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2024/07/31
今道で前を歩く人との距離、これが縁だ。つまり御縁といいとても大事にする。ダイエットとは余計な力を抜くこと。今となっては良いことと、失っても良い傷が心澄ませていて分かる。
私は体や気が何か痛い、そこに記号が映る、この二つを見比べている。理解の精一杯は、前後文がない詩のような関係と、文脈を自分で勝手にツクらないことである。
遠慮せず考える時間を作ると、
自分に触れらない想像がある自覚が「緑」に身を委ね風を含んで考えられる。
どこかから落ちた、これが縁で、
そこでその闇の淵にいたひと、を仮に想定してもはっきりと関係しない。
関係しない、が縁である。
これは、前提に目的があることを携える分、どこかからに「私」が掛かる。
他に雑多なものとして省く、省略する、こう行うことに依って
“「私」の考えていること”にたいして、10分前の「私」が、今の時間の私に関係することだと解る。
こういった作業に、どこかから落ちた私の周囲とは単なる記号と痛みに留まり、生活をしていかなければいけないという悟りと光がこう全く異なり二つあるという事が仕事の縁からこの場所で着目出来た点、縁は繋がるのである。生活によって前方が前方と繋がりを上達させ、普段の意識が全く変わらずにいる。強度にたいして惑星のイメージが、単なるエネルギーと細かく分断される。
己が通る仏道として咀嚼される方が高いのはこの為である。
私は、いわば遠慮の底で自分の感情や何かが進むとは考えたことないし自分が大切。
若し前世があり大昔、原子のころ動物だったとしてサンカという言葉を知る。
何かが進む、ちゃんとしたことという意味と、気高い守護の形だ、山神を意味する。
いつも一緒にいなくても瓶に実を詰めて、褒められた数、貯蓄と保存を喜ぶ。
動物からする人間とは、人間は語りにくく人間という言葉が、蟲ーを引いたところに生まれ、その後振り向いて動物の顔を向く。
良い形は、宇宙のフォルムとして極めて力が相応し上手く行く方の動物と、遡って平行する人間の身体性をあらわす。
身体性「せいしん」と「肉体としての精神のちから」はそれぞれ別のことを指さている。
対して、光として見た細い灰っぽい人間のかたちをしたもの、あの引き伸ばされたニンゲンとは、何者でもないを意味し、宇宙と関係しなくなったあるヒトであった。
これより増して、
透過を進めていく者、目出度く道を拓きより追求していく修行者にたいして「悩みのない浮遊霊」は全く不相応だ。いきなり遮断されるべきことなのだ。それを既知として解る。あっさりする、この良さは動物も交えて文明的に解るのだ。
惑星、神仏や地球に、いちいち相談する。話すペースと間隔を知る。地球は地にたいして、天のことは天体に問い合わせる。
テレビに向かって苦情を言うより、地域に相談して町を潤す。空気がわかるから間隔がわかる。このように存在を考える無我は、自我意識が極限に強いこと。有るを重ねて無に近付く凄みの様を神技といったりする。イラストでレイヤーでも努力をレイヤーにして丁寧に重ねると透明度が上がる。努力が全てに通る下紙で、努力が起こすものでないから、この努力、あの努力、という語はない。2、3度努力の上に向かったら縁を見抜けない。
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