培う土

     

    火が愛想をすれば、水は水程のコップ水を取ってくる

     

    火と木は溶けている

     

    土は、解る時に解る、を断言

     

    木は、水をわかってあげて、火を理解した時、年を理解し、「配達」する道者に初めてなる⋯「成長」

     

     

    皆で、「金」儲けをしよう、という

     

    見れば、「木」の回りで、「水」が殺され、「火」が死んでいる。謎迷ている⋯

     

     

    アニメ的な人間の精神が絵になるとき、客観的なものを大事なものとし、客観性を見据え、大事なもののもう一つにその絵があり、絵が好きである気持ちにたいして愛し、対象の絵を外観に置く、これを絵画といい「メタ」という自覚論は、肩幅をそのまま持つことを目指す。スーパーフラット、という言葉がキーワードある。

     

    上記、五行の有名先生は、安倍晴明、大阪さんである。大国の、豪商や白仙人を見て方位ほったらかして飛んで行ったその神様も、「堀越神社」で見つけられる。神の水力は100パーセントきっかりで、余り触らないのは、もっとよりはよりを強調し、「魔法」が計算だった、と知って非常なつまらなさを感じる所に桃の神社がある。

     

    「お話しお伺いしています。」の言葉である。

     

    ツッコミははじめは知らなかった、喋ってたら出来た、と言っていた

     

     

    わたしたちを学ばせる為ですか? ⋯それとも、見下げて

     

    はい、霊によると思います

     

    わからなくなる、

    こうここから読むと、文章のわけが止まって面白くなる。

     

    そう人と繋がるには辛抱強く考えて、見つけることの出来る真実は、大霊はみんな知りたい

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  • 学力

    学力によって、見える神を一緒にすることが出来る

     

    神が彼であれば、人間よりも前世を持たなければならないし、歴史を知る者ならば、気が強いのであり、文ならば本当の強さを学ぶ

     

    故に、恐竜だったと正直に話し、人になれば必ず神代を生き、暗い闇も知ると、愛すことがわかって、月になる。あらゆる月に、影に、磨きをかければ、人間はそれを感じれる。

     

    修行があるから、修行が続く。一心は、

     

     

     

    夜に高い神は、

     

    狂気的な大国主、呪術を知る大国主、考えごとの大国主、なにか闇に対抗するとき力になる

     

     

    もっとも、それは人間としてであり、神道を真面目にする者にたいして開かれる

     

     

     

    その怖さと、外向きに存在している間の気配の大きさ、どちらも真実は良い怖さである。

     

     

    字を書いたり、物を考えたり、生活する人間の修行は、神を見つけると、修行する君が神なら君は人間をどう考える? 自分には、可能性を与えたい、苦しければ相談してもらいたい、話していることに気付いて欲しい、相手がいない、または黙っていても、終わらないで耳を澄ませて

     

     

    師範に会いたいなら、「自分」を知らせてくれるのは、修行の後や、一息をつく時⋯

     

     

     

    見えない美しさと、学が万人に開かれていると教えれることから、君が伝えることと、知ることを学ぶこと、、そうして続いて行く

     

    なぜなら詩は、「時間」に在るのだから

     

     

    唯一の方が、緊張した方が、初めての方が、動いた方が、自己の「上」が科学的に好きなら、下に、良くなる

     

     

     

    動ける技術が、「心」にある、としている。ならば、永遠に広がって行く輝きなのである。

     

    どんな時にこそ、強くと、とても思う。

     

     

    生まれた自分を信じることは、確かに、学びかなく前方不明のヤミにたいして字はくり抜かれるが、無の想念も自分もそこにはいない。

     

     

    わたしの行為は、生活の奥行きを追求だ。地球の調べがある。事故に遭い行動がすべて止んでる。言葉の既に前提は心なのだよ。行為は観世菩薩のレベルで、行為と行動ははっきりちがうのだ。いい加減な気持ちに人を思うと、仏に会い難し。

     

     

    感情の表面は川、これは顔でも気持ち心でもなく、それに長ければ複雑で広いものと知るのだよ。愛想のある孤独は、ミステリアスなもので、海の心を自制するなら「嘘でも有り難い愛想」とは、内面もその通りに生きる心は偽れないから、泳ぐまま。前を向いて泳ぐ功利だけを選びとって領域では思った通りにいなければいけない。「欲のまま、こどばに絡み塞がり」とは、違う。

     

    泳ぎ⋯

    「信頼」が出来ない自分、と知った。逆に集中して歩く可能性の高まり、あっさりしていて良い。

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  • 方法論15,16 「学術という名のあの詩川」

     

    「わたし」が一番激怒に震えていたことが言葉になった

     

     

     

     

    知らん気を知らないのに一緒にするな

     

     

    知らん気を知らないと知らず勝手に一緒にするな

     

     

    知らん気を自分と同じと思うな

     

     

     

    横字、縦字から、人間と字の密接さから生き方を学び取る

     

     

    字が一つ(体、身、この相似する)でも、言葉が意味としては唯一なのだと知る

     

     

    目でもう見てる、だから体格の違いは心の姿勢の違いだと考察出来る、そこから向きを見て「あげる」

     

     

     

     

    離絕することの出来ない客観的視点への立ち向かい方、おのおのの「客観性」を作る

     

     

    この間蟲ーに巻かれた余計な苦悩もある

     

     

     

     

     

     

    せやから、人間の仕草について本当に“自然”と見ることが出来、その時からは、癒しとされなければならない。人間が人間と関わりの存在、そこから、色々と考えの指標を含んだ質問が光る

     

     

     

     

     

    止まった川が問題で、その原因を見ている

     

    わたしはそのまた原因に下るとこちらから「よそ」のひとが平気で混じえられているとわかった

     

    その平気さが憎かった

     

     

     

    ※エクリチュール(古代語)、話し言葉と書き言葉が違う⋯

     

     

    集中力と字、人間の目的から拵えられている

     

     

     

     

    「思想」⋯前提的に人間にたいして向いた言葉

     

     

     

     

    だから、国を括りにするのは精神上、まだ甘い。民を捨てた王族の争いしか見えなかった⋯

     

     

     

    心が生活のすべてと悟り考えることの出来た人を、その「ヒズミ」を持つ時代のこの心の中からは、見ることも辛いが、整理をすればいけそう。出来そう。

     

    今の心の形様は、戦前の歴史の人々の苦悩が映る。

     

    鳥は空、魚は川、居場所にいないことで苦しむから、「神に滑られている」と光を読む。

     

    荘子、老子、孟子などを読んでいた。素晴らしいことが書かれている。それは自然一杯で、昔から、言葉が占いと切り離せない優しさと、予言と自分の的確な間合いその遥か空や天、遠方を臨む眼差しとは、この私が見る景色と変わらないと、この学を志す姿勢の姿。

     

     

     

    誰がいる中に、相手の心を睨み信じる

     

    「君子」、この言葉は、視線の目標になり、自分を思わなければいけない時があり、君子とは?人としての生き方在り方だけに向けることの出来る道を、伝えるのはこの通り遅れた。

     

    漢字⋯ことばのあとから、字引きだけしたら、意味を深める

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