川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • ニュートラルな世界

    目の前に据え広がりし現実世界は
    あくまでニュートラルな事象であって。
    真の現実世界は目の前宿るのではなく
    頭の後ろに宿す現象であって。
    つまりそれぞれによる現実世界は
    自身の辞書によるイメージフィルターを通して判断しているのだ。
    それぞれの辞書の解釈により
    各自が彩る現実世界は10人10色で変化してゆく。

    目の前に象が居たとしよう。
    その景色を10人が同じ視点から見たとしても、
    それぞれ抱え持ってる辞書が違うので
    現実の解釈が全く同じになる事は無いのだ。
    象の表情に見入ってる人が居れば
    鼻の伸びやかなラインに見入ってる人もまた居て。
    目の前に象が居ても、まったく別の事に
    意識がいっている人も居れば、
    後ろに広がる雄大な景色を
    フォーカスしている人も存在していると思う。

    目の前で展開される世界はあくまでニュートラルなのだ。
    現実世界は、自身の辞書を開いたフィルター解釈により
    価値感や好みや味などがイメージの世界で
    肉付けされて、構成されゆく。
    我々の現実は頭の中で、それぞれが導き出した価値感により
    千差万別な解釈をしているのが現実ワールドなのだ。
    外側の世界は常にニュートラルな形状を
    帯びながら自然なる形で流動している。

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  • 行動と沸点

    行動は、沸点の熱を帯びた時の状態が
    最も行動へと繋がりやすい。
    いわゆる沸点率100パーセントの状態。
    行動には賞味期限が設けられていて、この沸点による
    熱が冷めてくればくるほど、
    行動に移す気持ちが萎えてきて、
    沸騰したお湯が水に変わってしまえば、
    行動に起こす事は、ほぼ出来なくなると言っていいと思う。

    思い立ったら、すぐに行動という名フレーズは、
    正にその通りで、熱を帯びている内に
    行動へと繋げてゆく事を心がければ、
    インプットにより得た知識が
    すぐさまアウトプットとなり、行動してゆく事で
    経験と言う名の血肉となり、それが物事の
    発展や進展へと実を結んでゆくんだと思う。

    珈琲は熱い内に、口に入れて飲むのと同様、
    行動も情熱の灯が付いてる内に行動へと
    シフトさせてゆきたいものだな

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  • 個人における物語

    個人が語り継がれし物語。
    この事について今日は書いてゆこうと思う。
    親がサラリーマンで在れば、サラリーマンの物語を
    子供へと語りついでくるだろうし、自営業であれば
    そこから紡ぎしマインドを次の世代へと継承させようとする。
    けれどその事柄に、疑問を投げかけたい所もあって。

    先人が紡ぎし物語は
    あくまで、その者が通ってきたロードであり、
    その人物が歩んできた道筋であって。
    最も子供が影響を受けやすいのは当然、親であり、
    誰もが影響受けていると思う。

    親や周りの親類などが、教育関係の家庭で育った僕の場合、
    当然親は教師で先生になる道を進めてきたし、
    大学行ってた時も教員免許を取る様に何度か勧められた..。
    これは親が教育関係の職業を人生の中で生きて
    紡ぎ出してきた物語であり、それを最終的に
    受け継ぐか否かを決めるのは、提案を受けた
    本人が決めるべき事柄で良いと思う。
    親が紡ぎし職業から派生する物語を継承するのか、
    新たなる道に踏み出すのかを本人自身が
    じっくりと向き合い、
    答えを実体験や経験と照らし合わせながら決定するべきだと思う。

    昔にテ見たテレビ番組で印象に残った内容が
    在るので、それを例に書き記そう。
    母親と娘との間に生じた将来なってほしい、将来なりたい
    職業の相違をテーマにした番組だって。
    母親の方は娘に芸能関係の仕事に就かせたいらしく
    小学生の頃からそれに関わるレッスンスクールへと
    通わせる事を半ば強制していて..。
    けれど娘の将来なりたい職業は
    盲導犬のトレーナーであって、親の圧力を感じながらも、
    それを反発する形でスタジオで訴えていて。
    この場合、僕が思うに母親は多分だけど、昔、
    女優とかアイドルになりたかったけど
    道半ば挫折や限界を感じて諦め、普通の主婦になったんだと思う。
    けれど、その気持ちが今も心の中で強く渦巻いてて、
    その物語の続きを娘へと
    継承してほしかったのではないだろうか?
    けれど、それは母親が紡ぎしストーリーであって
    娘には娘の物語が希望の灯として持っているわけで。
    だから、娘の真に目指したい、本気で叶えたい夢を
    一歩引いた場所から応援してやるべきが本当の親心なんじゃないかと思う。

    前に作家さんと話した時、こちらの方はその例えとは
    真逆で、良い話をしていただいたので、そちらの事も書き記そうと思う。
    僕が「画家になりたいと、親に言って反対とか
    圧力受けた事あります?特に女性作家さんだと親御さんの
    圧力とか半端無いでしょうからね笑」..みたいな質問をした事があって。
    そしたら返ってきた返答が「家の父や兄も昔、画家を
    目指してて、それぞれの事情から
    途中で辞めて別の道を選んだんです、
    だから絵を描く事の素晴らしさを知っているから
    自身が作家活動やってても、逆に暖かく応援してくれて
    それが心強くてすごく嬉しいんです」..と言っておられて。
    つまりこの場合は自身が叶う事の無かった物語を
    娘さんが強制的な形で受け継いだのでは無く、
    自然な流れで同じ道を志してくれたので、それが良かったんだと思う。
    自身が一昔前に、紡いできた物語だからこそ、
    その物語の素晴らしさや魅力が分かるから、
    心からエールを送りたくなる。
    それが自然なる形で物語の続きを
    受け継いでくれた場合にのみ、ストーリーの続きが
    流動的な流れとなってて繋がってゆくんだろうな。
    自身が紡ぎし物語を自分のストーリーで彩ってゆきたく思う。

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  • 一つの定められしルール

    最近、絵のテーマ設定を設けた公募展に
    エントリーする機会が増えてきた。
    以前はテーマを前もって
    設けられる事に抵抗あったが
    今はむしろ逆でテーマが絞り込まれている方が、
    手応え感じられる作品描ける事を
    実感として噛みしめられて。

    以前のブログで書いた新しき世界を垣間見せる、
    つまり表情におけるフェイス変化は、
    このテーマ設定を一つ設ける話と繋がってくるのだ。

    ドラードでブラックホワイトと題した展示会のために
    描き下した白と黒のみで構成された作品。
    それは制約と誓約におけるルール作りを持った上で
    作り上げる事により、今までとは一味違った世界を
    立ち表わせる事が出来たと、前にも述べたと思う。

    一つの絶対的な定められしルールを
    サッカーに置き換えると
    手を使ってはならないと言うのが
    サッカーにおいて揺らぐ事の無い鉄板ルールなわけで。
    その事が実はすごく良いんだと思う。
    手を使ってプレイ出来ないからこそ、
    あれだけレパートリー豊かで多機能に富んだ足技が
    数多く生み出しながらクリエイトされたんだと思う。

    つまり制約と誓約ね^^

    そして今回、サーカスを題した展示会の作品に取り掛かり、
    ようやく完成するに至ったのだが、
    こちらも自身の予想をワンランク越える
    イメージを制約と誓約により手に入れる事が出来たと思う。
    サーカス画集の出版を前提に参加者を募った公募展で
    1人1ページフルカラーになった絵図を画集に掲載してくれる、
    かなり画一的で面白い公募展なわけで。
    出版記念と題して描きあげた作品を集めた
    グループ展も開催されるみたいで、
    正に2度美味しく味を窘める魅惑の公募展なわけで。
    これにも絶対的なルールが、たった一つだけ存在していて。
    サーカスを題した絵を表現する。それ以外は
    現実でも空想でも自由なのだが、
    このサーカスと言う制約と誓約が、
    今回も火事場の底力を存分発動してくれた様に思った。

    サーカスをテーマにして、すぐに浮かんだ図像が
    上記の画像作品でして。頭に浮かんだ時、
    すごく面白くて何としても形にしたいと思った反面、
    仕上げるの、すごく大変そうだろうなぁ..と
    言う覚悟の気持ちも同時にあった。
    これから山を一つ越える様な感覚やね。
    ジラフの胴の上に子ジラフが乗っかってて、その上に
    さらに小さな子ジラフが..。このイメージは今まで
    絵に描き表した事の無い、ワンランク上にある図像であって..。
    構図を整えるのに
    すごく手こずりながら足掻きに足掻いたが
    それを乗り越えた先に、ご褒美が用意されていて。

    やはり完成させた時の喜びは想像以上に大きかった。
    それは何故かと解答すると、
    この一枚を完成させる事で
    出来ないを出来る事柄に変化させれたからなんだ。
    つまり僕の言うフェイスによる表情を変化させるとは
    出来ないを出来るに変化させる事で枠の中から
    枠の外へと飛び越えてゆく事であって。
    描く前は、胴体の上に一頭子ジラフ乗せるのが
    キャパ容量としての限界だったのが
    2頭乗せるイメージに挑戦しながら描き出す事により、
    新しき世界が立ち上ってきたのだ。

    これも一つのルール設定から焦点を絞り出す事で
    構築できた賜物の様に思った。

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  • 画家のユニフォーム☆

    プレイしているから野球選手であって。
    サッカー選手も
    グラウンドでサッカーをしているから
    サッカープレイヤーなわけで。
    漫画家は漫画を描いてるから漫画家なわけで、
    映画監督は映画を撮影し続けているから映画監督なわけ。
    つまりその職業を続けているから、
    その職業としての価値が在るわけで、
    ユニフォームを脱いで引退すれば
    それは、元野球選手であったり、元映画監督であり
    過去のプレイヤーとして認識される事となる。

    もちろん、現役の時に培ってきた能力を
    他に生かす事は出来るけど、現役のプレイヤーで
    フィールドに居続けない限りは
    サッカー選手や野球選手では居られないわけで。
    サッカーのアナウンサーとか野球監督に転職すれば
    それは選手ではなく監督でありアナウンサーとなるわけで。

    画家の世界でも同じ事が言えて
    作家活動や創作活動をしなくなったのに
    画家と名乗ったり作家の看板を掲げても
    誰からも認知されないし認められないわけやね^^
    つまり画家で居続けるためには、描き続ける事自体が
    画家としての存在価値であり、
    そこが作家として他者から認知される
    唯一の接合点であると思う。
    常に作品をピカソやゴッホの如く日々あくなき探究心掲げながら
    クリエイトし続けてゆきたく思う。
    「昔は毎日絵を描いてて、過去にいろいろと活動してきた」などと
    過去の栄光に縋り付いて、昔の栄えある物語を
    武勇伝みたく語る様になれば、それは絵師としての死を
    意味していて、何もそこから生まれないし、
    そこからはクリエイトする事など出来ないのだ。

    大切なのは現在の完成系を常に産みだし続けながら
    日々作家活動を継続更新し続けてゆく事こそが求められてくるのだ。

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  • アートなマラソンリレー

    作家活動を毎年、継続更新しながら
    続けていて、ふと思う事がある。
    作家活動はマラソンと感覚が近いよなぁと、つくずく思う。
    始めたばかりの一年目で一気に
    頭角を現したかと思えば
    2年目3年目でペースが失速してしまい
    作家活動を断念するモノがいれば逆もまたしかり。
    長きに渡り粘り強く作家活動続けてゆく過程で
    ようやく芽が出てきたモノも多いと思う。

    毎年、いろんな理由で作家活動を断念する者が続出して、
    それと同時に新しきニューフェイスが毎年軒を連ねるのだ。
    入れ替わり立ち代わりを繰り返しながら
    新たに出来た友が居れば、過ぎ去りし友もまた同時に存在する。

    移り変わりの激しき激動なる2013年、自分以上に
    周りの変化が変わる中、転換期を迎えつつあるなぁ。

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  • 遊牧なるままに

    フリーランスは言ってみれば、
    いわば遊牧民なる民であって。
    フリーランスな画家である自身は
    拠点を据えつつもありとあらゆる場所へと資源を追い求め、
    様々な土地や地域へと赴いている。
    そこでしか出来ない条件交換を
    随時クリアーし続ける事にこそ大いなる価値が宿ると思っていて。
    逆に一つの箇所に依存する事を極端に嫌う傾向がある。

    それは何故かと言えば、
    スペースを提供する側に
    場所の最終的な決定権が委ねられてるので
    提供される側にとって
    一つの場へと留まる事は、身動きが取りずらく
    自由が利かなくなってくる事を
    経験により得た知識から知っているからなのだ。
    つまりスペースを提供する側が
    ルールや条件を改変すれば、
    提供を受けるこちら側は
    そのルールに従った上で
    展開してゆかなければゆけなくなってくる。
    場を取り仕切りながら支配する側に
    最終的な決定権を
    握られている状態に依存などせず、
    その場でのルールが変更されれば
    いつでも辞めて他の場へと移れる柔軟性が時に必要で大事だと思う。

    例えばデザフェスが次回から抽選制になるわけ^^
    これまで先着順だった


    長きに渡るルールが主催者側、
    つまり場を取り仕切る側によって
    変えられちゃったわけ笑
    平等に出場できる事をお題目として掲げていたけど、
    平等の意味を履き違えているわけよ笑
    だって、デザフェスを生活の収入源としながら
    出場しているタイプの作家と、学芸祭の軽いノリで
    発表している絵描きとでは、
    そもそも出場する意味合いが違ってくるわけ^^
    それを踏まえた上で抽選による
    平等が真に正か否か、
    冷静に考えてみれば分かりますよね^^
    アルバイトの時間給による
    金銭平等とある意味、一緒なわけで。
    一時間汗水垂らして荷物を100個降ろして頑張ってる人物と、
    手を抜いて40個、適当に降ろして仕事しているタイプでも
    時間給に換算すれば一律850円とか均一で平等なわけ^^
    これが平等と言う概念として
    一般的に捉えられているのであれば
    これほど空しく切ない事柄は他にありませんよね「笑」

    真に平等を図りたいのであれば
    時間給で成果をシステマティックかつ
    安直に算段するのではなく、
    それぞれの能力の差異により
    支払われる金銭が違ってくる能力給の概念で
    平等という視点を捉えてみれば良いと思う。
    さすればデザフェスの
    安易で浅はかなシステム改定には至らなかったはずだしね〜。
    まぁ、こう言った形で、ルールが改変してしまった時、
    すぐ様、別のルートを瞬時に捻出できるのが、
    フリーランスとしての身軽さでいて
    自由をレバレッジとして
    ふんだんに効かす事出来るので、次なる場所へと
    遊牧移動する事にしようと思う。

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  • フェイスによる表情変化

    フェイス、つまりは、立ち表わせる表情を随時変えゆく。
    創作活動や作家活動において、
    この事柄がすごく重要だと思っていて。
    システムの完成が、そこからの腐食を指し示すのに対して、
    常にフェイスを自在に変えゆく事で
    鮮度を維持しながら
    新しき世界を常に垣間見せる事が可能であるんだ。

    フェイスを変えるとは、フェイスを操作する事である。
    まずは発表の場ありきの作家活動に
    フォーカスさせながら、フェイスについて論じてみたいと思う。

    同じ空間で展示すると言うのは、そこでの固定ファンとの
    繋がりを保つために大事だと思うし、
    自身と相性の良い拠点を構えるのは良い事だと思う。
    ただし、そこにのみ焦点を構えて
    居座り続けているだけでは
    発展性を望めないし、新たなる扉を切り開き
    開拓させる事は出来ない。
    その場所のみだと
    寄り集まってくるフェイス、つまり顔ぶれが
    同じになってくるからだ。

    同じ顔ぶれからの脱却を試みるためには
    フェイスによる表情を変化させなければならない。
    展示場所を移動させる事により場所によるフェイス、
    つまり表情がガラリと変化してきて、
    新しき出会いや新しき顔ぶれと接点結ぶ機会へと恵まれるのだ。

    フェイスを変える=アプローチの仕方を変えてみる事だと思う。

    自宅で制作する創作活動においても
    このフェイスにおけるマインドチェンジが重要なるキーを担ってくる。
    例えばジラフ。このモチーフをメインモチーフとして
    展開し始めて3年目へと突入する。
    すごい数の頭数を描いているので、
    提示するイメージが被ってくる事があって。
    この場合、全く一緒にはならないにしても、
    以前立ち現われたイメージとパターンが被るので
    自分としても、予想を超える達成感が生まれない。
    よって、当然、鑑賞する側も
    大きな反応を指し示してくれる事は無いのだ。
    なので、フェイスを意識しながら変える事が重要なってくる。
    表情による変化を試みる事で
    新しき世界を提示すれば、予想以上のイメージを
    手にする事が出来るし、見る側が指し示してくれる反応も、
    かなり大きいし手応えを感じる事が出来る。
    最近ではモノクロオンリーで描いたジラフが
    いわゆるフェイスを大きく変化するに辺ると思う。
    普段試みた事の無いモノクロームのみでの
    色面分割を導入させ、描き表す事で
    新らしき地平線が目の前へと展開されていった。
    デザフェスでの反応も一番良くて
    フェイスの変化による賜物だと思っていて。

    ホエールを初めて展開した時の反響もすごかった..。
    それまでジラフを主軸に描いていた僕が
    ホエールを初めて描いて提示したので、
    普段の画風とは一味違った絵図を
    新らしき見せ方として提示する事が出来たのだ。
    ここでも反応の度合が突出して良くて
    普段見慣れているフェイスによるジラフの表情とは
    一変させた表情を垣間見せた事により
    フェイスによる変化が新しきフロンティアへと誘ってくれたのだ。
    ジラフに続く新たなる強力な
    武器を自身が手に出来た瞬間でもあった。

    フェイスによる変化を試み、
    新たなる航路へと向かいながら
    変化を楽しみ絵図をクリエイトさせてゆきたく思う。

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  • 未完成な進行形

    完成された思想や作品は
    現時点での完成系だと思っていて。
    それは未完であるとも捉える事が出来ると思う。
    つまり作品は永遠に完全なる形で完成する事が無くて。

    現時点で自身が思い描いた
    イメージをその都度その都度、
    随時更新させてゆく事を繰り返してゆく。
    そして現段階での解答を
    表現する形で繋ぎとめながら、
    現在見えてる世界観や,
    物事に対してのイメージを提案しているにすぎなくて。
    前回のブログでも書いた様に
    表現や思想というのは、
    絶対など在り得なくて、
    永遠に連なりし未完なわけで。
    未完である事象を随時更新してゆく事で
    発展途上で進行形の世界が
    新陳代謝による提示となり、表出してくるのだ。
    現時点でこう見える、現段階では、この様に思いこう感じる、という事を
    瞬間瞬時において立ち表わしてゆきながら、
    現在進行形である世界観を発案してゆくのだ。
    完全なる完成という事柄は硬直を意味して、そこをピークに
    衰退してゆくから、常に未完成の新しき世界を
    角度や切り口変えながら垣間見せてゆきたく思う。

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  • 購入者に得をしてもらうマインド

    これまで数多くの原画作品が
    手元から離れながら嫁いでいった。
    僕の作品を手元に所有している人に対しての最大限のサービスは
    自身の能力を高めてゆく事にあると考えていて。
    それにより付加価値がついて、損をする事はなく、
    むしろ手元から離れていった作品全てが
    得をするという概念へと回収されゆく。
    その事について今日は書き記そうと思う。

    自身の能力は一昨年より去年、
    去年より今年の方が
    右肩上がりで良くなってきており、それが
    成果へとダイレクトで直結しながら結びついている。
    出来ない事が少しずつ無くなり出来る事が少しずつ増えていった。
    僕の能力向上や腕磨きとは、つまりこの2つに辺ると考えていて。
    現代アートとは生きた作家が
    タイムリーで作り上げたモノであるから
    購入後の活躍もブログやFBなどを通じて
    実況中継する事が出来るので、
    その都度活躍する姿を見せてゆける。
    それこそがお互い得を得る事へと繋がると思うんだ。
    手元にある作品を手掛けた製作者が5年先10年先、
    今居る場所よりも、遥かにより良い条件下で
    躍動的に活躍していれば、
    それだけ絵の付加価値が跳ね上がるし、
    何より無名な時に購入した作家が
    名を上げれば所有してくれてる方達は
    心底嬉しく思ってくれるだろうから。
    要するに購入していただいた後も、活動を続け
    常に新しい世界を見せてゆく事が
    大事であり必要であると思っていて。

    無名時代の、評価もレッテルも貼られてない時代に
    自分の目利きで絵を買っていただいた方に対して、
    恩返ししてゆきたいと僕は思うし、
    そのために手元から離れたすべての作品や
    それを手にした全ての人が
    得をする様な在り方を提示したく思っている。
    僕は一生涯かけて、画業を邁進しながら、
    その都度その都度
    自身の今居る立ち位置から現在出来る表現力で自身の
    完成される事のない新しい世界観や可能性を
    発表してゆければと思っている。

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