揶白 (KF)

絵画

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  • 縁をレイヤーに掛けたらええ

     

     

     

     

    今道で前を歩く人との距離、これが縁だ。つまり御縁といいとても大事にする。ダイエットとは余計な力を抜くこと。今となっては良いことと、失っても良い傷が心澄ませていて分かる。

     

    私は体や気が何か痛い、そこに記号が映る、この二つを見比べている。理解の精一杯は、前後文がない詩のような関係と、文脈を自分で勝手にツクらないことである。

     

     

    遠慮せず考える時間を作ると、

     

    自分に触れらない想像がある自覚が「緑」に身を委ね風を含んで考えられる。

     

     

     

    どこかから落ちた、これが縁で、

     

    そこでその闇の淵にいたひと、を仮に想定してもはっきりと関係しない。

     

    関係しない、が縁である。

     

    これは、前提に目的があることを携える分、どこかからに「私」が掛かる。

     

     

    他に雑多なものとして省く、省略する、こう行うことに依って

     

     

     

    “「私」の考えていること”にたいして、10分前の「私」が、今の時間の私に関係することだと解る。

     

     

    こういった作業に、どこかから落ちた私の周囲とは単なる記号と痛みに留まり、生活をしていかなければいけないという悟りと光がこう全く異なり二つあるという事が仕事の縁からこの場所で着目出来た点、縁は繋がるのである。生活によって前方が前方と繋がりを上達させ、普段の意識が全く変わらずにいる。強度にたいして惑星のイメージが、単なるエネルギーと細かく分断される。

     

     

    己が通る仏道として咀嚼される方が高いのはこの為である。

     

     

     

     

    私は、いわば遠慮の底で自分の感情や何かが進むとは考えたことないし自分が大切。

     

     

    若し前世があり大昔、原子のころ動物だったとしてサンカという言葉を知る。

    何かが進む、ちゃんとしたことという意味と、気高い守護の形だ、山神を意味する。

     

     

    いつも一緒にいなくても瓶に実を詰めて、褒められた数、貯蓄と保存を喜ぶ。

     

    動物からする人間とは、人間は語りにくく人間という言葉が、蟲ーを引いたところに生まれ、その後振り向いて動物の顔を向く。

     

     

    良い形は、宇宙のフォルムとして極めて力が相応し上手く行く方の動物と、遡って平行する人間の身体性をあらわす。

     

     

    身体性「せいしん」と「肉体としての精神のちから」はそれぞれ別のことを指さている。

     

     

    対して、光として見た細い灰っぽい人間のかたちをしたもの、あの引き伸ばされたニンゲンとは、何者でもないを意味し、宇宙と関係しなくなったあるヒトであった。

     

     

     

     

    これより増して、

     

    透過を進めていく者、目出度く道を拓きより追求していく修行者にたいして「悩みのない浮遊霊」は全く不相応だ。いきなり遮断されるべきことなのだ。それを既知として解る。あっさりする、この良さは動物も交えて文明的に解るのだ。

     

     

     

     

    惑星、神仏や地球に、いちいち相談する。話すペースと間隔を知る。地球は地にたいして、天のことは天体に問い合わせる。

     

     

    テレビに向かって苦情を言うより、地域に相談して町を潤す。空気がわかるから間隔がわかる。このように存在を考える無我は、自我意識が極限に強いこと。有るを重ねて無に近付く凄みの様を神技といったりする。イラストでレイヤーでも努力をレイヤーにして丁寧に重ねると透明度が上がる。努力が全てに通る下紙で、努力が起こすものでないから、この努力、あの努力、という語はない。2、3度努力の上に向かったら縁を見抜けない。

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  • 土着と愛

    詩、その場の空気を紐解く。

     

    恐れが恐れ、緊張が緊張、微笑みが微笑み、一個の字になる、漢字になる。

     

    自然体。

     

     

    この石をごろごろ転がしてたら馴染み、再び元になる。元気。

     

     

     

     

     

    アイデンティティの捜索、定着性、断面という文房具を触ってきた自分の手に似たわかりやすい言葉、一般化しやすい。こうして火の付く人もいる。その火のままに向かう。

     

     

    オリジナルについての示唆が光にあった。

    自分は現在、社会面の定着が薄いが気持ちばかりはある。このことを誰にも探せない一つのことをオリジナルと言う。後、歳寄りの関係や世間体、頭に血の登ること、理解できないことでも、聞きたい、と言う自らがという言葉を未だ大切に思う。私らはその中で祈りを摸る、祈りが、土着において理解することだと知ったからだ。

     

     

    宇宙創生から地球を生み出す心、自分の位置がまだ混沌しているゴミを抱える過程にあり、目に見える星々に習っていく人の個人的な自由から、「初心」という道のことば、この文化的態度を現し心を個性に戻す。大昔の武士にこういう楽をさせてもらっている点。

     

     

     

     

     

    ことばが有る、壁が有る、距離が有る、いわゆる面を面と捉える時、心にしか存在しない「あなたやわたし」を雑念を退いて考える事も出来ると成っている。

     

    わたしはこうただ図れる定規を持っていて、これが文化として持ち運びや移動が可である。対照するのは動けない文明や恒星的な論。

     

     

     

    仏経的問題にたいする圓怠(えんだい)阿弥陀の壮大な切り口、「人が何故芸術と言う言葉に括られたいのか知らないが」

     

     

     

     

     

    定規を意味するこのことばのニュアンスは、

     

    仏典から字を表すことに、例えば何かの名前を自由にさせる為にひつような自己承諾において目を配る。仏だから人物になったりしない、を理解するインスピレーションが、スケール通りに合っているか。仏が仏である。ひ弱に柔らかくならない為にじぶんを占めるこの土着がお守りとして「マイナスや差」にたいする理解をし、その元である元気さや円滑性を紐解く。

     

    定規を持っている、とまでを言うあまりにも普遍な責任感。これを、誰が教えたか?である。蟲ーのほかとするもう一つの題目だ。

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