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2021/10/27
悲しみは性欲の未消化とも云う。
悲劇とエロをなぞって求める事から、立ち上がり、飽きる頃とは、
自身のアートの始まりなのだ。
笑うこと、喜劇には筋力かいる。
フォレストガンプのように真実を求め、大阪を半ば行ったり来たりし、
心中では劇的な旅をしている。若干勇気と、忘我忘失を「諦めた」強い年齢意識と、自意識の、その結果が、相手に増してブラックジャックに救われたように、
もう一度生きる時間を能わってる。
青春時代や、昔から、何かに憧れたりすることが全くない程、無気力だった。
その中でもやはり対局で、美しい物は、近くに転がっていて、
死が、醜い。と云われるようになったのだから、ますます生きてることも隠すようになった。
人や物事から距離を置いて、
私はある音楽テープを聴いて素晴らしく感動していたが、
「何か良い事がある。」と云う言葉さえ無い平和のうちに、その中で首を吊って死ぬ者だと、自分をそう思ってたので、
くじけてはいないが、自惚れてはいない態度として助かりたいと願った。
涙、排泄物、体重、色んなものに潰れて、その微笑みがやけに綺麗だったらしい。
その時に、美しさ、後天的な想念のタイトルを船にして、
まさか命を試すような事は完全にしなかった、その態度と経験や哀しさの数が、気高い「自分」の前提だったから。
ただ繰り返し経験する人をおいて、嫌悪と好きがあったから、自分ら子供だけで、行った。
出会った闇は、参ったが、闇はと云う考察を得た。
だがますます死っぽくなった。
例えば何事も起こらないことが、私の望みだった。
何者とも結婚しようなどとは夢にも思った事がないのである。
執着せず固まらないで考えると、
少しは、恋などは受け入れ
自分の付ける、終わりまで見て行こうと思う。
「母」が、急に死ぬとかは、全くの何事かで、
そこまで行くと罪というもので、
消えたくても生きてる人をみてきたから、消えるって願望を叶えるような雰囲気はとても嫌い。
どちらでもない人は、どちらでもないまま、その額縁をぶら下げて死ぬときまでそうすべきだ。
そうしないあなたを私は見れない。愛して欲しい。停止しろって云ってるんじゃない、
火のようにブレて、軸を持ち、柔らかく生きると云ってる。
昨日の写真は芸術と思って出したのだが、
PCで見ると目が粗く、わからないものであったので、
引っ込めようと思う。
何事かを、
何が嫌でも避け、回避し、
卵と牛蒡を食べ、細く生きる。
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