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2022/01/20
言葉を聞かされた自分の悪くなさ、
こういうふうな誂いにされている、思いやりにたいしてちゃんとキャッチし、ぎゅっと受け取ること。
話す順序の、意地悪なような、可笑しいような、奥ゆかしさに、
何となくわかる、という態度が、我が下、自分がしたですという言葉になる。
自分は耐えれないけど、だれがが何かしてると思うなら任せる。
誰も、人が死んだりすることを切に願わないから、
一度はそういうことを激しく想像するが、結局、妄想であるから目が覚める。
だれかに向けて「哀しい」とずっと言ってる。
それが苦しんで「シネ」と表現される。言葉としてこれを見て減っていくのは良いが、
心が存在しないなら、心の中なんて存在することなんて無い。
「存在者」、なにか豊かな自分にたいする輝き、
そういうのが欲しい、を言っても誰も助けてないのは、同じくして。
思えば思うほど、人を馬鹿にすることが無くなっていく。
そんな自分を新しく迎え入れる為に、だから辛いことをこそ暗記するのだ。
パーならパーで良いけど、セットされるストレスに耐えたくないと思うだけ。
耐えれない、んじゃなくて、耐えたくない。この違いが大きいとか感じるだけ。
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