揶白 (KF)

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  • ムーの過去記事

    幽霊と対峙する苦行の結果、ランナーズハイのように事実上人より疲れなくなった。

     

     

    だからって、幽霊さえ何か教えてくれているのだと崇められたらたまらない。

     

    何故なら私に苦行を施したのは、神仏なのだ。

     

    マイナスがプラスになることではなく、この、何も頼れないところに妙味というものがある。

     

    怒らなくなったのも自分というものの優しさなのだ。どっから自分が始まるなんてのは分からないけどここを、自覚して、得たポジティブだ。

     

     

     

     

    さきほどの幽霊(yuurei)の形状は一定してこうである。

     

     

     

    みて分かる通り人格が低い。

     

    目が一個で顔のど真ん中にある、舌を出して居て、「なめてんのか」と私は怒りたくなる。

     

    キャスパーに似ているが、別のものなので混同しないように。

     

    古くから人も拝んであげたり、鎮静に祀ったり、土下座したり、全てを尽くした結果が、

     

     

    今。

     

     

     

     

     

     

     

    何かしても強くなる、かばっても罰を被る。拝んでも復活する。

     

    神様も輪廻関係なく怒って追っている。

     

     

     

    霊媒のおばちゃんに聞くところ最低レベルらしい。巷にこの頃近年はびこる「みにくい人間観」よりも低いらしい。

     

    自分が観察しても、善人ばかり、押しどけて自分だと言ってしまう。ドラマや漫画では見た事がある。

     

    味を占めてそれっきり。私の覚えたかっこいい言葉を取って来る。自分だと思い込むから、

     

    人も信じて、すり替え、味を占めてそれっきり。

     

    ぎりぎりが器の人と、その塩梅を持ってしまって焦燥する人(幽霊)の気持ち。自分の「顔」じゃないからかっこよさに耐えた痕跡をみると全くもってないのだ。

     

    大国主も騙されるのだから、

     

    人なんてすぐに分からなくなる。

     

    幽霊自身はつねに逃亡中なのでとっさに強いやつを装うが、目につかないほど弱いやつだから、本体はそれくらいのやつであって、

     

    より分からない。目につかないほど弱いやつだから、そのうち高いとこまで来ている。逃げる為に生まれてきたから、躊躇や戸惑いがなく、人より素早いのだ!

     

    人は霊界も知らないのに、「霊」はこうだ、人はこうだと信じている。挙句の果てに、守り霊を払って私に残っていたのはお化けだったのだ。

     

    どんなことかも聞かないで「お前が優しくないのだ」「人はみんな天使」日本人のくせにそういうような言葉で解決しようとする。

     

    疑問として、何で「あなた」の近くにいるの? と聞かれたら、

     

    縁というより、悪事と鉢合わせをするようになってるだろう。目撃者として

     

    人としてこいつへの怨の感情もある。その怨を、ひたむきに継続心をする天のお陰で癒されている。今、滑った。

     

    幽霊出没現場も、その場にいる人と、噂を聞いただけの人とでは、全然感情が事実が変わるし

     

    恨みは全くないけど、怒りで一杯だ。

     

     

    【大事】憑かれていることが、穢れではなくて、幽霊の醜いすがたを見てしまうことが穢れだそうだ。

     

    そういう時に、神社に行くと良い。

     

     

    こいつが、神を嫌いで(怒られるからだ)しかも上におるから神社に向かう足取りが重くなった。

     

     

     

     

    成仏しない、つまりさくっと笑うことが全然出来ないってどういう状態なんだ?

     

     

    日蓮のもとで道端の未浄化霊を勝手に拾って、歌ったり精を意識もせず一緒に感じたりしているとすぐに上がるとこが分かってくる。一緒に苦しいとき、苦しみの方にのめり込まず上を見て祈ってやる。それが願いに続く道だということもわかった。

     

     

    霊にたいして足のない自分で人のを食い漁ってしまった幽霊は、祓っても、拝んでも、何故かすぐに戻って来るなぁ、と思って居たら、

     


    どうやら行き先がここらしいのだ。幽霊の天国には、は幽霊はもう着いていたのだった。

     

    これ以上が、最低一万年は望めない、ことを日蓮から聞いた。現在の彼ら、これが有名な餓鬼道である。と、今は穏やかに解釈して

     

     

    見学となってる。と言っている。

     

     

    私たちの旅路は長いのだ。 この気持ちは、やはり神仏のものだと思う。

     

    注意。この幽霊の上に付き添っていても下に付き添っていても相当運を下げてしまう。こいつの思考に人がなって色んなことを遅滞させるは、治りに時間のかかる傷跡さえのこした。

     

     

     

     

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    Diary

    ムーが怖い

    2022/09/24

     

    心到滅却

    この記事を常にトップにします。新しい記事はこの下にあります。

     

    幽霊カテゴリ(ムーの正体)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=101760

     

    心致滅却(ムーパラダイス)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=103985

     

     

    神木について、幽霊について。

     

    前にこれを書いたが書き加える。ムーを幽霊と思っていた頃。

     

     

     

     

     

     

    幽霊と対峙する苦行の結果、ランナーズハイのように事実上人より疲れなくなった。

     

     

    だからって、幽霊さえ何か教えてくれているのだと崇められたらたまらない。

     

    何故なら私に苦行を施したのは、神仏なのだ。

     

    マイナスがプラスになることではない。

     

     

     

    楽しい妖怪も有るが、精崩れである。嫌な妖怪は、こんな風な堕天使や、ものを考える悪人とも違う。楽しい妖怪がよく嫌な妖怪と間違われる。それとその嫌な妖怪が善や美だと間違われる。

    幽霊(yuurei)の形状は一定してこうである。

     

     

    みて分かる通り霊格が低い。目が一個で顔のど真ん中にある、舌を出して居て、「なめてんのか」と私は怒りたくなる。キャスパーに似ているが、別のものなので混同しないように。古くから人も拝んであげたり、鎮静に祀ったり、土下座したり、全てを尽くした結果が、今。

     

     

     

     

     

     

     

    何かしても強くなる、かばっても罰を被る。拝んでも復活する。

     

    この嫌な妖怪と言っていたのがが何と有名な「幽霊」だ。ただ霊はそれぞれ違った光があり歩くんだ。だが幽霊は、足がない。もとが人で生きてる間自分で食った。それも本性だったからそうなった。精か神かと勘違いさせたこともある。この幽霊とはなんと最下層であり、誰にも気付かない所を自分で作り率先して悪いことをやった。一回じゃない。それ故に、逆に人が神を語る為の素材となる為今置かれて居る。これは、運ばれているのじゃ。人だったのなら一縷は良いとこがある、と思うのだがそれが本当にない、なくすのが噂の幽霊なのじゃ。

     

    昔の歌に、「カタカムナ」というひめ言葉のものがある。

     

    ひめは姫とも読むし、秘めているとも読む。

     

     

    そこに書いてある種類に、

     

    ミスマルノタマ (身分に寝転ぶ)

    ウマシ タカカム(一度は人に褒められるが鷹をかむ)

    アシカヒヒコ(名も知らない)

    トコロチマタノ(ちまちまとアリバイをつくる)

     

    つづいて後に「トキオカシ」と書かれているがオカシは奥床しいという良い意味で、トキとは飛ぶ者という言葉。だから、「私は、しっかり妬いています!」自分は姫だと言葉を沿えられている。

     

    タカヒムスヒ、カムヒムスヒ、これは神の名だが音感の違い、聞いた感覚の違いが幽霊とでは大きい。

     

    何か小さな負があって、

     

     

    哀しみや、人のわけで攻撃してくるなら、有るが、

     

    幽霊はその行動を繰り返す。何故か?をとても私は気にした。

     

     

    神と違うのは、名前の波長が弱い。

     

    口裂け女など、整形で失敗し立ち往生してしまったというまだ実感がある。幽霊は何して生きていたんだろう?

     

    こうした要は「諸霊」と有るものではなく、

     

     

    足のない幽霊を、見定める。

     

     

    古い言葉で「キツネ」と言って、

     

     

    神の前にいる稲荷との大きな違いとして、稲荷はこれを見てきた精や仏眼に起因がある。

     

     

    幽霊の起因が、若さや、「軽さ」として

     

     

    ただちょっと昔から嫌がることを(過剰に)やっていた人だ。恩人を食べることに疑問がない。それは自分視点かもしれないが、こいつは何と、人のかっこいい姿を「自分」として思っても、まさかの思い込みを覚ますことがない。そういう死ぬほど小さな事で、大変なのは、それらの悪を必ずある時に誰もが見てるまえにしちゃうから聞いてもただ疲れる。人は、ダイイングメッセージとしてそのままその人に表現され、人目に映る。

     

    幽霊のその不安感や、見えない攻撃なども、今自分が思える人の優しさそれだけにたいしては小さな事だから自分が悪いのだと許してきた。だか、これら幽霊にみる魅力とはほぼ全部が他の魂のものである、幽霊が装い、装いを続ける為に隠した(これを食うと言う)人及び神の魅力がこの幽霊、妖怪に前面に出ているのある。ではなんで装うのかであるが、観察していると深い意味が本人たちになく、心の大小思うなら思うでその先にある人の価値観が皆無でものごとの理解さえ出来なかったのだ。湧いた感情の何もかもは、幽霊その人の不安や、見えない攻撃など、今自分が思う人の優しさそれだけにたいしての優しさ、その上でのこと。

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」の出現として、元気がなく波長の低いことが理由だとよく云われるが、彼らがいつも神の近辺にいる理由が上記に有り怒りを買っているとして、私の、近くにいる理由として、神木が私にあり、それが二酸化炭素のようにしてポイントだけを吸い取る。神木が私にあり、では何で有るのが木だと気付いたのか?

    これもまた霊媒についての師が言って自分の力では解読が出来ないから、おかしく聞こえるんだろう。ムー(幽霊)がいてもいなくても、まったく解読出来ない。ムーがいなかったら少しはわかった。神木だと、こうはっきり言えていないだろうか。


    木であるからに時を良く持っているので、現れるのがいまそのここという場所だ。

     


    我らが語ることの出来ない「神」を我らに、人に語らせる手立てとしても、神木は祀られている。

     

     

    「幽霊」を憎んで何かしたら、幽霊の気が満ちるのだ、

     

     

    庇っても罰を被る、拝んでも同じことをする。鎮静のように祀っても復活する。

     

     

    感情が必要だと思うが何をどこへ充てたらいいのか、考えなければならない。

     

    幽霊をまず止めなければいけない。そこの向上心にムーは一切関係してない。

     

    悪意であるので、またそれは完全に人であり自を食う。

     

    よって、幽霊って怖いんだなぁと思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

    不思議な話だが、

     

    人も霊界に及ぶのは、わずかもがな神の仕業。

     

     

    災いにたいして人として辛かったが、経験して神から話された希望や痕跡とも云えるのだ。

     

     

    どうにか一つに。

     


     

     

     

     


    この「幽霊」故に日本人にとって、長らく神の存在が危ぶまれたのだった。

     

    我々が知って居て、噂があるのは、鬼神ばかりで名を誰も知らない状態。


    ひょんなときに、愛は繋がれて

     

    こうも新しく物語となって立ち現れ、完全を感慨深く思うばかりだが

     

     

    間違っていけないのは、決して人間は神でないのだから、

     

    色んな人に憎まれ過ぎた場合、なくなってしまうのはまた自然浄化に思う。それほど感情ってやつが精神的で感謝のものだから。

     

     

    これが、子供か孫に子供くらいの、

     

     

    それくらいのスパンの話だと若く思うのをもっと大人はどう思われるだろうか?

     

     

     

    幽霊について、今は「文化的」とさえ思って居る。もしそう言ったら、

     

     

    喜んですっかり忘れてしまいそうになる、

     

     

    「明るい、」とは彼らのことを決して云えないで有ったことを。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「カタカムナ」

     

    ひふみ(天皇)は善い人

     

    回りて巡る、虚しいことや、事件。

     

    人は、人間は、海の末、海の広がりを知りなさい。

     

    形は咲く。

     


       


     

     

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