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2013/05/24
システムは完成を遂げた瞬間から老朽化の道を辿りゆく。
方程式が分かってしまえば
その完成した方程式をひたすら
ルーティン繰り返してゆくだけだから、
目新しさが次第に無くなってきて、
作る側も見る側も飽きてくる。
つまりその場所から人が移動し、離れてゆく。
意識と時間は
常に興味ある場所へと積極的に
寄り集まってきて、移動を繰り返しながら
別の興味ある場所へと向かいゆく。
いかに自身の作りしモノづくりに対して
意識と時間を割いてもらえるかだと思うし、
その割合が大きくなればなるほど、
そのモノや人に対しての価値基準が高くなってくるのだ。
現在進行形のモノ作りを常に心掛けながら
紡ぎ上げし思想や価値観を新たに更新させゆく。
これの繰り返しが完成させる事を防ぎ、
常に未完成の状態で次なる一手へと取りかかれる。
一年前の自分の方が
現在よりも優れていて腕があるなど..
あまりに悲しく切ないではないか。
一年前の手仕事が、荒くて未熟に見えてくるのは
それだけ腕に磨きがかかった状態なってるわけで、
自身の成長を確信的に理解する事出来る。
現在の自身が最も脂身の乗った本マグロでありたいし、
常に右肩上がりを意識しながら
旅路を先へと突き進めてゆきたく思う。
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2013/05/23
行動する契機として与えられるきっかけ。
それが人の言動だったり、何かを見て影響されたりとか。
その時の瞬間.瞬間が最も沸点率高くて。
時間が経てば経つほど熱は冷めてくるので、
熱が冷めない内に行動へと点火しなくてはゆけない。
何故なら行動には賞味期限が付いていて
時間が経てば経つほど行動へと移すための熱は
冷めてくるので次第に行動へと移しずらくなってきて、
やがては行動したい事柄そのモノに興味がなくなってきてしまう。
思考は現実化する。そのためには行動を。行動するためには
熱の熱いうちに行動へと移すだな。さてさて。
次なる一手を練り始めるとしよう。
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2013/05/23
正しき正義というのはあくまで主観であり
悪い行いというのも主観の域にあり、
そこに置かれたストーリーや文脈、立場などにより変化してゆくモノである。
つまり白黒はっきりと言うよりかは
グレージーンという領域がこの世界を覆い尽くしていて。
ある人にとっての正義は
対極に位置する人物にとっては悪であるし、その逆もしかり。
戦争が最も分かりやすい例かな。
それぞれ自国の旗の下の元に
自国の正義を掲げながら戦っているわけで。
国と国における戦争において
自国からすれば他国は悪であり
倒すべき敵であると認識される。
倒すためには殺人という普段の平和な世界では
非人道的で忌まわしき行為も真逆の価値感で容認される。
むしろ敵国に居る
より多くの兵士を倒せば倒した分だけ
階級が上がり自国から称えられ
昇進出来るシステムとなっている。
恋人や家族を守る大義名分の名の元、
そこに付随されながら正義が設定されゆく。
我々の住んでいる世界は、白と黒が混ざり合った
いわばグレーゾーンに位置していて、
どちらにも状況や立場によって成りうるし、
自身も生まれる国や地域によって、
全く違った価値観や物事の捉え方をしていたんだろうなぁ。
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2013/05/21
僕は自他共に認める肉食系男子なわけでして。
美術の世界は、男女共に草食系が8割型占めていて。
なので、その枠の中での肉食的な人物は
かなり目立つ異質な存在と捉えられると思う。
けれど、どの職種でも肉食系が主権を握っている事実が
確かにあって結局の所
肉食系マインドで物事を
進めてゆける捉え方の方が成果が出やすい様に思う。
動物の世界に置き換えてみれば分かりやすいと思うけど
サバンナでライオンとヌーが遭遇すれば戦って勝つのは、
ほぼ確実にライオンなりますよね^^
アートの世界でも、それは確かにあって、
それはひとえに言いくるめると
スタンスの違いによる所に在ると思うのだ。
肉食系は攻めのスタンスに特化していて
攻めるウェイトが圧倒的に多くを構えの中で占めていて。
攻める攻める攻める、たまに防御に周るみたいな。
けれど草食系の男子および女子って
ここの構えが真逆なんだよね。
守る守る守る..時たま攻めて..また守る守る..みたいな笑
要するに攻めが行動に直結するのに対し、
守るはただ様子を伺いながら待ち構えている状態を表している。
ただ闇雲に待ち構えていても現状は変化するわけもなくて、
同じ地点でのループをひたすら繰り返す事になってくる。
けれど攻めるを主体的に構えていれば、それが行動による
経験となって実感を促し、血肉へと変化してゆく。
いわゆる経験による過程が変化を齎しながら
枠の中から枠の外へとはみ出してゆけるのだ。
いわゆる短い周期で変化を誘発する事が出来るので
見ている風景が次第に移り変わってくる。
逆に草食系マインドの作家は、
狭い枠の中を、ただただ、ひたすら守る事に
集中しているので、変化の兆しが訪れる事がさほどなく、
同じルーティーンを繰り返しながら一年の幕が
何事も無かったかの様に閉じられてしまうのだ。
成果を着実に上げたければ失敗を恐れず
むしろ手痛い失敗の中から
成功へのカギを見つけ出しながら
着実な成果へと近づける方が、
最短距離で自身の叶えたい
願望を自己実現出来る様に思うのだ。
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2013/05/20
デザインフェスタ二日間での
売り上げトータル28万700円!!
予想をはるかに上回る
驚異的かつモンスター級の売り上げセールスを
記録いたしましたぁ^^やったねぇ^0^
受注依頼の件が事前にありましたが、
それにプラスアルファーする形で
ありとあらゆる人がブースへと足を赴けてくださり、
絵を興味深そうに、まじまじと眺めながら
興味持っていただいた事が
強いエールと気高き誇りとなり自信持つ事が出来た感じです。
作家の身に着けた能力って消費されないし、
いくらでも使い回しが効くと思ってまして。
だからイベントの成果が出るよりも
真に大事なのは、そのイベントに参加するまでに
培ってきた労力や時間が血肉となり
確かなる能力として
身につけれた事だと考えております。
藁しべ長者の話を例にまた出すと
身につけた能力や、
磨き上げられた腕前に応じて
交換していただける条件が少しずつ
大きくなってくるのを
作家活動10年目を振り返りながら、
最近つくづく思う様なりました。
ポストカードから始めた作家活動1年目の
藁しべ交換だった頃から交換できるモノが
少しずつ増えながら
大きくなってゆくのを実感いたしております☆
フリーペーパーのインタビューだったり、
企業との商品コラボだったり、企画展のお誘いだったり、
熱狂的に熱く応援してくれるファンの存在であったり、
そして今回の驚異的な売り上げセールスだったりと..。
それと同時に、まだまだ未熟でいて
浅はかであると僕は自身で自身を認識しているし、
さらに先の交換地点まで向かうため、
つまり次なる10年目へと
舵取り始めた所なんです。
作家活動は個人の能力次第でどこまでも高く
羽ばたいてゆけるし、天井など無くて
制限がかからず、自由奔放にフライトが可能。
自身にボーダーラインなど設定しない。
さてさて、わらしべ長者な条件交換は、
この先どんなモノを手にする事が出来るのか、
じっくりと挑みゆく事にいたしますかね^^
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2013/05/17
http://designfesta.com/
デザインフェスタVOL.37 2013.518.19
11時〜19時.A-63ブースにて出展 川瀬大樹
デザフェスいよいよ明日明後日の土日、開幕ですねぇ^^
もう気分は遠足前、おやつを選びに行く
小学校低学年の気分ですよ^^
より多くの人に絵を見て貰って、一人でも
多くの人に絵を気に入って購入してほしいです。
さてさて、今回のデザインフェスタ、
前回のデザフェスからの繋がりで
耳鼻科の先生に、受注依頼を受けまして。
それをデザフェスにて渡すと言う..
使命感と責任感を強く抱いてまして。
それと同時に前回以上にそれを達成した時の
高揚感を味わいたく思っていまして、
ワクワク&ソワソワしておる感じであります^^
始めの段階で依頼されたのは、
お医者さんの娘さんである次女の誕生日が
5月下旬らしく
それに合わせてクジラを描いてほしいと依頼されました。
その後さらに、長女には羊の絵を、お医者さん本人には
怒れる猫の作品を描いてほしい〜..とリクエストいただき、
なんとか、かんとか、全て依頼された絵を完成させるに至り、
明日のデザフェスへと挑みゆく感じなのであります。
さてさて、お医者さんから今後、絵を展開する上での
貴重なるアドバイスをいただき、その内容がとても興味深く、
これから、この事について根掘り葉掘り、考えてゆこうと思うので、
今日はその送られてきたメールを
シェアする形で書き記そうと思います。
依頼主のお医者さん
「次なるテーマですが、私ならネコ科で行きます。
モノを安定させるためには基底面を
広く取る事が基本、そこから行くと
キリンの属性
陸 草食 静かな夢
ホエールの属性
海 魚食 自由な夢
猫科
陸 肉食 活発な夢
という事で相性が良いんじゃないかと」
「犬はオオカミが人間の友として生まれ変わったという
由来自体がファンタジー、ファンタジックに描くと
屋上屋を重ねる羽目になります」
「羊、サイ、象、シカ、草食系野生動物は
キリンと一緒なので基底面を広げる役にたたない」
「鳥は自由と言う解釈もありますが、空を飛ぶために
あらゆる事を犠牲にしているストイックな動物なんで、
ファンタジー路線で行くと結果的に
現実味が逃げ去ってキリンと被ってしまうと思います」
中略
「ネコ科であれば怒り.空腹といったキリン.ホエールで
封印している感情を表現できる点が有利かもしれない」
それと僕自身が川瀬君の怒った猫をみてみたいと」
ネコ科を描く場合、気をつけるべき事は
量産しない事、溺れない事だと思います。描けば
売れると思いますが、浮動票的な人気を
得るこ事は返ってマイナスに働く事もありますし、
川瀬君はすでにどの様な作家として
認識されるべきかが、重要な局面に入ってきていますから」
と言う内容の文章をありがたくいただきまして..。
属性がそれぞれの生き物に在って
それの持ち味を生かしながら基底面を広げてゆく事が
必要であるという所が学びとしてあった感じです。
絵の地盤、これをまずは広げてゆく事で
その上に載せてゆける世界観を
より高く上の方まで積み上げてゆける。
ピラミッドで例えれば分かりやすいと思いますけど、
底辺の下地として積み上げられた面積が
大きければ大きいほど石を高い頂上まで、
高積みしてゆけるという感じなんでしょうね。
ジラフ.ホエールを深く掘り下げたさらに先に存在する
僕の画家としての煌びやかなる未来への鍵。
それを掴み取るため、さらに一歩今よりも
踏み込んだ領域でデザフェス以降は
図像を揺り動かしてゆきたく思います。
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2013/05/16
藁しべ長者の物語は自身の作家活動と
照らし合わせながら、大いに参考なる所があるんだ。
藁しべ長者の、大まかなあらすじは、
観音様のお告げを聞いた主人公が、始めに手にした
藁しべを通して、交換を重ねてゆく物語。藁しべから
少しずつ交換するモノが高価となってきて
最後には富豪の家を手に入れるという物語でして。
作家の世界でも発表繰り返す事は
交換を繰り返してゆく事だと考えていて。
始めは、どんな作家でも所詮は藁しべなんですよ笑
つまり自身の能力が始めた当初はレベル1からのスタートであって。
出展スペースにて
「藁しべを何かと交換してください」と言って
スタート切る様なものなのだ。
交換とはつまり何なのかと言えば
両者の等価に釣り合った相互承認により交換が成立してくる。
互いが交換する価値に見合ったと思える
イーブンなレベルで、交換条件がクリアーされてから、
トレードが執り行われるのであって。
つまり作家活動始めたばかり時の
自分を思い返してみれば分かるけど
僕の場合は出展場所で交換できるモノと言えば
ポストカード150円..が精一杯で
それ以上のトレードは成り立ちませんでして。
僕が交換しようと思っているのは、
個人の磨き上げられた能力を交換しようと
トレード持ちかけているわけで。
自身の能力に磨きが洗練されて能力が高まってゆくほど、
交換できるレベルがそれに相応して高くなってくる。
作家活動8年目でブレイクスルーしてから、
交換条件が始めた当初に比べれば格段に優遇される様になった。
今現在も出展料を払って展示するフリーランスの
スタイルは当初と変わってないが、自身に漂流してくる
交換条件が圧倒的に良くなってきた。
それは自身の腕前が上がったからだと思うし、
第三者との等価による交換レベルでの
条件水準を引き上げてゆける事と相なったのだ。
今年で言えば、招待企画による
展示会にお誘いをいただく機会が何度か恵まれた。
亜蛮人二人展、オルゴールミュージアムでの展示会、
ギャラリーCOMPISのグループ展、
南港ギャラリーでの動物展のお誘いなど。
人気投票ではドラード春のアートコンペティションで、
2位を獲った事の特典でポートフォリオを12月末まで
委託として置いていただく事となった。
COMPISのラブ&ピース展VOL1.では
人気投票で一位を獲得したのがきっかけで
VOL.2の出場権を手に入れて、そちらにも参加する事が出来たんだ。
手の平サイズのアート作品展では9点もの絵が
販売へと繋がり、自身でも驚いているのだけど..。
要するに、展示会を通じて、交換できるモノが
藁しべでしかなかった活動歴一年目に対して、
現在は、そこよりかは少なくとも上の
交換条件でトレードを成立させれる様な
立ち位置にまで来れたんだと思う。
現在思うのは、さらに上のトレードを目指すため、
腕に磨きをかけながら、今よりも高い次元での
等価交換をクリアーさせてゆきながら山登り続けてゆきたく思う。
例えばだけど、交換出来るものが、作品集出版とか、
ニューヨークギャラリーでの個展とかまで
成立出来たら、それは本当にすごいと
自身が自身で思えるだろうし、
そこまでとことん昇り上がる事を
マインドへと刷り込みながら作家活動に
日々切磋琢磨励してゆきたいと思う。
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2013/05/15
浪人時代の時、
モチーフの本質を探ってゆく、ある意味
究極の課題をやった事があって。当時は、
なんでこれをしないといけないんだ..と意味が分からなかったけど、
作家活動始めてから
その課題が最も自身の中で血肉となり
活きているのを実感している。
その究極とも言われる課題は、
カボチャを、デッサンする。なんだ、それ?って思いますよね。
けれど、これがベリーハードでして..。
何がハードかと言われたら、
普通の受験デッサンのための課題って、
時間制限が設けられてて、3時間で
どのくらいの密度でバランス取りながら
描き込めるかって言う所にフォーカスされてて。
言ってみれば、決められた時間内に、
完成度をどれだけ上げれるかという
受かるのに必要なスキルなわけ^^
けれど、このカボチャの課題は全くの真逆でして..。
カボチャ一点のみやと3時間あれば、
デッサン完成させるの簡単ですよね。
けれど、この課題は
「12時間、カボチャとひたすら向き合え」..と言う
究極のミッションでして。
つまり3時間もすれば、カボチャの形が
それなりに形作られてきて、明暗のコントラストとか
質感も、密度がそこそこ出た状態なってくる。
この状況からさらに粘りに粘って描き込んでゆくわけよ^^
8時間とか過ぎてくると..画用紙は真っ黒焦げなってきて、
何度も塗り重ねているから、紙が所々
引きちぎられてくるわけ..。
つまりこの課題は、対象物を凝視しながら、
描くモチーフと
とことん向き合うという行為を
体感する事に大いなる意味があるのだ。
凝視がキーマンとなってくるが6時間とか過ぎると、
もうこれ以上手を入れられないのではないか..と弱気なってくる。
けれど自身では100パーセントの
完成だと思っていても、詰め込みながら
画面と対話していく内に
見えてこなかった線のラインや、隙間が見えてくる。
いわゆる自身の枠を一歩はみ出せた瞬間が
訪れた感覚芽生えてくる。
凝をとことん突き詰めてゆく内、
これが完成で終わりだと言う
自身が勝手に定めし概念が
単なる自身の思い込みによる
思い上がりでしかないというのが
赤裸々に垣間見えてきた瞬間でもあった。
完成だと思っているのは他ならぬ自分自身であり、
それが画面に終わりとしての
ライン設定しているにすぎないのだ。
画面は100パーセント完成と思った所から
さらに踏み込んだ再スタートを掛けてゆく事で
格段に絵の質が上がる事をその課題で大いに学ばせていただいた。
ジラフのラインをミリ単位で整えながら
自身の枠を超えたライン上へと乗せてゆく。
それが出来た時に、自身が自身の枠を超越した時にのみ
得られる喜びが感動出来る形で体感できる。
それを展示会で鑑賞者へと自身が垣間見えた
琴線震わせれる感動シェアさせながら
共有する事に、互いが喜びを見出せるのである。
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2013/05/14
変=価値であり、変を価値在る所まで
とことん突き詰めながら磨き上げる事が
大事であり必要となってくる。
けれど、平坦で変化の無い道を好むのであれば、
変である必要などないので、自分が道ゆく前に
人が多く通ったであろう整備されし道路を
同じルーティーン繰り返しながら歩めばよいと思う。
しかし、平坦というのは言ってしまえば
誰にでも出来る平均的価値しか
生み出す事が出来なくて、
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
バイト広告でお馴染みのキャッチフレーズを
引すれば「誰にでも出来る簡単な作業ですよ」..となる。
誰にでも出来るけど、きついですよね、特に工場とかは..「笑」
ベルトコンベアーで流れてきた商品を流れ作業で黙々とこなしてゆく。
それを何百個こなそうが時間給として固定される。
即金性はあるが先が無いという結果となるわけ^^
サラリーマンとかもそうですよね^^どんなに頑張っても
先は見えてて。つまり先が見えてれば10年先に居る
未来の自分が分かっちゃうわけよ^^
未来の自分は目の前に居る
頭ハゲ散らかした部長とか、課長が
未来の自分を投影した姿なわけ「笑」
そう考えたら、いつも天井が見えてる様な感じで
空しいですよね、サラリーマンも時間給で固定されてて、
それ以上でもそれ以下でもない。
つまり僕はそこが嫌で嫌いだからフリーの画家として
毎日画業に勤しみながら、他人に与えられた
決まりきった未来を目指すのではなくて、
自身が自らクリエイトした未来へと歩みを進めているわけよ^^
天井の上が見えた5年先、10年先の未来なんて、
虚無が漂うだけで何もそこにはないし、
それよりかは未知なる冒険へと繰り出しながら
恐れを恐れず歩みを突き進めてゆきたく思う。
人が当たり前と常識でくくりながら通った道とは
別のルートを僕はあえて通ってゆくのだ。
ヌカルンダ道を常に選択肢の中から
躊躇する事無く選び取り、誰の足跡も無い道に
一番乗りで足跡を深々と刻みつけてゆきたい。
一風変わった誰も通った事の無い辺鄙なる道を、
とことん突き詰めながら
自分にしか出来ない価値や
自分にしか出来ない確かなる世界観を鑑賞者へと
使命感と責任感を強固に持ちながら
ギフトさせてゆきたいものだ。
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2013/05/13
飛行機って、空を飛ぶよりも、
滑走路から飛び立つまで費やす
エネルギーの方が圧倒的に必要であって。
エンジンパワーをフル出力で高めて、
爆発的なパワーで放出して、ようやく
大空へと羽ばたき飛べるのだ。
一度離陸させて、宙へと舞い上がれば、
離陸する前に費やした様なパワーは必要なくなるのだ。
宙へと飛び立ちさえすれば
後は、上へ上へと軽々上昇してゆくのだ。
アートの世界でも成果の出方は
飛行機と全く同じなんですよね。
空中に浮遊するまでが、とにかくしんどくて、
なかなか成果が継続してあがらなく地団駄踏みたくなる。
成果を継続的にあげられるって言う事は
離陸出来てる状態なわけで。
そうなれば成果上がる前と同じ頑張りであっても
そこから出てくる成果は月とスッポンほど大差が出てくるわけ「笑」
同じ全力投球の頑張りで挑むにしても
離陸出来てれば、レバレッジが効いてくるから
その分成果は何倍にも倍増されながら立ち現われてくる。
一の努力で10の成果が上がるみたいな。
逆に離陸出来てない地面に居る様な状態だと
同じ景色がずっと横つらなりに据え広がっているだけで、
現状が目まぐるしく変化してくる事が無いのだ。
つまり一の努力であっても1の成果しか上げられなく、
現状維持のまま、月日だけが無常に流れてしまう
悪循環へと陥ってしまうのだ。
離陸して飛び立つには、それに費やすエネルギーを
一極集中して一気に解き放つ必要があると思う。
自分が捧げたい事に全て身を捧げる事で
離陸するまでの時間を半年、一年で
圧縮させる事が出来ると思うのだ。
成果が5年10年出ない、悪循環に陥ってしまうパターンって、
始めの離陸する状態を
きっちりと作れていないから、いつまでたっても
離陸する事が出来ない。ゆえに成果が上がらないのだ。
滑走路から飛び立つまでに、断続的にアクセル踏んだり、
ブレーキ掛けたりをひたすら繰り返したって、
いつまでたっても飛び立てる事なんて出来ませんよ「笑」
空へと舞いあがるため、膨大なエネルギーを
100パーセントの意識で集中させて、
それにのみパワーを捧げるつもりでやれば良いのだ。
一度、空へと舞い上がりさえすれば、
後はおのずと成果が自然な形で継続されゆくのだ。
同じ本気でやるにしても、空に舞ってからと
地べたを徘徊している状態では、
実績として積み上げられゆく意味合いが
違ってくるのを8年の歳月の後、訪れし
ジラフなる目覚めにより如実と実感したんだ。
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