揶白 (KF)

絵画

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  • 今日はクリスマスイブ

    ムーや世間に閉じ込められて、何も書けなかった。

     

     

    ぼちぼち思い出せたら何か記録しようと思う。

     

     

     

     

     

    書き言葉、しゃべり言葉、

     

     

    実際これには距離があって、書くくらい好きな言葉を使っても良いんじゃないか。と発起して平成の世の中を渡った。

     

    めちゃくちゃ専門ってわけじゃないし

     

    思えば目の前の人、友達、おのおのに距離感があって、私は成功している。

     

    勉強中に、「エクリチュール」という言葉を知り、そんなことはとうに理解されていたと知る。

     

     

    雲が明けたら、準備を整えた言葉の理解者がいる。

     

     

     

     

    流し読みではなく基本をしっかり纏めてすっきりしてほしい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 選択している感がある

    ムーを良くしたいと躾けすること。

     

    ムーに殴りかかること。

     

    どちらもエゴであった事。

     

     

    むしろ、倒すことのほうがそうではない道だ。だから、そうやって天の許しによって、善的で有り、初めて上がる。

     

    「焚く(たく)」と書く。匂いが、人側の努力を以て獣の焼けることかんばしく、縁起が良い。嗅ぐと目が冴えるし、恐竜がいた頃、そんな歴史があって地球らしくあるらしい。ららら、と歌いたい。

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  • 謝る

     

    龍造 以前ムーのことをそういったが、詩人は夢を語るだけ。

     

     

    間違った人は

    指標が私を預言者と思ったのだ。

     

     

     

    自分たちが龍造になろう!!

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  • 温泉に向かうとき

     

    古代と精神の向上を重んじた簡単にできるようなしっかりしたもの

     

     

    キリストが、まず私に愛してると仰った。さも恋人ぶって「想像そのものがわるい」といった

     

     

    想像を取っ手でダウンしたとして

     

    私はその気になっていた行動を

     

    何かあることが済んだ時、

     

     

    「彼が想像を嫌いだといったとして、判断を相談もせず断定していませんか」

     

     

    文章でも圧力があり、

     

    圧力に対抗するのなら、何かを続けてきた自分に自信を持って等しい圧力をもって楯にする。それ自体オーラだから、裸では潰される。

     

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  • 世界探検を待ち望む

    表があれば裏が必ず出来る。

     

    表さえちゃんとしてればいい。

     

     

    ないものをあるというより、ないものをないとわかってる人の方が気回りが全然違う。気回りが人を助ける。

     

    目の前にある部屋の世界。

    世界の延長上に世界がある。世界なくして世界はないと思う。繋げるのなら、手や目を使わせる。

     

     

    手や目を使わないと、自分の何かを無駄にするんだと思う。

     

    一年でも考えは変わる。心や世界の併合が上達する必ず。

     

     

    お化けは真逆。

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  • アルプスのおじいさん

    自する、とか、自分がある、それを続ける、

     

    プレイヤーじゃないのに「書き手」「画家」と言う言葉にはならない筈だ。

     

     

     

    大澤くんがムーだとわかって、ムーなんてその頃は早期発見の暇もなく、ただ嫌な仲を上手くやってたこと。暗い過去を内心抱えていたことを気使って欲しかった。絵に興味があり、同学だった大澤くんの絵が普通に前にあったものの、よそですることと私はまったく関係がないし、整理をして見捨てられた、哀しい以外の、情とか感情を私は持っていない。自分が成長してムーが見れて彼を彼だと見た仕組みもはっきりわかって、ムーに情とか感情を持っていない。

     

    ムーにされた事は憎いけど、必ず助けよう力になってくれようとしている霊がいるから、それを考えて憎しみを解いて行く。ほかの人もそうして欲しい。

     

    終止符を打つのに、わりとそれでも歩み寄った人は多いから、

     

    「見捨てられた、哀しい」を、気持ちを座らせることが、出来るかもしれないから覚えていて欲しい。そして、こう内省している、この時間は本当に個人なのだ。

     

    守ります、という態度をしたのはムー本人だから。ムーが恥じらいを持ってて、あからさまに人間の態度を「私」にする、態度をするから目という間を抜くことが出来ない。

     

    「見捨てられた」と感じているのはあながち間違いじゃない。

     

     

    ムーの絵ってどうなるのか? あんまり良いと思わない箇所が一杯ある。

    まず絵って何なの? ムーの絵がどこかに飛んで行ってしまうか、その先の安全ってどう作られるんやろう。見張ってる。

     

     

    理解する詩人や、第三者は良くみたり、限りに尽くすけれど、それが作品、ムー自身ではないことは確かだし、

     

    フランス人も、祀りの間、芸術性の項がふと現れムーの芸術性を「嘘つき過ぎて良くない」と何が起こるその手前で既にはっきり表わされていた。

     

     

    こういった理由のある、

     

     

    ムーの絵がムーの物ではない。この考察を得る為に今日は話したい。

     

     

     

    これは本当の話だが、

     

    私が大澤くんといた十九、二十の頃アルプスのおじいさんがきままに大学を覗いて、穴のあいた人間、ムーに座り、野原一面を描いていたらしい。

     

     

    この絵、こちらの守護霊、アルプスのおじいさん、どのように渦巻いてこんな形や陰影を描き切ったのだろうか。頭はムーだが、野心は丸々おじいさん。私はそう聞いて、不思議な希望というか当たり前というか。おじいさんが可笑しいから笑っておちょくり過ぎているのを嗜められたり、好きな相手に面と向かわない弱さにたいして足もとを見られたり、緊張の数々を過ごしていた。

     

    誰が何がムーでも得ていたものがあながち幻想ではないことを知る。

    空気や気持ちは対他者として生まれ、この厚みが守られ、おじいさんにたいする憧れとか、反発とか、力に育てられるこの中で。

     

    今は天狗の精として羽ばたいる。どうしても思い出せなかった風や空となって羽ばたいている。山を歩く足腰の重いおじいさんの着実性から、私は花道となっている。これは天狗になったと伝えると、再会も可能のように思えて来る。

    だれかおじいさんいりますか。

    つまり、大澤くんの文章は丸々おじいさんのスピーカーとなっている。

    凌駕したい、と感じる。懐者の器だとそれはわかる。

    ムーが、おじいさんを「自分として」自発的に顔面とするのた。それは可能性があるが条件がある。上を降ろすなら、ちゃんと尊敬しているかどうかだ。自分の顔は、大人になってからやっと見せてもらえる。子供のときは、みんなみんなといるものだ。

     

     

     

     

     

    そのままを箇条書きにして、睨めば、そういう事実とか、こういうこんな形の事実なんだ、と浮かび上がって来る。君はその時捉えている、と思う。 

     

     

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  • 自分に親しみを持つ

     

    ムーは幽霊で掴めないが、コラッタムーはまだ人に近い。

     

    コラッタムーをくくりつけて、聞くまで物を言う。ふと思ったことだ。

     

    そしたらコラッタムーの心情が変わるだろうか?

     

     

    煮えたぎる心の上で成り立つこれを、躾という。

     

    そもそも、「親、友達、何者」にしか出来ない事である。

     

    闇を持つには、

     

     

     

     

    悲しみ、怒り、めちゃくちゃ複雑に絡まった気持ちを、ほどく。

     

     

    自分に対して下位しくないから、呼びたい人がわからない、呼べない。

     

    もっとも、聞きたい功徳を「買う」ことが出来ないのだ。

    買うとは、これらが、出来る、出来た自分の事にたいして「買う」と言える理論があるそうだ。

     

     

    こういう柔らかい気を回す人がムーに閉じられていた。

     

     

    「まさこ(自分の名前)よ、どうしたのだ?」こう自分と親しみを持ち笑う、持つことを、

     

     

    手伝って欲しい。

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  • ムーの考察と、心の現つ(うつつ)

    心の中→霊が見えなかったらどうじゃろう

     

    継続している生活とは別の自分の魂(ひ)

     

    つまり、仕事(自分からやりだすこと)

     

    心の中→これは目の自分、目の私

     

    対比   自分の、私の目の前、これを内面→感謝の自分

     

     

     

     

    仕事内容→自分が覇気に負けているとも、思い知ることが出来ないやつ。

     

    →相手

     

    「夢を叶えたまえ、レベル1の自分から。」

     

     

     

     

     

    目の中の雲…精神葛藤、闘心

     

    余計な情報をシャトアウト

     

     

    余計な情報→水を一分~三分

     

     

     

     

     

    哀しいこと→よく噛み締める。

     

    あんな小児科二度と行かない。そう思う中にゆとりを見つける→自由の幅の広がり

     

     

     

     

    性格は変わらない、良くも悪くも。その上に自分がいると、

     

    成長はどんどんすればいいことだ。それとは、その良かったり悪かったりする自分の変化なんだ。と、知れる。人はそれを成立させている。人はそれを知って成立させている。

     

     

     

    知り合いに真実を伝える。

     

    相談出来ないなら、自力を知る。

     

    行くしかないと思います。海外の方が仰った。

     

     

     

    思えば、同時代にいるという奇跡。年下を思うけど自分が前に出たい。

     

    解りの強い者をここに置くのは、思えば当たり前です、鳥は空、亀は湖、ツチノコは草を分ける、

    こんな理解をしていたら、怯えていた高さが、基盤とする腰の重さのことであると。

     

     

     

     

    行くしかないと思います。と、海外の方が仰った。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ムーを、

     

    「可もなく、

    否定もせず」じっと見てあげる。自分を釈迦じゃないと答えれた者だけが

    真実を思う。

     

    色んな所に数たいいたコラッタムー

    「何かをその人から殴りかかるようにして来て、私は何かを言った。徳がないぞ、とか。を言っただけで、

    はらいせに誰かを落としい入れる。酷いが、みんなについていけなかったのではないだろうか、そういう弱い反面で生き延び、すると機をみてまた来る。」

     

     

     

     

     

     

     

    仏眼は、お前事だけを映すだろうか?

    あなたが、「私」と言わないから私がモニター像に登場するわけない。地球は丸いし、次元があり、一面のようにのっぺりしていない。

     

    如来→天りんが、先前、とで先の人、自我の存在に分けいった道は、特に誰でも進める。

     

    上、という感性は詩情、ポエジーだが、知識色が強い。と、感じている。

     

     

     

     

     

     

     

    人の勢い      周りを逃さず、

    自己研磨。光の中でも、今までなんやりそうしてるのが、良く出た。

     

     

     

     

     

     

    ムー考察

     

    虚栄心の塊、

    …精神、精神力を指すのではなく、ものに近い。もの程。

     

     

    人の影響…人の影響ではない。なぜなら、関わってみても自分は変わったけど、ムーは変わらなかった。

     

    色々患ったけど、本人一歩踏み込んだ自分。

     

     

    核心をムーと、会話したか…していない。「その人」と大事な話をしていて、彼女からもはい、という意思表示を聞いていた。自分の目が、菩薩にあって、それが見えないものそのもの

    の探究に対する努力だから、心の中に「その人」を見つけることが、天気の陽と陰と、出方や表現が違うから、この形が正しいと思う。しかも、正確と言う。

    ムーが、核心を会話出きる人ではなかったと思う。

     

    「実際に、」一歩踏み込んでいた自分の悲しさ、として自分に残っている。思えば、それだけで偉いと、自信を信じていちいち頑張った。「恥ずかしくて思いだしにくいけど、ムーに見捨てられたことがある。」

    こう心を展開していても、断っても話しかけても「迫って来る」。ムーは単純にそれを外に見えないようにしていたから、ムーが人だったとわかる。外側からムーを見る人と、部屋でムーを見ていた人の敷居が通通だったりすることばかりで、そう感覚的に安心してたことは正しい。

     

    ムーと分かった考察で、ムーが適当に残した傷を、やたら荒れた山とかを景色を見ながら認識して、内面をこう綴じた。あらゆる悲しさも、人が、ムーが退いた後のもとの精神や色、世界にぼちぼち触ってみて、癒しにかかる。呼び掛けや抵抗、支えさえ人から始まっている。

     

     

    程を知ってると、興味のままに心を持つことが出きる。

    自分も本当に老人になる。死ぬその日まで、遊(まな)んで行きたい。

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