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2021/07/03
https://miruko.sakura.ne.jp/poem/mtsg.cgi?mode=view&no=128&id=hanagara
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2021/07/02
波風が立つと目的があやぶまれやすいのは民家がせまいことの異なりです。「平和の難しさ」について話します。
宇宙に対する恐怖や憧れ。正しいのは、それを目にした子供の時のインスピレーション。
センタリング、チャネリング、夢占い等、すぴりちゅあるが好きで、関心を持って居ます。
プレアデス星人が、地球はオクれていて、まぁ云えば愛知らなかったり、未知を叶えて行く希望として、進化や平和があったりする。
「宇宙かぶれ」は、インスピレーションによって洗えるが、地球に包まれて
宇宙に愛は何やら、あるらしい。
さらに希望が難しいのは、心があるからで、格言がシンプルなのは、人間が人間であるから。クリスチャンは、理解が深いのかも。heart!は真似が出来ない。「心」は見る事が出来ない。
天災がなかったら、何かのバランスや物事がならないのかも、しかし、悪い人を見つけて自分を詩人と云い、信じた大人も頼りないし、
誰が何を云っているのか判断しない、誰かが何かを云ったのなら、人間が死んだ、どうしても言葉が云るのなら、待たなかった。不思議に思うし、悔しいし、何でそこまで考えなければいけないのかわからない。
詩人の言葉が聞きたい、そんな可能性はあっても、何の問題もない筈だ。「好きだ」といったこんな言葉が何の言い訳になるだろう。私は、「あなた」から始めた心から「そうであることと、そうじゃないこと」に責任を持った。私は何を後から言うたのか、だけをくちくち思い悩んで、哀しみを持って居る。
人生では一方、剣道や習い事の復帰を目指している。
美しさが、例えば危ないなら、安全になるのが、神ではない証拠だろろう。待つ、確認する、自分の心から聞く、自分に関係あるのか検討する、誰を信じて従うかわかっていること。一体何が安全か、そう考えた時私はAV女優のみちを諦める。この何をたくらんだかと言うと
裸婦像をま見た憧憬のゆくえ
「女」云わゆる何か?
今生の嬉しさ
気付きの予感
たたかう事と守る事のある実存的哲学
才能として劣ることの、その先。其の研究の意欲
対象としての(男性)へ宛てる知、宛てられた知と・・・
亦器で有り、それを磨く事の解脱。
時間と諸霊と歩幅を合わせながら意志と歩みます
国は見渡すと物作りについては、思うところに興味が惹かれます
携帯電話もまたその精密機械として、文明として古く、
母に物を大切にしなさいと言われて来ました
それが、この事に気付いた躾です。
トコロチマタノ・責任感
私が私の体の作りを変えない限り、それに於いてだけ責任を持ちます。
わからないことをわからないといい、ひとの親切を理解します。
これこのまま進んでいけば、ぞれぞれが形に還る、戻ること、か出来る。心を持って
可笑しいことを大いに笑い、後、ちゃんと歳をとる、待ってください、例えば三年前とは考えが全然違うように三年経てば変わります。
自分の人生で
口にしがたい気持に於いて
憎悪ではありません。哀しさと怒る気持ちが絡まって抵抗を理性でしています。
怨みとは悲しみにあって
対象以外の集中力がありませんので、
フランスの皆さんに散々いじめられたくらいでは、泣いたりしますが、その時のその時にふさわしいコミュニケーションと捉えたりして憎しみとはならないので心配しないで下さい。
トコロチマタノ、自分の持つ霊感では、
何が出来て何がしたいかと言うと、
出来るだけ心にない優しさではなく、自分の供養に線香を立て浄化を考えて
なってしまった状況については、
人や祖の為に線香を立てます。
綺麗になりたい、心の綺麗さ、顔でも
身近にある意志である。それらと距離感を取り、またそれらを学んだりするには、衣食住といった生活を繰り返す。受け入れる事に「私は傷ついた」言葉もまたそれにしかない。
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2021/07/02
時間と諸霊と歩幅を合わせながら意志と歩みます
国は見渡すと物作りについては、思うところに興味が惹かれます
携帯電話もまたその精密機械として、文明として古く、
母に物を大切にしなさいと言われて来ました
それが、この事に気付いた躾です。
トコロチマタノ・責任感
私が私の体の作りを変えない限り、それに於いてだけ責任を持ちます。
わからないことをわからないといい、ひとの親切を理解します。
これこのまま進んでいけば、ぞれぞれが形に還る、戻ること、か出来る。心を持って
可笑しいことを大いに笑い、後、ちゃんと歳をとる、待ってください、例えば三年前とは考えが全然違うように三年経てば変わります。
自分の人生で
口にしがたい気持に於いて
憎悪ではありません。哀しさと怒る気持ちが絡まって抵抗を理性でしています。
怨みとは悲しみにあって
対象以外の集中力がありませんので、
フランスの皆さんに散々いじめられたくらいでは、泣いたりしますが、その時のその時にふさわしいコミュニケーションと捉えたりして憎しみとはならないので心配しないで下さい。
トコロチマタノ、自分の持つ霊感では、
何が出来て何がしたいかと言うと、
出来るだけ心にない優しさではなく、自分の供養に線香を立て浄化を考えて
なってしまった状況については、
人や祖の為に線香を立てます。
綺麗になりたい、心の綺麗さ、顔でも
身近にある意志である。それらと距離感を取り、またそれらを学んだりするには、衣食住といった生活を繰り返す。受け入れる事に「私は傷ついた」言葉もまたそれにしかない。
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2021/07/01
「私は窃盗をしたをしたが私は善人だ、私に罰は無い」途中から急に現れたこの言葉が紙のように、目の中、心の中をむさぼる。
それだけをしなければいいと人の行為をひな形にして自分はいつか光輝こうとする煩悩。
そのいつかとはこの今で有る。
そんな狭い心で人の頭を触る。
人の徳や徳を足で踏んで、心の白さを歌って前向きに生きようとする。
何故そうなったのか?
例え人の心を意図的に低めても、精神の境遇は裏切る事が無い。
「人を馬鹿にしたい」うわてに立ちたい、よく見受けるこの病気で有る。
上手くなりたい、人の上に立ちたい、と、このようなドラマ性は持って居ない。
これまた何かを星を飲み込んでしまった、ハウルのような「美貌における病」で有る。
一回うまいこといって、得意だが
それが失敗して、とうとう何か誰かに憧れることも失い、嘘やレプリカ、偽物と眠るはめになる。
石ころが金に変貌する日をただ待っているが、石ころは認識出来ない。
何が云いたいかというと、人は自分の影を認識し、手にすくってから、輝きははじまって、
輝きとは、何てない肌色をした乏しい日常なのだ。未だに「リラックス」を知らない。これが未知。
私はちゃんと私の中に迷う魂は、自分自身の鎖に繋いであげて、一番の心の楽を考えて居る。
閻魔大王の地獄では、お兄はんたちがまるでシルバーのチェーンをかけて、かけあって、何も忘れないで歩いて居る。
何だか希望の匂いがする。
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2021/06/30
月の牢獄。贅沢な閻魔大王。
鬼灯(ほおずき)の冕がその技巧に有り、自己をも囚えて来た才能が、人々の鍵係(キーマン)として地獄に雇われた。霊獣には心の用意が無い。
漫画と現実の近さとはどの辺だろう?私たちが受け入れるのはその優しさとして、フキダシに書かれたセリフ等の伝説性を見た時、自身の神の何たるを感じる。苦しく焦がれる中、何を好きだか追求し霊性を高める事も有る、自らキャラに近づく唯一。うしじまくんや新宿スワン、アルル・ナジャ、自分がどうしてもなりたかった、
極めて美しい顔の造形とは、丸ペンGペン、この繊細な剣での、による、紙の彫刻だった。そこにモノクロの芸術が有る。
人のオーラ、世間の重み、それ以上進むことが出来ない美の圧力、これらを感じ得たまま、キャラをキメルには?この様に色んな抵抗が有るが、日々ストレスを感じて居る。この足(リアル)が地に着地して居る時に、「美しいヒーロー」を手に入れる事が出来ると私たちは知った。画面さえ超えて、光浴をして居た。
2000メートルの崖を飛び降り、何故着地出来るのだろう?
徳が数えられて居るだけで有る。
コスプレも中に混じって居るか、夢中で気にならない。
大人になればなるほどこのメタの理解が出来るが、大人なので二度もそれを説明しようとはしない。
一見何にもないと思われる人と付き合える人が、その多く、世界の多くを手にするのだから、私は私も何事も道なりや自身にしかない脈絡の緣を告げる。
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2021/06/28
三、花(わらい)で消えることも有ば消えない背負 うこともある。✕背負
一、崇拝するものの違い
「魂が同一でないのだから」
カミダッタ 鳥
ニ、後悔は先に無いのだから
そっちに行くと空が見れなくなる
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2021/06/28
第101章 おじいはん
おじいはんの絶対見せたかったものは、隣の亦おじいはんが作ったチェンソーの模型である。
週間少年ジャンプのチェンソーマンをモデルにして子供の為に作ったらしい、何やらめちゃ怖い。模型のスイッチを回しながら私の同人誌を勝手に茶の下敷きに使って、自尊心をくじかれ、始まった喧嘩が口喧嘩でおさまらず、私にかまう気で、かかって来いや。と云わんばかりに服を脱ぐおじいはんの体はむきむきで。せやけど仏壇の前でチェンソーを回され私は何か云うたらなあかんかった一部始終の題はまるでテレビで見た長老クイズで有る。自分が悪いのに誰かや云うて、次の瞬間はもうそれさえ忘れる。
仏像をナメながらカッコをつけて、あわよくば、死にたいとか桜の様に散りたいとか、年寄りを偏見する若者の姿に、自ら触れながら、おじいはんがお仏壇の前で登場させた恐怖マシンの模型で有る。
むかつきを抑えながら、勢いよく「私はボケない、悪いことを悪いという。」と啖呵を切った。
その言葉で小さくなったおじいはんの筋肉とチェンソー。
そんなものはさりとて骨董品とは違うのだ。食えない魚はちゃっちゃと海に返し、ちゃんと自分の好きなことをして、これを繰り返すさなか、地平線でビーチボールの様に浮かぶおじいはんの模型。何かを避けることが、何かを選ぶわけではない。何かを避けることが、それを選ばないわけでもない。強さを真似ても、気付かれる事は無いのだ。文脈ばかりが、現実を彫る事とも違うし、何に自分が魅力を感じて居るか、これに対して傷付くときに何の隙も無くなるだろう。
そういうのを、一瞬で汲み取る力とは?
既にその秘訣と強さを知るおじいはん。
はらはらとこのことを見て居た、「何も知らんかったわ。」と笑うおばあはん。
賢さや強さや格好の良さや素直さ、その全てのパスワードとは、人の誠の傷にただ気付いて居ることだ。老人からの「許可」は、そこに得るものが有る。週刊誌の写真で見た「今」より、自分自身の脈絡の方が「今」と云う概念に近付けるのだ。
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2021/06/28
星と星の葛藤は、カタツムリと紫陽花に例えてみられる。
「向こう、あなた」の星では、モニュメントが実に平和的に彫刻され、その天辺から宇宙の果てさえ望む事か出来る。何にも出けへんかったのに、いつの間にか絶えない努力をされた。まだまだ努力中。お陰で私は私のやる事が出来たので有る。
「!」疑わしい人が現れた!インタビューをしよう。アジサイは花びらを一枚一枚数えながら星雲の様にくるくると誤認や疑問をカタツムリと晴らしていく。
「私の星は、危ぶまれたので御座います。トッツァンも凶暴化し、何やら不穏な存在が、この家に忍び込んで来たのです。カタカムナと云う文献が、それらを告げて居ました。
最初に神の名前が、記されて居て、姫(秘め)言葉で御座いますが、その次に実は神では無い名が連なって居ります。
マカタマ「勾玉」ノ
アメノミナカヌシ
タカミムスヒ
カムヒムスヒ
ミスマルノタマ
ウマシタカカム
アシカヒヒコ
トコロチマタノ
トキオカシ(この時代はおかしが奥ゆかしいという意味が成ってないから、時がおかしい、と訳す)
著しく波動の弱いのが特徴です。
カタカムナは、肩をかむな「削るな」と訳します。その事に対して、「幽霊」の存在を示唆します。
霊、精霊とは違う、異なる亦「幽霊」とは。
トッツァンが、「何か居る。」と云って怯えているのを、男らしくないと云って怒ったり、ばあやとも、ばあやは悪いのですが、わしは可愛いがられて居ました。わしの星はめちゃくちゃになってしまいました。
私は、村一番の美人でしたが、霊などは現代では久しく、私は隠蔽され、
岩穴に閉じ込められて居ましたのぢゃ。私はそこで蛇を食べ、涙を飲み、子を産み、生きながらえた、苦しむと何故か力も付いた。辛いと痛みがわかる。もともと体力が人以上に有った。私の命とは?「私はもう老婆なのです。」
星が死ぬときは赤く強く光りますが、まだ時間は有りますが、仏座にぽつぽつと「あなた」と「私」の「逢瀬」が有ったたのも縁。善い旅を。
ヒフミヨイ
マワリテメクル
ムナヤコト
アウノスヘシレ カタチサキ
ヒフミは帝、天皇陛下のことか、一ニ三。
まわって巡る、大丈夫だと、
ムナは虚しいや、胸、それや、事である、
会うのなら末を知れ、会う事には末を知れ、会うの?末を願う、青の末を知れ、青(怨念、人魂)の末を知らし、空に届け
形は後、形咲いて、形は咲くから、形は先にある
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2021/06/24
善かれをしてるのに外から来て、気付いてくれもせず自分の事さえうろ覚えでなかよしとか言って勝手に破壊してくる。
あ~良い事をした、と
ちゃうゆうたら
挙げ句殺す
何かの切り札が、「殺す」
輪になればすべておさまるのに、話し合いをしながら何か考えを一緒に作るかもしれない、敢えて泥をかけてるのは
…!!
泥をかける→濡れ衣、言葉を学ぶと同時に優しさについてぼ〜っと考えた
古を広く伝える為に、駒を回す京都はんの、その技術は天下一品。
だったら黙ればいいというのに、景色がどこから来たかを辿ると、大阪↔京都間の雲切れの先に、やっぱり何か光の事が有るので有る。
見れば見るほど誰か手の内、そのなかで、いままでのすべてをはかせてもらった、その延長上に大阪さんが現れたと思ったら
いつも無言の京都はんが佇まう。
私も何かしたくなって来た、テーマは「心の牙」
ちなんで連想して、盾のようなものフィールドを作製したい!何か言葉を編み出したい
私の、人間が優しいのではなく、想像が優しい。哲学的な人間になれないけど、優しくないことをしてることは知っている。
何か言われた後では無く、何か言われる前に盾を考えることによってその優しさを知るきっかけになるかもしれない。
信じて馬鹿をしたい。
(色んな感情を抱えたまま、お互い前進したい。)
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2021/06/12
人の協力が有って、心の場所から 人々は色んな事を思い出そうとして居る。 つるぎが、色んなことを当てて呉れる。 モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。 赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。 手の中は、勘定をする事に趣が有って 魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。 釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。 髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、 女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。私の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。 何度も、何度も、鏡を見る。
女の怠慢はゆるされている。 女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。 花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、私に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、日蓮が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をしてる。
女は、生まれたのなら低俗で有る事を意識しなさい。 身を小説と衣装で包んで心隠す事に甘い香水のような香りがします。 嫉妬は、その対象が女の最大の恐怖で有り、自分でも大変みじめで、攪乱される心を持ちましょう。 そのときは、自分なりの真向うで、口を開いて話しかける勇気を持つ事です。あれは綺麗だとか、気高さはここでこそ養われ、人間として有る唯一の性を自分が育てる気でが居ないといけません。如来は男も女もそれ程、端た無いという事なのですが、女と女が話し続けて居るうちに、自己の霊格が上がって、依って、その恋が、決して男と認識し得ないひとと見抜ける事も有ります。何か云うたら飢えて居てそれ見よがしに飛び掛かって来ますので思って見放しなさい。 情けが有ろうが何故なら人間は性を持つ限り、お金を持っても、成功しても、どこを見渡しても美人は居て、少なからず、そのひとの心とは手に入らず、馬の様に扱われるばかりで有る。嫉妬の先には嫉妬が有るから私の苦しみはいつまでも直らない。まして憧れとは病いなのですから、ペンを持ってこの気持とついに仲良くしなければならないのです。自分からふつふつ沸いてくる感情と友達になった時、あなたの新しい感性は咲く事が出来ます。その花弁に自分を休ませ、姫になりなさい。
美は後天的である(子供はそれを美しさだと云う事を知らない)。 知って居て苦しもうと、知らずて、唯一の物で有りつつ、幾数有って、 美しい殺人なども有るが、其れをし模して 亦人が殺され続けたとして、それを美しいだ等とと云えないのは、理想を叶える事と美が打って変るものだと知るから。だから、実存等言葉が有ったりするのだ。人の死と云う綺麗事と美しさは違う。 紙とは、その様なな奥行きの無いもので有る。人を傷付けるばかりの下らない光の反射を繰り返してるだけの、器も、魂も、袋も無いスクリーンの様なパターナリズムを繰り返すもので有る。 絶望や希望をして居る、それが此時、前に倒れることを意識すべきである。祈りとはそう云うものだ。ある此の一歩を、私の熱を、高々と踏み出す。悔い等この先も抱えるのだから深く前に倒れて、ぐっすり眠ることだ。未来に立って、やっと恋すればいいじゃないか。 次世代にも次世代が有る。良い事ばかりを伝えられないのだ、子供は大人になるのではなく「私」に為り、考えるのだ。時間は、甲う前を進む。
「人間」という言葉が出て来たのは「男女」が巡り合ってからか、互いに気付き始めた時から、“同時に”生まれる前から有るものか。
「豚」という言葉は戒律であるか、恋は、迷妄しているか、「みにくさ」は私の中で安らかか、「存在」しないものとは何だろう?
「痛み」は有るだろう? 若い頃は、気取って全然違う方に行ってしまう。そして子供にとって「人の云う事」は戯言で有り、自分より儚く憎しいもの。
「如来」は、思考の芸術で有り、鍛練をして居て、 誰かが、祈りを人間の作品にまで昇華せしめた。 「芸術」が優れているのは、人間の想像力がたわいのない優しさで有り、そこに荒涼と静寂が有るからだ。 接(だから)愚かで低能な、自分を刺し観察しなさい。此れを「教え」の通り許して認める愛は身体と云う身体から吹き溢れ、守る。何かに刃向かえるのはこのわけです。 「願い事」を恐れやうらみつらみに使うのでは無く、楽しくなるように工夫しなさい。 想像力の無い人についてはその字も持って居ないので正しさを持ち得ません。 そのうちに、身体は青を増し複雑さを得る、心が丁寧に為ると云う事。性(しょう)が有り、奥深くなつて行くのだ。
「街文化」は、新しい。江戸時代なら華やの云われて特別であつたが、人々が気軽に街に住むようになったと云うのが、魅力的な言語の、コミュニケーションの円滑剤となつて居る。 風に為って水に為りながら乗り越えて繋がってゆく事も有るだろう。
啓蒙は、感情を理屈で片付けることは出来ないし、ただ傷んで感じ取る事に「自分は」と云う意見が有り、傷付かない事が全て善かと云われるとそうも違う。正しさは、作られて居ない。人生の物語を聞かなければ、五月蠅いなんて云ってられ無い。 神は危険では無いが、神の様には生きられないのかも知れない。人を信じる努力がわかるのなら、それを追求する努力をしないからだ。 人が有る時如何に神に為り、人間をあっさり辞めてしまうのか。それを防止するにはどうしたら良いか? 「何か」を神と云って自分を誤魔化せば成長せず、神は命を信じてしまう。 星空よりも人の方が先に生まれだ。精霊で有る人は、人と人とは分かり合えないと云う。人間で有る事を守ろうとする時に必ず輝く。怖ろしい龍も、そう云う人を許してくれる。必然としてでは無く、自分が偶然の輝きでも良いから、と云う潔さが、微笑みの秘密。
如来は、色んな事に免じる責任で有る。美しい客観性なんて見る影も無くなる。ひたむきな恋が、人を星空に陥れた。空の割れ目が輝いて、接着した。
「アダムとイブが、今夜、宇宙の底を見つけた。辿り着いて、菩薩の正体が、案外何でも無い事を知った。故に清かったのだ。希望等何かと有る自分が罪で、恐怖と罰がただ「在る」事を知った、正直に生きてきた格が有ってheartを真似出来ない。美はただ悪いだけで、芸術には格調が無いから、アメリカ人は大事なものを、一言で「poet」と云われた。heartは止まらないから、押し戻されるように天使は牢獄で、君が何か云うのを待つ。自分が何かをもっと良く知らなければ、成立しない会話がテレビ中で流れて 宗教が何なのかを、日本人が人間の言葉で云えないのは、其のことが彼方にとって不親切だったそうだ。 仏教の所以が、有り難過ぎて、格調が上がってしまい、固く大事に閉ざされて居たから、謎すら忘れなければいけなくて、触れない慎ましさだけが残った。しかし宗教をがんばれば、自分の答えを出せるような気もするけど、神に宗教の意味が伝わって居なくて、自分もわからないから中国人と交信してる。思わず仲が良い。そこに美人が加わると、話の趣旨をすっかり忘れて、とんがりコーンを食べ、熱が出て、心配しているうちに好きな人は家に帰ってしまったからショックだ。二度とハートで付き合いたくない。」 希望にしっかり掴まって居たら良かったが、冷え冷えとしてよくわからなかった。国の重要な三つのポイントは、劣って居て、和やかで、美しい。此の基本を忘れて居た長らく、何か優れたロボットにしかアイデンテティを発見出来なかった。 「心」がでは何か、heartではなく、ハートは何だったのか、理解にとてつもない時間が要る。形の無いものでは決して無いし、自信が無いのに「I」からコミュニケーションを取る等出来ない「怒り」で有る。
御陀佛の教えより人が人を信じれるように流れるような物を書きたい。 目を見てばかり居ると、言葉のスピードに、遅い意味が付いて、意識が逸れて、言葉の良い筋が失われる。こうしたら良い、ああしたら良いを後回しにすると「成り立って居る」と云う美しさが現れる。人に疑われる中でも、正誤の善さをよく考え、善き事に於ける鎖をじゃらじゃらさせ、重力に対して切り替えして、光に紛れる。詩ほど言葉を、知ったこっちゃ無い。
行ける、私の船は飛ぶ 降る雨も、縫い、男に会いに行ける。 晴れ間にはしる。 そこには何も無いが 有りて有る宇宙へは、続いて居て 私は花と宇宙を食らって 私は私の「傷」が付く。
思うに憎体と私は友達です。何故ならなんど愛しても、私は記憶される事なくそれでも好きで、私を記憶しない精度の恋人の、実在仕切らない黒薔薇の様な目つきの愛に包まれて。 何の理解が追いつく事も無く、心を開けばただただ悩むことの一心だ。 人間の正しさを、知れてる事だと知らない人は間違って居る。 目の奥は「あなた」。 抱き合うようなことが必要で、 やけに孤独な時間を思うて居る。 君の愛の様々な言葉に、僕は「会ってみたい」と云った。実に軽い言葉で有る。 奏でられる君のピアノが止まる。僕は、表現を続ける。 言葉が、宇宙で唯一なら証拠に私は震えて居て、軽蔑は無い筈で有り、よゆうを持っているのでは有りません、ちゃんと実体が有り哀しいのだ。 僕が「好きです」とはっきり云ったらどうだろう、嘘らしい馬鹿らしい。 目にキスをされない、と云ったところでくづれおちてしまう。
話を返って、憎しみのリユウは恋と云って仕舞っても良い。 純朴な興味がいつも含まれていて、また狂った愛で有るので近親相姦も有り得て、実際考えないけどそんな夢を僕の恋人に割り当てて。 「生まれ変わったら、友達から始めませんか?」君は云う。 恋人だったのに、嫌われたのだ。 「何故、僕が突然現れたままのお前を大事にするの?」僕は怒ってしまった。 悲しむと、「次」なんてないし、正しいから、とかじゃなくて何だか、寝ても覚めてもそうしたいんだ。
「欲をかかずにもう一度がんばりませんか?」頼りなく僕が云った。 アニメが、黒い薔薇よりもはるかに、彼らが僕にとっての詩人で有るのだ。ひとに見える糸は見えない糸を隠してしまうし、ひとに見えない糸は、自分すら出来ない事で責め合い、逃げあう。 そういう形をした彼女たちの瞳、紙の上に成り立つ嘘が、見る夢が、私の影をはっきり捉え子供のうちは虚しく、大人になったら私を焼いてして。吹き出しに「醜い!僕の顔。顰蹙だね「信じられない」よ。安々と愛を叶える…高潔な詩性、」
「私ってひねくれてますか?」
「何パーセント曲がっていると、ひねくれていると云われるのですか?」
僧が、「38パーセントだとしましょう。」
「感情がまっすぐの人は、どんな境遇なのですか?」
「どんな境遇でしょうね、それをいちいち考えない。」
「私は何パーセント歪んでいるのでしょう?」
「答えるのは難しいけど、100パーセントでした。」
「これは誰かのせいなんです。僕は本当は違うんです。」
「優しさを理解して居ますか、あなたがあなたの心を誰かのせいにしてしまうと、人は泣くでしょう。それであなたは何を覚えるのですか?ああ、誰かのように為れれば良いけど、譲ってしまったら、納得行くんですか? 善くゆだねる事さえ出来ない」
「わかりました。50の傾きを直します。すいませんでした。たった優しく有りたい自分のたわいない事を叶えることが、骨を折る様なことなのです。あさはか。」
お金に気を取らす事も無く、心が相手に興味を持って、興味をもった相手への質問を成功させる事。静けさとは精神の射精から為って、「話」を最後まで聞いた人は黙る事と喋る事が良く分かって居る。 心の会話を果たす場合、目を開けて居ると数々の理論で遮られるが、私は目を閉じた所に置いて、痛みを感じて居る。人の心が、物が見えて居る、と云うのは“何が云いたいのか”を思いやって耳を澄ませている。何かを、汚いと云う事が減り、内面的なものを理解する。感覚的な察知をする人も居れば、推理してキャッチする人も居る。何も聞かずとも、愛想と相槌だけで救われる事も多い。
痛いと云う人間性は無くならないが、気と精神力でで超人的に心と統合するが出来る。美をついに美と認めたので有る。ケチで意地汚い黒薔薇江。南無。
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