川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • 塩づけにされし古代種ピクル

    恐竜が暴挙を奮いながら
    我が者フェイスで、ノッシノッシと
    威張りちらし、栄え住んでいた白亜紀^^
    そんな時代に人類最古の古代種が居たという設定で
    範馬刃牙の新たなる物語の始まりが幕を開けるのだ。
    Tレックスと格闘中に
    地球の気温が急激な温度で冷えあがり、
    そのまま氷漬けにされた人類最古のモンスターであるピクル。
    ピクルとは、塩付けという意味があるらしい。
    そんなピクルが現代に蘇り、
    史上最強を名乗りし男達と、戦いを繰り広げてゆくのだ。

    中国武術の達人、烈海王や
    日本空手会の頂点に居る、オロチ克己であったり、
    刃牙の腹違いの兄、ジャックハンマなどが、
    東京ドーム地下6階闘技上で、ピクルと戦闘する事と相なった。
    グラップラーとは、史上最強を目指す格闘家の事を指す。
    http://ameblo.jp/kawase26/entry-11603629084.html

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  • ジブリのコンテンツが持つ中毒性^^

    例えばジブリ映画。
    特に昔のジブリ映画は
    何度も何度も作品を繰り返し見ている人って
    かなり周りに多くて。
    自分もそうであって、
    ラピュタ、ナウシカ、トトロなんかは
    鉄板中の鉄板ですよね。
    ああ言う風に鑑賞者が
    何度も何度も繰り返しながら
    時間跨いで見て貰える映画であったり
    絵とかでもそうだけど、
    そういった作品って、一重に表現者冥利つきるよね。


    例えば手品のタネ。
    要するにカラクリがどうなってるかって事。
    袖にコインが仕込んでるのが分かれば
    同じネタを披露されても、面白くなくなりますよね。
    けれど、この手品のネタが分かっていても
    好きでい続けられる、何度もリピートしたくなる様な物や事が
    作品ファンであるかどうかなんだと思う。
    なので自身、ジブリに関しては
    宮崎駿が作り出す作品世界へと魅了された
    ファンであると断言できるのだ。

    ではファンではないけれど、好きであると言う
    定義はナニカと問われれば、要するに
    手品のタネが知りたいから、
    それに興味を抱くのだと思うんだ。
    心底好きな映画やお店って、
    例え、そこの味や旨味が分かってても、
    繰り返し繰り返し、何度でもその店へと訪れますよね^^
    要するにそれがファンであるって事だな。
    そこそこ好きであるとか、それなりに好きであるに
    留まる物や事は、手品のタネが見たくて仕方無いわけだけど、
    ネタがバレちゃうと、それまでって感じなんだよな。
    ああ、なるほどね、そうか、そうか..笑、で、熱が引いちゃうわけ。

    例えるなら、ハリーポッターシリーズが
    僕にとってはそれに辺るのだ^^
    続きが見たい、先が知りたいっていう風な
    魅力的な展開力はあったので
    映画全編1〜7シリーズまで全て映画観で見たんだ。
    けれど、それは先が知りたかった以上の感情へと
    誘発してはゆかなくて、全て見終わって満足したんだよ。
    もう一度始めから見るように勧められても
    勘弁してほしい所なのである「笑」

    名前を呼んではゆけない○○が復活して、
    偉大なるあの人が葬り去られて、
    ラストは○○な結末だった..と、それが全て
    分かったから、それ以上は何も望まないわけよ^^
    要するにポッターシリーズは
    そこそこ好きだけど
    作品ファンでは無かったと、結論へ至るんだ。

    ジブリ作品の場合は手品のタネ、つまりストーリーが
    分かってても、何度も見るし
    ジブリに関連するグッズをアニメイトで
    買い漁ってた時期もあった。
    宮崎駿という20世紀が生み出した
    偉大なる巨人の事が知りたかったから
    彼の本を何冊も買ったし、
    テレビ出演したNHKの特集などは
    必ず目を通すようにしている。

    本当に自身にとって素敵な物や
    心底好きな事って、
    きっかけを皮切りに深く追及してゆけるんだよね。
    他にコンテンツは無いのか?とか、
    二回目の鑑賞では
    別の視点から作品を鑑賞してゆこう..みたいに
    自身が能動的にそれと絡み合いながら、
    ドップリ入り浸ってゆける感覚へと陥れるのだ。

    ネタが分かっても、その物や事を好きで居られるかどうか。
    ずっと長く愛され続けながら興味を持って貰える様な
    表現者になりたいものだな。

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  • ジャック範馬VS範馬バキ

    東京ドーム地下6階に存在している
    知る人ぞ知る、地下闘技場。
    グラップラー刃牙の決勝戦は
    数奇なる運命が導き出した
    範馬の血筋を受け継ぎし者同士による決勝戦。
    範馬刃牙VSジャック範馬による
    血肉を分けた一世一代の兄弟喧嘩^^
    男なら誰しもが一度は憧れし、
    史上最強の格闘史、それがグラップラーなのである。

    どの業界でも、上を目指してゆけば
    必ず挫折や敗北感が付きまとってくる。

    幼少期、親父のげんこつによって、
    史上最強を諦めていった者がいれば、
    地元のガキ大将にメタメタと打ちのめされ、
    最強を断念した者もまた居るのだ。

    プロのリングには届かないと
    アマチュアの段階で下山していった者がいれば、
    プロのリングで強者達からの痛烈なる洗礼を浴びせられて
    デビューしてほどなく、引退表明した者も、またしかりなのだ。
    これらの苛烈なる戦いを生き抜いて、
    決勝戦へと駒を進めてきたのが範馬による血脈だと言える。

    美術の世界でも、似た様な通過儀礼があるよね。
    幼少期に母親や園の先生から
    褒められたのを皮切りに絵を描く喜びを誰もが見い出すのだ。
    けれど絵の道を進みゆく段階において、手痛い挫折や
    屈辱的な敗北感を味わう事となる。

    小学生の頃、クラスで一番絵心あるとされていたはずが、
    中学校では、さらに上手く表現出来る者と遭遇するのだ。
    中学では、ピカイチだと誰からも認められてた人物も
    大手美大予備校では、さほど注目されなかったりする。

    大手予備校ではデッサンや写実の神だと崇高されてた人物も、
    美大の門をくぐれば
    自身では到底、歯も立たない猛者が目の前へと立ち現われる。
    当然、その猛者とされてる人物も美大を卒業後、
    作家活動するに辺り、自身が井の中の蛙、むしくは
    お山の大将で在る事をプロのリングへと上がる事で
    まざまざと実感させられる。

    関西のギャラリーでは知る人ぞ知る人物として
    名前が通ってきた僕だけど、
    関東では、マイナー街道を直走ってるわけで「笑」

    関東の名の知れた作家達も、
    広い世界から俯瞰すれば、結局は井の中の蛙でしかないのだ^^

    極論言っちゃえば、広い世界の最高峰に位置する人物達も
    大いなる宇宙からみれば、ちっぽけな存在として認識されるのだ。
    我々が住まう世界は、限りなく外に広がりを無限に帯びてて、
    果てしなくて、道がどこまでも先へ先へと続いているのだ。

    部分が全体として成り立ち、その全体として認識していた所も
    さらに視点を大きくして見渡せば、
    何処かの景色の一部分でしか無い事に気付かされるのだよ。
    全は一であり一は全として、それぞれが
    この世界の構成要素として
    関係性を維持しながら繋がり合っているんだな。

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  • 大海原へと向かいし海賊王^^

    例えばワンピのルフィー。

    「俺は海賊王になる!」と
    大いなる大志を抱きながら小さな島を出ていったわけよ^^
    仮にこれが島を出なくて、遊覧船の船長に
    ルフィーがなってたとしたら
    現在のルフィーには、成ってなかったわけなんだよね笑 

    同じ様なルートを遊覧船で観光案内しながら
    定年迎えるまで小島へと来た客を毎日相手にしてゆき、
    生涯終える平坦なる船長なる人生。

    冒険や挑戦に人生掛けて大志を抱きながら
    外の世界へと飛び出し物語進めていったから
    現在のルフィーがあるわけで^^

    遊覧船の船長と海賊王「笑」
    安全パイを取るなら遊覧船の船長で良いと思うんだけど、
    自分の持つの可能性や成長の種を発芽させながら
    自身をより大きくより広く開拓してゆきたいのであれば
    海賊王になる事を目標に据えながら、冒険すれば良いんじゃないかな。


    僕の場合は当然、後者の海賊王。
    要するに作家続けてゆきながら
    実りある成果を大きく長く上げ続けたければ、
    大馬鹿者で居続けろって事。

    作家活動を辞めてゆく、諦めてゆく
    自身の枠を定めてゆくパターンの作家というのを
    これまで幾度となく数限りなく見てきた。
    当初海賊王になりたいと
    勤しみながら挑んでいた人は、数多く居たと思うんだ。
    「この業界で一花咲かせ大成してやるぞ」っと、
    大海原へと始めた頃は勢い良く出ていったわけよ^^
    けれど、芽が出ない、成果に繋がらない事が続いてゆく内
    当初の大いなる目的意識が薄らいでゆくわけ。
    つまり馬鹿にはなりきれず誰かが定めた常識によるレシピに
    染め上げられてゆくわけだね、うん。

    「あなたは遊覧船の船長止まりの器だよ」..とか、
    「そんな海賊王になるだとか馬鹿な事いつまで言っているんだ」
    みたいな事を周りから言われ続ける。
    そうこうする内に馬鹿の大いなる魔法から覚めてしまい、
    誰かから与えられたレシピを鵜呑みにしながら
    自身のボーダーラインを設定してしまう。

    要するに限界枠を自ら定めてしまうのだ。
    「年齢も年齢だし、海賊王はきっぱり辞めて
    地元の海で遊覧船の船長として生涯を終えるか」と、
    価値感がそちらへとすり替わり、
    海賊王になる夢を順次、諦めてゆくわけ「笑」

    要するに作家活動続けている人って、僕みたいな
    大馬鹿者が続けてゆける要素が強い。
    30歳越えてからも偉大なる画家を目指すとか
    相変わらず大馬鹿な事を公言してるわけよ^^
    けれど自身は大馬鹿者で良し!と心底思っていて。
    これは、嘘を誠にするって言う泥臭い哲学なんだけど、
    10年前作家活動してゆくと言ってから、
    今までずっと続けてゆけてるわけ。
    つまり当初の根拠の無い事柄が現実化したわけよ^^

    自身がまずは、10年間続けてこれた事を
    実現する事で実話に出来た。
    何より周りもその大いなる馬鹿行為を
    叶え続けてゆく事で認めてくれる状況を作り出す事も出来たのだ。


    自身を頑に信じながら馬鹿で居続けろ。
    そうすれば、目標として掲げていた事に対し、
    常に近ずくため進んでいる状態を作り続ける事が出来るのだ。

    無謀だ、不可能だと思ったり言ってるのは周りであって。
    それよりかは、
    自身がそれを信じてゆけるかどうかの方が大事なんだよね。
    僕はいつか偉大なる画家になるんだ!っていう
    壮大なる夢を今も信じていて、これっぽっちも疑ってなどいない。
    馬鹿の魔法が解けない内は、
    そこへとフルスロットルで向かいながら
    壮大なる大海原へと麦ら輪帽子被りながら冒険出来るのだよ。

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  • 音速の向こう側へ

    音速の壁を越えた先に待っている
    形状や色の響きを掴み取りたいのだ。
    それを己が手にした時に
    垣間見えてくる風景を心底味わいたく思う。

    自身の限界点を乗り越えながら
    先へ先へと飛翔しゆき未開の地へと降り立ってゆきたい。
    ナニカを掴めそうで掴めない時のもどかしさと..
    まだしばらく戦ってゆく事となりそうだ。

    平坦に作家活動を続けてゆく事は出来る。
    けれどそれは、さらさら考えてなくて。
    泥まみれに地べたを這いずり血眼になりながらも、
    あがいた果てに見えてくる雄大なる風景。

    自身の臨界点の壁を突き破ってゆきたいのだ。
    そうしなければ、自身の描いた絵に対して
    感動や打ち震える喜びを自分自身が味わえなくなってしまう。

    出来上がった作品を一番手で眺められのは
    作者である自分自身であって。
    自身の琴線をまずは打ち響かせてゆかない事には
    他者に対しても、それを成す事など到底出来ないんだ。

    自身が心から納得のゆくライン上まで
    図像を持ってゆくのは、至極難しくて大変である。
    だからこそ、挑みゆく理由が生まれてくるし
    そこにこそ自身の世界観を高めてゆくために
    必要な要素が兼ね備えられているのだ。

    まずは旨味の感じられる超絶なる一口を頬張りたい。
    そこに到達出来てこそ
    他者に見せれるシェアにおける共有点を
    見出す事が可能になってくる。

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  • 飛翔する今現在の予兆

    過去に昇り調子だった時期が何度かあった。
    けれど、今年の今現在感じているそれは、
    今まで以上の手応えを感じている。
    飛翔という言葉があるが、
    その言葉にピッタリと感覚が当てはまるのだ。

    ナニカを掴めそうなナニカに手が届きそうな、
    そんな噛み応え感が身体中に纏わりついているのだ。
    今感じている、後少しで掴めそうな、
    もうちょいで手が届きそうな予兆を
    胸に抱きながら創作活動へと挑みたく思う。

    次なる10年に向けて
    全力投球で体当たりを繰り返しながら戦ってゆきたいのだ。
    丘の向こうに宿りし大いなる絶景を
    己がモノにするための
    飽くなきチャレンジへと向かいゆく日々が
    今日も更新されながら続きゆくのだ。

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  • 天井枠などブチ破れ!

    機械が人々を支配するマトリックスの世界では
    当初、争い事や競争が巻き起こらない
    平坦なる世界を人間の脳へと送り続けた。
    そしたら、たちまち人々の脳は
    退化の方向へと進み出しながら、
    衰弱への道へと歩み出したのだ。
    これに危惧した機械達は元の人々が住まいし社会へと
    仮想イメージを戻す事となる。

    要するに平坦で刺激や変化の無い毎日を
    ひたすら過ごしていると
    人々の心や身体は衰弱してゆくのだ。
    生きるためには体から血が沸き立ちながら
    肉舞い踊る様な充実感に包まれし気力が必要なのだ。
    何より戦うために必要な目的や試練が無ければ
    生きている意味や価値を高めてゆけないんだな。

    天井の無い世界へと羽ばたいてゆこう。
    自身に決められた天井枠など設定しなくてよいのだ。

    自分はこの程度の人間だとか、
    自分はこのくらいのライン上で満足だ..などと、
    自身の天井の高さを決めつけてしまえば、
    そこで成長によるレベルは定着してしまうのだ。
    後は、同じ高さのハードルが
    延々と自身が消滅するまで連なってゆくだけなんだ。
    そんな平坦な限定された枠組みなど打破してゆけば良い。

    自身の伸びしろに制限などを決める事など馬鹿げているからね。
    それではいつまでたっても地元の池でアヒルボートを
    半永久的に漕いでる様なものではないか。

    まずは井の中の蛙を飛び出し、大河を知る事から始めてゆこう。
    大河へと出てゆく事で
    自身の枠など、いくらでも打破出来る
    大いなる体験や経験で満ち溢れている。
    それらと巡り合い、遭遇させながら、
    自身が紡ぎしストーリーを進行してゆけば、
    それぞれの場所でのレベルに見合った体験と融合が出来るのだ。
    そしてその都度、壁を乗り越えゆき、
    航路を先へ先へと推し進めてゆけるのだから。

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  • パオズ山の大将

    ドラゴンボールの始まりの始まりって、
    ブルマがパオズ山へ訪れたのを皮切りに
    ストーリーが始まるんだよね。
    悟空はブルマが居なかったら
    ずっとパオズ山の大将のまま生涯を
    過ごしたんじゃないかな〜。

    ドラゴンボールを共に探すという目的が出来て、
    パオズ山から外の未開なる世界へと
    旅立つ冒険がそこから始まったのだ。
    全ては人との出会いによる関係性によって
    それぞれのストーリーは展開してゆき、
    成長や発展性を遂げてゆくきっかけを与えてくれるのだ。

    数々の強敵が新展開の度、目の前へと
    立ち現われる事で、それに対応しながら
    その都度、乗り越えてゆく術を身につけ、
    実践と修行の両輪を得ながら推し進めてゆけるのだ。
    ピッコロ大魔王やベジータ王子、
    フリーザにセル、果ては魔人ブーなど。

    数々の宿敵との戦いにおける他者との関係性において、
    時に友情が芽生えたり、それぞれが拳を交えながら
    戦う事で今までになかった価値感や捉え方が形成されてゆく。

    ベジータ王子は、サイヤ人のエリート。
    登場当初は凶暴で残虐非道だった。
    けれど、悟空との出会いや暖かな家庭を持つ事で
    自分以外の者のために戦うまでに成長を遂げてゆく。
    妻のブルマと我が子トランクスを守るため、
    魔人ブーとの戦闘で、自らの身体を膨大な
    エネルギーと共に爆発させ消滅する事となる。
    人を愛する事の愛おしさや素晴らしさを
    地球で暮らす内に学んだのであろう。

    1人の人との出会いから人生が激変して
    その後の自身の物語に大きな影響を与えてゆく事が
    生きてゆく上で多々巡り会えるのだ。

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  • 段階を踏まえた山登り

    昨日のコンテンツの続編となるんだけど、
    今日はその復習編をコンテンツへと書き記す事とする。
    例えば、山登り。登山を始めたばかりの初心者が
    いきなり世界最高峰である
    エベレストやキリマンジャロに登ろうなんて出来ませんよね。
    だってデメリットしかないし、到底到達など不可能だしね^^
    まずは地元の傾斜がゆるくて、標高も低めの山から
    ステップを踏んで挑めば良いのだ。

    挑戦するにも順序立ては必ず必要なのだ。

    では大きい目標は始めの段階から
    立ててはゆけないのか?と問われれば、
    むしろ逆に大きな目標は
    大いに立てれば良いと僕は答えるだろう。
    ただし、それを立てた後、すぐにそれに手を
    伸ばすのは無謀で成功率0だからね。
    まずは始めの一歩となるステップを段階踏んでゆきながら
    小さな目標を随時目の前へと打ち立てて、
    それを積み重ねながら乗り越えてゆく事で
    大きな目標へと近づく事が可能なってくる。

    大抵のロールプレイングゲームでの
    最終目的は魔王を倒す事であって。
    そのためには小さな出来事をその都度
    達成させてゆきながら、
    レベルを高め、己に磨きを掛けゆき、
    経験を積み重ねてゆく事で、
    強く勇ましい勇者へとなってゆけるのだ。

    まずは、武器を手に入れよう。
    始めは身の丈に合った、
    こん棒と布の服、鍋の盾を装備しながら、
    モンスターとの戦闘へと備える。
    その後は、旅先で出会いし戦士たちをパーティーへと加える。
    それが魔法使いであったり、賢者だったりが加わる。
    一人では到達不可能だった
    場所や戦闘が、力を合わせる事で達成可能となってくる。

    物語を進めゆくにつれ、おのずと自身の開かれた
    世界が外へ外へと広がり、
    未知なる場所へと足を開拓させながら
    踏み入れる事が出来る様になってくるのだ。
    自身の身に纏いし装備も充実したグレードになってゆき、
    覚えた技や戦闘力の高さも
    結成当初とは比べモノにならないくらい上昇しているのだ。
    そうこうしながら小さな目標のハードルを、
    自身のポテンシャルに合わせながら
    徐々に引き上げてゆく内に
    気付けば、最終目標として掲げていた
    魔王討伐に必要な、能力の全てが
    身についている事に気付くのだ。

    そこで初めて、魔王城へと赴くための
    実績による経験から導き出された自信と強さが
    確かなる覚悟と勇気へと繋がり、
    ラストダンジョンへと赴く事が出来るのだな。

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  • 足場の安定感をまずは

    まずは創作活動ありきで。
    創作作品が軌道乗ってきてから、
    発表スペースを確保すれば良いのだ。

    最近、知人の作家が
    [東京の美術館で展示しませんか?]と
    お誘いメールが来たらしいのだが
    順序が逆だ!と説得して断らせた。
    つまり、資金がカツカツで足場も安定してない人物が
    東京で展示した所で結果が明白に見えてる。
    大きな舞台で発表出来るだけの力がまだ不足していて、
    資金ぐりも上手く回してゆけていない。
    これではチャンスを棒に振り、お金を自ら
    ドブに捨てる様なものだしね^^

    実力が着実につけば、自ずとチャンスは
    必然帯びた形となり訪れてくる。
    まずは地道な出稽古と地域での作家活動を
    幾度となく繰り返しながら、力を充分に養うべきであろう。

    その1. 現在の力量に見合った展示場所を。

    作家活動始めて間も無い頃は無理をしてまで、
    高い出展スペースを確保する必要などなくて。
    敷居の低いリーズナブルな場所で、まずは
    第三者に絵を見て貰う体験をすれば良いのだ。
    レベル1の段階でラストダンジョンへ
    仮に乗り込んだとしても、結果など見るまでもないのだ。
    野球始めたばかりの初心者が甲子園の強豪と
    いきなりプレイした所で何も出来なく、
    むしろ圧倒的な大差を見せつけられて
    自信を喪失してしまうだろうからね。

    その2.作家と資金について

    自身の足場が不安定である時に無理をしてまで
    発表を意固地にする必要はないのだ。
    まずは足場をガッチリと強固に固めながら
    自身の世界観を色濃く構築させればよいんだ。
    そして足場が安定してきて、
    資金や気持にゆとりが生まれた時
    ようやくそこで発表するスペースを
    選べる段階へと入ってゆけるのだ。
    仮に資金が無くて絵の発表に
    お金を費やしてしまったがために
    今在る生活が困窮の極みになるなんて馬鹿げているからね。
    例え話をすれば、後先考えず高級車を買ってしまったがために、
    食に事欠き、生活そのものが
    破たんしてしまうと考えれば、元も子もないのだ。
    生活水準が安定していて、
    健やかでゆとりの保った創作活動の維態を作り上げた上に、
    ようやく発表する契機が自身に与えられるのだ。

    足場が安定している状態のパンチと
    不安定な足場から打ち出すパンチでは
    技の威力に埋まる事の無い大きな差が出てくるのは当然なんだ。

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