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2022/09/05
潔さと集中力があれば、身の幅が異なっている人ても話せることがある。私は鳶職をやっていたことがある。日照りが気持ち良く風が心地良く、毎日を働いた。後から来た男の子に簡単に抜かされたので、挫折して辞めた。
ただ人も学んで欲しい事は、物に親しむこと。クレヨンで何か描いていた時の音を思い出してほしい。鉛筆などでは拾えないとても小さな音。客観性(ちせい)によって取りに行く必要はないが気は良くなるだろう。
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2022/09/05
色んな物に触っていた方が大人になって「入り」やすいのだ。
着物を着れば、自分の全てが変わると思った事がある。今後もこう思う若い子ほいると思う。
良くしようとと思うよりも、次世代、未来の人にやらせてみること。そして自分がそれを思うことで手伝ってみること。国の成り立ちによってそう思う。
肌なじみが、落ち着く場所を知り、肌なじみが良いと言葉が良くなり賢くなる。
日本の古い、夜に面したしきたりをすこしすつ教えなきゃいけないと思う。
青空の美しさもあるが、人が賢くなるのは、醜いものに面した時、不細工、ではなく醜いもの。
忘れるよりも感謝が、ボケ防止、ボケすら防止し、文化も大切に出来るかもしれない。
今おる如来(美しい人)は、心の普通に良い人。普通の段に丈の長い人。巷できらびやかな笑顔を見るが、取れる自分の輪郭が「無」として心を高鳴らせた。おまえは死だ、と誰か詩人に言われても、気にせずすすめることがわかる人。神を整えることが出来る人も沢山いる。私は厳かに方法を伝えられる人。
如来の前に出る人もいるが、そういう人は認めるようと努力する。
あの日、何をやっても自分の死んだ心にたいして認められないと悩んでいる事、これが「心を見つめる」。
街を歩いていて大切な言葉が、汚さでも古さでも詰まっていて気が気であることが、その街の「清め」だと思う。「清さ」とは言えないが、良さ白さばかりでない祈りや願いが、渦巻いていて綺麗だ。そこに心地良さを感じる。
私はタイミングが色々良い。好きで目指しているから、その方の味方が多い。普段足が進んで向いている。自分の感覚を覚まさないと。(私は今見える仲間より一人が好きだった)「死」を伝えられないのは、釈迦が男性であり、これが女の話だからです。
そろばんを探し求めて森の宮まで来た。雲州堂に行く為だ。直販売をされていない。もともと剣道着の様に置いているものじゃないんだから、小さな物から始めなくてもいい。でも大体売ってない。天では何かあったのか?聞いてみる。ロイヤルホームセンターからそろばんの武士が現れる。
武士のアイスクリーム
武士の痕跡が伺える。憧れるものを武士にするか、ペンダント即ち戦士はにわ。どっちにしようかな。モール文化の私。しなだれて名指しをするよりも前より一歩、がある。
私のそろばんは、青色を表現した「員兒蓮籔旦栖葡璃」という名前を彫っている。暴走族のようだなと思っていたらそれを入れていた鞄のひったくりに遭った。
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