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2021/12/03
キリスト教などは聖書があり、「世界」がどのようなものか年齢が高くなるほど深い理解を施す。
そのように経典がある人と、我々のようにない人とでは世界理解に差が必ずあって、
今まで目に見えなかったが、欧米や西洋の方には「優しくされてた」ような気もする。
経文などだいたい読めない。
向こうの誰と話しても我々より一歩深い、と云うのが街で話した実感だ。
その、知識にたいしては日本の方が長ける所があるかも知れないが、
顔を変えずに聞きたいことや興味を、「三分で何が出来るか?」のように
絞ることが、我々日本の豊かさに向けたポイントとなる。
何らかの外の情報や答えを作るからだ。
ベタであるがその扉を開くかが、肝心なことは通説で、そこは同等であるのが「紳士的(向こうに合わせた)」な我々の気づかいであろう。
ちなみに近隣としては、よくたまに見かける暴れん坊や奇天烈に思う中国の人とは、
こんな人はいないか、助けてやる、というラブコールがほとんどであった。
自己や宗教なんて戦後から全くわからないぜ。
この日に、このトラブルの原因が「幽霊」なのだという
元来の神を養う国としての風情を取り戻さんとして来ています。
その証拠に「物語」が隋一をはかっている。
それでよし、じゃないこともわかってる。
「他人と話を展開させる。」だから、我々は自分、日本の者としてのルーツに関心を向けだした。
私の意見として、我々のすべてを囲う日本海が端から端までぼんやりとし、
よく笑え、と云われるが、
まず心としてかなしみについて良く思うべきなんだと、
世間におこってることの、なにが気持ちの暗さか?
自分で抱えきれないわけは、
実際歩いてあるいは想像して、正しい海を自然と向き合うことで変わるんだ。
心が人間として最も高度のものだから。
それしか幸福の道はないのです。
なにか切羽詰まって重いものを感じさせる、暗さにたいして品が有るような、
清まり。冷静さ。神として(神と、思う) 不幸の気高さ。
ほどよい闇が忘れられて来て、本当の闇を洗えなくなってしまってることも多い。
雑念は、暗さが溶かせるものなのにだ。
「ハッピー」も、わかる事の部分を人間として、KYにならず増やしていく。
笑いとは、微笑みとは、自然体のことなのだ。
えがお が、決してめに見えてなくても、無心になってるときはその人の心が笑っている。
「幽霊」なのだという、
たいして客観性を持ち、文化的に、臨む。
漢字やかなの字とともに暮らす我々は、こんな複雑なことを普通にする。
もっと上達したい。 さらに、深くそう思って居る。
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