揶白 (KF)

絵画

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    Works 43
  • 戦争が起きる時

    「俺は何もかもかもわかる」と思う気になるのが、大学で学問をし出した20代の頃であるが、働いている年配や老人は、何もを諦めたとして、大切なものを忘却したとして、何かボケて見えるのがその時ある。  
    老人と付き合えば、棘のある言葉の躱し方や、「俺」とした会話を考えている態度など、年配を見ていると舐めれないと知る。  そこに人間的なものがあるからだ。
     
     
     
     
     
    親子の憤りももともとは魂が敵同士で有り、揉み合う中で、親は親で、子を家から追い出すように遺伝子的に思い、海へ出る。  
    会社でも、ショップでも、人を疎ましがらず、水にかかると思い、手足を動かしてもっと泳げるように、  
     
    海へ行く。  
    そして、自分の中に弾力をつける。  
     
     
     
     
     
    「しね、キモい、バカ」人を罵倒するのに叶った言葉を、使うとすれば、本当に傷ついた時に決死になり口にすればいい。  
     
    上品でもないのに繊細そうに、しょんぼりして、素直になれないし、粗い目の言葉にはすっぽりハマる。書物に埋もれて死んでしまう。  
     
     
    子供が大学生になったとき、必ず戦争を考える、必死に生きたいし、虚無を抱え月に行きたいとさえ云うだろう。  
    「お前はリアルを知らない」等、云って私は教える人になりたい。  
    リアルとは、戦争でも刹那に生きる事でも何でもなく、生活とは、その肉体とは、綺麗になりたい、心でも身なりでも、そういう自分に対峙し、衣食住を継続する。  それらしかないが、「愛」がそこまで高いものではないから忘れやすい。
    恐怖になりたい時だってあるし、  悲しみたいのは、憧れるから。
    賢くなりたいのに、光りたいのに、やり方がわからない。  
     老人こそが、我々の「未知」だったし、その道だった。
     
    問題は、西洋文化、戦争ですっかり抜けてしまったのだが、  
     
    聖お兄さんを見ててもわかるように  
     
    「天使」と「仏」では高度が違うが、まるまる神国だった古代から聖徳太子の仏教以来、今は、天使になりたい思想が加えられ、まろやかになった。しかし、時代は忙しくテンパって、まず祖母の代は苦労を教えなくなり、  
    現代すっかり優しくなってしまった。  
    甘すぎる気がする。  
    リアルとは何か?私達も子から学びたい。  
     
    その人が戦争に憧れ、それがが彼のたたかいだとして、たたかいに胸が熱くなったりすることもあるにのは実際だ。だけど、そんな高いもんを望まれても、親の方に知的権力や美貌がないと、ついてきてくれない。  子供は、それ程馬鹿だ。
     
     
     
     
     
    夢も希望も詩の理解も叶える。その為だけに、苦を苦としたり、哀しい時には泣き、嬉しい時に笑う。  
    八正道が深まるものだとしらなかったし、やってみたことがない人も多い。  
    味覚や五感などを、深めて、人間が人間になると、何かと良いこともある。良い客観性を持たなければ、自信なんてすぐ崩れる。  
     
     
    思想の模倣に留まって、「ロック」出来ているのかが心配だ。  
    「エミネム」や「ヒップホップ」「レゲエ」など、良いものを私たちは、聴いてきたが、  
    何度つきつけられても良いのは精神である。  
    エミネムの素晴らしさをどう祖父母や親と共有できるか?   
     
    あるべき墓に入り、  
    あるべき星になり、  
     
     
     
     
     
    お早うございます。華村です。  
     
    今日は趣味を、語ります。  
    蝉が鳴いていますね(*´∀`*)  
    雨も、つうつう降って、朝四時の空は紺色で、とても神秘的です。  
    洗濯機を回して、これを書いて居ます。  
     
     
     
    華村は釈迦や仏陀、佛経が好きで、日頃読んで居ます。  
    昨日一人で、奈良に行きました。奈良といえば平城京。町は古いけど整えられて居て、広く、物も人も何でも大きい。何でも大きいです。大きな殿の広場で、感じれるのすぐそばの弥生時代の息吹。広大な草原、どこか寂しげで、落ち着いた。春日大社も、大きい。  
    何だかわくわくしますね。  
    茶道も長けて居てどっか行くと、出迎えてくれる。江戸の新しさから、東京は今も喧嘩っ早いが、東京の小気味の良いな言葉と喧嘩で空気を清めようとする。不良は不良で、どことなく落ち着いて居る。文化と云えばアート。桜。そんな何でも新しい町の特徴から、対極された、奈良は古いその故に風紀が良いし、  
     
     
    大阪もまた余り知られて居ないが、難波京としては奈良より、東京より、日本では最も古い。美意識が高く何でも許していくような態度を続けると、表面的にアホの様になる。その経験の間、よく辛抱をするので、「上方」の名は結構最近で、江戸時代以降。いつの間にか人よりも上手(うわて)になったから、  
    上方文化云うけれど、着物や清酒、うどん、近松門左衛門、そんな道に対しておおきな茶の見物が多い。それは馬鹿や。  
     
    その人がやっている事と同じ事を目指す事。  
    勉学、心的な労働。  
    太陽は有るものやで。嫉妬で人間は死んでしまう。辛さとか嫉妬に自分が有って、そこから感じ取らなければ、天はない。  
    「イマジン」と云う歌のように、  
    人間に天国がないのは、自分に地を定める力かないから。全然空なんて見上げていませんね。だから地球もないような気がして来る。恐怖になって、戦争をしなきゃいけない、と言う考えが。日本にさえ出てくる。核シェルターが何で日本にあって、しかも何でその全てが破棄され今空が青々としたかとたかというと、指図したのはどこかは知らないが、一番試したい国だったから。柱やってん。  
    この一連がコロナやってん。  
    安倍さんも菅さんも税金かなんかでわざと銀座のクラブにいった政治家のおじいさんも、「君を守りたい」って云うてん。  
     
     
     
     
    如来や菩薩の美しさ。  
     
    釈迦と仏陀は、それぞれが有る様だ。  
    釈迦はただの精神の麗人で、人間の躾をする偉い佛、それぞれの悟りが、空にいつまでも曼荼羅を描いて居る。  
     
     
    釈迦(花)の足を必死に昇って行った仏陀とは、美貌として、父や母に子は叶わぬと云うこと、子はその辛さ。辛さまで来て愛に為って、初めて仏境涯を得る。  
       
    堕落的に生きるという事の反対に、社会的であると云うこと。  
    幸せは堕落的な人のものではないが、厳しい瞑想などを修行をすることで、落ちていてもそれなりの「相」が出来る。光と影とのバランスが出来るのだ。  
     
    人のなりふりで自分を正した結果、嫉妬も何も失ったらもうサイヤク。そう云うの、白比べって云って、「皆様」って云うねん。もっと鮮やかに!  
     
     
     
     






     

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  • 知恵下さい

     

     

    何か気にならない方法ありますか?

     

    人霊は、

    臭いものや、汚いものを嗅いて

    それには目がなく、

    物事を見つめる力を失ってる、リアルせず

    図太さに落ちて行くし

     

    白人も亦、夢を捉え

    そんな私達を善しとし、現実を見てくれない。

     

    重力関係が有るかもしれない

    眼識を磨くとか、

    南無、いろいろ諦めているが、

    横っちょのモニターの肉眼たちは「金」かねを云う。

    私は、自分がそれを持つ意思もあるが、

     

     

     

    姉さまは、美を見て息を詰め

    「私」は姉さまの感性にぞっとして

    晴れときどきぶた、と云う好きな本を気の紛れに

    読んでも

    姉さまに降るのは確かに雨だが、

    私に落ちて来る粒はぶた

     

    金星で、ずっとミューズと対峙されてる。目に穴も空けず、

    海は、流れてくるくらげやゴミをあやしています。

     

    怠けていられない。

    「私」は遊ばなければ。

     

     

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  • ウマシタカカム

     

    白紙に描かれた、愛は、


    今回の逢瀬は、夢を続けるのに私たちが複雑さを取り戻して行かなければならないこと。
    複雑であればあるほど星空に近づく!
    複雑なのだが結婚は自分には大切な事で、今もそう思えて、
    未だに「夢」であります。 断固。

     

    綺麗っぽく生きてきたドヤ顔の人。

    おごり

    くだらねー!

    優しく思いたい、そんな事を隙ありと、
    人間の善意を倒してくる。


    おごって貰う。

    誰を誘ったかなどは、日に日に変わるのが曼荼羅が虹のよう。

    さっきの人が断れば、白人も神を「夢」で調べるようなことは無かった。

    祝言であって、
    何の結婚の申し込みでは無かったのだ。

    「さっきの人」に対しては、詩も結果も光も全て夢で有る。

    噂の腹立たしい「ドヤ顔」だ。人がこつこつしてんのを、平気な言葉で塗り替えてくる!

    気が。狂いそうだ。

     

     

    最低限、超えて欲しい。らしい。

     

     

     


    まだ好きですか?

     

    汚いところが微笑ましく
    低い波動が大体高いところにいて
    低処のものは高所に惹かれ
    高所のものは低所に惹かれる(車輪の下)
    恐れていることをやって脅かして
    運動神経だけで
    動いてるだけで
    「愛している」の言葉を食べられます

    やってる事が今違い、こうして見つかったのですから許して下さい。

     

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  • 文化的な夕立の模写をする



    色んな客観視は、見られたいとかは、もうちょっと高いところにある意識で、善なる神とかそういったものと接続されます。

    そういった意志が 





    何かもう全てを拒絶したい とか

    相手に嫌われる方法とか

    結局 君と私は違うんだ

    と几帳面に表現したい

    それはああだぞ とか 他者の介入も干渉もない世界で

    呼吸をととのえたい



    そうするのは

    そこに価値が 早く含有しているから

    理由なく 一人になったり孤独を好いたりしない

    何かこう色んな 突起が有って

    唐突で

    詩とかジャズって元々こうではないかいの?

    だからその先にいたとしても

    落ち着いてる

    普段から音に包まれること


    何かこういう細かい感情を自覚的に持っていたい

    人間ってぼろぼろなもので
    ある日 簡単に腹をひっくり返すのだから
    自信を持って黙ってるひとなんて信用しない

    人を守ったりするから、鈍感さってわざとですよね だから好きで


    自分の心をちゃんと砕いていって人がきらりと光るほど

    時どき破裂したい

    壊してしまいたい狂気とは

    相性が良いと思う

    今は中途半端で病むから、いろしなきゃいけなくなってくる

    漫画書きたいやんか。きらきらと写し取りたい。趣味

    その為、もごもごって消えへんねん。

    見えると落ち着くやろ?
    そうゆう思いやりが欲しい、人は、色々くれてるけどなぁ。

    他人にわからない感じで、色々思いやりはある。 

    だからほんまにその他って無きものや。

    自分にとっては。



    心が美しいわけない、白人でもないのに、どっちがどっち特別が有って、
    死に方が違う

    その上にジャッジーがおる、という想像

    生き方は同じかも知れない、その時にヤーマンと云う

    その時にその時だけに最高に特別な石ころを。

    二度と無いこと。二度と無いことが、涙の様に零れて

    ぽろぽろと巷を彷徨って居る。 

    だから二度とないために辛いことから虱潰しに覚えていったら結果的に強くなった。詩も歌えるようになった伝説が青く光っているのを観測した。

    しかし、学びのペースが最大にベースを取っているので色々気遣いを忘れない。
    辛いことから積み立てて行くと、精神がタワーのようになっていく。
    自分の痛いところとか。





































     

     

     

     

    まぁ仏界は色々探索が出来る。

    般若波羅蜜多。

    多くありますように(*^^*)


    心無罣礙 無罣礙故

    無碍が有りませんように。

    自分で読んで下さい。

    ふんんっ


    南無妙法蓮華経

    後悔懺悔

    ちゃんと重ねて服を着る、と云う意味。きらびやかに!

    要は、悪いことをぽいぽいしない、という事

    ビゴップ(すばらしい)、と思うけどな。

    語尾の「経」と云うのが、
    尊敬します、って意味やねん。

    人を狂わせる美、

    そんなものが「お宗教」で有る。
    キリストも、日蓮も、蓮に違い無く

    くらくらするほどの麗人が、釈迦。

    危険、危険。

    と言うことで、何となく文化を取り戻し自己の心と自分の手を合わせて、

    悲しんでな。

    この額から、希望を見つけ。

    「死」が嫌なら、何か工夫して歌い。

    自分は良い墓とまではいかんでええが、。

    まじで美しい気持やけど、幻覚やから。現実とは夢を月明かりほど含むものだと思うから、この道は正しいと思うの。


    予定があるわけでも無く、婚活でもなく、

    心が詩文を作って行く。それは「物語」を描くその為の

    てこ、程のことであって

    低価であり、遊んでいるし、詩人もいい加減を死守する。

    物語、という文明は、

    中国よりか古い「私」の国である。

    芸術学校ではそう習った。

    文明で有るとは、今知ったけども。

    文明と文化の違い

    これは、動かせないか、移動可能かこれに尽きます。

    「古事記」からなり、

    詩は、あったかも知れないけど。

    中国よりか古い「私」の国 も、

    どこにでも有るのかも知れない。

    ちなみに「私」って書くのは、
    私たちとか、あなたら、この意味を持ってそう書いてるのです。

    つまり、今が現代が、実は最も古いんじゃないかと思ってる。果てしないコロナの苦労が、何かを支えたりするが、解いかけが常に沿って存在していて有る。

    中国を、イデアとして。

    遙か、シンバルのあの音を「永久」とする


    そう、それをやってあげるのが日本人だ。

    長いものから反れて、嫌われている。

    天使等に安安となろうとするところが、顔が厚く「横着」だ。

    繊細ではない。

    人間性に乏しい、で調べてみたら、

    ツンツンしてる。

    と出てきた。

    人間味に欠けるとも、書いていたけど、「味」とか豊かさをごっそり失ったから、非常に何事もキレー
    底が無いとか、認識出来なかったというか、物分りのスピードがそこで大きく変わってしまった。
    字にも自由を教わらなかったし、 

    宗教、親父の酒、憤り、冷たい態度

    これらを古臭いもの、として扱ったまま、大気圏外にある令和人。

    水も氷もがつがつと食い倒して、

    大きくなりたい!!

    という将来の夢を託されていることを忘れなかった、ぎりぎり。

    ふぃ〜

    何らか何でも良いので結果オーライ。

    打つ手に頼りがいがある、意外と


    令和人

     

     

    がんばってください。

     

    何か人間関係の円滑剤が欲しいが、
    帯を見えないまま結んでいて、
    他をシャットアウトする最近は最近で、柔軟に楽しんでいる。

    仕事をしてたら違う。その経験が丸々既に円滑剤となっている。
    だから石の上にも三年である。

    石の上であることかめしれない。

    うぉぉりゃー!!

    かめ?

    聞き違いは聞き違いで役立つ。

    かめ?

    夏目漱石のタカビーとか、
    小説や文学に存在する余計なくだらない敷居を、めっちゃ楽しむ。
    これが、学問であるが、厳かさと云うのも、もろい繊細な
    「芸術のような」もの、これは如何にも大義を感じるのです。


    こういう代物、全体的な熟考の生まれを「亀」と云います。

    余りが無い、

    と云う事です優れて居るのは。

    つる

    鶴と云うのは、フランスでは不吉として嫌われます。

    日本で狭く飛んで居る中で、それでこそ彫刻は出来上がります。

    出来上がってから渡すので、何十年も彫り続ける事です。

    歌舞伎のちゃっちさ。
    「色」「色」してるから。標本のように色々臨める。お高く思うと何かやけに無駄なものが出てくるし、文学とも云えない。、云わないのは唯一で有ったり、天上天下、と、とんっとだけ仕切って行く。
    あらゆる価値が文化史上最も「とっぽく」嫌に余り近づかない。
    この上無く、

    成立することの「可能」で有る諸悪の表現は、鍛錬の昇竜拳等で有り、私達の様な成り立たない粘土のような善意とは異なる。

    こうずるずる恋をして置くべきだし、それくらい脱力して観るもので有る、安いと言わねばならねのは、祝いにやっぱり時間の操る仕掛けに誠実を覆すのが、

    平安も、武家社会も、

    戦国、も、全部終わった後に成り立つ江戸時代とは、価値観がもうこの上に無いという意味に「天上天下」ときたら「唯我独尊」と声、お墨付きである。殊更のことでは無い。

    熱(ほて)る =ホテル

    僕は帰える。

    何か学んで行くべきだ。

    ぼやぼやしてたら、文化的になりました。

    とは云え、私は「能」派です。
    あんなに、わははっと可笑しくて怠けたもの、それを混交して有るもの、その他を適当に置き去りに出来る、

    「孤独」の表現力は、ドビュッシーを連想しました。

     

    花?

    これを立派に磨く事が命やねん。
    道徳の答案なども、こう小難しい所に有るが、結局落ちなければならないし、泥や水や夫と、煩いとして、闘わなければ、風も姿も花も、伝えることさえ声に無く。

    ああ、夢を見ていた。


    意味がわからない

    じゃなくて、

    何事も原文に付き合ってたら

    馴染ましさとは、美しさで有り、

    自分が育てて開花を待つのだ。

    馴染ましさは、その滑らかさで有り、

    即ち美しい!

    自分が光になる

    のではなく、

    光にたいして抵抗すること

    自分が負けてしまわないように真っ直ぐとあがくのじゃ

    光に立ち止まるのは、蛾くらいで、

    若し神経が優れてたら、人の嫌もわかるし、回避もする。

    所詮は重力に何の思いもしないで、

    憎しみを愛と言ったりするごちゃごちゃな奴

     

    傷められるのではなく、自分が筋肉を使ってそれでも傷ついて行くさなかに、直立する光で有る。

    一度、立てば、結構簡単だったりする。

    諦めることや。

    同じ重さになって来て、気にならないようになって来る。

    それまでの地獄は、

    突拍子もない憧れで養われるのでは無く、

    これまでの周囲にず

     

    っと未知を見る。つまらない世の中をこそ、見続ける事だ。

    遠くの星に未知があるはずない。

    光や電球にぴょこぴょこたむろするような、猫や害虫になるのではなく、

    そんな道に往生して教えが、どうこうのではなく、

    もっと頼って、見切って、蹴り、自分の居場所に落ちましょう。

    老けないとは、こう言う事を指します。

    白比べをしない事。

    そう言ったものを、捨てて、見切って、

     

    蝶になる、それを模す、真似する努力に耽って死んだら良い。

    蝶には、どんな特徴がありますか?

    昔つけることの出来た観察日記を、

    思い出してみよう。

    「風姿花伝」世阿弥

    けっこう、五十の歳が花の山だったりするから、日頃の思い違いも甚だで有る。

    精神も取り戻さなければ。

    精神的でないと!

    何か自分より優れたものを、いつまでも怖がってたら駄目!

    私は何度も練習した、

    「これは、「美しい」んや。」

    「お洒落ですね!」
    「綺麗ですね!」
    何事も無い日々だけど、元気は伝わってる。

    自分の挫折も、譬え苦しみも、平和に影響を与えないよ。

    静かに暗くなっておきなさい。

    ちゃんと周りに当たり散らして!

    そうゆうふうに頼れる周りの人に、

    ちゃんと周りにしがんで!
    工夫して。


    読み進むにつれてわかる事だが

    自分が如来、神(色んな種類がある)

    とかでは無く、

    落ちた矢先で「精」と成った。

    誰も「いない」ので、

    代弁している雷です。

     

    如来と云うものの、

    代弁ではないよ。

    そこは注意して!

     

    わしは、金色こんじきも

    潔く、何もかんもをざっと脱ぎ捨てます。

    神と暮らしています。

    恥じらいはもっともですが、懐かしい。

     


    前に出るとか出ないは自分で決めてっ。よねっ。


    あんまし、男子なるには興味がありません。

    そっちで勝手にしてて欲しい。

    天地無用って何やったっけ?

    佛いらず…

    自分を好きな人のところに行き。

    佛って他者じゃないよね。

    結局仏性も色々研ぐ。私は、天から如来に聞いて菩薩道を行く。

    でも確かさに影が有るのは、割れ、形の風化した私である。如来に詳しい人はどこかにおるし、本題に女性として運命的では無かった、だから、そこから零れる。

    ではー。。

    この人らに冠被せて渇いたかたちに蓋をしたって!

    復唱する。

    でも確かさに影が有るのは、割れ、形の風化した私である。如来に詳しい人はどこかにおるし、本題に私は女性として運命的では無かった、だから、そこから零れる。

    ではー。。

    何かインディな、日本漫画の匂いが芳しく。

    如来はおるわぁ。

    心地良す〜

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 人の勝手

    最近ツイッターしてるがあまり載せない。

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  • 今日溢れる


    夫が情けないのです。


    仕事先でも会いとうて私は肩を丸めるのですが、そうしてかげを割れば割る程、水を零し桃に手を繋かける、私の息たえ、体は嬉しいのです。

    泣けば泣くほど、いやらしいと云われ

    心の折れる。

     

     

    勤行新書(1) 
    人の協力が有って、心の場所から
    人々は色んな事を思い出そうとして居る。
    つるぎが、色んなことを当てて呉れる。
    モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。
    赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。


    手の中は、勘定をする事に趣が有って
    魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。
    釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。
    髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、
    女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。僕の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。

    作品本文ポイントコメント作品を
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    勤行新書(1)    
    てんま鱗子
    人の協力が有って、心の場所から
    人々は色んな事を思い出そうとして居る。
    つるぎが、色んなことを当てて呉れる。
    モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。
    赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。


    手の中は、勘定をする事に趣が有って
    魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。
    釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。
    髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、
    女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。僕の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。
    何度も、何度も、鏡を見る。女の怠慢はゆるされている。
    女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。
    花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、私に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、日蓮が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をしてる。

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  • 天才の絵

    「可笑しいことは、思いっきり笑って良いのです。

     

    道を、面白おかしく、奥ゆかしく伝える思想がまだ 無いからです。」

     

    教えてgooの質問回答で以前見かけたこの言葉で有る。

    今はもう削除されてしまってるが、いつまでも続くゴッホの山や丘の道などを見て、なんなんだこれは、と思った

    と、仰って居た。

     

     

     

    最近ツイッターで、それを描いているhttps://twitter.com/ikeda82100?s=09

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  • 空海をこえて

    白紙に描かれた、愛は、


    今回の逢瀬は、夢を続けるのに私たちが複雑さを取り戻して行かなければならないこと。
    複雑であればあるほど星空に近づく!
    複雑なのだが結婚は自分には大切な事で、今もそう思えて、
    未だに「夢」であります。 断固。

     

    綺麗っぽく生きてきたドヤ顔の人。

    おごり

    くだらねー!

    優しく思いたい、そんな事を隙ありと、
    人間の善意を倒してくる。


    おごって貰う。

    誰を誘ったかなどは、日に日に変わるのが曼荼羅が虹のよう。

    さっきの人が断れば、白人も神を「夢」で調べるようなことは無かった。

    祝言であって、
    何の結婚の申し込みでは無かったのだ。

    「さっきの人」に対しては、詩も結果も光も全て夢で有る。

    噂の腹立たしい「ドヤ顔」だ。人がこつこつしてんのを、平気な言葉で塗り替えてくる!

    気が。狂いそうだ。

     

     

    最低限、超えて欲しい。らしい。

     

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  • はっきり書きました。

    人と空、前前のブログを書き足しましたので。

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  • まだ待ってる人のこと






    自分が、十数年けて描いたデッサンを何かの間違いで捨てて、もう絶対に覚えていなくて哀しんで、我慢して、ふんぎって前向きに計画(絵画の)を急いで実行する。が、気持ちが、ナーバスで、気も切れ切れであるし、どうしよう。


    実際、たいしてかわいくないから、無で、無だったら「あんなに可愛かったやないか」と中年でDVを受けることになることを

    豚どもは、ひぃひぃ笑うだろう。
    君は心が賢いんだよね、
    私の自傷を救うてくれる。が、私は笑ってみるだけで。崩れてしまいます。

    良い友、

    世界に二人だけしかいない時間と、
    人や人々に囲まれる時間がある。

    東大阪の友達や伯父友達から、

    私がいつも黙っていたのは、何か人には隠しちゃう人が背後におる。

    わ、私の冷や汗はこれのことです!

    友は手を伸ばしてくれる

    色んな人や、時間を悉く取られて来たので

    私は相当恨んでいる。

    昨日は名前を聞いた。

    今日は。明日は。

    布施から帰った。
    人間じゃないと云われた。 

    亡霊に連れさられた半生を

    哀しい。

    四天王寺さんに拝んで頂いた。

    闇のともだち だ。大阪に住まう相談

    わたし、高さいらん思てん、それはな、わりかしここという世界とかずっと使うおもうんやんか、

    「イキる」とかなしで、

    そうすると地球が寂しなるのが目に見えてるし、寿命も伸びる

    これが自分だとか、わりかし無いんやったら水みたいに自由自在で。

    せやからあんまり怒ったりせーへんねん。

    ジブンノ高さを貫くんじゃなくて、

    より自分になる方法やねん。

    憎しみが、まず敵なんですな。

    憎しみを、炎のさなかで、何が哀しいだとか、つらつら書く勇気と
    たたかう心

    恥じらいも抜けていく

    これがほんまの根性焼き

    では憎しむことを、なんとなくしなかった、感情を開いても、水平線になってみても、何も変わらなかった。邪魔だ。

    私は有限で、限りのあることを無限とは言わなかったし、伝わってるかわからないけど、彼は何で自分のがたがたな文脈が
    フィクションが
    真実としか言わないんだろう。それを芸術って、

    何かにショックを受けるのは心やん、
    心のないフィクション?
    どういうこと?

    今になって憎しみなんて関係あるのか?
    っておもったけど、大澤さん(大学時代の同級)を憎しみの感情を持つ、事が、まっとうする愛なのか。って生きる事が、なかなか出来なかったから、正しい答えではないです。

    まっすぐに思ってるだけで、思ってるだけなんだけども、
    大澤さんを今恋として好きではないし、何で愛されるのかわからない。という中で考えてみると、
    文脈のノリであれやこれや想像しそうだが、
    (大澤さんは)愛す事が、出来ない人だった。人ってめっちゃ正しいから、
    生きていたら?生きていても同じか出会ってない

    出会ってなくても、
    言葉のあやを置いといて
    死んでても
    愛って、あったから責任があって、
    あったことってもう過去
    でもある限り続いてるんやと思う。

    蝶、誰でも心地よい。
    大澤さんは空を飛ばないし、
    私を好きだ、恋をしているのも今や嘘だとわかるので
    本人は「恋にやぶれた」と言うが、
    優しさを表現してあげれば

    よかったとか、やっぱりよくわからない。

    時間とか限りがあるなら、いじめられて這い出して存在が自分の中にもうないから、その時にちゃんと私は恋をしていたんやと思う。それを他人がいつも破壊する。

    大澤さんも、誰も何も言わない。

    結局皆適当に形を付けて、人で遊んでる時点で、私も何も言わない。人よりも上なら強くなったような気がする止まりで、狂ってる。

    優しさを、愚かさが覆い被さった古代日本のゆくえ、今も、今はどうするのだ? と大国主。

    死を耐える人に生きてる人が優しく出来ない。手が短い。

    空がわからず、空に見下げられても気付かない鈍感なオトナたち。

    人に貶されると、関わりの無いものだと思うけど、

    過ぎ去る日々を祈るばかり。

    もう相手にならない。

    大人の逆襲。


    知らん人(私)に決めさせる

    言いたい言葉を述べさせ、聞き、

    「さようなら、去るな。」を丁寧に言う

    中国のおっさんたち

    水がなくなったこと、を

    あれは円環であるから、自分にむけられている。反省をすれば大丈夫だし、あるとこにはある。

    目に水をためすぎている私。
    客観もあるが思惑は仕方の無いことばかりで、暗闇や、暗闇やと思うと休まる心。答えもあるし、家もある。
    我慢していた涙を、話したい人もいる。時々溢れたいのだが、我慢し過ぎて怖がる人ばかり。

    「それなら私たちが、誼であるから」と中国のおっさん

    わたしたちに頼るのではなく、もっと一人一人かタイマンであってほしい。

    【書評】「週刊読書人」7/23号に、ベッティーナ・シュタングネト『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』https://t.co/Ao1VRiA8Irが紹介されています(評・橋爪大輝さん)。「全体主義国家の過去に向き合う姿勢を問うという点では、この国の過去と現在を考えるうえでも大いに参照すべき点がある。」



    自分は書いての通り結構難しいやつなので、色んな事には耐えれる。






    またご縁があれば、お話をしましょう。



    誰が、誰を、を

    「あなた」 「私」に言い変えるのにひと手間がかかるんだよ。















































     

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