揶白 (KF)

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    幽霊カテゴリ(ムーの正体)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=101760

     

    心致滅却(ムーパラダイス)https://creatorsbank.com/yohaku/diary/?category=103985

     

     

    神木について、幽霊について。

     

    前にこれを書いたが書き加える。ムーを幽霊と思っていた頃。

     

     

     

     

     

     

    幽霊と対峙する苦行の結果、ランナーズハイのように事実上人より疲れなくなった。

     

     

    だからって、幽霊さえ何か教えてくれているのだと崇められたらたまらない。

     

    何故なら私に苦行を施したのは、神仏なのだ。

     

    マイナスがプラスになることではない。

     

     

     

    楽しい妖怪も有るが、精崩れである。嫌な妖怪は、こんな風な堕天使や、ものを考える悪人とも違う。楽しい妖怪がよく嫌な妖怪と間違われる。それとその嫌な妖怪が善や美だと間違われる。

    幽霊(yuurei)の形状は一定してこうである。

     

     

    みて分かる通り霊格が低い。目が一個で顔のど真ん中にある、舌を出して居て、「なめてんのか」と私は怒りたくなる。キャスパーに似ているが、別のものなので混同しないように。古くから人も拝んであげたり、鎮静に祀ったり、土下座したり、全てを尽くした結果が、今。

     

     

     

     

     

     

     

    何かしても強くなる、かばっても罰を被る。拝んでも復活する。

     

    この嫌な妖怪と言っていたのがが何と有名な「幽霊」だ。ただ霊はそれぞれ違った光があり歩くんだ。だが幽霊は、足がない。もとが人で生きてる間自分で食った。それも本性だったからそうなった。精か神かと勘違いさせたこともある。この幽霊とはなんと最下層であり、誰にも気付かない所を自分で作り率先して悪いことをやった。一回じゃない。それ故に、逆に人が神を語る為の素材となる為今置かれて居る。これは、運ばれているのじゃ。人だったのなら一縷は良いとこがある、と思うのだがそれが本当にない、なくすのが噂の幽霊なのじゃ。

     

    昔の歌に、「カタカムナ」というひめ言葉のものがある。

     

    ひめは姫とも読むし、秘めているとも読む。

     

     

    そこに書いてある種類に、

     

    ミスマルノタマ (身分に寝転ぶ)

    ウマシ タカカム(一度は人に褒められるが鷹をかむ)

    アシカヒヒコ(名も知らない)

    トコロチマタノ(ちまちまとアリバイをつくる)

     

    つづいて後に「トキオカシ」と書かれているがオカシは奥床しいという良い意味で、トキとは飛ぶ者という言葉。だから、「私は、しっかり妬いています!」自分は姫だと言葉を沿えられている。

     

    タカヒムスヒ、カムヒムスヒ、これは神の名だが音感の違い、聞いた感覚の違いが幽霊とでは大きい。

     

    何か小さな負があって、

     

     

    哀しみや、人のわけで攻撃してくるなら、有るが、

     

    幽霊はその行動を繰り返す。何故か?をとても私は気にした。

     

     

    神と違うのは、名前の波長が弱い。

     

    口裂け女など、整形で失敗し立ち往生してしまったというまだ実感がある。幽霊は何して生きていたんだろう?

     

    こうした要は「諸霊」と有るものではなく、

     

     

    足のない幽霊を、見定める。

     

     

    古い言葉で「キツネ」と言って、

     

     

    神の前にいる稲荷との大きな違いとして、稲荷はこれを見てきた精や仏眼に起因がある。

     

     

    幽霊の起因が、若さや、「軽さ」として

     

     

    ただちょっと昔から嫌がることを(過剰に)やっていた人だ。恩人を食べることに疑問がない。それは自分視点かもしれないが、こいつは何と、人のかっこいい姿を「自分」として思っても、まさかの思い込みを覚ますことがない。そういう死ぬほど小さな事で、大変なのは、それらの悪を必ずある時に誰もが見てるまえにしちゃうから聞いてもただ疲れる。人は、ダイイングメッセージとしてそのままその人に表現され、人目に映る。

     

    幽霊のその不安感や、見えない攻撃なども、今自分が思える人の優しさそれだけにたいしては小さな事だから自分が悪いのだと許してきた。だか、これら幽霊にみる魅力とはほぼ全部が他の魂のものである、幽霊が装い、装いを続ける為に隠した(これを食うと言う)人及び神の魅力がこの幽霊、妖怪に前面に出ているのある。ではなんで装うのかであるが、観察していると深い意味が本人たちになく、心の大小思うなら思うでその先にある人の価値観が皆無でものごとの理解さえ出来なかったのだ。湧いた感情の何もかもは、幽霊その人の不安や、見えない攻撃など、今自分が思う人の優しさそれだけにたいしての優しさ、その上でのこと。

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」の出現として、元気がなく波長の低いことが理由だとよく云われるが、彼らがいつも神の近辺にいる理由が上記に有り怒りを買っているとして、私の、近くにいる理由として、神木が私にあり、それが二酸化炭素のようにしてポイントだけを吸い取る。神木が私にあり、では何で有るのが木だと気付いたのか?

    これもまた霊媒についての師が言って自分の力では解読が出来ないから、おかしく聞こえるんだろう。ムー(幽霊)がいてもいなくても、まったく解読出来ない。ムーがいなかったら少しはわかった。神木だと、こうはっきり言えていないだろうか。


    木であるからに時を良く持っているので、現れるのがいまそのここという場所だ。

     


    我らが語ることの出来ない「神」を我らに、人に語らせる手立てとしても、神木は祀られている。

     

     

    「幽霊」を憎んで何かしたら、幽霊の気が満ちるのだ、

     

     

    庇っても罰を被る、拝んでも同じことをする。鎮静のように祀っても復活する。

     

     

    感情が必要だと思うが何をどこへ充てたらいいのか、考えなければならない。

     

    幽霊をまず止めなければいけない。そこの向上心にムーは一切関係してない。

     

    悪意であるので、またそれは完全に人であり自を食う。

     

    よって、幽霊って怖いんだなぁと思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

    不思議な話だが、

     

    人も霊界に及ぶのは、わずかもがな神の仕業。

     

     

    災いにたいして人として辛かったが、経験して神から話された希望や痕跡とも云えるのだ。

     

     

    どうにか一つに。

     


     

     

     

     


    この「幽霊」故に日本人にとって、長らく神の存在が危ぶまれたのだった。

     

    我々が知って居て、噂があるのは、鬼神ばかりで名を誰も知らない状態。


    ひょんなときに、愛は繋がれて

     

    こうも新しく物語となって立ち現れ、完全を感慨深く思うばかりだが

     

     

    間違っていけないのは、決して人間は神でないのだから、

     

    色んな人に憎まれ過ぎた場合、なくなってしまうのはまた自然浄化に思う。それほど感情ってやつが精神的で感謝のものだから。

     

     

    これが、子供か孫に子供くらいの、

     

     

    それくらいのスパンの話だと若く思うのをもっと大人はどう思われるだろうか?

     

     

     

    幽霊について、今は「文化的」とさえ思って居る。もしそう言ったら、

     

     

    喜んですっかり忘れてしまいそうになる、

     

     

    「明るい、」とは彼らのことを決して云えないで有ったことを。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「カタカムナ」

     

    ひふみ(天皇)は善い人

     

    回りて巡る、虚しいことや、事件。

     

    人は、人間は、海の末、海の広がりを知りなさい。

     

    形は咲く。

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