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2021/12/11
出来ないひとを2年は待つこと。
若い人を育てる大変さとはすべてがここにある。
すぐにパタンと閉めて、起こり得るドラマもストーリーも綴らない。
憧れや夢を考えた時、
思ったより、自分が不安を感じて居る事に気付く。
いつもは文学的に夢中で、そこの気持ちを、から逃げる事が出来たんだと思う。
人は、緊張するが、関わることが不安なのではない。
真実は時に、リアルでもないと、よく思っていたのだが、
火が自分に灯った場合、太陽の方に向かうほうこそ
その夢を叶える時間にリアルを感じる。
現実的でないのは、自分がはげしい赤色を持っているのに、
青、という(地球の物質として)少ない色、を自分に持って帰ってしまう
がめつさが自分に存在するからだ。
この感情!「私」の中の最も若い自分として
嫌うこともなく、誰しもが陥る失敗について知者となるべきだ。
子供に「ちゃんと」偉そうにする為に、答えるために。
受け入れることなんだと思う。
大人の背をみてもらえるように、ちゃんとした未来が自分に降りてくるように。
人を愛すのが自分だからそう願えば、信じれる、信じている、と云った心が成り立つはずだ。
叶えるのは月人(つきびと、かれし、あいて)ではない、
夢とはきっといのちなのだ。
好みとはきっといのちなのだ。
自分の主体がずれていて、客観性が最近つかめなかったわけが、真のリアルを通して問題を噛む。
問題は、
白か黒のほかに色彩があって、
解きにくい。
自分を悪く思うことが、不安なのではなく、
夢を見れなかった。
自分の内部にある夢なら、夢について考えることと、
希望として為すことが、
「夢を叶える」という意味だ。
夢は、叶えるものじゃなくて見るもの、だとは、
現実ではない空(ゆめ)だからだ。
なにがどうなんだろう? と想像を膨らませて居るときこそ、
頬杖をついたたのしさほど、人間のリアルとしての佇まいが有る。
絵を描くときはこのポーズが好き。
めちゃくちゃ繊細な芸術は、わたしの様にぼろぼろでは絵画を仕上げることが出来ない。
本当にショックで、リハビリとして歌を練習する前
歌、絵画、恋人、皆取られた。とスサノオの歌を聴いて居る。歌手の方、聴こえるだろうか。
問題を解消するために、質問をしなければいけない。其の為には、
なにがわからないのかわかっていないといけない。
滑り防止に、
身体(こころ)の動きにたいして忠実である能は、
ヨガのようなもので、学しめることが、あらゆる苦しみにたいして働きかけるようになる。
世阿弥は風姿花伝と云う美貌の書を書いた能楽師だが、
まことの「花」は二十代では咲かない等とのことを記していて、
年齢感覚のずれが、世間には存在する。
つまり若さ、珍しさにたいしての
憧れどまり。これが、一般的です。
色界と云って、未だにその精神が「目」にあること。
眼、精神とは、その土地の感覚であるから、自分たちは能も文化も触れて大事にしないと。
古文の読み方について、いつか書きたい。
また、これを「くさくならない様に、埃っぽくならないように」持つ、持ち方が、
研磨、磨いていくものとなります。
「大きなもの、小さなもの。」
切なく吟だけで、きみは満足して
そのあとほったらかされること
私は歌がすきだ。歌っていると全然疲れない。自分で歌詞などを手掛け、
将来は街シンガーに為って、巷のクラブで軽快に
らいぶが出来たらすてきだと思う。
しかし目にものの世界であり、確定できるものが今ないので
言うことすら辛い、
人よりやる気がある。
私は「夢を見る」資格はある。
それについてやる気がある、というだけで
資格の条件を満たしている。
今付いたり消えたりしてるが、「火」と成ったこの気持が私には「色」にしか見えず。
限りなく透明だ。と、云うそんな歌を作りながら、
時間なんて過ぎていくだろう。
だから、来い、というよりは、
来てみろ。
音楽から、正しめと己を、という曲を聴く。
大きなものとは、遠いもの。
小さなものとは、近いもの。
大きなものには重力があって、
吸われないように、猫がトラックをめがけるように。
認識して注意していれば、理解が出来てきます。
とらわれないように、
自分や、自分の経験がおもしになる。
「祖」は、祖のすることは、今生きてる自分たちがこれを考えるのに関係がない。
百年、千年、
釈迦族とは、末法に生まれて来る約束をする、
大きなものにたいしては、それなりに夢を叶えていかないと
それでありがとう、と云う言葉も一苦労する。
私はもう少し丁寧に書いてみたい。
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2021/12/10
底抜けに明るい気持とは、
私の風にいつも、重い石があって、
重石は、わざと置いていたのではなく、
ただ置かれていたことです。
それらは正しかったのですが、
間違っていた理由が「存在しないもの」、として最近思い出されて、
ですから誰も語れず、きまずさをうたいます。
考えてみれば、「霊、人間の霊」とも異なった、ゆうれいの存在が私には新しく、新輝として、
「悪さをする」ところが、人と違いどんなものだろうと思う視点で。
知れば、不幸が原因でもないからマリアよりもずっと不思議な卑しさ。
醜悪、という言葉は美しい。このことを日ごろ考えて居て、
自分のテーマでもあるから、整理して幽霊などに割り当てれず、何か重なってしまう想像。
同時に真逆である大蛇や、精霊の美しさをみるので、
仏のきっかけが、何であったのかは、
私は、国法の字のすばらしさに愛着をもち、
要は「全員が文化的に生きなければ。全員が平和を求めなければ。」
だから、「私」は
いままでのことを、起こり得た
私の知ってる災いとして
軽く、美しさと呼びます。
飲まれないで生きてるのだから、儚さがないというか、
散らない不気味な花の様にも思う。政治は精神にたいして無知だから占いをおこなう。
遊びが在るのに知らないと、質を云われると、
それが高さではなく、崇高なものではなく、自分の生活におく上下の知識なら
「顔」も単なる使い捨てのものとなるだろう。
物静かに、捨て身の覚悟を当然として、世に継ぐような
室町の次は、幕府をちゃんとまたいで戦国時代。戦いと云っても、内面は「計画」や「設計」なのだ。
かつて一度もなかった三百年の平和(えどじだい)を作ってしまった。
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2021/12/09
街のレゲエおじさん
2021/11/06
アンダーソングをご存じですか?
「好き」から外れると、安直に「死」とディスられ、
それを信じ込んで、阿修羅に転落してそれっきり。
マッチ売りの少女のような細い精神で、レゲエを語る。
冬のときも過ぎ恋をしだす頃は、歳の三十半。
音楽と云えば、最近は思想に寄って色んな事を浮かべ、
第二の人生として、あらゆるライブに足を運ぶ。
生命よりもまんまと音楽ジャンル自身にプライドを委託しラクをしている、詩性のない大きなスピーカーがを少し移動させたい。
目に一番身近なのが、キリスト教であったり、白人主義の文化だ。
これは仏教よりも親しい。
江戸時代は300年の平和を誇る。天下が、侍が既に実現していた世界が、自分より先の方なら、
政治の起こる以前だった平安時代とは古今和歌からして更新的に常に新しく、その頃に中国から何とか取り入れた概念さえ
まだまだ謎が絶えない文化で、もともと神の信仰であったのだ。
仏壇に対して「教え」の主語が、いつも冒頭に語られないで私たちは長い事困っていた。
私の世代は、戦後の昭和から「魔法使いサリーちゃん」など
ストレスフリーのやさしい夢を見て、僧侶のようにしても俗で有る事からは離れないで、人間関係を自然と脱構築している。
それが啓蒙をした時、他者を「かわいくないけど、良いやつ」とか、
本当に啓蒙を実現して理解している。
「心臓」と云うタイトルで、何の利益も無いような頭の上の雲、海外のそんな文章を絶対に「自分」「教養」とせず、
捗りとは、あらゆる、娯楽ではないが紅茶とか孤独とか、一定の夢を継続する高度の、維持だ。
臨んでいるのは、「遠くは、捗っているんだな」と祖国の空から。
たったそれだけの、何もしない毎日が、尊いと思います。
「勝利」と云う言葉をもった瞬間は、たちまち終わる。
ある「美しいかも知れない」形がある、人間の次元の、この場合精神的に有らずという意味で、
存在さえしない、とも云える。
人には表と裏が在って、多いひとはすぐに裏に逃げ込んで他人の解釈をなし、
上辺(表)の上辺を固くしている。
一般的に声に出来ない言葉が有る。
「あいりー」
「しぐなる」
「わんらぶ」
好きだ、楽しい、ポジティブとは生命についての語り手である。
「プラス」だとは、然り「死」とじかにして、線を引くことでもある。
しかし議題が、「この様に何としてもぶらすだ」と云うような高い事でも有るから、
こうとは、イメージ(絵)の持つ力や、ことばを理解する客観性の賢さについて
「人間的」に織りなされる格調が、人の沈黙と、絵自身の気高さを歌うからだ。
日本として、それらが暗いのは「私」自身の成長が遅滞しているからだ、と
男(セレクター)を睨んでいる。
「心臓」から来る他人の笑顔にたいして、「好き」しか無い自分とは?
あさはかな、と云われぐの音も出ないことの、問題とは、「同じような」宗教、祈り、それらの客観的な説明の欠落において、
心細いのである。
電車に乗る事もなく、社会と自分の落差に凹む街のレゲエおじさんの心臓が導いた
これら大和言葉というのは、
突拍子もなく「説明が必要だ!」等云っているのではなく、説明文を考えてるだけでも、
色んな事を一人で学んでしまうことなのだ。
この「オイ・テカ・ナイデ」を割って、何らか生きながらえることは
古来からすると、ナイスと云う事で、この一番高いもっともな美しさを明かしていたい。
一方、侍の「死」の想像とは、
昔なら昔今なら今と時の全てにおいて、うつくしく皆をこらえたいがそうもいかない、
殺して、エゴとして転落出来る「幸せ」等は、あんまり立ち登ってしまった美学だから、もう
ないのだよ、と発言するのは皆自分。
最初から美については、完全に忠義と生命なのだ。
「概念」について、土日も平日でも大きな想像をする。
のちに、文化か文明かさえ知らない歴史を感じたあとで、咀嚼した自分は…?
成長が楽しみである。
白人のひとと同等に「尊敬」をするには、自己のルーツに興味持つわけで、
自己が問われるとは、影を探索し、光を象ることの様で、
「私」への、他者(海外人)の初めての出現とともに、断りを語る。
自分は…、と地と血とソウル。平和だったよ、何にも無かった。
三木道三を全部うたい、ファイヤーボールが巷を平らげる姿を見て、ミンミをの曲を血肉にし、リョーザスカイウォーカーの古いリリックに教えてもらい、
その時代のメジャーウエポンさん等の歌でこの上なくリラックスするのが、ジャーだ、と自己完結。
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2021/12/06
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会話
誰かの物語が、きっと日本の明日をつくる原動力になっている。日本全国 YouTube 101 組のクリエイターたちの物語を公開。#YouTube101のストーリー
0:04
午前1:00 · 2021年11月30日·Twitter for Advertisers
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会話
この浪漫主義は、にも、やはり人間の夢に於いては弱く前提とした啓蒙も世に苦しめられる。しかし、その様な老人有ってこそ、「反省」が今でも続けられるので有る。そのことは敢えて空っぽなこれら詩が抒情や優しさをより大きく寛容しようとする。
引用ツイート
浪曼派bot(壱)
@roumanha
· 11月29日
人間の精神を何らかの形で豊かにし、悲しいものにもする心の美的生活は、回想かないしは予想の中にあると私は思つてきた。吾々が現実主義を排し、浪曼主義をいひ、歴史を尊ぶのは、さういふところからである。 風景観について/保田與重郎
午後11:30 · 2021年11月29日·Twitter Web App
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会話
それら文学観が広くは通じなかったのもまた歴然とした理由が有るのを、分かっとる。 読み手が、バカと云うのが其れでなく、それら書物や詩には信用が全く無いからだ。 三島も太宰もほかに騎士も不良で、 川魚の様なすべきスタイルをキープして、生活を駆け上がろうとする突拍子のない詩的な性格を
午後11:40 · 2021年11月29日·Twitter Web App
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会話
優しさによって、あるいは文脈にひそむ運命によって、貫いて 破壊をしなかった。紙上のルールの中でこそ燃える様な、凝固した、破壊をしない芸術の美しさは珍しいが、 最低限、自分を一貫しようとする努力にたいしては、心を奪われるうちに自分に関係する物事の裏切りは行われるので有る。
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会話
東京の春風とかが、わりと特殊なのだと学んだ。
午後11:56 · 2021年11月29日·Twitter Web App
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2021/12/06
最初の方にドクロ人とは、現主人公(ヒーロー)で有るが、
数々は人のドラマティックが生んだ幻で、
幻想とは、幻想が美しく、
主人公は、人の心の代弁者で有り、中はからに違いない。
まったく余計だぜ。
才能には仏が宿るが、仏の勝手で、
人間性とは関係がないから、面々としないものが人間で、
この複雑さがもっとも宇宙らしくて、それは雲も煙突も銀河を目に宿すものだから、狂喜して止まない。
そいつを太陽のパーツとして、ダルシムさながら「無題」とする。
したが、その瞬間疲れて寝てしまう今。
寂しさを感じて居る。ただこの感情が深くて、
「明日」にたいしても自由を思って、ブログを書いて居たらすっかり明るくなった。
「きみの感じて居る寂しさと、俺の感じてる寂しさは違う。」と誰かに云われた事が有る。
私は最初から立ち上がって居たのだ、と、伝わることも分かる。
わけは知らないが、あっちをこっちに置き続けるような人に幻想などを古いものを託してしまうと、いつまでも伸びる
麺が、大蛇のように人を食らうではないか。
私は何もしないが、今後はずっと登場しない。
色んなところにおろおろしながら自分を祝う。本当に「リアル」だ。
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2021/12/05
方法として、
自分の妄想を、妄想とつかむことです。
いやな人に出会った憤りにたいして、
「妄想」がいちばん苦しいのです。
自分がしている妄想を、一言にそう唱える、書く。
屏風の虎をくくるのだ。
そして想像とは分けれれて、これを水切りと云う。
顔をみなければ解けないかもしれないし、
そう有るなら、顔をいつも想像する。
むだな相手への攻撃を削ぐ、「会いたい」気持ちに真面目に。
それは傷つくことだとしても。
何なら、「私は会いたいです。」と、部屋の中で口にしてみる。
一度はやってみても良い。
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2021/12/05
「UFO」
あの人は、
神の修行と仏の憧憬、
答えは私と決まっていていて、
私は答え(がなくて)れなくて
なんだか住む世界が違う。
この関係のまま、くるくる回るような
気なんて形で、ある方法があって、いい気ってやつを持ってたらそれで勝ち、上手なんやろか?
それで大きくなったんやろか?あの人は、私は好きになれない。
要は、たんにちょっとひっかけてるのかも。
それを「好き」「恋」と云って明るくしたまま、
精神的に宝石とは、自惚れと千鳥足では買えないが
「俺は持ってる」と、
いつまでも思い込めるから、砂をご飯と思えるようなドクロ(悪人)人となる。
暴かれるのだ。
陽気さに理由が有るように思える。
偽物と云うことだ。才能には仏が宿るが、仏の勝手で、
その人間性には関係がないのだから、顔を隠す。
クリームを塗っていた。
あの顔の裏には、美学なんてほとほとない
アルアルアルゼンチンや。
「あの人に出会って実力が発揮できたね。」などといわれるが、
あの人は、
私の方が、好ましくしてるものがあって、それにたいして頑張れたのは自分の過去でしかない。あの人という不安のなかでも耐えていたから。得るような恋ではなかったのに。
背をかがめて、善く解釈をしていたのだ。
「良い事」と「善」が全く異なる様に
憂鬱が美しかった。
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2021/12/03
いくら血が有って先祖だといっても、
みんながみんな、すべての全員がまるまる守ってくれることではないかも知れないのだ。
明らかに命を傷つけて悪意をまき散らす浮遊霊として、
墓に入れないヤツ。
わたしの身体や、精神のいつも「外」におり、
そんな影から自分(?)の知識の中に呼び込み毎回人を「死」へと運ぶネガティブレイン。
普通の人は知識もなく、そんな神だと
いい加減な理解しかない。絶望して研究をする。
何も感じなかったら潔く殺されて居る所、少なくとも世の納得を得ただろう。
そうして亡くなったのが母だから、痛切なのだ。
幽霊が自分から剥がれる時、勝手に流れる涙が、いままで自分が何をされていたかというのを、
具体的な事はわからないが、知っている。
もし輪廻があり、
精霊があるなら、
マイナスがほんとうにあるなら、
そいつは必ず神と「はち合わせ」をしているはずだ。
「見え」たときは、はだいたい遅いものだが、
すこし汚れてしまったハンカチは、どのようにも
持っていられるし、時代が時代でも使用できなければ。
私は私の生命を維持する。
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2021/12/03
何か有っても、
それはちょっとした煩いであるが、社会的な大きさにより、
憤怒にこらえるような苦しみを感じる。
被害を受けたから法律に関わる以前に、法律に触れていない自分を自尊するように、
気高い気持でなにかを、「無題」と命ずる。
理想を描くようなそんな冷たさを持って居るのは、
何に人生をかけるかを、選ぶのは自分だと
結局そんな日はあるから「大変」だ。
「もし、なにかされたら」
そんな不安は世界中にも、日中にも、ありふれてい過ぎる。
詩がもっと単純で、純粋な時間を運ぶから、
理解する読み手とは、その時は全員が詩人なのだ。書くことではなく。
友人には黙り、彼氏には怒られキスをしてもらう。
「何か有る自分」としてではなく、
今のこの時間に何か有る自分として言葉をわける。
無駄が多く、実際そんな頭脳だが、
しかし「考えていること」が文学として絵画として成り立つなら
生えてしまったものでも、有るもので養いたい。
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2021/12/03
night、と云うだけで毎日がクリスマスかの様に、
きらきらする 響いている。
夜に咲く花にはなにがあるだろう?
ゲッカビジン、マツリカ、サガリバナ、キダチチョウセンアサガオ
夜行性の花は白いものが多く、それは何だか夜空のごく紺の光を囲う少ない色彩のようでもある。
まっさきに真珠を連想させるような、
幼少に読んだ本のような。
花の色とは、内部で小爆発を起こした「光」そのものなのだ。
互いが、こつんこつんとかち合い、何度も葛藤した痕跡が
その少し疲れたようなフォルムの、形としての色彩が
宇宙を抱えるような白い花として表現し、優しく輝いている。
ここにはやっぱり湿気が必要だ、と
この夜のまほろばを可愛くいろどるような、きのこの匍匐をイメージする。
雄雌が有れば、森のたたずまいが大事だ。
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夜とは、太陽はおやすみしているもの。
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