揶白 (KF)

絵画

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  • 昨日のこと

    大澤悠さんの美しい文章。

    水溜りとは大阪さんたちのこと。

    十年前程に手掛けた絵が、今日焼き上がった。

    したたるインクの先には木目細かな海綿のようなものが行く手をふさぎ、溜め込まれた容器の内にあるすべての顔料たちはそのインクタンクの出口にむかって流れつぎつぎとスポンジに吸い込まれていく。鮮烈な噴出の霧を撒き散らし紙面上をすれすれに横切り空を渡ると、次の瞬間には散布されたわずかな色の数が加えられ、異なる色の粒の集まりが加法と混ざり合う純然たる水溜りの末路を迎えたときにして、色というモノがその実態の姿を見せる摂胞された混色の灰色が残り、細い繊維を濡らしていた。

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  • 絞られた猫の夢の日記


    スピリチュアルが日本で古い方なので、何かと尋ねられる。

    世界は長い、
    地球は若い、

    その長さ、丈に吊り合う自分に

    色んな外国のひとに、ちょっと押されても、
    考えなければいけない。


    心の目、皇のある、佛眼、(曖昧)からは、希望しか持ち帰らない。

    思うことばかりでなく、眠ることも忘れない。

    朝、昼、夜、更に季節がある。


    私しか知らない私の中で、どちらかというと従っている。

    順序的には年齢としてもあとの方。


    旦那などにもこれらの事を、けっこう話したりして、整理や発散などをする。

     

    緊張してこういうふうに書いてるが、滑っても怒られるだけだから、はい、すいません、と言って諦めない。

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  • 大阪らんでぶ

     

     

    死ねって何か勝手に言うだろう、、こういうふうに生きてていい

     

    何か黒いことに抗体をつくてくれた☆

    とか

    他人は作用してる!と云うけれど、

    まん丸に云うけど、

    こういうふうに月の横に居る人を豚と云い

    強くなって来たんは自分やし、お陰様じゃ無いんだな。

    過去の自分に何言っても変わらないから

     

    大阪は少し変わった。

     

     

     


    猿人から始める
    敵が「居ない」、
    「僕が無敵な時代」はわたしは知らないが
    理性がないんや
    自分を神だと云ってしまった人たち
    虎ノ門、全部嘘

     

     

    全部誰かのせいにして、挙げ句の果て自殺

    最後をさらに誰かのせいにして、可哀想ぶる

    甘過ぎ

     

    全部誰かのせいにして、さらにその上から自殺

    しんどかったら死んでもいいけど

     

    他人にこんなにリラックスして覆いかぶさって、まるまる猿人をして自分が包まれて、客観視する視点が欲しかってん


    性を感じる

     

     

     


    人間になれないから許せない
    認めれないじゃなくて
    認めないくせがついてる

    何かを云えない、云うって何だろう?

     

    またあの部屋だ。

    人も自己知の全てを
    甘いで、こうなるで、人はこうやで、

    「意地悪は神だけでいい」
    魔法の言葉は

     

     

    「お前が何しても、何をしても」

    反返る性欲の大きさは

     


    どす暗い

     

    誰も頼れない

     

    もっと抵抗して欲しい

     

     

    道頓堀に願い事をしたら聞いてくれる良いことを知った

     

     

    私も街の観察日記とか見たいな

     

     

    文学ノート

    正直に、心の

    嫌を避けて書いたら

     

    最近は先祖の上の「祖」(縄文時代とかの2つ結の人)と話をしてる

    先祖を拝んで線香立てて祈って、

    祖に感謝や何かを伝える。

    これはやってほしい、腐らないように

     

    どんな先祖でも、憎まず反対することを反対して

    と、言う感じ

     

     

     

     

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  • 太陽と決闘

    心が痛いと云う。
    本人は今を生きれたりけっこう楽やと云う事がわかってくる。

    しかし、自分の地がわからない。
    嫌なものが生まれるのは、自分が浮ついた時。
    間違えて、相手(光)を敵と思う。

    あたたかい太陽が、
    太陽が、わかる時、

    相手と私のその間、何ぼも痛いのは、相手(光)に近づけば近づくほど、耐えられなくなる。
    それは、「地」を、その心を、かやの外に置いてるから。相手を、確認出来ない。

    相手と私のその間なんぼも痛い、辛い。
    相手(光)に近づけば近づくほど、心が痛いのは、精神力がないから。
    地と云う心が、自分の外側に有るから。

    幸せについて考えるのに、揃って地がわからなかった。

    かひし私、それは誰も知らなかった。

    天地は上下では無い。友達なのだ。何故わからぬ。
     

     

     

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  • 仏陀

    お早うございます。華村です。


    今日は趣味を、語ります。
    蝉が鳴いていますね(*´∀`*)
    雨も、つうつう降って、朝四時の空は紺色で、とても神秘的です。
    洗濯機を回して、これを書いて居ます。



    華村は釈迦や仏陀、佛経が好きで、日頃読んで居ます。
    昨日一人で、奈良に行きました。奈良といえば平城京。町は古いけど整えられて居て、広く、物も人も何でも大きい。何でも大きいです。大きな殿の広場で、感じれるのすぐそばの弥生時代の息吹。広大な草原、どこか寂しげで、落ち着いた。春日大社も、大きい。
    何だかわくわくしますね。
    茶道も長けて居てどっか行くと、出迎えてくれる。江戸の新しさから、東京は今も喧嘩っ早いが、東京の小気味の良いな言葉と喧嘩で空気を清めようとする。不良は不良で、どことなく落ち着いて居る。文化と云えばアート。桜。そんな何でも新しい町の特徴から、対極された、奈良は古いその故に風紀が良いし、


    大阪もまた余り知られて居ないが、難波京としては奈良より、東京より、日本では最も古い。美意識が高く何でも許していくような態度を続けると、表面的にアホの様になる。その経験の間、よく辛抱をするので、「上方」の名は結構最近で、江戸時代以降。いつの間にか人よりも上手(うわて)になったから、
    上方文化云うけれど、着物や清酒、うどん、近松門左衛門、そんな道に対しておおきな茶の見物が多い。それは馬鹿や。

    その人がやっている事と同じ事を目指す事。
    勉学、心的な労働。
    太陽は有るものやで。嫉妬で人間は死んでしまう。辛さとか嫉妬に自分が有って、そこから感じ取らなければ、天はない。
    人間に天国がないのは、自分に地を定める力かないから。全然空なんて見上げていませんね。だから地球もないような気がして来る。恐怖になって、戦争をしなきゃいけない、と言う考えが。日本にさえ出てくる。核シェルターが何で日本にあって、しかも何でその全てが破棄され今空が青々としたかとたかというと、指図したのはどこかは知らないが、一番試したい国だったから。柱やってん。

    この一連が、コロナやってん。

    安倍さんも菅さんも税金かなんかでわざと銀座のクラブにいった政治家のおじいさんも、「君を守りたい」って云うてん。



    如来や菩薩の美しさ。

    釈迦と仏陀は、それぞれが有る様だ。
    釈迦はただの精神の麗人で、人間の躾をする偉い佛、それぞれの悟りが、空にいつまでも曼荼羅を描いて居る。


    釈迦(花)の足を必死に昇って行った仏陀とは、美貌として、父や母に子は叶わぬと云うこと、子はその辛さ。辛さまで来て愛に為って、初めて仏境涯を得る。
     
    堕落的に生きるという事の反対に、社会的であると云うこと。
    幸せは堕落的な人のものではないが、厳しい瞑想などを修行をすることで、落ちていてもそれなりの「相」が出来る。光と影とのバランスが出来るのだ。

    人のなりふりで自分を正した結果、嫉妬も何も失ったらもうサイヤク。そう云うの、白比べって云って、「皆様」って云うねん。もっと鮮やかに!






    今日は趣味を、語ります。
    蝉が鳴いていますね(*´∀`*)
    雨も、つうつう降って、朝四時の空は紺色で、とても神秘的です。
    洗濯機を回して、これを書いて居ます。



    華村は釈迦や仏陀、佛経が好きで、日頃読んで居ます。
    昨日一人で、奈良に行きました。奈良といえば平城京。町は古いけど整えられて居て、広く、物も人も何でも大きい。何でも大きいです。大きな殿の広場で、感じれるのすぐそばの弥生時代の息吹。広大な草原、どこか寂しげで、落ち着いた。春日大社も、大きい。
    何だかわくわくしますね。
    茶道も長けて居てどっか行くと、出迎えてくれる。江戸の新しさから、東京は今も喧嘩っ早いが、東京の小気味の良いな言葉と喧嘩で空気を清めようとする。不良は不良で、どことなく落ち着いて居る。文化と云えばアート。桜。そんな何でも新しい町の特徴から、対極された、奈良は古いその故に風紀が良いし、


    大阪もまた余り知られて居ないが、難波京としては奈良より、東京より、日本では最も古い。美意識が高く何でも許していくような態度を続けると、表面的にアホの様になる。その経験の間、よく辛抱をするので、「上方」の名は結構最近で、江戸時代以降。いつの間にか人よりも上手(うわて)になったから、
    上方文化云うけれど、着物や清酒、うどん、近松門左衛門、そんな道に対しておおきな茶の見物が多い。それは馬鹿や。

    その人がやっている事と同じ事を目指す事。
    勉学、心的な労働。
    太陽は有るものやで。嫉妬で人間は死んでしまう。



    如来や菩薩の美しさ。

    釈迦と仏陀は、それぞれが有る様だ。
    釈迦はただの精神の麗人で、人間の躾をする偉い佛、それぞれの悟りが、空にいつまでも曼荼羅を描いて居る。


    釈迦(花)の足を必死に昇って行った仏陀とは、美貌として、父や母に子は叶わぬと云うこと、子はその辛さ。辛さまで来て愛に為って、初めて仏境涯を得る。
     
    堕落的に生きるという事の反対に、社会的であると云うこと。
    幸せは堕落的な人のものではないが、厳しい瞑想などを修行をすることで、落ちていてもそれなりの「相」が出来る。光と影とのバランスが出来るのだ。

     

    人のなりふりで自分を正した結果、嫉妬も何も失ったらもうサイヤク。そう云うの、白比べって云って、「皆様」って云うねん。もっと鮮やかに!
     

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  • 戦争が起きる時


    「俺は何もかもかもわかる」と思う気になるのが、大学で学問をし出した20代の頃であるが、働いている年配や老人は、何もを諦めたとして、大切なものを忘却したとして、何かボケて見えるのがその時ある。  
    老人と付き合えば、棘のある言葉の躱し方や、「俺」とした会話を考えている態度など、年配を見ていると舐めれないと知る。  そこに人間的なものがあるからだ。
     
     
     
     
     
    親子の憤りももともとは魂が敵同士で有り、揉み合う中で、親は親で、子を家から追い出すように遺伝子的に思い、海へ出る。  
    会社でも、ショップでも、人を疎ましがらず、水にかかると思い、手足を動かしてもっと泳げるように、  
     
    海へ行く。  
    そして、自分の中に弾力をつける。  
     
     
     
     
     
    「しね、キモい、バカ」人を罵倒するのに叶った言葉を、使うとすれば、本当に傷ついた時に決死になり口にすればいい。  
     
    上品でもないのに繊細そうに、しょんぼりして、素直になれないし、粗い目の言葉にはすっぽりハマる。書物に埋もれて死んでしまう。  
     
     
    子供が大学生になったとき、必ず戦争を考える、必死に生きたいし、虚無を抱え月に行きたいとさえ云うだろう。  
    「お前はリアルを知らない」等、云って私は教える人になりたい。  
    リアルとは、戦争でも刹那に生きる事でも何でもなく、生活とは、その肉体とは、綺麗になりたい、心でも身なりでも、そういう自分に対峙し、衣食住を継続する。  それらしかないが、「愛」がそこまで高いものではないから忘れやすい。
    恐怖になりたい時だってあるし、  悲しみたいのは、憧れるから。
    賢くなりたいのに、光りたいのに、やり方がわからない。  
     老人こそが、我々の「未知」だったし、その道だった。
     
    問題は、西洋文化、戦争ですっかり抜けてしまったのだが、  
     
    聖お兄さんを見ててもわかるように  
     
    「天使」と「仏」では高度が違うが、まるまる神国だった古代から聖徳太子の仏教以来、今は、天使になりたい思想が加えられ、まろやかになった。しかし、時代は忙しくテンパって、まず祖母の代は苦労を教えなくなり、  
    現代すっかり優しくなってしまった。  
    甘すぎる気がする。  
    リアルとは何か?私達も子から学びたい。  
     
    その人が戦争に憧れ、それがが彼のたたかいだとして、たたかいに胸が熱くなったりすることもあるにのは実際だ。だけど、そんな高いもんを望まれても、親の方に知的権力や美貌がないと、ついてきてくれない。  子供は、それ程馬鹿だ。
     
     
     
     
     
    夢も希望も詩の理解も叶える。その為だけに、苦を苦としたり、哀しい時には泣き、嬉しい時に笑う。  
    八正道が深まるものだとしらなかったし、やってみたことがない人も多い。  
    味覚や五感などを、深めて、人間が人間になると、何かと良いこともある。良い客観性を持たなければ、自信なんてすぐ崩れる。  
     
     
    思想の模倣に留まって、「ロック」出来ているのかが心配だ。  
    「エミネム」や「ヒップホップ」「レゲエ」など、良いものを私たちは、聴いてきたが、  
    何度つきつけられても良いのは精神である。  
    エミネムの素晴らしさをどう祖父母や親と共有できるか?   
     
    あるべき墓に入り、  
    あるべき星になり、  
     
     
     
     
     
    お早うございます。華村です。  
     
    今日は趣味を、語ります。  
    蝉が鳴いていますね(*´∀`*)  
    雨も、つうつう降って、朝四時の空は紺色で、とても神秘的です。  
    洗濯機を回して、これを書いて居ます。  
     
     
     
    華村は釈迦や仏陀、佛経が好きで、日頃読んで居ます。  
    昨日一人で、奈良に行きました。奈良といえば平城京。町は古いけど整えられて居て、広く、物も人も何でも大きい。何でも大きいです。大きな殿の広場で、感じれるのすぐそばの弥生時代の息吹。広大な草原、どこか寂しげで、落ち着いた。春日大社も、大きい。  
    何だかわくわくしますね。  
    茶道も長けて居てどっか行くと、出迎えてくれる。江戸の新しさから、東京は今も喧嘩っ早いが、東京の小気味の良いな言葉と喧嘩で空気を清めようとする。不良は不良で、どことなく落ち着いて居る。文化と云えばアート。桜。そんな何でも新しい町の特徴から、対極された、奈良は古いその故に風紀が良いし、  
     
     
    大阪もまた余り知られて居ないが、難波京としては奈良より、東京より、日本では最も古い。美意識が高く何でも許していくような態度を続けると、表面的にアホの様になる。その経験の間、よく辛抱をするので、「上方」の名は結構最近で、江戸時代以降。いつの間にか人よりも上手(うわて)になったから、  
    上方文化云うけれど、着物や清酒、うどん、近松門左衛門、そんな道に対しておおきな茶の見物が多い。それは馬鹿や。  
     
    その人がやっている事と同じ事を目指す事。  
    勉学、心的な労働。  
    太陽は有るものやで。嫉妬で人間は死んでしまう。辛さとか嫉妬に自分が有って、そこから感じ取らなければ、天はない。  
    「イマジン」と云う歌のように、  
    人間に天国がないのは、自分に地を定める力かないから。全然空なんて見上げていませんね。だから地球もないような気がして来る。恐怖になって、戦争をしなきゃいけない、と言う考えが。日本にさえ出てくる。核シェルターが何で日本にあって、しかも何でその全てが破棄され今空が青々としたかとたかというと、指図したのはどこかは知らないが、一番試したい国だったから。柱やってん。  
    この一連がコロナやってん。  
    安倍さんも菅さんも税金かなんかでわざと銀座のクラブにいった政治家のおじいさんも、「君を守りたい」って云うてん。  
     
     
     
     
    如来や菩薩の美しさ。  
     
    釈迦と仏陀は、それぞれが有る様だ。  
    釈迦はただの精神の麗人で、人間の躾をする偉い佛、それぞれの悟りが、空にいつまでも曼荼羅を描いて居る。  
     
     
    釈迦(花)の足を必死に昇って行った仏陀とは、美貌として、父や母に子は叶わぬと云うこと、子はその辛さ。辛さまで来て愛に為って、初めて仏境涯を得る。  
       
    堕落的に生きるという事の反対に、社会的であると云うこと。  
    幸せは堕落的な人のものではないが、厳しい瞑想などを修行をすることで、落ちていてもそれなりの「相」が出来る。光と影とのバランスが出来るのだ。  
     
    人のなりふりで自分を正した結果、嫉妬も何も失ったらもうサイヤク。そう云うの、白比べって云って、「皆様」って云うねん。もっと鮮やかに!  
     
     
     
     





     

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  • 私の義憤


    何でも、悩む時夢か現実か、ではなく、夢とか夢じゃない、ではなく、
    虚構は、想像しているのか妄想しているのか。

    フランス映画や漫画など妄想が規格を持って「相」となったりもする。
    妄想は、自己内の空想や、相手に近付く前の非現実や。
    「あなた」の輪郭を描くために、
    このもやもやを消去して行くには、対面する。対面とは、「自己自身である心臓と、精神が一つになる状態」つまり、「質問」をちゃんと出来、自分で消費出来る人。
    文筆なども、ここで伸びて行く。

    虚構は、このように相手に近付きゆっくりリアルな感触の線を紙にくり抜いて行く。

    シーレなどを憧れたのは、この理由だ。



    義憤している。

    人と比べるなと云うが、此の時と云う此の時、他と比較を為(す)る。
    指を数えて、
    霊性の広がりを感じる。性は、自分よりも更なる逢瀬だ。

    星の生まれる途中、芸術は、
    苦悩からとうに放たれて居る。







     

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  • si500

    無理な動きの様に思えても、当人にとっては問題なかったりするから、そのことについて話しかけられても

    答えられないのだ。

    言葉にすること、しないこと、守る詩人でよかった。

    憎しみをあまり思いたくない。

    私のすねをとことんかじるsi500

    私は哀しんでいる。

    人生と云えば人生で。

    心と心に異質感があった。

    辛い修行、三年もたでば、すっぽり自分のものになるほど、自分で始めた気学、のようなもの。

    気がめちゃめちゃやと泣いていたが気があったら余計危なかったのではないか。チャクラが光ってたら、気を悟らていた。

    驚き過ぎるのは、最初だけで、すんなりとしてるのが本当だ。

    光の影にしては濃すぎる罪

     

    私は早く危なくない無問題を伝えたい。

    それからじゃないと死にたい生きたいをばかり考える。

     

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  • 「私」や「私」の心配。

    目が見ることと見ないことを守っています。

    それが星空を映しているのなら、なんの問題もないはずだよ そう言うのは奈良はん。

     

    地球が本当に丈夫ならいいけど。

    心配で心配で、眠れなくはないが辛い。

    その心配が何者かに伝わって、

    本当に安全性を聞いたところで、戦争を考える病いから人が、抜け出せたのか、安心を喜べるとき、(安心って喜びなんだ、人生は体当たりや刹那とばかり思ってた。)喜んだ時、ぶわっとならないように守って欲しい。感情量が多い。刹那的には喜べるし、私はわた悟ったのが、苦しむ事の魂だから楽だ。自分が思ってた以上に強くなりたい人間だった。

     

    今こそ、待つこと、休ませること、逃げないこと、行に注いでいいのか悪いのか聞く、

    心をやたら嫌っているのが、幽霊。私をまんまと隠すので気分をいつも悪く持っています。

     

     

     

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  • モノノカミがいなくなってる。

     

    塩を撒いてくれたのは奈良はんである。

    何か色々云われたりすんのかなぁ、と思ったら、どんな説明になるのだろう?

     

    国の好き嫌いなども、好きならともかく、
    一人が皆みんなでないのだ。

    何だかとても赤く見えるのだ。
    反日で私達に目立つ中国人に恐ろしい人が居て、「中国人が嫌いだ」と云う。自分さえ国の感覚も掴めないのに一括にするには未だ国籍と自分の関係に根拠が無い。なさ過ぎるので有る。
    本当に拒否するなら、相手を知り、知り得ぬなら、
    私は我慢して、過ごす。
    大抵、何かを伝えて居るのだ。

    こんなにそばにいるのだ。

     


    前提として「問い」が有り、それを軸に大問題を解決しようとするすべてが沈黙なのだ。民主もまた実力に傾く潔さを失って居ない。人を許させる、善意的にある事には、優しいこともある。
    私の「為り」を善意と見做されたのは何故か。それについて言いたいことを述べ切ったからだ。
    どうしても、「私の生活の情報が、未に「あなた」に関係が無い」のだ。
    日本人は特に他者慣れをしていないから、私はサバイバルをするしかない。
    刺客が現れるかもしれない恐怖と、猫に餌をやるせわしい時と、コンビニに行く幸せな時間、何となくギリギリなそれなりの夢。
    わたしが論語を楽しむ人間であり、一歩一歩歩いて確かめている。

     

    先に歩いてみて云うが、無知を知ったあと、その人に対して向きまわり、もう一度構えれる素早さや態度を持っているかどうかで付く自信の強度が格段にちがう。
    人間に対してする質問は磨いたか?
    「あなたのことをもっと知りたいです」なる言葉をそれ以外で組み立てれるのか?
    私が狭いのか、
    先ゆきのないなんちゃない会話で、そんなコミュニケーションで、知を、みすみす逃したくない。

    何か発展したいなぁと思うけど、夢を描いたり、見てもらう以外の方法がわからなかった。見てもらうって何やろう?外にはきっと色々あるのに、悪くはないけど出ていく準備がない。それは行ったら戻ることができないのは、内面が向上心の固まりであり、だれが心を育てかというと親より小中の友達で、そういう下りの坂があることが、 隠されていた。あいつを見返したい、とか現に心に眠ってる。子供か大人になるといったら何だか回顧的だがよりか、子供が「私たち」、つまり失敗をしたり考える存在になる。成功して調子こくことのことも覚えて欲しい。一緒に未来になりたい、とまではいわないけど、一緒に未来になりたい。受験、学生にたいしては感覚的にあげたくないものはあげたくない。大人帝国である、

    親は愛を与えてくれた


    「自分の浅さ」の原因は何だろう?
    これは女だから異なる、そうこれは女なのだ。お金が有れば旅をしている。

     

    わしはな、まぁその神社は三重にあったそうな。親子でこの神さんをまつってたんやけど、戦国時代から無い。
    恐く見えるならまだまだ。


    それでもありがとう。

    「父」はどうあれわたしに何の徳があったかと問う。

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