揶白 (KF)

絵画

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  • きぼう書

     

     

    次元とは心の歳

     

     

     

     

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  • 主義主体、とはなんぞや?

    注意しないで出来ない…見えなくなる

     

    主観意識が不安と混同してやさしさになって合わせていく

     

     

    人が、根をあげる問題もあるから、その力仕事の者、石かつぎ

     

     

    武士の正体…華のあるような美しさは、

    いくら小さな自我でも、道理があり、道理をみつめることには甲斐がある。道は、意識や意志にどんどん沿っていく様を見る

     

     

    自分の中から合わせられるものだけを主観にしていて練として選び取るということの意識、何もないとこで線を引っ張る才能

     

     

     

     

     

    話したいことと聞いたいことのウマが合うから、神仏が通してる

     

     

     

     

     

     

     

    古典に見られる兄弟とは初めから神聖の心学を通していてかんがえる関係はありませんよという意味にゆとりがついている上品さ

     

     

     

     

     

     

    鬼母神

     

    自分が出来ないプレッシャー

     

     

     

     

    自分の疑問

     

    例…仕事

     

    自分の南方より心についての「疑問」の良さがようやく灯るむ

     

     

     

     

     

    制限

     

    真面目に真面目に真面目に、それを繰り返してやっと、タイムマシンとかを持つ

     

     

    色んな気持ちがこそ時によるとまでは、わからないとき

     

     

     

     

     

    無二の仏

     

     

    釈迦様が人間、といった頃には人「ひと」

     

    白い円と黒い円、曼荼羅の

     

    歩行のようす

     

    南無釈迦、南無釈迦

     

     

    久しい、想像以上のところに誰かと、おります

     

    人は、想像しか出来ないからです

     

     

     

    暮れて、

     

    漢語が少ないと説き、「自分」は遅れてると読みます

     

     

    良いもの

     

    朝日や、パイナップルの海、熱帯雨林、を目線の目印に

     

     

    だけをして、毎日毎日暮らすだけやのに

     

     

     

     

     

     

     

    (たわけのそれら)

     

    対して、遅らせられるも理性ははかどっている

     

     

     

     

    歳の問題

     

     

    有格、格のない

     

     

     

    これに一線があり

     

     

    「難しい

     

    一答えはある

     

     

     

     

     

    スタート地点

     

    蟲ーの解決から、すべての理解がこれほどすんなり平らに始まってる

     

     

     

     

     

     

     

    まったいらであり、何でも縦積みにすることを叶える

     

    普通なら転がるもの、「敷く」という可能から上下が生じていて

     

     

     

     

    力にごさを考える時の精神のもと、心身こもごもはっきり別れてること

     

     

     

    自を知るときを限界に、心眼から表現されている法律のこと(自我偈)

     

     

     

     

     

    話しがないという話だ、(仏語)

     

    これらを伝えないときに落ちる

     

     

     

    「知らない人」…知ってる人と思って“何でも”頼る

     

     

    知らない、此時だけが神で、

     

     

    他はクズの“相関性”

     

     

     

    こういった四神、龍天

     

     

     

    これを理解したときにはじめて知らないが利点になる

     

     

    木方としての正しさを持つと、勝手に難しくなる

     

    色んな柄がある

     

    それが決め手になるので他を見ていられない

     

     

     

     

     

     

    阿弥陀運は潔さ

     

    自身にこだわることである

     

     

     

     

     

    未知の孤虎、白虎(コトラ)

     

     

    運が落ちるは、はっきり言ってない

    これはシビアかシンプルなのかはっきりして分からない。人が成長し切ったかというとこう聞かれてもわからない。過程という言葉を思い出した。

     

     

    迷惑をかけて、現実なら人がどうにかする、冥界じゃ無理。自身の蓄積ごと、いや、悪い忌みの冥運…

    心の中から祓い給い、という

     

     

    一方、霊は、目の中にあるものそれを「言葉」と言う。神秘の才能や、布の才能、あらゆる自を自覚したのち次なる工程に削る、触り毎日からツルツルにする、こう組み上がってる面々の想像から造形していく。球根からどんな言葉かな?とわくわくして自分を育てる。勝手に咲いたりめちゃくちゃに咲いたりもしない、この何か知れない球根、〈現実という精神上〉にて根気よく!

     

    光はもっと偶然を含んだ奇跡として咀嚼し、

     

    字の自然にたいして四角く書けばテトリスのような強い光を思うが、スケールが世界より小さいから

     

     

     

    力の自覚の早かった人も、一人で感じていることがアナログパズルのように発揮される。この強力な力に自己の軸を傾けたとき、ひととようさんの木星のうたを聞いても、私はひとりじゃない、と意味にした深さは私はひとりじゃない。けど孤独のこそひとりじゃない!これを強力な力という。この中にいてさらに深めていくと、誰か年上も言ったが溺れていた頃より、今、“泳いでる”ことがわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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    必要なものより、

     

     

    致し方なしと取る

     

     

    また会える、光の起こる人か、

     

     

    滅減を意味する背後霊(8150)か、

     

     

    どちらにするん?

     

     

     

    嬉しいことが好きか?

     

     

    悲しいことばかりしてないか

     

     

    物を手から捨てたり、省いたり、ある壁をつきぬけたり

     

     

     

    必要なものより、

     

     

    致し方なしと取る、

     

     

    究極の詩はいつもいつもこう出来てた

     

     

    選択出来る、という意味で、

     

     

    即ち選択権がある人のこと

     

     

     

     

     

     

    '

     

     

     

    町では大きめの魚が沢山泳いでる

     

    自覚してたら鰭とか付いて魚だとはっきりわかり次のこまやとろ? ができる

     

    どこかにお祈りしていない

     

     

     

     

    江戸時代の描き方だが

     

    鹿島神宮(カシマ)

     

     

     

    明(スマホ)で見たら、行くもわかる

     

     

     

     

    回らないと、自分とこの昔さえは教えて貰えない

     

     

    ン。。、腹ららヤ

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「うちにわかってもらえて嬉しい? 良かったは、良いかもしれないじゃない」

     

    隔てなく一人でいれる宮の孤独は、國の幽を境にいづこも文学するという酷の坂は酷摘みといい、偉い品(ほん)

     

     

    目に見えることの無い夕陽ケ丘も、やっと「優柔不断」という熟語を覚えたんだよというやさしさが、旅人の歌によって知らされる。

     

     

     

    自分こそにあるものを信じそうして来た古来と変わらず、同じように

    時代と足並みを揃えて、自己の奥に未知なれば。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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