揶白 (KF)

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  • 幽霊

    幼少時代のコンプレックスを抱えて、

    そのまま人に吐き出す紙の反射の様子をして

    何でも跳ね返して来る人がいる。

    あだ名は「紙」で有る。

    普通、人には袋や器など奥行きが有るが、

    この人の魂はペラペラの、驚くほどうすい存在で有る。これを古くから、精霊、霊にたいして、「ゆうれい」という。ペラペラなのだから、人間を平気で傷付けるので、人の目の逸れる所で有れば、そういう意味で怖いのだ。

    珍しいものに憧れると云う心が有る。

    一番賢いのはそう云う脳だが、

    「私」よりも賢いので有る。

    霊は大抵、わたし、ではなく、わたしの脳と関わる中で、心を見出し「わたし」自体と関わる希望を持つ。

    賢さって云うのは、爆発的に黙って居て、醜さも知って居る。

    「皆様」は、白比べをする者を時に云うが、白比べは良いとして、その間に主観がどんどんズレて行く果てとは、汚物だったり、泡だったり、虫だったりする。

    幽霊は実態が無く違って正体が有る。。

    「権力が欲しい」と云う欲そのものばかりである。

    そういう人が少ないのだから、

    やはり珍しい感覚がして止まないのが哀しい。

     

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  • 私の戦争

    ずっとそういう自分でいる必要はない。
    性格はでも変わらない。
    だから失敗したとか伝えたい。
    心を零す、人間と心から話す事に戦争を連想したりする。
    当たり障りのない生活を過ごすのは気だるい時があるのかも知れない。
    自分の中の負の時間にヒントが有って、それ故に閉じないでいようと思う。
    薔薇を抱き続ける事。

    外から見たら、くたくたの社会人を、何て、とか思うけど、
    「目が光ってない」とか言われてたりする。
    恰好が悪いのは自分かも知れない。
    ふいに心の現れ、零される社会に佇んで居れば、殺されて居れば厳かに分かる事が有る。人に許されること、言い方は弱弱しいが高度な活動。芸能界のうらはらにもそういう材質が必ず有るから、未だに人は有名になりたい。

    精神を理解する事が人間の事だ。自分の顔をなぞる。
    女の美しさとして、理解を敢えてしない自身の事が有る。エゴでも何でも良いから、女の美しさとして我は醜さすら小石の様に抱き愛する。これは人間の精神を云って居る。

    理解される事は有り難いけれどもそれとない感覚がする。殴られたって良いのだ、哀しむだけで。

    人間に合わせないところで、意外と相手との心、二つの心は一つに為って居たりする。
    人とそうしていたり、そう有り続けたりする事の理由のなさったら!
    数値化することで、視覚にしてしまったら見えなくなるメリットや甲斐が有る。
    理由もない事に取り組む、その勇気は、当たって砕ける事と云うよりは、そうじゃなくて、丁寧な思考に依る。

    「私」とは何者なんだろう?
    <思考>についても、冒険は、自分が鍛えられていたり、剣をもともと持っていなければ出来ない。故に、人は人に「考えるな」と教える。

    古くの教えに携わるために、最も身近で有り同時に遠ざける宗教を学んでも良いだろう。人は変わらない、有りて有り過ぎるのだ。何が本当に楽か。仮に、「何も信じない」として、何も拝まないことを、祖のひとを不図思うだけで自分が生きて居られる事を、自分自身がそれを受け入れる事に嵩さが有る事だ。その時、寺を厄介に思うのに、考えと考えが戛然とする所に超えるものが有るとういう事で、かつて神国は佛を招いた、と云うのかもしれない。自分が仏だ、その前に、日本人だ、等どちらが先だろうか? 自分に国が有るとはどういう事か。
    アイデンティティ(自己確立)を探索したい。
    不安が伴うのだ。しかし、シッダールタ、ゴーダマは此う在り、手を合わせると神は穏やかに佇まれる。
    私たちの最後の課題は、問いとは、何も考えないでいる状態の維持に、仏壇が要るのか要らないのか、それだけの問い。問いを濁して済む場合、それを選ぶのだから多様だ。考えることが大事な身と、笑うことが大事な身とが有って、更に同じで有ったり違いが有ったりするからだ。

    優しさが時にわざとらしく、それが許されて居るのは、何かしら恰好をつけなければならない人間の精神のせいで有る。辛い。苦痛を云って居るが、それ程に暗い日本海の地平線を眼で見つめたら、何と清まる事か。男は、強さと闘って居るうちに、このような夢については養われ無かった。

    光が、リユースされて行くことにかつて、軍国主義だったものの骨髄を思う。どこに向かうかを云うと何と「物作り」で、また精神も物としての一貫を果たす。どうしてこんなに馴染むのか。動きがどんどん滑らかに為って行く。自分が見たこともない空と古くの「和」は調和する。

    「私」とは、土器、やしろ、梃子の原理、原理的な物作りの精神の痕跡。

    何事も理論が無かった。パーツが揃えば、止めど無く動き出したので有る。

    「キャラ」に為る私。恥じらいをもって、何事も理解した上で飛行できる事。
    知られたくない事を隠せるし、人間の課題、会話を、淡々と進める「ふね」は突然とした風で有る。コミュニケーションの円滑材を力づくで作っている。

    何故に多くの日本人が「劣っている」かは、自分のリズムを今一歩理解しない頼りなさ。フランスの天空やアメリカの白き天使のほうへ、みんな羽ばたいてこちらへ戻って来なくなってしまった。
    それだけなのだから期待は遅くないし、希望も出来る。

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  • 佛の美しさ

     何事もグッドタイミングで話してあげる事だと思います。文章だけを書いて居ても文章が育てられない様に、世界をすいすいと泳いで行くのです。 その中での疑問を書きました。

     優しい人は良い弥な。人が寄って集まって来るし、若く居られもする。私の心の中は陰り、うつむき続けて仕舞いたい様な。神で無い事をする事とは、人の仕業と親しむ事で有って、神の美しさを知る。人には人の輝きが必要なのです。 人が、人の冷たさを語るとすれば、勇気が要るし、人も自分の情熱を信じてたいから、下手には云えず日々目の逸れる所で有る。 憎しみも湧いて来るが、この時に一度自分に刃を向けよう、つるぎを、世界の受け手として感じてみる。 それでも続いて行く人間の関係の中で、花を見つけるにはどうしたら良い?と、丹念に研究するのだ。

     

     悔しくして、あれを温度として受け取る潔さが君に有れば、美しさに変わって、みずうみの様な居場所として心の、孤独の敷地が増え、微笑みにも余裕が成る。  人間の冷たさに対してではなく、人の優しさ、温かさに対して思うのだが、如何にも優しさが珍しいとは情けない菜。 それを、何てない幸せとして、遭遇しても平気で居たいのに、そんな格好は無いかしら。宗教心と迷妄を逸れた、垢抜けた流々。どの様に優しく居るかと云う事を考えて居る。泣きごとを云わないとか、人の流れも信用の置けない所が有る事を、考えて居る。 君、あなた、ニヒルは気風が良いけれど、失敗の表現ってやつを、まんまと愛してしまったなら、川辺のバーベキュー等人々の友愛活動に現れるヒッピーみたいな、調和しない、空気読まずの精神になってしまう夬。格好わるくても、哀しんで居る事が、素直さと風情の様に思える、哀しみをを継続することが。 君の木を、太くする唯一の精神ではないか?  人が美しくなる事の価値は、愛に希望を持ち得ると云う事だ。それが穏やかさで、悲しみに対抗して行く悲しみが、私を磨く。 綺麗なものは、目立つし、光であるし、他人とも想像が一致することはよく有る、それでも「君」とはつながれなくて不安になる。 対して、光を形作る「影」について云うと何を意地悪だとか、名付けるのは親で有り自分で有って、対象は、はじめに形を持って居ないよ。 人の心の闇に浸かっても、ドブ川を見て、 「明暗が、とても綺麗です。」と、目を凝らして見つめたいな。それ程のスケールで、手の中には、炎を映したい。

     

    青き自分の正しさ、その若さと自己主張にエンドが付くまで。 佛に永遠ときらめきが有るが、厳かに自制して行く中でこの滝にこそ、美しさを見い出せると信じて居る。日の丸。 怒り過ぎない花より。

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  • 人が仲良くなる時

    人は人ともっと仲良くなるべきだ。

    どうして、途中で閉じてしまうねん、とF氏が言っていた。

     

     

    人間、人は理解し合えるのか?を、大学の頃散々考えた。 ずっと、平行線じゃないのか?

     

    もう少し、大きくなると

    人への質問が洗練された時、

    つまり自分を知った時で有る、

    相手が「存在」した時で有る。

    知りたい気持を表現する場合に、

    質問、問いと考える時間が存在し、出来て、

    こころに奥行きが、作られるのです。

     

     

     

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  • 西洋ライオンと「言葉」

    ゆうれいにまみれながら未来の重さについてよく語り合った。

    あleadyのこころ。

    共感できたと思う。

    気持ちを吐いてみてさらに思考を深めるのだ。

    後悔は自分の先の為ではないのだ。苦しむことで業を削る、ただそれだけ。

    そういうあなたが人の先に光を差すことが出来る必ず。

     

    夢にあlionのプラザー、私の兄である。

    「鏡の国のアリス」をご存じだろうか?

    不思議の国は有名だが、鏡の国である。

    アリスが鏡の向こうへ

     

    西洋と日本の違いに何が見つかるだろうか?

    言葉の違い、であるが、その意味とは何であろう。

    哲学魂に耽って考えたことがある。

    きれいもうつくしいも多くは同じ意味だった,私たちは話しことばのうちでは

    同じ言葉でも、二度と同じ意味にならないことに気づいたのは

    繊細に文学を感じ取っていたときというよりも

    何のメリットもない純粋な発見の楽しさは、小さな星を初めて見つけたような

    古代的な精神、言葉が始まる以前の純粋な意味の世界。

    目の前はターザン。

    私が先に行きレポートをとるので、次がんばってや。

    言葉の並びが英語では逆なのが、思考法に影響があって

    ちょうど鏡のようなのである。

    つまり自分の思考を回転せさようとしたら、文化に馴染み親しみを持つことである。

    国境いがあるときは、責められる時ではなく「だれか、どこかの相手」と会話するため

    自分の寺として自分の土地にいかに感謝して、国籍も自我も包括して社会的なアイデンててぃとして

    「自分を知る」小さなこの成功を、したら相手の輪郭をとるのは自然である。

     

    感覚的に何かを忘れている気がしながら、私たちは人を想い

    離れる事をえらんでいる。

    忘れすぎてもならないので文字や

    表現で補っている。

    とても古代的でいい感じ。

     

    私は常々何を書いてるかというと、私の夢が兄たちと未知の古代(オーパーツ?、はにわなど)発掘で、

    見た幻を、砂を払いながら並べてみる。

    だから、結局、覚えていてね、とか驚かすのではなく、何か、落ち着くための言葉のペンキで

    ただそれだけであってほしい、最初にそう言いたかった。

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