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2024/03/12
まず「欲」は、仏語に馴染んで、則ち人間からすると、
言葉に表現するに、善悪を分けていく試みが同時に生じる
故に、「俗に」欲か、欲じゃないか、いる欲といらない欲、こういって仮留めになる
仏のように「一人」になれば、一条一定として言葉を失って元に戻った時、
既存の言語を使うとして性欲とはまた無垢な、
これを哲学して考える解は、
例え続きを持った恋愛による、こういった純然たるを想像しつつ、
道徳の穢れとし存在する亦その道徳、向かって永遠に続いていく森の悲(かな)ら亊、それを歩く時は、
緑の強さ、文性、その養いを思っててもっと渋いイメージをしてる
日の疲れを取ってあげるとか、人を可愛いと思うとか、そういった善に上が許して、すると供養になっている
普段客観的に傾いて良く思う事に、
イメージしてる位置関係が想像と違って、
十八番とか上に思うなら礼儀をしなければいけないと思う
昼と夜は全く別れていて
したいっていうのはもう蟲ーやん、したい!っていうのは人やん、その分別は賢い
何ともふらふらした足どりに一を与える
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