揶白 (KF)

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  • 胸があるゆえ

     

    仏的に趣きがあり、こいつには見せたくない、誰かに見せたいとか、心は朧でごつごつでそういう360度の輝きをしている。

     

     

     

    胸があるゆえ、受けたことをただ反射しているスクリーンにならず、

     

    他人に繰り返すことなく、

     

    人と違う態度が出来る。

     

     

     

     

     

     

     

     

    こいつの運のなさは計り知れない。

    はかりごとの付き出しみたいな、自らが「私が興奮したもの」のチラシになって舞うのが、面倒くさがられかさ張っている。自分の結果の花だとしたら、こんなに差がある。誰かに気付かれる暇もなくさっさかと直す人と、どう違うのかは知れないが、

     

     

     

     

    地球って、惑星って加害より自分のことを覚えるし、天暦あるものって近づいても理解出来ないし、浮いて生きてるだけでも、惑星のリアルな感触は手からこぼれ落ちてしまう。

     

    自分には、

     

    その間の測りゴトなど不様である為残らないし、その人の追従した理想の形を、その都度その都度、許してやるような気持ちで自分はわりかし艶々している。限界的であるし、そいつが伸ばした手から見える何かではなく伸ばした手の方向に注意を向けてほしい。

     

     

     

     

    一時間後でも気さくに話している。ナチュラルにムーがループしているのは、自意識が自分にたいするプライドを裏切れないだけで、

     

    その中に他人の思うことまで責任を持てないから、というのがある。何もふざけたり、対象としたり、否定したり、そんなとこに悩みなど無く、そして説明が必要になってくるが、

    心の躍動として有るものと、目を、大切にしなければならない故に、いやとか、腹立だしい、というボロ布のようなものを握り締めたまま、    つらい。

     

    ゆうなれば、

     

    決定された日から、有らない、ない、という自分の思考を遂行する。

     

    あるとも思わなかったこんな時に構え、抵抗感情を自分に巻き付け腹を満たす。この先自分に触れ合わせるようなやつじゃないからだ。使えるスペースを目一杯取り、その中を堂々としている。

     

     

    道上にはいないし、否定しているとか自己予測的な、動物の行動を選択出来る範囲をむしろ一望している身にとっては、色んなことをまのが逸れる。

     

     

    感情のあるやつとは思ってないのだ。

    イラついたりおこったり、感情っていうかその要は理性の類は、もっと深々しい。縦伸びでも横伸びでも。そ、だから私の嫌気やも、大切に持つことで物凄い色になって一時は評判だったのだ。しかも、全てが自己生産でそれをオリジナルというのならひたすら可能性を歌った誰かを長者と思うだろう。しかもこの言葉はアングラで文化欲が強く、しばらく魔界の静かな格調は守られているだろう。

     

    すると、そいつが石膏の型抜きのようにくっきり。

     

    驚く程カラフルなエモーショナルとは、惑星の微妙さとは、ムーが感知出来る大きさではない。

     

     

    映画に没頭したように肩だけ上げっぱなしとか、大きさの比較を、小世界というらしい。

     

     

    良い、からって続けていないのは私も同じ。

     

     

     

    ムーを倒した景品に、もし天国に行くと酔っ払った人の話を人と一緒に聞いたり、踊ったり、釣りしたり出来る天国券みたいなものを感じた。

     

    今って、自分が考えることも出来ない貴重な苦しみで、そう思うとありがたすぎて、

     

    もっと感じようとか、もっと出来る工夫とか、力が溢れてたまらないのです。

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  • ノコノコ

    下の世代に伝えたいのは、四面(日本のこと、対象や内面的なモチーフ、日本=主観のある土地のことや、そもそも国の概念)を知らない人がまだ多いから、これら突っ込めないことに対してもっと欲張って良いと思う。

     

     

    身体か生きたことのせっかく、を私は思う。心が死んでしまうのはこの風、この労働社会にはザラにある。それでも、人と接しているだけで未知の抵抗力がつくのは、人間ごときが語れない生のことを無言で渡しかける。

    死もまた思考すれば摩訶の冒険であり扉が時折開くのだろう、少名彦に通づる。

     

     

     

    疑わしいだろう。黄泉の偉大さとは原因がないことなのだ。迂闊に自らを闇に沈めれないように、底には地道な努力と探究心しかない。空こそは、この手に飾る機器とした理性を思い浮かべる。

     

     

    そもそも、ステラおばさんや、ウタ、優しいアメリカ人像、憧れのキャラクターとは正体を洗練としていて、肉眼で見える魂なのである。

     

    工場では、味噌汁をおかわりしたら、自分の食べる分も分からないのかと判断される。

     

     

     

    微妙に、身体から何かを発する光が、日々の中で折られ、払われ、重ねられ、織られて行く様のしなやかな我が家屋の猫の姿を、

     

     

    この私のどぎつい刹那が捉えているのだ。

     

     

    自分を観察していると、ナカマルさんがアナログとデジタルの交差を言っていて、思い切って分類すると、

    時計や、木製の馬のオブジェ、スプレーアートより、

     

    無印、あわれさん、牛丼、デジタルな感じを目指していることがわかった。小刻みに色彩を落としていく自分のやることは、兵方である。世間的な心配がなく、家族間とすれば逸れるところもあるけど、人にも相談出来て自分で考えれる者のこと。生きるこれといった意味もあまりなく、こういったルーティンをただ磨いているその生き甲斐を、頷けるやつのことである。

     

    目を離した瞬間、そして自分さえ渋みに繋がって行こうとする鳥となっているのだ。

     

     

     

    初めがつっかけの人と、裸足の私とでは

     

    エネルギーに出来るものが、私より少ない。曰く、光だと思うものが、抽象的な輝きだから、ほんやりしてる。

    でも端はしっかり抑えてる。

     

     

    アンパンマンのパン工場がむしろ求めているのは、

     

    身体から発するものがなにもない、発していない。

     

     

    検すればするほど、

    何の魂の欠片も見られない。

     

    こいつは、既に全ての役目を終えた燃えカス。

     

    その全体は黒っぽいが、私の暗い目の中に数時間通して、

     

    自分はエコと勇気ある判断を尊び、本当に良いものの内面的なパン出荷にかけて誇りを持って工程を頑張っている。

     

     

     

    何しても無視、無反応、耳の遠さなどは、プライドこそは目に見ることの出来ない何かであって、そんなものは容易に形を変え輝く物、オルゴールなどにしていつまでも鳴り響く。省略は、色々自分が考えた結果、削るという試みなのである。失うより、こういった道理にもっと慣れたい。その方が、時間って増える。

     

     

     

     

     

     

     

    氷かと思うほど気を厚く高く凝らしたプロの能力と、その生活は何ら関係がないっす。

     

     

    自分は、日本や国については、博物館でみた年表をもとに気になるところよりも広い方を広く取って、

    ユーチューブなどをもとに古本屋などに足を運びちまちま勉強しようとするが、意味はないと思っている。この紺色、何度でも洗えて着れる綿の寡黙な深い感じはそれこそ覚えていても損じゃない。

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