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2024/07/03
冥界も現実も変わらない。
気持ちや精神でない除くべき霊が有る。祓いは優しさとして難字であり、本人が、心身ともども癒えていないといけない。それは、鍛える日もある。
精神は、見えないからという理由で鬼の顔をしてやってくる人々がいる。
ただ心は、それの比較的わかりやすいところだ。「死」にたいする抵抗力があり、心がちゃんと整理出来ているのならば、冥界は比較的自由になれそれは即ち霊界として仏の徳がある。その人が見られたくない人が、何故かその姿を必ず見ている。南無。と大きな菩薩を唱えて祓う、やっつける。逆に戯れず、話して供養する霊はもっと右手上部。
意識はどうあれ、私が何もしていないことは無意識的にわかるだろう。
私が何か傷ついたことなど、場所が心な程に比較的永遠に覚えるだろう。普段、何もないが、その人を見かけたら直感的にそれだけを思い出すと思う。
霊でないなら、信仰のない霊なら、透明な宇宙や惑星に捕まった霊以下なら、こういう浮遊霊は、己自身のことの何も見えないのは1000パーセントである。
はっきりした冥界でも現実も変わらないが、悪い人には冥界は怖いどころか怖すぎるものとなるだろう。長い間かけてワルイコトした人のゆく末は月のムコウが続き、世の中から消えても消えれないことを利用されるセカイはご存知の通り広がっているだろう。一人を殺すのが先祖、友達、家族の先祖、一万人以上のことになる。だから被害を受けても簡単に努力が出来、上回るスピードが必ず付くのだ。
浮遊霊、霊以下のことである。それをウシロとかそう言う。基本、足元からつくが、肩は重力のあるとこでそこから浮いて見えたりする。地球の自転に追い出された後である。
人の背後霊などなめてついていくさなか、良い人に出会っても、運は100パーセント背後霊について行くだろう。これが怖さ。背後霊はさらに、ひとりには大勢の上に歴然と怒る霊がいる。冥界で、犯罪名だけを言うぼつんとしたかたまりがある。肉あつみの重い、あるいは細いネーム、上がる気配もなく不半透明なかたまりが浮いている時が有るだろう。「七日」という仏の日だ、その目下の人は頼られているだろう。日本で背後霊のいる人は神がついているのかも知れない。それが冥界ては有名なのかもしれない。
供養欄
(中傷でもなんでも、エールをお願いします)
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