揶白 (KF)

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  • 自信

     

    神仏と話せるといい

     

    言葉の誤解が埋まると動きが早くなるから

     

    見えず心もとない、ここで世間間でも上被りせず続けられる。

     

     

     

     

     

    人間関係を終えることが、自分に多かった。そう気付く前に「詩」は現れ、しかし気をそらさず勉強を続けた。大阪では勉強を「仕事」と言う。賢い文化である。

     

     

    若い時、何かを知って知識し、自分が優れているという勇気のあった時、

     

    とりあえず成長ばかりを考えていた。

     

     

    が、興奮したのである。

     

     

     

     

    暗い顔は、自分を理解しようとしていた。

     

    どこかがまだなら同じことが出来ず下を向いていた軍もある。

     

     

    激しい痺れをきたす海の「お笑い文化」は、もう少し前から始まっていたと伝えられるが、段差や空いた穴を笑うというその性格から早く挽回している感覚がする。

     

     

    内心は、成長していこうと思う自分の自覚と、それを受け入れている自分の大きさと、この透明だった「自信」という言葉の新しさ、又は大穴牟遅(神のポケット)、

     

     

    これらを固めるが、ゆえに、

     

     

     

     

    一歩深くなる自分の話と、

     

     

    自分自身に伝わることの出来る「良い」という気持ちとして、これらが存在する。

     

    これらを①纏めて②置く、が、着地点を逸らさない透明な「自信」は安心出来る。

     

     

    着地が最も重要だ。(くちばしにチェリー)

    内心や心を話す場合。

     

     

     

     

     

    人間関係だ、と意識をシフトしても恋したら自分で終えてしまう。もともと恋が、一人のものなら

    私は成功している。

     

     

    主体を掴んだら客観的に変じゃなくなるのでどのような内心でも生きていける

     

     

     

    そりゃ心の解る人を好きになるだろう、主体を掴む。見ていると悪いことをするヒトの主体とは雑やし曖昧である。しかし、こういった雑念を滅却することに、主体とは心なのだと解った。

     

     

     

    どのような場所でも、私が自然に見えることは私は知っている。

     

    草木に、元々エロティックがある。この意識自覚によりおじんとおばんを、元の自然に返す。

     

    未仏、という菩薩が勇施に存在する。高く人が上がった時、ばらばらになる波長を調整してくれる。「勇気」がない。

     

     

    文化と文明の違いは、移動の可不可として分けられる。

     

     

    気にも気上があるから気にしなくて良い。「上」だという心の葛闘は神を持つからだ。祖はこれらを千年して来て、その理由から偉い。

     

     

    私の記述とは、名言や名前になってこない、こういった部品、素材だけを並べる。「物作り」を想起させるこの方法は、人側の想像を接着剤とする広義の意味での「国家」その概念を当てている。精神的に昔の脈絡を本人が感じ取れていて軌跡を辿り、この間、自己ルーツを探るという本来のする事から離れない。森で鉄を打っていた尊先に自分の手を重ねようとする様に神という「仲人」を自身が持ってスマホ、パソコン、メディア、文明など、進歩の灯りがあって、この祖を養う。そこに未来というあやふや極まりない想像が地平線を初めて見せる。

    海は広いな、大きいな、という民歌がある。

     

     

    「利器」を強力なものとするのは自分自身なのだ。まず「それを」利器そのもの、と視る為に苦労している。利器とは到底見れず、便利だ、新しいな、その向こうの考え、これを霊視と言う昔から大切にされていたもの。故に、外国人でも出会う前や存在を知る前に話したことがあるのかな、と思う。頭が、ぽーっとする。気の集まるなかでは、この心が高なる時、わっとする心の時、本化して後から読める(ム)蟲ーの非在な文脈など横なりを信じず、今生きてるという詩を、自分とは関係なくいつでも急な閃きを、心には感情が通り、我慢や愛という可能事つまり現時点で出来ている自分のこと、愛せないものを認めるや、愛したい幸せなどは愛でないや、優しくするは自分の供養で愛とは受け手は感じがたく、認めると見つめるが似ていて、愛するという動作が思いのほか小さいを、前に感じ取った。霊的にこれを語るとは思ってもみなかったが、美しさを感じるのは、個人が村でなく店化して思い詰める中に孤立したが、その側面では客観的気品を捉えている進化の繋がりがあり、とりあえず愛するという単純な事は想像から増すが、そんな詩に合わせて大事にして欲しい。こう魂をかためる。手が工夫をするもので、自分に手を入れるが、どんな時もである。考えつかなかったからには、仏の存在を感じてやまない。だから、思うより自分を気高く持ち、また相手とする光も光として、比較の出来る心を認めたら、その時にはじめて同一と言え、だからこの道知る場合がそっぽし、向かわない所に行くのを止めて欲しい。過去がない考えは、故に他人の妄想だ。文脈やフィクションを、既存のものを二重に辿る横ノリにたいして、縦のりが格好が良いと人々は知っていた。自意識を乗り越えて。小さな夢を淵に「縦ノリ」と言った客観的苦しみはこう皆で癒されるなんて、素晴らしすぎる。

     

     

     

    自己未整理のくせに終わった話をねちねちアウトプットしないで。は、心的位置も、構えも、世間的空に対しても、正当だ。真実は、自身が絡まる何かが絡まり続けている。そこから投げられたことばではなく、自分に掛かった問題だ。自分が咀嚼しに行く。自分が理解しに行く。相手はここにいない。相手などではなく「問題」が有難い。世界を変えるのは自分の他ない、この哲学的理屈が起点なのだから。成長する自分が生まれた理由なら、小さい時から育てられた自分よりも、こういった難読的セカイの想像には合点する。だから、芽生えた情は、この先で遇えると信じていちいち洗っても、自ずと良い色になった。

     

    大切は、いったん「ひもじい」と自らが知ってくれたら、良い。豊かさの秘訣に向けて!だ。

     

     

     

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