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2022/01/25
体は考える、という言葉を時々想像する。
霊というのに語弊があるが、肉体とそれは全く別かと云われればそうではない気がする。
それは、肉体がそもそも霊だという概念から始まる。
「死」とは何か?
かんがえてみることではなく、ひたすら想像がしたい。
なので、死ぬことではなく、 死の概念を再びただす。
こういう宇宙的なこと
ハカセって意味の「宇宙人(如来よ)」。
君や私、それらの人を集める無意識。
蜻蛉としての私、指としての君。
悪い方向しゃなくて、
善とか星の輝きの間に間に、吸い取られちゃうのが、流れというもので、
道理とも云うんだろう。
道ともいって、それを「考え」る。
煙草を吸って体を痛めるという想像をしたのは、科学から数字を得てその様子を目で見てしまってからイメージが膨張した。内臓を見るという行為にいったん死を隔てるからこそ、
「わからない」部分がおおいにあるのだ。
確かに数字は有る。しかし美しい数字は心のショックなど考えてくれない。
そんな無知な人間のことを私は信用しない。
つまり、闇も有るのだ。「怖いと思う私」がいるのだ。
そのことから目を逸らしたい人を同じように想像出来るし、気を配ることを忘れて居ない。
確立せんとしている自我なのである。
学問が解りにくいわけもここにある。それに感心しても有るし、「私とはわかりやすく伝えているのではなく、単純な気持ちで巷の熟語をお勧めしている。この詩的態度が、=モラルを守る。「愛してるもの」をただ語るのだ。ダンスしたいのだ。
だから、漢字なのだ。
心の会話でもどこでも、漢字であること熟していること、それを守れた時、それらは表現することが可能なのだろう。
人は、幽霊に憑かれた私のように変な思考あまり辿らないだろう。
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