揶白 (KF)

絵画

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揶白 (KF)

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    Works 43
  • 古代神の憧憬

    元の気、空気に触れず、元の気、空気で避けて、

     

     

    神のときこそ、これを出来る限り守る。自分からする神の見栄えが良くなる。

     

     

     

    今ここに、題目の「蟲ー」がいる限り。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    だから、蟲ーの事故は、自分が悪いならともかく、出来るだけ気にしなくて良いよ!

     

     

    謝らなくて良いよ!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    通称「ご先祖」がこう言われ、仰る。

     

     

     

     

    良い人を殴り付け影から嘲笑う、そんなやつと思われたらどうする

     

     

    「無償の愛を試している私」とはただ事じゃない

     

     

     

    愛という時点で、

     

     

     

    横滑りを防ぐ。

     

     

     

     

    横滑る奴にこそ、単に横滑りを防ぐと言うのではなく、横に滑る奴を防ぐ、と、人に目を合わせて、人に言ってやれ。

     

     

     

    「愛なんて何の役に立つんだ?」そう言って聞けるのは、古代神だけだ。私が今「ジブンそれなりに頑張った」というときに、「自分をそう言う風にいうのは失礼だ」と告げるあの、

     

     

     

    冷たくされても、聞きたい。

     

     

     

     

    こうだったんだと、

     

    腹にする、腹に解ることが大切なんだ、この上さらにそれ以外を持って、持ちすぎて霊界まではみ出るヒトの目には人はもういないだろう。しかも、何もわからない程遅らかっているだろう。

     

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  • 直していくことに寛解という

     

    寛解は、解りとか悟りへの興味とか

     

    幻聴は、聞かなくていい

     

    有色の幻聴、無音の幻聴、幻聴は蟲ー、

     

    幻聴が在る、この無の意味まで高めよう

     

    時々、助けてくれる「声」は専門的なことじゃない

     

    「声」になるには許可がいる

     

    許可は、よく神仏と話し合いある日、その形が解る。従ってカタチに表記されない。わかりやすく伝え現すことは研究中出来る。

     

    悟りは仏のだから、仏が霊であることから霊界などヒントになる

     

    客観性と自意識が大事だから、失敗すると痛い。3日耐える、自己で反省する気持ちで、直してほしい。実際頭に怪我した人は、頭は心だから癒して強く心に揉み合うことでは治ったからそうしてほしい。抽象的に聞くが意外に、頭は心だから、想像とは形豊かに、手のひら、目、(わたしの記憶、たいせつな気持ち)から溢れている。自分のたいせつな気持ちに傷の付いた人は、自分のじっさいの頭上に話し、謝る日課が良い。

     

    心は「アタマ」という肉体視より上部なので、また次元性に包まれ、ヒトや蟲ーには見えない、こういって守りがある。心が特徴的に広いと、困った霊を龍が運んで一時的に入っている

     

    たまに気を食うようなやつがある。おそなえ物を食うとか想像する、備えている、備えとも書く。墓を荒らす→何か人目から隠す過ちごとがある、ヤサシイかお。この認識が大事。

     

     

    神に力を告げなかった、もしくは蟲ーのような障害があって告げられなかったのか、このことから、今に伝え遅れを感じている。大穴牟遅、大国主の「もうひとつの名前」として伝説がある。

     

    何で、こんなに祈りと神像イメージを誘導出来る程しっかりした所が、硬いのだろう?と思った。世間的ゆとりも必ずある、心を味方と思って、自分のを開いて行く、人間に向かう。街町で、あり余った程の力が暴走して歩くようなイメージは不安、こう意味したんだ。

     

    半月が、カラッポの窪みに嵌まってムーンライトが光るように「声」になる。驚いて口が開く。心を味方と思って人間に開いて行く、落ち着いて出来ることが2れしかない。私の半月の石は「大穴牟遅、力が開いて伝わっていく。言葉になった」これ。

     

     

     

     

    今、思い出したけど、

     

     

    何かがあって、30年後出会い、創建するのに50年の年表を歴史館から見たことがある。

     

     

     

     

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  • 神の木と、高木と低木「わたしに出来ることありますか?」

    神話の名画があって、

     

     

    名画が語るに「アダムとイブを目にして、人間が人間としてこう与えられているのだよ、

     

    同じように、気張って伝えようとしたよね、(それ)と考える

     

     

     

    それ以外の緊張感ぎいらない」

     

     

     

     

    こんなところに届かせようと考えた古代人の、賢さの平気を感じとると、唖然と阿をなくす。

     

     

    工業都市、美しい仕組みや螺自体を心の中に感じても

     

    心が光るほどちゃんとしたことは、ちゃんとした自分じゃないといけない、この意味は、

     

     

     

    ちゃんとした自分じゃないと、対象に目が会わなくなる

     

     

     

    学問、これがそうだと言葉を続けるには一人では繋がらない、届かない

     

     

     

     

     

     

     

    技の素材となったものを、教科でいうなら恋愛

     

     

     

     

    それが恋愛だとは解らない、

     

     

     

     

    未だに解らない

     

     

     

     

    解らない、とかろうじていえる

     

     

     

    考えが限られている

     

     

     

     

     

    ずっと悩んで考えて、その中からこれだけ教えてあげよう、と伝えてくれてる

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    魚もにくしさを覚えている

     

     

     

    その目は信用がある

     

     

     

    魚という自我で、人間が考えている

     

     

     

    ひらひらしたひれはなくなったけど

     

     

     

    その川にずっといて、寓話を聞きながら

     

     

     

     

    自分が動物だった時の神様と、

     

     

     

     

    形の変わったわたしとは

     

     

     

     

    川神に、「そいつを殴ってください」といっても、

     

     

    といっても死人に「口」無し、といって

     

     

    自分がそうしないといけない

     

     

     

    ひらひらしたヒレがじぶんじゃない、とわかったあとそこに日々が続いていく感じ

     

    昔とかわらない

     

     

     

     

     

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  • 心の冷たさはやさしさでは変わらない

    一回、一回、左右確認後の大声はどこでもお勧め感がある。

     

     

     

     

    自分に風を吹かすのも、人の存在が自分を変える。

     

     

     

     

     

    人が、自分のために役立つのではなく、

     

     

     

     

     

    自分一人が、人のために生きている

     

     

     

     

     

     

    反省をすることのピースが、

     

     

     

     

     

    理想から、足りないのではなく、

     

     

     

     

     

    自分一人、というものが足りない

     

     

     

    を、教えてくれる

     

     

     

     

    言葉がするする出てくる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    心の冷たさは、その土が水かもしれない雨かもしれない。少なくとも心を主語にしている。それに苦闘したこともある。

     

    冷たい水は人を柔らかくして、バランスを思い出させる。

     

    しかし主題は、心でも何でもないものの蟲ーだ。

     

     

     

    私は、私の心に侍。それは、鳥かも知れない。更に水分の多い黒い岩場の鳥ならば、肉体としても主題が違い、話すことはここに昇る人間にない。

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  • 音楽から成り立つ

    縦社会、自分で決めるところ

     

     

    横社会、仲が良い

     

    自分が消えるイメージが多かったっ思う

     

     

    「音楽」が本当に主題なら、蟲ーバージョンのたった一つの曲が奏でられる

     

     

     

     

    蟲ーの高さが、これまで運命とされていた。

     

     

     

     

     

     

    神がいるとは知っていたが、神がおでかけするような、面白さや可笑しさが、

     

     

    それは捉えれなかったと思う

     

     

     

    不在、としていた

     

     

     

     

     

     

     

     

    一番クリアに思えた国境いのない、想像をするために、自分をよく知る土から、

     

     

     

    よく聞いて、

     

     

     

    自分一人が、「国」という言葉そのものの理解をする為に、

     

     

    国から考えても、最初に考えていたことを想像できる足を生やそうとしている。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    こう見ても、「簡単に話せる、成り立つテレパシー機能、地球にある」

     

     

    を使用するには、精神的距離がだいぶかかると判る。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ほんとうに自分の手間だったら、実際の機器で通信をする。

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  • 夢を叶えるには

    夢で前に進んでいくなんてへんだ!

     

     

    気付いてくれ、

     

     

     

     

    良いものが見つかった

     

     

     

    「関西一円」という言葉、これは文学に偏るが、

     

     

     

     

    変わる私、せいかくが変わる、

     

     

     

    こういった恒常的、○尋常な空気を受け入れる

     

     

     

    理解が上滑らない、理解の一定を守ることに、

     

     

     

    一円は、自信と言う。

     

     

     

    誰かと、人とわかり合えたこと、わかり合うことを叶えた自分というのが、それまでの自分の理解や努力にあることを、

     

     

     

    伝える。

     

     

     

     

     

     

    急ピッチ🔧💦

     

     

     

    成長や愛や善に、あくよりも傾きがあるんだ。それは仕方ないんだ。善悪を語る心にも。

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  • 蟲ー修行

     

     

    誰かがしてるから自分もそうする、

     

     

    この行動の原因が、

     

     

    人を

     

    保つか、捨てるか、

     

     

    は、全然違う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「関わり」は、もっと人は過去を含んでるから、

     

     

     

    精神的なを意味する縁はない

     

     

    画面から何言っても伝わらないのだ

     

     

     

    自分で作った話が想像と言えないからだ

     

     

     

    よく見かける平面歩行を、出来てもしない、こういった倫理から

     

     

     

    ひたすら続く蟲パターンと、ひたすら変わらない蟲

     

     

    を、読み得く

     

     

     

     

    いつの間にか当然

     

     

    あたまが自分とは違って、分裂した言語たち、

     

     

     

    目をよそに向けるのは違法で、

     

     

    その分心配を増やしてる

     

     

    そんなヒトを見たことがある

     

     

     

    耳を澄ます

     

     

    何も聞かないのは定めだ

     

     

     

     

     

     

    見立てるものがないから、知られない

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    比較的見易い蟲ー、または圧され飛び出る蟲ー

     

     

     

     

    自ら修行に及ぶ

     

    自分を変えて、ねちょねちょしたひと、変なひと、素材にし一点集中をした、はは、わりと日のストレスにたいしては、強くなれる、マイナスにはマイナスを。

     

    直面したもののこの見方、対処。

     

     

     

    私の肩から湯気のように浮き出ている字体や靄のようなもの、自分から離れるヒトたちが静かに表される

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  • 狼の父ちゃん(編集)

    私は大きいです、

     

    か、入ってきて、

     

     

     

    自分を育てるのは自分だというとき、

     

     

    遠く離れた人々が来たら浮き輪にレスキュー

    して、

     

     

     

    助かるまでに逃げたりどついたりするのを、人として見てとか、

     

     

    自分は大きいものを見たいから、ちゃんと構えて、

     

     

    ただ危なくて

     

     

    もう相手にしなくなる様を、童話やこういった民間伝承などで、

     

     

     

    学べるのは、ずっと上の互いの人が祈るから

     

     

    本当の意味で誰も省かない

     

     

     

    喋りたいんじゃないなら「知りたい」くらいで押し掛けるりせいが、

     

     

    コミュニケーションを取ろうとする

     

     

    だから、何かを守る機械でもそういう法なで完璧なことは見当たらない

     

     

     

     

     

    今、間に合わない、そういった約束がしっかりあるんだと思う

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    そのヒトをこっちで見てるの形骸だけ

     

     

     

     

    国などを装った、偽った、おちたひと、部落民、

     

     

     

    つまらない、怖いから、違うこと考えたい

     

     

     

     

     

     

     

    正義はないのか! と言葉を持つ力もなくいきなり怒鳴られたとき、

     

     

     

    彼らが消えるほうを選ぶのは、優れた愛によって、ナーバスや、マイナス思考が、

     

    原因じゃないのは、ずっとずっとよく知ってる

     

     

     

     

    今、何の支えでもないのだから

     

     

     

     

    客観性が上だから、それが主軸になったら、もう考えることもない

     

     

     

    否、考えたことはないのかもしれない

     

     

    父よ、あれを部落民と認めてくれ!

     

     

    「私に今残る思いとはそれだけなのだ」

     

     

     

     

     

     

    ギリシャ神話で女が男を嫌って木になった、という話がある。

     

     

    朝、考え事をする

     

     

     

    女神の御前は、人間からしたら、こういった様々な神話とは星の出るとき、考える視線にたいしてポイントとなるのか、「物」となり、人が手に取る時は剣になるのだ

     

     

     

     

     

     

    日頃思っていた「物」の実質を獲得している

     

     

     

    辛い話に耐え忍べるほど、

     

    歴史的名演の言葉に携わるほどの発声量は確かにあるのだ

     

     

     

     

     

     

    心自体も社会性からなっていて、そこに開ける進歩の難解さが、離れずに腰を据える世尊の様に、一人が頭上に仏を持つように、洞窟の成り立ちのように、待っている。

     

     

     

    部族には、その間があり、

     

     

    そこには言葉の用意や、よそ行きの気持ちや、表現力や表現性そのものがあるだろう

     

    何かがいること、

     

    これに対して何もないこと

     

     

     

     

    アフリカには大きな大きなしかも赤い夕日があって、

     

     

     

     

    それを考える眼差しは、自分とは違うだろう

     

     

     

     

     

    大地が、土を想像する、盲者の人に「水」を伝えるヘレン・ケラーのように「木がある」を初めて考える、そこに草がある、とわかったら、

     

    眠りを指すとする土は

     

    山に野菜を育てる風習があるように土は、「養い」という意味になる

     

     

    これは想像、という「宿し」にたいしてだ

     

     

     

    地球の奥行き、そのもの

     

     

     

     

     

    木は一人じゃない

    もっと何もない、動けない、対して本当に空っぽや浮いたりするのは相手じゃない

     

     

     

    人間性の理性、その手が許される

     

     

     

     

    アッテルは朝日が、今似合っているよう

     

     

     

     

     

     

    私にとって日は、そばにいたり、自分じゃなかったり

     

     

     

     

    すると、

     

     

     

     

    私は仏道成就にもまだまだ多くの事を楽しみ、大きく生きたい!

     

     

     

     

    正しい順序で、瞑想の志しが生える。

     

     

     

     

     

    強く人間として、世界の一方に祈りがあり、

     

     

     

    それが遥かに届く間際を皆と見れる心の中

     

     

     

     

    父よ、私の人間性、わたしの性格、それを覚えていなくても大丈夫

     

    人と同じ心が神を呼ぶ、約束の素晴らしさで一杯です

     

     

    それに私は嫌いが強いから、寂しさも孤独も味方です

     

     

     

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  • 狼の父ちゃん

    私は大きいです、

     

    から、入ってきて、

     

     

     

    自分を育てるのは自分だというとき、

     

     

    遠く離れた人々が来たら浮き輪にレスキュー

    して、

     

     

     

    助かるまでに逃げたりどついたりするのを、人として見てとか、

     

     

    自分は大きいものを見たいから、ちゃんと構えて、

     

     

    ただ危なくて

     

     

    もう相手にしなくなる様を、童話やこういった民間伝承などで、

     

     

     

    学べるのは、ずっと上の互いの人が祈るから

     

     

    本当の意味で誰も省かない

     

     

     

    喋りたいんじゃないなら「知りたい」くらいで押し掛けるりせいが、

     

     

    コミュニケーションを取ろうとする

     

     

    だから、何かを守る機械でもそういう法なで完璧なことは見当たらない

     

     

     

     

     

    今、間に合わない、そういった約束がしっかりあるんだと思う

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    そのヒトをこっちで見てるの形骸だけ

     

     

     

     

    国などを装った、偽った、おちたひと、部落民、

     

     

     

    つまらない、怖いから、違うこと考えたい

     

     

     

     

     

     

     

    正義はないのか! と言葉を持つ力もなくいきなり怒鳴られたとき、

     

     

     

    彼らが消えるほうを選ぶのは、優れた愛によって、ナーバスや、マイナス思考が、

     

    原因じゃないのは、ずっとずっとよく知ってる

     

     

     

     

    今、何の支えでもないのだから

     

     

     

     

    客観性が上だから、それが主軸になったら、もう考えることもない

     

     

     

    否、考えたことはないのかもしれない

     

     

    父よ、あれを部落民と認めてください

     

    人間しかいないから親がわかったのだ、

     

    人間しかしないのだ

     

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  • 木を植える

    まず「欲」は、仏語に馴染んで、則ち人間からすると、

     

     

    言葉に表現するに、善悪を分けていく試みが同時に生じる

     

     

    故に、「俗に」欲か、欲じゃないか、いる欲といらない欲、こういって仮留めになる

     

    仏のように「一人」になれば、一条一定として言葉を失って元に戻った時、

     

    既存の言語を使うとして性欲とはまた無垢な、

     

    これを哲学して考える解は、

     

     

    例え続きを持った恋愛による、こういった純然たるを想像しつつ、

     

    道徳の穢れとし存在する亦その道徳、向かって永遠に続いていく森の悲(かな)ら亊、それを歩く時は、

     

     

    緑の強さ、文性、その養いを思っててもっと渋いイメージをしてる

     

    日の疲れを取ってあげるとか、人を可愛いと思うとか、そういった善に上が許して、すると供養になっている

     

     

    普段客観的に傾いて良く思う事に、

     

    イメージしてる位置関係が想像と違って、

     

    十八番とか上に思うなら礼儀をしなければいけないと思う

     

    昼と夜は全く別れていて

     

     

    したいっていうのはもう蟲ーやん、したい!っていうのは人やん、その分別は賢い

     

    何ともふらふらした足どりに一を与える

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