揶白 (KF)

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    Works 43
  • 肉体の安全

    愛を学ぶ。学びは学んだから終わり、じゃない。

     

     

     

     

    気が集まれたから光って、大願をそこにさっと乗せる技術から、

     

     

     

    「しっかりと」を望む。

     

     

     

    そこに、自分に足りないものを見つけるアマテラスの如く、

     

     

    神様と、確かに話したのに、目を開けると自分しかいない、

     

     

    「いない」のかな

     

     

     

     

     

     

     

    そして大霊は、現実にいるときにしか現れない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    単純に考えて春は花なら、残すことと。

     

    今、時代認識以前は「発生すること」に向かい、認識以後は、貯蓄に重きを置かれる。

      

     

     

     

     

    秋なら、書き記すこと。

     

     

     

     

    こうした面でも、大いに自己肯定が出来る。何より和を花を成すには蟲ー、このマイナス事項をテーマにほど役目とする時間軸に、そこに空白としたやくわりだった人や心恋しさや心寂しい方が目立ってしまうことに気付く。

     

     

    「島唄よ、あなたと別れたとわを、鳥と共に海を渡し渡って下さい、私の悲しみを届けておくれ」民間伝承のJPOP、その詞。

     

     

     

     

     

    こういう風に、偲ぶことの冬の“ような”縁起を抱える。

     

     

     

     

     

     

    今回は、昨日を忘れて明日を考えることが出来ないことを深く考える。

     

     

     

     

     

    適当(テキトー)、という言葉は、適度と適切に当たるという字。

     

     

     

    覚えると忘れるは同じで、物ごとはアウトプットにより覚えるので今が大切と言う。

     

     

     

     

    よみ、黄泉、読み、読む、

     

     

     

     

    こういった、死、詩、し、しっしっしっ、なる本を想定する古い神様の名前。

     

     

     

     

     

     

    光を見ても、博学なのかな?と感じ取れる。

     

     

     

     

     

     

     

     

    光の中で、「質問をして下さい」といったことがある。

     

     

     

     

     

    荒波のなかで

     

     

     

     

    “お客さん”が、いたのだ。

     

     

     

     

     

     

    言ったことをずっと思い出せなかったが、起こったことの知識を一緒くたに巻いて行く様は、まるで海の生物がそこにいるかのような、

     

     

     

     

    狩りに乗り込む輝きがあった。

     

     

     

     

     

     

     

     

    耐えて、気持ちとなる(客観的になる)言葉は、汚れても水で洗える知識の戻せるいまは生やすことを許され、

     

     

     

    覚えることは、釈迦でも葉に字を書いて瞑想したという記述を一般的に知る現代は、

     

     

     

     

    人なら尚更、ことばの大事さがわかるのだ。

     

     

     

     

     

     

    神に戻り、

     

     

     

    「ありがとう」の無い、自主性は

     

     

     

     

    仏から説かれる。

     

     

     

     

     

     

    禅問堂のような富士のような格山と生み出すことの出来る言葉の「意味」、

     

     

     

     

     

    それだけでも良いこと尽くめだ。

     

     

     

     

     

    想像の方法が空を飛ぶことなど仕方は昔から知っていたことから、それを思い出せることから、

     

     

     

     

    自己追求が加わった。

     

     

     

     

    肉体も霊、考えも霊、物も霊、

     

     

     

     

     

     

     

    総合して努力が霊という言葉をする。

     

     

     

    霊より肉体の方が弱い

     

     

    だから、特定は出来ない

     

     

     

     

    その為、安全である。

     

     

     

     

     

     

     

    精神性段階において目の中の苦しみ

     

     

    一、知性化出来てない体力など力

     

    一、自分が視覚的に足せていない部分使っていない客観的な心、

     

    一、肉体、身体性の正しい理解(理解するその上で、こう思うという理性だとする認証)

     

    一、本間に、何もないそういう地獄のヒト

     

     

     

     

    このどれかである。

     

    天霊が、「肉体は、汎ゆる雑よりそれを超えてスピードを上げていく、その身体性のことだろう」

     

     

     

     

     

    この言葉を、海上安全に捧げたい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    日本人はえらい、という考えで

     

     

    ひとの影に隠れる形で何者かと同じ振る舞いをし、自分はこれを起こしても良い、とあたかも涼しげに

     

     

     

    そんな身分を感じ取る。

     

     

    感じたいことを感じたいままにそれをやってしまうと、人を大事に出来ていない現実が存在するのが見える。

     

     

     

     

    気持ちまでは知らないが、

     

     

     

     

    国人ではないということだ。

     

     

     

    日本人は、漢字とはそれほど難しい

     

     

     

     

     

     

     

     

    言葉をきっかけにすることは、本当に良い事だと思う。個人から、総体への拡がりとは代えられない価値がある。だから、情緒を持つことが続いている。

     

     

     

     

     

     

     

    構想は、夢の中に

     

     

    鍛冶屋がいて、鉄を打ってもらい袋に詰ませる。

     

     

     

    集中した鍛冶屋の目からは当然見えない他の広いもっととした光。

     

     

     

    話を聞かせる光、あの世の中でもあの世中心でないから感覚が透き通る、鮮やかなのだ。

     

     

     

     

     

    人はその適当がもう出来ている。

     

     

     

     

     

     

     

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