揶白 (KF)

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  • 「絵画の回答」について

    2021/11/07

    絵画

    10年前、以前rocoが、「頓智」として歌手とアーティストを対比して「私はアーティスト」と云う事を述べた。

     

    私が日記に、歌手とアーティストは違う、と書きました。

    それが、反響が凄くて、、。ここで述べさせて頂きます。

     

     

    まるであなたは、それともアーティストですか?と、圧をかけんばかりに張り切って、末尾に「歌手とは何か?歌手の方から聞きたいな。」と、云った立派な「作品」だった。翌日、大澤氏がブログにたいして、同じように張り切った男性のギャグとして「アーティスト」と自己プロフ覧にて書き加えた。と、云うこの一連の様に、

    アート…は、食べていく画家では無いのだから、絵を決定する何かとは自分が叶えたい事、つまり感動した事を全て全責任としている。だから、お金をトドメやきっかけにして活動するアーティストがいても、内部に、価値に対して「盗用」は存在するが、営利、非営利が有り得ない筈だ。微妙な差が、いつも有る事はアートをしていて、実際絵の具や筆に触ってわかりやすいものとなる。たとえば村上隆さんは、アートビジネスと云うのは、「お清めアート」なのだろう。だから凄いのであって、
    私は微妙な差によって、絵を拝借出来る様々な距離が存在することを感じ取っている。

     

    重点的に云うが、

    寛容は、「はい。」という前に行っていた、と云う言葉だ。

     


    アートするでって云う事は、信じる事のやりたい事をして行くんだから、トラブルは対局であり内部的であり、受け入れてゆくものの、事であり、

     

    トラブルと云えば先ず至って恋のように、大澤さんが黙って、無許可で、私の絵の中の鉢植えを自分の絵画に置いたことで、そこから数年目に大澤さんのイラストを印刷して私がこの絵画の上で前向きな返信をしてからは、キャンパスの壁の閑静な趣きに沿えるような、コロナ禍のどうしようもない現実の中で、その様にしっかりと「額ぶち」と云う壇を考え、この架空上の家一軒の完成を目指す、家族さえ知らない。せめて、最低は家一軒、空気の様な逢瀬と絵画と、水の様な生命(アート)を心にして光の果てしなさを望みたい。それは、我々の夜、月下のファン・ゴッホの「つづき」の話の様に真近なことなのです。

    しかし、いわゆるこれは「絵」ではない!自分にとって価値があるものは、

    こういった、はっきりいって「行為」に対してアートと私は呼ばれなければ、ならないのだ。「私」とは構造的にrocoでもあり、大澤さんだ。神秘の理論であり穐斉として経って行く、ほつほつと、これは花だ。

     

    完全に近ければ、自分の中で目立つほくろ。それは自意識過剰と云うもの。

     

    穐斉と経って行く、ほつほつと、これは花だ。

     

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