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2023/03/05
これはまた男のこれから死にに行くという格好だ。
今でもその気だけはある。恐れて避けたい、自分に勝つ事の勝手がこの時代ではまるで違う。歴史を見渡すことで、この時代この時代と上から考えてみたところでまだ判らぬ現代の文字を書くにこれから現代を彫っていくのだ、と教えてくれる。
上が上で、今はもう直した金箔の箱や道具など、男性の方が慣らしがある。私も手助けは出来るかも知れない。そしてそれをまた綴りたい。
何か考えてくれ、というが
「物を大事にしていた自分」を思い出した時に魔法が溶けるのか、奇跡が起こって光が見当たるのか、
その為に、その感じで有名な人がお姑としているように思えてきた。
自分は十分記憶喪失なのだ。記憶喪失かと思えばうわ上がりをして自分が本来持っていたものが何か分からない。そしてその物自体がそれほど今大事か考えても、これから作れる物に現代人の庭のオリーブを見てもしっくりしたものがある。何かちゃんとそう思えている時に大事な何かを見つけるその言葉が生まれるんだと思う。
今の感じの持ってるものと比べて比にならないだろう。どれも美術館の奥にあり、むしろおじいちゃんに「こんなものがあった。」と言いたいくらい、戦後から猛烈にばたばたの毎日である。
これはまた描いているのではなく、ひとつひとつ彫刻して嵌められている。
戦争で持っていたものをみんな取っ払った。ただ洋服を着たのは着てみて気が良かったのが広まった理由で行きっぱなしとなっている。これが本当なのである。精が何かを考えてるかも知れないが昔の人とは賢いのでもっぱら何をするも詩的な態度であるから、裏はないと言う。
相当、気の利いた物だから長く持てて、気が利くとか回りが良いというのは、文化的だとか精神(その自然)にたいしてちゃんとアプローチがあるから、
自分の物足りなさも分かるのである。
風を通す、ということが非常に重要で、その利率のために物の入れ替えが多い。
それはそれで、誰にわかられることもないまま自分探しが出来る道は残ってると言えよう。一つを見たら見事さに夢中になりそこを離れることがないのもある。
ま、こんな感じで文化形態が武士や花に偏ったのだ。
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