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2023/12/13
息を使うこと、そうインドダンスのビデオから躍りの練習に取り組んだことがある。
その視点は、
結果的に一見して難読と思うお経の感じ取れる太陽そのものの内容を、理解する。
以下は前向き、前を指し示す目印を詳しく言ってると思う。
要は人と並ぶのがまず難しく、難しいと生身で感じるこの事をそのまま難解と読み仏教。問題、わたしのテーマ、並んだ時にめちゃくちゃ綺麗に見える。
宗教と仏教が、別の言葉だと解るが、釈迦が現れた時、宗りとなり、それは教えとしての形ではなくなり、透明であるや無いといった清潔がある。正しい清潔感を予測する。生きてる間、ブレやすい事だ。
人と並ぶのがまず難しい。
自分の背景というものが、肢体というものを支えていて
背景というものが「過去」でもない…。
実感として決して跳ね上がれるような動きのあるダンスじゃないけど、肢体を動かせるという一つはつまらない動作をこなして行く
というダンス、言葉が、全体を見たときに物凄く煌びやかに見える。自意識、意識も含めまた初めて客観性に出会うような意識、太陽そのものを「感じ取れる」、実感する、という事が出来るんだ、と知る。いつものわたしの様子や、世界を考える元の姿勢とは、を思い出せるのだ。
人から飛び抜けよう!と思っても、良い華を活けれない、
イントネーションの穏やかな美しいことば、があるが、
高揚したままの上り下りした、その言葉が、わたしの肢体と言う人並びを知っていて、
視点を広く持った時、
継続心という希望がそこに表れていて、
色んなことがある、というよりは、色んな同一の人がいる。色んなことを通した人がいる。それを同一性といって、激しく働く人には生じる段差を緩める、(米)視線の方向、(日)視線の定まりとして、言葉の個性がある。
わたしがわたしになった時、あなたが生まれる。あなたという抵抗にたいして、新しい道がある。わたし、という公式が違う。その表情は、何故か無理がない。
あれが美しい、と言う視点からは、
少し辛い、しなければならないこと、
それを支える手だて、手掴み、その毎日がある。何もない。
そう進めば、嫌でもああ思う自分に感性があるインスピレーションその向かえる姿勢となる。
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2023/12/11
私は自分で声を出さない、と取ったか、私自身とは字体を再構築化した人で、同じ様に並んでいる事そのものの理解世界だったら…? 気をよそに移して回転させられたメリーゴーランドの人よりも私の方が知っている、となる。どうにか自分が解ったセカイモンの説明をしたい、と思ってチラシを内外から配布する、という行動の途中。
私は、相手にしたことはないが、
仕事、自分の責任と相手が噛み合うかはわからない。
気持ちをそのまま書いてみるのに四苦八苦、そのままの気持ちを、しかし字を動かせることが出来ない。
仕事は七転八倒。
好悪
あることを教えたのを見境えたまま自分の感情に合わせて、心等に触れてくる人と、そっと出来る人が分かれている。
だから、これからも優しさがセカイモンに存在して、行く先々でどっちに転んでも、あなたのこと、だからこれからも
その人の考える事実と、現実は別だから。悪人精神上で妄想にとらわれたまま長居するヒトは、人の存在をまず証しようがない。→愛せる可能性がないと予測する
多くが心的に関わりの影響がなく、先に共生の力がなくて、
二度と触れてもらわらない為、教えてるが、誰がそんな風に「興味ないもの」に目を向けさせようとするのだろう。ユーチューブに心を走らせ、私がハイエナに憧れ、それからは十分離れたところに立派な象がいる。色がない、賢い、鼻か長い、この口説は、象になるには、そばにいるライオンの物の聞き方から学ぶ。意味ありますか?精神が夢見るのは広大なサバンナ。人間関係を求めるにはふさわしくない精神、人間という豊かな気持ちは心に仕舞う。
心の自然体は素晴らしくあり、感じたことのない形が実現出来たりする。霊が磨かれている。 関わっている面から相関を取り除くと型どった感情が、霊となり出来上がった。わかりにくさもそのまま。後は時間を潰さずにしたいが、自分的には時間はなきものだと言えないから、助けを待っているがこんな事に助けがいるなんて穢らわしく、何か人がしているという理解をしたら二度見はしない。相関性とは、あなたは自分は、「私のこと」をどう感じか、という意味。自分を理解する人が、実際近くにいないわけがないし、それが、
どこか遠くにいるというのは理解出来ない。
だから相関を取り除くと、光は心一体にすこんと馴染み、すこんと器に入る。
信じると思い込みが違い、念じると「念」が180度違う。
象は、殺人を意味する想像を少し聞いたことがある。耳が大きく広く、きっとよく聞くと思う、身体的な輝きとして強そうだが、太く何でも踏み散らすのが象だという人とは、格好良さが変わる。そういうふうに対象から誤解を受け、色彩を奪われた象、そんなほのがなしい想像をする。
ちゃんと苦労から始めた老人というのはは、ちゃんとしんどい人から目をそらさず、間を置いて話しかけてみるという、苦労をする、苦労をしていたが、重なって許されている光のひととき。
ついてくるものが、影と言う人もいるが、只の連想の雲をどうにかそれにしようとしただけで、
どうにかそれにしようとする苦しみが、「影」に近く、努力であり、
らくになりたい、というあせや妄想は消える。
優しさも福祉や区役所に求めたほうが大変な経験をする。知らない世の中にずかずか入るヒトは顔が意地悪だから気にして警戒をする。
仕事と聞いて丸々社会と言い、
事が済んでも、世間を踏みながら教化してくれという、
光の中で夢を見てると、紛れて来て大きなものを言いふらし、良いものと言い、その後夢を見たり、想像したりすると、分けなかった事が悪いということが始めにくる。
「分けなかった事が悪い」、タイトルを他人の運で決め、そこから現れた内容は自分のお陰だとする。
「格がない」のと、一点を張る無格は、似て非なる二つである。
何かをしないとは、何もしていないとも違う。
普段、悪いことは忘れて生きている。
悪いこと、文章に丁寧に書き自分より小さく持つ。
最優先として、自分はとりもちのようにくっつくこういった距離感鈍りすぎた人を、取り除くこと。
祈りの光を思うこと。
この二つだけをずっとしている。気が塞がり、本来頂いた良い物が回らない。
文明人とはこう忍耐強く光を読誦していたら、まったく争う筈がないことがわかる。ある時代に、大量殺人があったことをテレビで観た。
いつだって文明以下の、その人らしい。
大阪の心霊神社
あっこの人かっこよくなりたかったんや、きもっ
勝手に距離感をあける人をくっつけて、
上から誰かにわからんようにその人に押して
あかんといわれてる蓋をいつまでもかけ
口を塞ぎ
こんなことされたのよって話をしているの、で閉め
人体の上でいつまでもアッテルと話してて
私はフランス人、と言い
自惚れに精神を酔わせ肯定し、上から
計算上、文明にいれず、魂に結果とか結局かないことから、輪廻があり今蟲ーなら、蟲ーの可能性だと私は見てる。自分は偉いとばかりきこえるが、
ー金五円、私が無視をしてしまった大阪の門
(一日目…オッケー行けるわ、自転車ぴゅ~)
男「あきませんよ」
(二日目…頭に怪我をしていた、伝え事を伝えきれなかった)
男「う~ん、どうしよう。」途端に忙しい風が吹く
(三日目…もう聞いてくれへんねんやろ)
年の前後的にその時話しても仕方のない軽薄感を思い込んでいたが、真相がはっきりしなかった
男「そんなこといいなや♪ またっ!」
(四日目…行くで! ええか?)
男「理由言わな。」
(五日目…あんたがこうあって、私はこうしていてこれを知ってるからこうやから、こんだけあるからこれが出来る
)
男「それはこの道で、戸棚にはこう直せて、力はいらない。ふ~ん。」
(六日目…書き出し中
こういった大事な会話を聞いていて、
・これがいい
・これがこれだけ重い価値のある
・これに意味がある
・私が生活上覚える所の重要を点々と消したら誰かがわからなくなる
ポイントだけを覚えて押さえてる気配がする。
を、人間を破った上でしているから、何か綺麗だったり、纏めたりは実は出来ない
そのクオリティが、必ず最下層底のものであるばかりが今生きてる運勢を全て劇的に下げる、世捨て人は甘くない、孤独もない。既にクオリティ等という価値の外に来なければならないから。福祉で編むヘアーゴムくらい、には未満。
上から見たらカス。
先祖食って生きてる。上は、わざと食わせて、色々な事実確認をされている。
姿こそ見えないが、世界に笑いあった光の実在は、ともすると。
言葉「わたしは愛を知ってるから、それを続けるが出来る。」
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2023/12/11
大阪さんは、「セカイモン」と、心に流れる光たちを名称している。私もセカイモンと
心にも表面って存在するんだなぁ、と観察してる。
次元性も、立体性もある。考えようとしている心が目的を見て、それを自我が一本の杖のように支える。
神は、現れるとしゃましゃま、様々、に人はなるから、思いはあってもお隠れであると言う。本来神、人は人とは認め合えるように努力するこういった気持ちでいなければいけないのに、それを支障にする、、
「心霊その光」が現れる。心と心だから繋がるその時、感情も感性も想像も自分だけのものだから、大事にして欲しい。私は、感情を信じて欲しい。愛する為にある大事なこと、それ自体が心で川のように長い。だからよく考え、考える理性が人と異なり間隔を大切にすることの深さが解る。いつでも心を起点にする、それが理性。これが単なる抑制などとは全く違う。冷たさでも優しさたまでも、確かな人のあたたかさがある、温度がする。これは「ぶっしつ」ではない。ここに仏がいて、それがどのような小ささかが解ると思う。そして大は小を兼ねるものだから、自分が大きくないと、「それが小さい」を捉えられない。
想像は好きにしたら良い。こう心に断言するまで、この自分の合点を正しくしている。
解ることは全て、「自分」が持ってる!
だから助けるのが邪魔だと解る
その我慢の中で
忍耐を学ぶ
セカイじゃなくて、自分がしてる
セカイは関係性をもったことがない
その観察の上で・出来ることを抽出する
上手く行った光は、使わない、人の祈りからあるもの
その間に欲張りな「使う」「何かをする」と言い出す人が現れ、
その人は断定されるほど、輪廻以上に悪人と決まっていた
何か価値あると思って「邪念」
しても、
今、何か見れないと感じるのは、堪え性という価値がないか、後から来てそれを見たことある蟲や下級霊、絶体入れない
見合った価値を自分がないとパスは開かない
自分が判断して欲しい、それ以上に自分が判断するしかない
自分が生きる、を忘れず、もともと自分の目標の目星だけを頂く
これは、文明時代からずっとしている自由な考える態度。
自由な考えを守れる時、繊細な人間の肌にとってしっくりしているものだ。
皆は、文明はずっと興味あったが、理解方法は解らなかった。
文明霊が見守る中で、
常に再度見直され見つめる光の中で、私は考えてみて、こういった大きな光、巨大な光から、ちゃんと「物」や機器の利器性を見ても、いつも持つ、と言うスマホも、利器を繋ぐ接着に関連した「言葉」だと思う。元論とは、「私は神だ、私は考えるを意識するのだ」こう示し、物理論とは、その派生にあたる「能楽」など花にたいする学問を示す。いずれにせよ、人とする自由な考えだ。
今日、私が持ち帰った目星。
日の社会のなかて人間関係が簡単に終われる風潮が今あることから、「言葉」の存在する時に、締めない、言葉の語尾がブレて、明るく付けてもそれは同じで、
言葉の語尾に空白を打って海辺に向ける約束を伝えることとは違う。
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2023/12/10
詩を愛していると、蟲を気にせず人が入れる
・蟲がアッテルを照らしたもの
地蔵がはいってるかのようなリュックと
死体でもはいっているかのような重いスーツケースを
ウヌウヌいいながら
もち上げていたら
やさしくて細いお兄さんが荷物をグッと持ってくれた。
その時、なんて自分はズルイ存在なんだろう
と泣きそうになった。
出口に到着しても、彼が荷物をもってくれて
本当に自分はなんて駄目な奴なんだろうと絶望した。
これから自分でなんでも持てるようになる。
だれかに甘える癖、本当にやめたいんだ。
絶対、強くなる。
5階でもエレベーターは当然ない。
新しいお家には、
メキシコで買った変な人形たちが
お出迎えしてくれる。
あなたは知ってるだろうか
ずっと外にいると知らないあいだに手が真っ黒になること
あなたは知ってるだろう
爪の中まで黒くなること
あなたは知ってるだろうか
ずっと外にいると嫌な顔をするだけじゃなく
わざわざ鼻をつまんだりする奴が現れること
あなたは知ってるだろう
どんな姿でも、話しかけてくれる人がいること
あなたは知ってるだろうか
どこにいても話しかけられない孤独な時や場所があること
あなたは知ってるだろう
ニューヨークの町だけが特別なこと
あなたは知ってるだろうか
ずっと内にいると気分が滅入ること
あなたはもちろん知ってるだろう
それでも前よりマシなこと
あなたは知ってるだろうか
ずっと外にいれば汚いものが一瞬で分かること
あなたはまえから知ってる
自分のためだけを考えるのはいつだって汚いこと
あなたは知ってるだろうか
身内や友人以外にはみんなあんまり優しくないこと
あなたは知ってた
それが優しさでもないこと
あなたは分かるだろうか
あなたはきっと分かる
外にいることも
だから内にいることも
・蟲がおっちゃんを照らしたもの
悲しみを背負った人は美しい
昨日まで憂鬱だった毎日が
君と出会ったことで
まったく違う世界にいるみたい
いつからか
いつも頻繁に会っていないせいか
人と会うには勇気がいるし緊張もするし
会うだけのために、金髪にしたときもある
自分に気合いをいれてからじゃないと
人には会えなくなってた
当日、相手がなにも考えないで
適当な気持ちで現れたり
キャンセルだって当たり前で
元気かどうかみたかったからとか
他愛のない話をした帰り道
なんだかすごく悲しかった
それで会うのが最後だったらどうかな
あしたは死んでしまうかもしれないし、きょうかも
それを毎日思って過ごして
「また今度でいいか」
なんて思いたくない
会うなら、もっと特別な1日にしたかった
こんな風に考えても
なにもしていない自分が
何を言っても説得力はなくて
どんどん自信がなって家からでられなくなった
少しのショックでさえ、たえれなかった
心の中をめくって話すのは勇気も時間もいる
ようやく少し外に出て働けるようになった時
人と会話するとやっぱり傷つく自分がいた
だけどある日突然君は新しくやってきて
慣れない仕事に追われて
休憩中でも会話ができなかった
行動も仕草も喋り方だって
なんだか気になる
なにも持ってないと嘆く君は
なにか持っている人よりもあきらかに魅力的だった
映画にでてくる主人公みたいに君を眺める
君は特別だから、いわなくても分かることがたくさんある
どの時も特別だった
君は会う度に特別をくれたはじめての友達
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2023/12/10
考えは、水を切って考えることのできること。
・科学の意味する簡素さが大切にされていない、
答えは、精神上遠くにいるから、おそれ、大きく見える。
フランスの仏が言っていた。
米兵は、自分のものを人に譲るのはアメリカ人の侮辱、と言っていた。
「生きることに無防備であれ」虚空蔵
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2023/12/10
言葉では、わたしのその餌が「粒」になる
秘め事を表すから、ドウブツではない
「人間という動物」になった
私は、改良された妖精
50ccゼッペケMMX
物好きというこころこどくが救われるとき
切なくなくなった
笑う、と、兄者から心に消える邪神が生じた
あの人邪神は、トンカチのあるお道具箱で星を数えている
小さな釘、の様な涙を兄者はポロっと溢すのだ
思いは視線遠く、同時にまえ
分離不用、と言える心がどこかにある
敵対しても良い意識の太陽、、!
兄者は、修行している
コレルナラツイテコイ
求む、そのままのキミ
「欠けた月」を見ているよ
私の成分、ヘイト
hATE of PoWer
これは君
地球に来た群生に何故スウハあって、以前の私がコノメに存在するのかわからない
時空と時は、この時と思えば一致する
針が時計なら「時間」は前に進まないのだ
やり直しがリベンジになる、すなおな良いコ
repeatさせる そのまま進む
大狼は今入れない
頭が痛い、先で何かあるからだ
熱が出る、打たれても苦さが良いからだ
何重も重なる雨線とは、おばあちゃんの目、歌「あそこに松があるのよ」
知らなくて良いよ
知ってる
雨は、海辺に行くから
祖国とゆ
大狼いわく、一人ラーメンの客になるには、視線は遠く、同時に前を見る練習を内包している事だと言う
理論が定着するまでリロンさんは、怒鳴っているが
ゴミは必ずゴミ箱であるから、清潔
守護としても役に立つ感情
視線は遠く、同時に前を見る
階段を登るは、ボックスを歩くのとは違う
と言う意味
味
そればかりを考える
歳と味とを考えた時、生身の体は起こる雑念をしまえない、縁起の輪が噛み合うことで、くじ引きのように勝手に出る「問い」に解答が世界中から集まる一つの図が存在したら、それを「解」という
この一人を古くは、協力ではなく参加と言って我に返ったその後の「わたし」は参加者一名という命題を間逃れない。
フゲキという神使いの人である。その観察は、現時点完遂する。
人が人を使う事を信じた時点で、わけに埋もれて心を過る。それが、単に間違えたという境涯環境ではないから恥をかかれませんよう。
私は参加者一名だ
自分だけで人を頼り、事象を見抜いて行く事を「修行」の一環にあり、大前提とされる。故に動きなどは干渉されない。大きな力を見守ることのその意味で手一杯。
安心でも趣味は続ける、それが命を描いているから
自身が、パズルピースでも自分が存在する為に
転換を取るには、物より大きな自分が良い
して絵画の完成を引き伸ばす
前回のポスターは、
「皆で、木を守ろう」
白人と黒人が手を繋ぎ、日のもとで木を見守る作品
より大きな、よりありのままの
まるで女体の姿を、形として苦しんだその限界点
聞いた作品という概念が、決まって未完である事である
よくわからないが、これにも一致する
限界点についてはその深さは計り知れないが、御賞味には形がある
これが紙の裏表だと、面を感じる心はないとみなされる
器は立体である、紛れようのないお前の証拠がこうある
「有る!」
有るお前のストレスが!
お前の苦さが!
お前の距離が!
全て食え
1%を掴むのが、今、誰だか未知だから
如来が存在する
手前に何かがいないことに存在する
「あなた」、運命などは乗り越えれないのです
階段を登るは、ボックスを歩くのとは違う
と言う意味
だから、要は釈迦道
その為にこうする
目の前にある階段は大きく、百段以上ある。これを毎日掛け上る、下る。空海の釈迦道
私は聞いた「お顔のもう見えないほど高く、鍛えられたあなたは、あなた様であっても客観性に於いて考えに変わりのある時はありますか?」
お答えできませんが、自分の目で見なさい。
ソースに他を入れないのは、ソースには文句がある筈ないから
こうするから、美味しい
閉め出される「夜」の、
そのことで千手観音の心はいない
明るさは、朗るさというから
明るくなくなる
長者は、神の前で「気取る」と言った
取り戻す心を願い養う
我が仏金伽羅は、コトバの関心を失せる
星座はその人の主体から零れ
星座をなぞってつづいて、ふたつ書いても
君から存在するかどうかだ
叉は、夢を見る者のものだ
そのノートは、惜しいけど捨てなきゃだから
惜しくても
詩ならば
「詩」が説明書に代わっても詩なのだから、梅より青空がふさわしい
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2023/12/09
勇者よ!
大狼は「兄者」に案内した
あの人は、どうかそれまで力をお貸し下さいと神の前で、私に言った
事象。起きた物事、「兄者」の傷
それを見て言う
誰か、お前は誰か…!
が、しかし、この“二つ”は、七時間光年の間が有る
物と事として二つある!!
好きと嫌いだけ、
を背中から引き込み、大狼が菩薩すると言う魔法は
為、川を下る、岩になる
「一つの鏡の部屋と、二つの鏡の部屋が同居していて楽しい」
勇者はどうか、何に成る自然物の…
心自身
「側面」を言う兄者より、
「字の、角数のその一端の私のこころ💕」
場所によってはだから 、隠しちゃ駄目!
確かな君に触れたいから
ことさらそれが何かを聞くのか
それとも本を読むか
鳩に触れると 言葉を知らせてくれる
言葉は 繋がりがある
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2023/12/09
高次元世界と生活の二つ、難しい。
高次元世界のある生活、と理想を纏めるが、
心・技・体、とあって、理解する。
この「理解」が難しいが、難しくなければ、高次元から嫌われ自然理で追い出される。
楽しい、こういった境涯に欲的さはいらない。自分の未消化に思う気のない入出も同じである。
隠れている悪人は閻魔堂に並び進む。わたしとは境涯が違う。あまり関係がないのだ。
念を編む、言葉として「テキトーに起こる幸せじゃない方が幸せ!」
構いなし、活だけを持ち帰る。
フラフラしてたら骨折る。
気にしなかったことを気にしない
同じように粘着質になるならその人の性格。
人の内心など内容的に興味ある時は、神の口から入らせてもらうように頼む。二度以上頼む。何かの許可がある。
有り難くないものは既に見えているが、動作法に立ち返り、心に映し掛けられる価値のない動作自体と本来を見抜いている。
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2023/12/09
不幸は一つ、自分自身の。これを天物だと言ったら残酷の「酷(コク)」にそれを花摘みと書いて酷摘みという語がある。
城の土台は裾まで大きな石を古来は運ぶ。
「調伏」は、神仏に祈り、悪を滅ぼすこと。だと言う。
悪魔を祓い、悪を滅ぼすこと。これを速(ただ)ちに滅ぼす為の式神。差算、そのテイシキ、実存的社会の中にある法律。
大きくなったら、どんなときに誰かと同じくらい苦しい、同じ様に辛い。証拠がなくてもそう解るが、
ひとりでくるしんでいる悪人の姿を思い浮かべる。
誰かに「どうかご無事で。」を言葉にすると、
どうか心にその誰かや譬えつまらなくても楽しいこともあり笑顔もある、人々といる平和を思い浮かべ、遠慮せずその誰かを心頼りにして苦しまないで。
風紀整いがあり、気品を望むなら「酷摘み」や悪魔祓いの調伏を外の世界の人でもあなたのものと差し出したい。
「形ある考え自体」は、移動出来ない。これは文明時代の裾だと思う。
★有限性の可能
切り換える二つがあるところから、「面」が生じる。
神仏、火影を感じる、楽しいこととしての「仕事」と、
普段の無理なく起こるリズム、滑らかなリズム、気だるくいて元々快活な自分の感性。この時間を別にしたい。
負けないとは、元気とは、何かを求めることとはうって変わって異なる。挑戦をしたいのなら、怯けづく、心が震えてしまう、そんな所から始めるように構えを作らないと。途端に明るさを連想する物や態度を蓄積しても、自身が内容とする本題を通っておらず、おらないから何の筋道を立てず、立たないは本望を得る筈がない。
ぜつぼう的に心を暗く落としたことがあるのは、重要だが、蟲のいるその先を想像して暴れたりした。
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2023/12/09
「トライ」は、事暇なく自身にあるが、
ここに修練として、精神がもし、繋がりやテレパシーを持ち、そういった高次元の実在を確かめるのに、人のいない、と想像するよりも、主体を形成するのはある程度のストレスが掛かるがこの割れない人のいる緊張感である。「人」である。家があり心がある。赴くものを蓄積し抱えている。
人のいる緊張感が、その大きさに依った客観を描いた。それが「子」とまで言うほどの精神的な客観性であった。
それは豊かな肉体性、つまり有ることにたいしての有限の思いが繋げている。
「次元」が単体として、器や松、言わば継続と努力自身を指す値だ。二次元、という言葉がわかるだろうか。はみ出る人とはみ出ない人がいる。素直さなど、自分が対抗出来るストレスや、興味、こういった面の理解には理性がある。無機質感への憧れは、可能性の話をするが、強度して固めることの出来る理性とは、人間性という竜宮は、簡素なものから始まっていて、そこにいびつさが存在しているを説く。
このようによって、「不可能」という(ム)蟲ーの事象を、成分を、はっきり表して置く。
実存的思考に紛れて、人の物を自分自体の枠を破って「自分のこと」とする人がいる。それは完全に蟲、じゃなく人が人とまで称して締め上げる締まりを持つ。本来の肉体や筋肉の骨格は、その努力を節として受け入れるからだ。
思索をする。問題が心の淵にあり、現実とする幅の広がりと表すにしては、薄っぺらく白くならずに、端所の図を心に持つ人や、感性のみで理解する人もいる。
盗ビトが出現する「セカイ」の前後関係を落ち着いて確認した後では、
それが女でもおっさん(おじいや年輩などではなく単一してやくだたないを言う)という実像を思い浮かべる事が出来る、その目を叶える。
身体能力を指す理解が平たいが、心して身体性という理性があれば、何らか苦しめるものを先に退けることがわかる。身体性が理(ことわり)としてないと、犬のように当たるとこ当たるとこぶつかって事の軸が解らなくなる。
別に蟲では、その手先がいくら小さくても大きくても、その人の当たってくるぶつかり面がひろく、ぶつかる心の面が広いことにたいして傷付いている、生きる規定を上回っている。鈴が鳴り、エラー音が反応してる。
「セカイ」でお金をせびられる、この事情は存在するか?事物が主語にこうしていても、誰かという外側の対象を考えるにあたっての主体(わたし)とは、悪を考えるには善悪の二者に分けられることに引き戻され、客観的悪について咀嚼したときに善いことがあり、対象が誰でもない、という理解を辿る。主体とは自他が構造的に必ず含まれ、主観とは偏りであると思うさなか、正しさは自分の中の偏りを、知りうる現実で木っ端微塵に噛み砕いてから、もう一回見てみろ、と言う。祀りによって、主観をひたすらブレさせていた客観性が捉えられ主体を言う内容の言葉のフォルムが現れ、主体を肥らせる為になって来つつある。情がある負い目から、以降を考えずにいてもその自身は主体と離れていない。そこからでも価値のないものを振り落として行くことが出来るのが、主体という考えである。
お前が地球にいる限り、お前のこの死世界では、聞かなくて良いという法律がある。
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