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2024/06/09
心には、
映らないものと、
映したい部分がある。
守護霊の立つ所に他のヒトが押し入りなりすまし、指示や注意をする。
悪いことをして逃げる力のバウンドは必死だからわからない。本人に自分のことをを自分だったらと想像しても捉えれる。逆にそのヒトは私を想像出来ない。
心として引力に逆らう生きる抵抗力がないから客観視点の現実的に自己未消化な欲望という「現実出来てないのに、別のよそで本願を大成しようとする。」小さい端に詰められ、そのヒトがそう存在する中、本人は全然関係なく紛れているが仏徒として生まれの餓鬼から観世音菩薩のイノリ仏道一本だから仕方がない部分も必ずある。
人間の高い想像力を、自我も全てを放り取った本能の逃走により、顔の一番前にする。
拝んだり、自分が向かって復旧しそうな自我とそのヒト自身の縁、は、こちらからみて地続きだ、しかしよく見ると、蟲ーの視点とうに二つに別れ切り別れている。
仏(見えないセカイの達成)が実際なのだから、その行為は実際の現実なのだ。
人でも、何が理由かは知れないが、守護神のように本人を止めたり、注意したり、カンタンにイヤな気持ちで心上に庭のように思ってタスケたり、
絶対、権利はない。リロン上でも心と心は遠い、手に取ったりは出来ない。
だらしない心の隙にそういう仏に遊ばれ苦しんでいるはずだ。元の天やその天に怒られている。
黙って苦しみ、自分の元気を養う。こうして七難即滅、という人も多い。
冥王星があるように、冥界はあって、リアルに惑星があるを知る、ここが昔より強度が上がった。
いくら苦しんでも何の力も授からないヒトだっている。こういった世界が憎しみのトビラの向こうにあるがさらに一億万年の功を描く。冥王。
その欲望だけの人間の間の間のない考えを、お前がお前に許したんやろ!
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