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2024/12/07
遠い、自身も知らない程遠い、神話だった。木を追いかけるさなかに木になった。何かを嫌った。まだ嫌っている。何かは木に判らない。問う神の愛とは、人間だけが掴める言葉なのだろう。
天分、ということを、遥かを視線にして送る。身なりといっても半つ、醜いせいかくと言っても半つ。
私は、木を追いかけた。木になった。目標を言葉に込める食い違いから
女性だといううつくしさ、
私の本質は人間だから、
木立がこのようにある。
愛、女、恒常てきに雰囲気を知り、何れか目標を求めても、、
自分の心から本質と言う前の動物を見て理解に臨むと、理想と研げる自分のことだけになった。「性」
私はもともと木だった。本目だった。
対象化がすすむと不図現れる鏡のはなし。
こう、「私」が“知っている”時、神がいる、という佇まいをする。
もう精神ならば、こう豊かな方を積む。
身に悪い方を考えるのは難しいだろう?
お手本なんかいるようでいない、
でも何かある、って自分と考えを粘るんだ。大切さを学んだら、苦しみはそんなに苦しくないんだ。何かあったときは、やはり苦しいんだ。神を対比する外と内には誤解がある。仏がいたら間合いの違いが存在する。十分近づけないことが解る。
光の中は、受ける言葉の苦しみに、配分がない事があるだろうか。
ラクになって良いことがあるのか
道で倒れてる人、が引っ掛け問題になっている
まさか、それを助けることで悪身を隠すやつはいない
苦には話しかけても顔がボケるし、人に苦を渡しても仕方がない
どのようにしても良いのなら、どうするか?
仏像を見て仏を考えて、私が初めに思うのは、この間にとって、目上とはなんだろう?
話は、
話すところで願ってしまったり、願うところで何も願わなかったり、
仏は何故、言わないんだ!と激しく文句を掛けるひとに
弥勒は、最後に仏の神をお話しされる。これを弥勒菩薩といい、
方位の定まりが著しくよくないなら、そう現れず、
理由は貫禄を遠ざけていたのではないかと私は思う
369、ミロク。来るべき時に来たる⋯、
仏は、そのモンクばかりをゆったひとの言うことをお聞きになられたそう
私は、
教えてください、
でも怖い。これと言って、本当は自分が持っていたり、
つまらないことをいって、足りた望みだったらどうしよう?
(大穴無遅)じぶんにこんなテーマがこうあると知った
望み? 仏に望み、やり直しなさい
傷を治したい 良く話すこと
物事を知りたい 声聞(心の一文)は縁覚を知る
わっと恥ずかしい気持ち、台詞、これをこよなく愛するのは、愛することと認めたときに持ち、使い手に回るのは愛することと知り、そう立つと、月(ツクヨミ)と思える姿に出会う。“ヤミ”ではない、闇が未開なのだ。
遠い、自身も知らない程遠い、神話だった。木を追いかけるさなかに何かを嫌ったがまだ嫌っている。何かは木に判らない。問う神の愛とは、人間だけが掴める言葉なのだろう。
男も女もそれが違うことも自分で見て調べろ。かなしいやつだ。感情を持つのか?
そして、楽しむことと技法習いを小まめに分ける。
一、監督を悪くおく
対象を自分だけで分解しても現実からは遠くなる、ということ。修行一人。精進せよ!!
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