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2024/06/02
蟲ーに対して、
幻想の人格、埴輪とか、もっと素敵な設計文学
「私」がこの時という時間のあいだに対象としたのが蟲ーであって、それが勝手に映す実在的な人があり、心として空やセカイの繋がりを感じていてもただし蟲ーがいると思う自分は、現実に存在する人より壁の起こすズレに愛着を持つ。時間を以ての人の証に気付いたら、構成できる想像。
人の性格とは基本的ベースは、悟りとして変わらないが、鏡の奥を覗くことが出来たとしても家家(やや)が歴然と存在している
蟲ーのいる過ごした現実のほうが曖昧であって、摩可のせかいである。こう理解することに摩可がある。現象学と歩みを取るような、概念そのもののあたらしい出現である。
蟲ーを伐採して、咀嚼してから起こる理解である。
こうしてから、云(ウン)に渡せる可能な幻想作品、この場合作品と言ったり名をするのは私自身の発達とか、人事(ひとごと、ひとのこと)に完結している、
これはアニメ的想像を初めから考えていることがわかる高度な芸術、その古え(イニシェ)の理想は神を歩むときに初めて想像が現代人と重なる。
努力と、仏とする種だねの分別。つまりほんの小さなこと。このリカイの後に。
この美しさは、世尊とは、世の中のずっとずっと先輩とは、
自分(自の分、自がもつ)としての努力と、仏とする種だねの分別。つまりほんの小さなこと。現在ご本尊とする諸行分別なる言葉は言語力などを言い、あらわるこのリカイの後に。
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