川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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  • 時の試練による査定

    友人で作家の細川高文君を作家の道へと
    引き込んだのは間違い無く僕だと言えるだろう。
    彼とは高校の同級生で年齢は2歳離れてる。
    それは僕が回り道して高校に入学したからなのだが..。
    卒業後もちょくちょく連絡はとってたが、
    細川氏が21くらいの時に
    家庭の事情で宮崎県へと引っ越す事となった。
    電話をたまに掛けながらアートの素晴らしさについて語り、
    よければ一緒に活動しないかと説得したのだ。
    それから1年が経過して京都へ単身帰ってくる事となり
    中学の同級生の家の空いてる部屋を借りて住む事となった。

    実際に僕自身が、どんな活動をしているのか、直に
    見て貰おうと思い
    心斎橋のクリスタで開催された1DAYアートイベントに
    連れ出したのが、始めの出発点なるのかな。
    それから少しずつ創作する事に興味が芽生え始め、
    始めの頃の一年は自宅のアトリエで絵を
    一から教え込む所から始まったのだ。
    絵の具はどの絵の具があるだとか、
    キャンバスやパネルなどの画材を
    直に触れてもらうため画材屋へと連れ出したりもした。
    ギャラリー巡りから美術館に至るまで、
    一からの何もかも
    初めてのスタートだったんだよ、細川君。
    それが時を経過して、今に至るわけだけど
    現在彼は29歳。
    作家活動を30才目前にしてようやく
    一生続けてゆこう、
    自身の生きた証をキャンバスに刻み込みたいのだと
    強い意志を強固に固めてくれた感じなのだ。

    始めた頃は30まで作家活動して芽が出なければ
    きっぱり辞めると公言していたのを覚えている。
    彼女が居た時期はかなり悩んでたみたいで
    絵を取るのか付き合ってる彼女を取るのかの二者択一で
    苦しんだ時期も彼にはあったなぁ..。
    そして20代後半に差し掛かり、一旦絵から離れて
    就職活動をすると言い出した時期もあった。
    1年間作家活動を休止して、いろんな職を転々と
    渡り歩いたけれど、どれも長続きしなかった。
    結局彼は、以前に働いてた深夜で時給が良くて、
    シフトを自由に決定出来るビデオ屋へと舞い戻ってしまったのだ。

    それから作家活動を再開するも
    以前の様な覇気は微塵も感じられなくなっていて、
    表現活動する事に興味が無くなってると漏らしていたのを
    今も強く覚えている。
    けれど、それからまたしばらく少しずつ
    発表をしてゆく内に
    以前の様な絵に情熱を費やしたい熱い気持ちが
    静かなる鼓動となり細川君の内側からメラメラと燃え出したんだ。
    度重なる重度のストレスから鬱病に陥ってしまい、
    現在に至るわけだが、
    絵を生きた証しとして残したいと言う
    自身が絵を描く理由の根本に宿る答えを
    ようやく見つけ出したんだ。

    一生作家として絵を描き続ける事を決意表明する事自体
    強い信念と覚悟が要求されるが、それは一次試練にすぎない。
    本当の試練はそこから時が審判を下してくれる。
    いわば時の試練に委ねられるんだよ。
    決意表明から数年かけて
    自身が作家として一生描いてゆけるか否かは
    時の試練が
    おのずと答えを導き出してくれたんだ

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  • 的外れなOBにはならずにゆこうよ

    作家活動は持続的な資金力と作品枚数の
    集積によるものだと言うのが
    僕のモットーであり、ここが正に基盤となっている。
    けれど、続けてゆけば、いつか目が出て花が咲くのか?と
    言われれば、そうではないと思う。

    同時代のアーティストと自身の立ち位置を常に
    見比べながら、その都度、検証を繰り返し、
    間違いや補わなければいけない改善点、修正点を
    見直してゆく事が大事であり重要。

    努力は間違った仕方でするなら、やらない方が良い。
    勉強も同じく的外れな箇所を見直さなければ
    場数を積み重ねても、
    意味がないし、得るモノが無きに等しい。
    自身の金銭に対する投資だってそうだ。
    ありもしないオアシスへ向けて砂漠地帯を
    突き進んでいっても、喉が干からびる様に、
    資金を溝に捨てるのと同等であるんだよ。

    これらをまとめると、間違った努力や勉強方法、
    ありもしない大きな夢に向かって投資するのは、
    全てにおいて自身をマイナス方向へと突き進めてしまう。
    それなら始めの段階から盲点に気付き、
    マイナス方向から
    初期段階0地点まで引き返す事が賢明な判断の様に思う。
    自身と同等、10年近く作家活動を続けている同期について
    言うならば、僕以上に活動範囲を広げて
    シーンの中央へと邁進していってるタイプと、
    それとは逆に10年続けていても、
    これと言ってパッとした成果が上がらず、地団駄踏んでいる
    的外れなOBの哀れなる存在が気にかかる。

    彼らは活動歴が長いと言うだけでアートシーンに対して
    何かを成し遂げた様な偉そうな態度を取るが
    現状は作家活動1年目や2年目で頭角表した
    勢いとパワーのある若手の方が遥かに優秀で
    栄えある成果を叩きだしてるのを、遠目に僻んでる。
    哀れな末路漂う背中を見ていると同期として複雑な気分になってくるのだ。

    正しき努力の仕方や勉強法、有機的な資金投資などを
    プラスのベクトルへと傾く様、常に自身にクエッションを抱きながら
    改善修正を加えながら
    活動を続けてゆこう。そうしないと..。

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  • 移りゆくアートな時代の転換地点

    時代と共に人類が築き上げてきたシステムというのは
    少しずつ移行しながら改変してゆくものなのだ。
    同じ型のシステムのまま、それを継続してゆくと
    それが老朽化してゆき、
    有機的な機能がいずれは出来なくなってくる。
    これまで培ってきた歴史や文化を受け継ぎつつ
    新しい思想や価値観を上乗せしながら更新させてゆくのが、
    本来あるべき正しき伝統の継承.・継続の仕方なんだろうね。

    アートの世界でも、近年それが転換期を迎えているのが
    作家活動していて沸々と実感として湧いてくる。
    経済が潤っていた80年代の日本では
    バブル真っ只中の渦中で絵の値段が高騰し
    飛ぶように作品が売れた時代あったのだ。
    それがバブル崩壊後、
    不況の下降線を辿る時代へと移った時、
    価格価値以上に値段価値が高騰してしまった状態の作品が
    負の遺産として取り残されてしまったのだ。
    つまり売れた後の居場所が無い。

    今の時代、作家活動して間もない時に
    高いレンタル料金をギャラリーへと支払って
    個展しても、作家に得られるメリットが極端に少ない。
    来る人も極々限られたわずかな身内や
    関係者だけに終始してしまうのだ。
    ここ数年、ギャラリーの在り方も変わってきていて、
    ギャラリーでは
    多人数企画公募展という公募展覧会が
    活気と熱を帯びて各地域で盛んに開催されてる様に思う。
    展示出来るのは一人一点のみだが、大勢の作家が
    近作をギャラリーに持ち寄り、
    それが50.60人くらいの規模として
    それぞれの作品が集まって、一斉に鑑賞.観覧出来るのだ。
    作家1人、1人がDMを配り歩き、
    ソーシャルネットワークや口コミなどで宣伝告知するので、
    展覧会の集客量も、うなぎ昇りに向上してゆき、
    会期中は終始ギャラリーに人が絶えない。
    出店料も値段がとてもリーズナブルで
    平均してどの多人数公募も展示料金が
    大体約3000円程度。
    参加者の人数が数十人単位で集まり
    箱代2週間分くらいのレンタル料金が
    そこから徴収できるので
    会期も2週間で開催される所が多いのも
    魅力的な要素の一つではないだろうか。
    開催期間が長ければ長いほど、
    より多くの人に自身が進撃に取り組み制作した作品を
    見て貰える可能性を帯びてくる。
    多人数企画公募の最大であり一番の特徴は
    会期中交流会が開催される事ではないだろうか?
    会期中の土日だとか、オープニング及びクロージングなどに
    多くの出店作家が会場に集まってくるのだ。
    これは絵が単に会場へと飾られるだけではなくて、
    そこに展示しているクリエイター達の
    生の息遣いを直接聞ける大変貴重なチャンスに恵まれるのだ。
    以前から興味持ってた作家と直に話す事も出来るし、
    絵描き同志で絵の物語を相互に語り合ったり、
    それぞれが持つアート情報を交換したり、
    意気投合して、グループ展やアートフェスでのシェア展示をしたり、
    お互いの絵を作品交換したりする関係にまで
    発展する場合も多々あるんだ。

    個展を開くってのは、順序的に、
    こう言った多人数企画公募展であるとかグループ展、
    アートフェスタみたいな
    アーティストと集客率が
    膨大な数で来場するイベントなどを経過して、
    自身の周りに支持者や認知度が高まってきてから、
    ようやく最後に辿り着く場所が個人によるエキシビジョン、
    つまり集大成となる個展なんだと思うんだ。

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  • 長距離走者の内なる孤独

    作家歴が来年でようやく10年目を迎える。
    長い様で短く、短い様で長かった。
    毎年馴染みのギャラリーの何周年記念とかに
    参加していると「川瀬君は活動歴長いんですよ」って
    紹介されるんだけど・・。
    僕からしたら、始めの10年は、いわば、
    第一関門をようやく突破出来た様な感じで
    まだまだ先は長く、この道のりは死ぬまで続いてゆくんだと思う。

    つまり自身、一生画家でありたいと思うし、そのつもりでいる。
    モノを作っているから、画家だとか絵描き・クリエーター、作家などと
    認識され、そう呼ばれるんだけど、モノ作りを辞めてしまえば、
    画家でも作家でも絵描きでもクリエイターでも、
    そのどれでも無くなるんだな。

    アートフェスタや多人数企画公募展などで
    多くの素晴らしき仲間達と僕は出会ってきた。
    イベント終わり、別れる時は互いが笑顔で握手なんかも
    交わしたりしたんだ、懐かしいな。
    「じゃあ、またね、また次の展示会で!」そう言いあって
    名残惜しさを残してサヨナラした仲間達。
    その多くが、それきりで、それから再会出来てないんだ。

    今何をしてるのかな、

    作家以外のやりがいや生きがいを見つけたのかな?

    絵が思うように描けなくなったのかな、

    それとも経済的に作家活動を続けられなくなったのかな・・。

    長距離走者の孤独を背負いながら、
    僕は絵筆を握りしめ、走らせてゆく。
    絵のイベントで出会った人達ってみな良い奴で
    何より利害関係無しに純粋な形で、個々の世界を
    それぞれ表現し合ってるから、
    すぐに壁をとっぱらい仲良くなって打ち解け合える。

    社会に出てからはそうはゆかないしね。
    高校の先生が「学生の時、巡り会った友達は
    一生涯付き合える大切な仲間だから大事にしなさいね」
    と言ったのが印象に深く残ってる。
    社会に出てからは、まず目の前に
    お金の利害関係が働き先で絡み、競争意識なんかも
    互いに会社の中で生まれてしまう。
    だから学生の頃みたく
    深い仲になって繋がれる友人というのは出来ずらいんだと思う。
    けれど、アートの世界はさっきも述べた様に利害を取っ払った
    純粋な場所と場所とで出会えるから、
    すぐに馴染めて仲良くなれるんだろうな。

    僕は一生涯アート人生を通じて
    一生付き合える友達が欲しいと切に願っている。
    昔懐かしき頃から今の状況、そして数年、数十年先の未来を
    生き抜いて笑い合える関係を、同じ世代を生きる作家達と
    築き上げてゆきたいし、
    そうなってほしいし、そうあってほしいんだ。

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  • 起きて見る夢物語

    作家活動を始めたのが22才の夏の訪れが始まる頃だったかな。
    母校の恩師にグループ展に誘われ、声をかけてもらったのが
    全ての始まり。ここが僕の作家としての始発点であり出発点。
    始めの頃はギャラリーが何処にあるのかとか、発表場所は
    どうやって選べばいいのか、右も左も分からない状態の
    0からのスタート。これは当然、どの作家も同じだと思う。
    始まりはみな同じ、ここから作家としての方向性だとか
    それぞれ思い描くビジョンなどが枝分かれしてゆくんだと思う。
    発表を開始した当時は、とにかくいろんなギャラリーを巡り歩いたし、
    DM置き場などから情報を収集して、そこから新たなギャラリーへと
    足を運んだり、アートイベントやギャラリー公募などの
    情報を拾い集め、参加したものだ。

    自身が今の時点で振り返り思った事は
    過去の自身が発表した
    数々のイベントで惨敗を繰り返した中で、周りの出展者である
    作家達、いわばライバル達の成功が、率直に羨ましく神々しく輝いて見えたのだ。
    アートストリーム2005が僕の初めて参加した
    アートフェスタだったけど、これが情けないくらい惨めな
    結果に終わったのだ。机にたくさん刷って並べて
    その背後にはイーゼルに原画を立て掛けてみたのだけど、
    誰も僕のブースを見ていない。
    ディスプレーも単に並べただけだったし、
    何より肝心の作品が見る者の心を打ち鳴らすには
    まだまだほど遠くか細いモノだったんだろうな。
    周りの人だかりが出来て、絶えず商品化したグッズが
    販売へと結びついてる作家に憧れを抱いたし、
    賞などを貰って表彰台に立ってるクリエイターに
    僕もいつか肩を並べてなりたいと思った。
    5年先、10年先までの自身へと投資する様な
    心構えで、それを目標としてやってきた感じかな。
    石の上にも三年と言う昔の人が考えた
    台詞があるが、僕は芽が出るまで22歳から30歳まで
    8年の長き歳月を費やした。これは何度か
    ブログでも書いたけど、要するになりたい5年先、10年先の
    未来設計図がイメージとしてまず頭にあって、それに向かい
    数年かけてそれを成し遂げるため、自身が設定した
    到達地点まで寡黙に突き進んできた感はすごくあるよ。
    夢は起きて描くモノであると思う。起きて描き起こした夢ってのは
    具体性を帯びて突き進んでゆく場所が明確だからさ、
    そこに向かい続けてゆけば、いつかは到着出来ると思うんだ。
    寝てる中での夢はビジョンが曖昧で不確かなるモノだから
    夢の中でしか、願いは叶わないんだな。
    自身の起きて描いた夢物語は、アートストリームで
    僕なんかでもいつか賞を獲れるようにって、2005年の時は
    思ってた。それが7年の歳月を経てようやく
    掴み取る事が出来たんだ。大勢が見守る中での
    表彰式で賞状を授与された時は
    最高に気分が高鳴り高揚したなぁ。
    他にも当時、思い描いたいくつかの起きて描いた夢が
    ようやくやっとこさ、この手に掴み取る事が出来たんだ。
    アートサイトでのピックアップインタビュー、作品の受注依頼、
    企業とのアート作品の商品化コラボ、絵でレンタルの出店料を全て賄う、
    絵を嫁入りさせた後も繋がり持てる根強いファンの獲得などなど。
    これらの事柄は全て、作家活動を始めた頃
    想い描いて憧れだった、起きて見る夢だったんだな。
    起きて見る夢は長く険しいトンネルを抜けて、
    それでも引き返さず進んでゆけばいずれは
    出口へと辿り着き、その先で待ち構えている未来設計図を
    自身がモノに出来るんだな。アートの世界はサバイバル。
    他者との勝ち負けじなんかじゃないんだ。生き残ったモノが
    その栄光を最後には掴み取り、自身の両腕でそれを
    力強く握りしめられるんだ。

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