揶白 (KF)

絵画

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  • 見えない、という最大テーマ

    理解前の自分の正しさこそが変わらなくて、

     

    赤ちゃんのようにこの首が座って、

     

    しっかりすると初めて新しい知識を入れれる。歩き出すと言う事。

     

    自分一人が人思いに軽いから、既に用意する「初心」

     

    こんなアルミの様なものを常に持っておかなければならない。

     

    知識して光を読むと、

    時代ならばふだんより神が必要で、光は、神が僧(そう)でも人は動いていることが神で、厳しく礼をするのは「天」で、天は良い時に現れ天こそ。そして、これを書いて良いか等は諸(もろ)もろもろの諸霊天霊に相談。

     

    自負と責任からは、

    フィールドノートというそう、何てない川遊びの石投げを、全力で上手くなることそをしなければいけない、と平和について文学はこう告げていた、豊かに空念を抱いて描いて他者もヒールすことから冥に馴染む。馴染むとは負けないではっきりしていること。ほや〜としている時界に、形式に捕らわれるからいらんルール(のようなもの)がついて、形式にとらわれず考えを従ったり信じたり、知ること、だけをするから気という祖霊の供養となり神に聞ける。一気に遂げず、一日一日石を剥くように事態の理解や神のものぎきをすること。

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  • 直感を正しく持つ

     

    心の小さな声を拾う、

     

    ①何、何、何やってんの?

     

    ②ん?

     

    人の中でこんなめちゃくちゃ小さい自分の声を拾う

    気付かないがこう言ってる自分の直感がある。

     

    ③ああ、何か考えてるのかな、とは違いの「もの」をそのまま発見する。

     

    この小さい「もの」、人の顔だけを並べるようになる人の末、人の顔と言う情報量が多いものを大量に貼り付けるけると梅ラボ(蟲ー)のアートを参照し、「もの」が生物のように生きているように見えるという。この情報被りだけでも蟲ー本体が存在できるのは霊ではなく肉体から追い出されたお化けなのだとはっきり明らかにすることはできる。霊は、自分がストーリーを思うようには出来ておらず柔軟であることこれが見えたら綺麗で豊かだ。霊だから、事を何らか噛み砕いて消化出来きつまり仏相に近いから目も穏やかに伏せ、残そうとする。難問だから、字数のある難しい平常の言葉を思い浮かべ比喩「どのように」着いていくかを、自認

     

    する。

     

    蟲ーを、だから、自分が逃げるためだけに生まれたらどうだろう?を想像する。すると…?

     

    こう見直して、人には与える、新しいことでも何でも想像することを一旦とすることを思い出す。

    人のいうことなら人が直す、

    人が言い過ぎることは人が直すが、過去に帰るだとか忘れた状態では済まない。大名問題、この現代社会に執着し積極的な興味を持てれば良いな。

    凸凹といって、組み合いが付くと、心は締まりブレーキも持つ。凸をしっかり表現する為に一番注目しなければいけない凹は、

     

    蟲ーの忌み、と人の祝い、この認識が逆を行かざるえないこととこの認識を、「靭猿」という古典を見て読んで感じてほしい。

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  • こう思う

     

    霊やから他人とも何とも思わんで良い。霊が困ってなかったら気にしなくて良い。根っからそういうのを取り締まる神がいて、霊は付いても人から人に移動出来ない。人から人に移動出来る霊は力のある霊。自覚がなかったら悪く映るけど。こう感覚ではなく理性的に考える「モン」で、頭でも心の中でも大切だから大切というそこに、思い込みがパーセンテージを締めてて必ず心は想像以上があり、存在した。だから、物事を客観的にする為に、想像以上だと心(けいさん)にいれておかないと。豊かさの掟。取っ掛かりとして平和、とあまり言葉にしないのは動物からしても当然を指す。彼らの相貌から繊細な言葉の意味やニュアンスを読み解くには、動物の人間いう視線から動物に立った目で、古来の対話を未だ続ける。

     

     

     

    蟲ーが沢山いて知識がガタガタだった。「物」を霊って理解していて、霊って潜在的にわかっていて有る物有る物事へ向かいゆったら、驚いてさらに正しい理解こそがすんなりしたけど、ことばにしないのはマイナス面ではなく、それこそがその道であるから、だから、事の長さや丈を示し、暗黙というこの有る言葉にしてこのように世間が通っていることが現されることそれは、それが即ちその物自体の良さであり、それを讃えるという祈りの為。

     

     

     

     

    こう話してもコトバか、言葉か、それを自身が追求しよく考えてるから伝わる。

     

     

     

    「自分」には考えられないことがあって、考えないことを守っていると、

     

    「物事の年数、こういった地形が軸になり考えられることを想像するが、意識をしたことがない、そういう底から始まる、星のプライド始まっている、、国が、こう存在していて、驚いて納得された。」

     

    聖兄「せいき」の意味が芯からわかってきた。

     

     

     

    世界に存在する考えを空想する、

     

     

    掟のもとでそれらを考える。

     

     

     

     

     

     

    内側を考え外に向かっていく男性感

    、情緒的に内へ向かう女性感、

     

     

     

     

    「性」は

     

    両側ないと、表現するときに片方に細まると自分からズレて行ってしまう。性をこう武士道はずっと考えて来たんやなぁ、と思う。同感覚の人間を達成すると、掟の中の安定した願いを続けられる。男も女も背が伸びてムにならず、縦に伸ばすことで無を作る。「こうしたかった」が現在になっている。

     

     

     

    そうして体力を測れ、びったりした重さの剣を携える、そんな夢がある。

     

     

     

     

    言いたいこと、が、膨大な情報の素材からで、ではそれを作ってみる。「表現」これは、自分なりに整えて行く実の過程とは古来から変わらずしていた生き方である。

     

     

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