川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • いち早くパイを頬張ったもんが勝つ法則

    早い者による勝ち星によって明暗が分かつ事ってあるよね。
    一足早く手を伸ばしたものが手にする事が可能な状況っていうのは、
    どの業界にも普遍として存在してて。
    もちろんアートの世界でもそれは大いに言える事だと思う。

    早く見つけたもん勝ち,早く申し込んだもん勝ち
    早く手を伸ばしたもん勝ち..という笑
    先着順によって事が優先して運ばれる状況下というのを何度か経験した。

    デザフェスは秋から抽選制度なったけど、それ以前は先着順だったわけ^^
    要するに一秒でも早く応募して
    パイに手をつけた方がWINNERになれるわけなんだ。
    要するに実力とか作品の傾向とか一切関係ないわけやな^^
    けれど、即決即効における決断力が時に結果を大きく左右するのだ。

    夏に東京のローカルなイベントに
    関西から出展された人とお話したんだけど、
    そのイベントは先着順で一番早い出展者は朝の4時から待っているらしい^^
    要するに近くに伊勢丹あって、一番をキープすれば
    その近辺の往来良い場所を確保できるわけ。
    順番が遅いほど場所の悪いスペースへと追いやられるわけだから、
    これも先に手を伸ばしたもん勝ちの法則により決まってしまうわけで。

    そんな感じで、ありとあらゆる所で
    先手必勝の原理が躍動的に働いていて。

    カワチの企画で始まったTOP10アーティストなんて、その典型例だよな。
    あれって、緩い審査はあるものの
    基本先着順による掲載なわけよ。
    カワチのウェブで選出されたアーティストは一週間に渡り
    カワチスライドの静止画10枚目に自身の画像を使用してもらえるのだ。
    この企画募集をカワチフェイスブックページで
    公開されてすぐの高速球で申し込んだもんだから、
    拙者が企画のトップバッターを飾る事へと至ったのだ笑
    要するにパイに最も早く手を伸ばしたから優先順位がトップになったわけで。

    作家にとって実力やセンスなど、絵を魅せる上で
    大事な要素かもしれないけど、
    それだけでは駄目な所があるってのが、今回のコンテンツでのお話。

    ためらいや躊躇は、時に事を後手後手に回してしまい、
    自身の自己実現におけるスピードを
    大幅にロスさせてしまうのだ。
    近い未来に手が届くであろう願いを叶えゆくための
    即決即断におけるスピードを念頭に置きながら、
    スピーディーに作家活動を執り行いたく思う。

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  • フェイズによる新たなる息吹

    フェイズとは、段階による立ち位置を指し示す言葉である。
    去年と今年、今年と昨年。
    一周年と二周年、二周年と三周年。
    それぞれの段階においてのフェイズを
    随時組み込んでゆかない事には進化の波を促す事が出来ないのだ。
    要するに段階によるフェイズを盛り込んでゆきながら
    目標設定をその都度打ち立て、事を進展させてゆきたいんだ。

    サザエさんになってはゆけない。
    それは習慣化による同じ事の無限ループ陥る事へと直結してしまうから。

    作家活動9周年においての活動と10周年における活動領域。
    それぞれのフェイズにおける新たなる息吹を
    自身のアートプランとしてアートライフへと掲げゆくのだ。
    2012年の刻においてのフェイズではジラフに並ぶ
    新たなるニューフェイスであるホエールが登場する事となった。
    これは2011年におけるフェイズには存在し得なかった題材なのだ。
    2011年においてのフェイズとはナニカと問われれば、
    これは自身がブレークスルーを巻き起こすに至った
    ジラフを看板モチーフとして
    アートマーケットへと放り投げてゆくフェイズであった。
    この年は、最も強靭な武器を、ひたすら繰り返し描き綴りながら
    ジラフのフォルムやディティールを
    洗練させてゆく事に特化した年であった。
    ジラフを2011年の一年間通して
    98パーセンの割合で画面へと登場させ、
    それ以外のモチーフは、ほぼ描く事が無かった。
    正にジラフに特化したジラフに全てを捧げた
    ブレークスルーな1年であったのだ。
    僕がジラフから与えられた恩恵は計り知れなく大きい。

    そして2013年においての作家活動10周年を祝うフェイズ。
    それに相応しいのは、アルタミラとのコラボだろう。
    http://www.artamira.jp/
    企業商品と自身の作品をコラボさせると言う、
    今までの作家活動では成し得なかった新たなるニューフェイズ。
    ジラフやホエールなどが名刺ケースや掛け時計、コースターなどに
    様変わりして日常へと溶け込んだ商品として
    ラインナップされる事へと至ったのだ。
    2013年は、ニューフェースなホエールを描く率が
    急上昇して、ジラフ65パーセントのパーセンテージに対して
    ホエールに捧しウェイト率30パーセントで作品展開したのだ。
    ジラフを通じて2011年に培った一つの題材モチーフを
    愚直なるままに、ひたすら掘り下げ洗練させゆくノウハウが、
    そのままホエールへと引き継き、継承されたのだ。

    2013年前半に描いた初期ホエールと
    現在描いているホエールとでは、明確なる差異が出てきている。
    1年近く愚直に展開し続けしホエール。
    ホエールもジラフと続く即戦力としてアートマーケットへと
    切り込みながら開拓してゆくだけの力量がついてきたのだ。
    2014年におけるフェイズにおいては、鑑賞者から
    ジラフをメインに描く画家なるイメージから、
    ジラフ.ホエールを描く作家イメージへと
    モデルチェンジしてゆきたく思っている。

    2013年において、この新モチーフとして打ち立てた
    ホエールの快進撃は進撃に続いている。

    2013年度における、10月11月12月において、
    後は愚直に枚数をこなしながら
    アートシーンに影響力与えうる作品を1点1点、
    着実に育てながら、解き放つのみなんだ。

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  • 一歩前にい出し勇気と決断力

    自身の今居る世界を揺り動かし
    徐々に変化させゆくには
    一歩、足を前へと踏み出せし勇気あれば
    変化の兆しが如実なる姿を立ち表わせながら垣間見えてくるのだ。

    強き意志力から接続されし決断によって導き出される行動により、
    新たなる世界へと切り開かれし扉。
    決断するには、それなりの勇気と分相応の覚悟が要求される。
    つまり未知なる経験には、恐怖や不安などが
    常に付きまとうが、それを踏み越えながら乗り越えてゆく事で
    未知なる世界とのアクセスが可能なってくるのだ。

    例えば仮にバンジージャンプを今すぐにしてみろ!、と..言われても
    誰しもが今すぐには..と躊躇うと思うが、
    思いっきった決断を下し実行する事で、
    数秒先の未来では、経験した事の無い体験を手にする事が出来るのだ。
    そう、自身の垣間見行く世界は、勇気ある一歩と
    的確なる決断力により、すぐにでも変化の様相を
    立ち昇らせる事ができるのだ。

    もう一つ例に出して例える事にしよう。
    ある程度まとまった時間と資金力に、ゆとりがあったとしよう。
    さすれば、一週間先の未来には
    行きたかった遠くの地へと行けて、そこには
    自身が見た事や感じた事が無かった領域と握手する事も可能なんだ。
    それが地球の裏側のブラジルであっても、踏み込む勇気があれば
    地球の裏側へと足を踏み出してゆけるのである。

    自分の今居る立ち位置や環境は
    一歩踏み出る勇気と強固なる決断により、
    劇的な変化を巻き起こす事が叶うのだ。

    アートの世界でも、この強固なる決断力が時として迫られるが、
    その試練を乗り越えた先で待ってくれてる丘の向こう側に位置する景色
    それと遭遇するために、勇気ある一歩による決断を打ち立てながら
    2013年、残り3分の1から織り綴りし物語を、突き進めてゆきたく思う。

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  • 原画ORグッズ展開

    最近は関西のみだけれど、ポストカードも刷って売る様になった。
    それは何故かと問われれば、1人でも多くの人に
    僕と言う作家を認識してほしいからだ。
    昨年の段階では、関西においてポストカードを
    自身が出展するイベントでは一切売らない様にしていた。
    けれど、イベントによっては雑貨感覚を主軸に構えたフェスや
    グッズが栄える展示場などで原画を魅せても、
    販売する所か、興味すら示して貰えない過酷なる経験を余儀なくされた。
    その経験を踏まえて思ったのは絵に興味示さない人に
    作品を販売するのは不可能であるというのに,ようやく気付いた「笑」

    絵を飾りたいと思う人は、絵に多少なりと興味あって
    鑑賞する事自体に親しみを覚えている。
    つまり、最低限、絵を鑑賞し噛み砕きながら
    味わう行為を示した人でない事には,絵が嫁入りする事は皆無なのである。
    僕がグッズを並行して今年から展開する上で一つ危惧したのは、
    ポストカードやコースターなどを
    原画と共に並べる事で、原画に興味持ってくれてる人も
    値段が手頃なグッズ商品へと流れてしまうのではないかと..心配な面があった。
    けれど、僕の心配とは裏腹に自身の原画に
    興味持ってくれる人は、自身のグッズよりも
    原画からでしか感じ取れない絵の持ち味やマチェールの旨味、
    絵筆の微妙なさじ加減から繰り出される深みや厚みなどに
    重きを置いてくれる人ばかりであった。

    だから逆に原画目当ての人は、
    僕のポスカやグッズに対しては反応が冷ややかなのだ「笑」

    原画の色味がグッズでは感じ取れないとか..
    絵の良さは原画でしか伝わってこない..など、
    原画から滲み出てくる特性をよく理解してくれているんだよなぁ。

    だからそう言う方達は、グッズ商品には目もくれなく、
    原画の方のみに焦点を当てながら、じっくりと鑑賞してくれる。

    そう言った意味で、原画にせよ、ポスカにしても、
    それぞれのニーズに帰依しながら住み分けがきっちり成されていったのだ。
    ポスカやグッズへと関心示す人は、そちらの商品のみに目線が行くだろうし、
    原画の特性を充分に分かってくれてる人は
    絵の味を躊躇なく選び取ってくれるのだ。

    グッズ展開する事で自身の活動におけるふり幅を拡張させながら、
    原画作品の方では真の旨味を理解してくれる方に向けて
    グッズと原画、それぞれの特性を上手く住み分けながら
    この2つのおける両輪を適材適所な感覚にて使い分けてゆきたく思う。

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  • 王子動物園とマサイなジラフ

    王子動物園。実は行くの、今回初めてなのだが、これが予想以上に良かった!
    映画のエリジウムが予想以上に拙い出来で..ガックシしたんだけど、
    こちらの王子動物園の方で、グット流れを盛り返せた感じなのだ。

    このエリアの範囲内で位置する兵庫県立美術館へは
    幾度となく足を運んだのだが、王子動物園
    何度か行きたく思っていたものの、実現には至らず
    今回く行く事が、ようやく叶ったのである。
    ここの動物園はアニマルの種類が豊富で
    一種類辺りの動物の数も多いのが特徴なのだ。
    何十羽にも及ぶフラミンゴの彩やかな鳥の群れは圧巻であった。

    ジラフの目線の位置に合わせて窓がくり抜かれていて、
    そこまで階段で上がって、ジラフと同じ高さによる目線にて
    ジラフを観察出来たのも良かった。
    初めて実物で見るマサイキリン。
    マイルドな色味と、ざらついた毛並みが
    印象的だった凛々しき風貌なるマサイキリン。
    アリクイやジャイアントパンダなど、
    関西の他の動物園では見た事が無かった貴重性の高いアニマル達を
    近くで垣間見れたのも良かった。
    動物と触れ合えるコーナーでは、
    アヒルや鶏、ウサギや羊などと対話しながら、
    憩いある時間を過ごす事が出来た。

    そんな感じで気が付けば半日ほど王子動物園へと
    居座っていて、存分に和みの時間を満喫する事が出来た。
    面白いスポットは何も遠くへ行かずとも、
    自身と距離の近い近場へと目を配れば意外と在ったりするのだよな。
    近しき遊び場で、実り在る時間を過ごせるスペースへと
    次回もまた繰り出したく思った1日であった^^

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  • 教え教わりな知恵の実

    この世界は、誰しもが素人であって、全てのジャンルを
    横断しながら究める事など到底出来ない。
    皆、ナニカに長けている分野を持ってはいるが、
    未開拓で手を付けていないフィールドの方が圧倒的に多くて。

    逆を返せば、全ての人類がナニカの素人なのだ。
    会社の上司と部下の場合、組織内においては
    上司の方が立場上、上であるが、組織から離れ一歩外へ出れば、
    そんなちっぽけな組織間で取り決めた関係性などは一瞬で覆るのだ。

    人は他人よりも長けている武器を一つ持っていると同時に、
    自分には無い無数に存在する武器を他者が、たくさん持っていて。

    野球のプロであっても、サッカーが上手く出来るとは限らないだろうしね。
    音楽のバイオリン演奏者で躍動的に活躍する人物も、
    一歩ジャンル間の壁を跨ぎ、別の楽器を使えば、
    アマチュアレベルに留まったりするのだ。
    芸術の世界でもそうだな。
    絵がそれなりの領域に到達したとしても、
    写真でナニカを表現しようすれば、そのフィールドは
    未知なる開拓地であった場合、始めから上手く出来るはずなくて。
    自分には出来ない事を他者が持ち合わせている事で
    羨ましさや悔しい感情が時に芽生えてきたり、
    それが憧れや尊敬という観念へと帰依してゆくのだろう。

    人よりも、ちょっとだけナニカに詳しかったり、
    他者が知り得なかった事を教えゆくだけで、
    そこには必要とされる価値が生まれてくるのだ。

    この世界は知らない事で満ち溢れていて、
    一生涯かけて1個人が知り得る情報なんて、微々たるモノなのだ..。
    そう、我々人類は言うなれば70億、総素人であり
    無知でいて、空っぽなんだよな。だからこそ、知識や経験を
    随時取り入れながら無制限に据え広がりし
    膨大なスペースを埋めようとする。
    そして新たなる疑問におけるクエッションがそこから芽生え
    それを教育によって学びとり、学びと教えを無限に積み重ねてゆくのだ。

    他者は自分の知らない事や体験をたくさん持っている。
    その事を聞けば教えて貰えるし、僕も自分が経験してきた事、
    他者が知らなかった知識の実を、教える事だって出来るのだ。
    相互間における教育による知恵の実交換から芽生えし
    発展や展望は日々取り交わされているんだな。
    人の織りなす社会は、人と人とが
    知恵の実における教育を通じながら教え教わり、日進月歩してゆくのだ。

    それは文明や文化を発展させゆき、
    人の住まう社会を、より豊かで、より良き世界へと
    クリエイトさせながら未知なる大地に
    道を開拓しゆき突き進んでいく事が可能なんだ。

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  • 初心者マークから勢いつけゆき発信

    世の多くの人々は、それぞれにおける特技や持ち味を持っていて。
    それを深めれば、ビジネスとして成立させる事が出来たり、
    子供の頃から思い描いた夢を実現させる事が叶いうるのだ。
    それぞれの分野において、今を輝きながら活躍している
    多種多様な分野.職業によるプロフェッショナル達。

    けれど、そんな彼らも、事の始まり、つまり
    始まりの一ページは、超初心者でいて、ズブのど素人だったんだな。
    誰にでも拙くて未熟なヒヨコ時代は存在していて、
    始めから楽器を手玉の様に演奏出来たり、
    自身の世界観を深く高みを帯びた形として
    成り立たせている表現者など、極一部の天才を除いては存在し得ないのだ。

    事の始まりは失敗や挫折の連続であって。
    失敗による手痛い学習から事を学び取り、
    修正箇所や改善点を見つけ出し事足りぬ事を事足りさせ、
    試行錯誤を幾重にも積み重ねながら昇りつめてゆけるのだ。
    ある程度の基礎が出来て、
    事が思う通りに運ばせれる様なれるまで
    諦めずやり遂げてゆけるかどうかなのだ。

    大空へ飛び立つまでに要する膨大なエネルギーによる質量は
    計り知れなく、その段階におけるフェイズが
    どれもしんどくて、困難を極める。
    その時点では、まだ宙へと身体浮かす事を実感出来てない。
    だから、地上を離陸して大空へと羽ばたく事の旨味を体験できるか否か。
    ここがどの分野においても分岐点となっていて、
    それを成すモノが、次なるフェイズにおける段階へと移行可能なのだ。
    つまりを0を1に引き上げる、初心者における初期段階。
    そこをクリアーさせる事が出来ればアートに限らず
    他の分野にも応用が利くし、さすれば
    様々な分野においての遊び場を行き来する事が出来る様なってくるのだ。

    空へと舞いながら羽ばたく感触、
    ここを体感温度として実感できる事柄を
    裾野広げながら作り上げてゆきたいのだ。
    絵を描き続ける、コンテンツを作り続ける美術を鑑賞し続けゆく、
    漫画や映画、アニメなど様々なジャンルを見ながら
    それらから垣間見えゆく物語を蓄積させ続けゆくなど。

    ナニカを続けゆく事から派生できる旨味における、ふり幅を
    様々な形式や形態に置き換え、
    拾い集めながら体感してゆきたいのだ。
    まだまだ自身が心の底から続けてゆきたく思える事柄は
    恥ずかしながら非常に少ないのだが
    一個ずつジャンルを着実に増やしながら
    飛び立つ感覚を旨味として捉える事が出来る遊び場を
    徐々に拡張させてゆければ良いよなぁと思う、今日この頃。

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  • WINWINな等価交換

    詐欺って、あるじゃない^^
    俺オレ詐欺とか、今も衰える事無く続いてますよね^^
    というより..、いつの時代も
    詐欺という行為は人間社会に深く根付いていて、
    このブラックなゾーンが消え去る事はまずあり得ないだろう。

    戦争や、いじめ、差別など巻き起こらない世界が仮にあったとすれば、
    それは我々人類の意識レベルにおける次元が
    次なるフェイズへと移行したという事だから。

    文明の力学においては、日進月歩で進化している我々も
    根幹における意識レベルは、今も昔も、さほど対して変わらないのである^^
    つまり詐欺というのは誰にでも起こりうるし
    気を常に払っていないと執り行ってしまうのだ。

    では詐欺とは、そもそもナニカと問われれば、
    WINWINな関係性が、等価交換において
    明らかに成されていない状態の事を指す。
    分かりやすく言えば、果実を一方的に奪い取る事を
    詐欺であると僕は捉えている。

    人と人との関係性は、いわば等価交換において成り立っている。
    アートの世界でも、その原理原則は同じで、
    片方が一方的に損害を被り、
    もう片方が奪い取る事で得をする果実の奪い合いは、
    詐欺という概念へと回収されゆくのだ。
    贋作なんてのが、分かりやすい例だよなぁ。
    売り手にとっては果実が奪えて得するけど
    それを知らずに騙された買い手側は多大なる損害を被り、
    果実の一方的なる略奪、つまり詐欺行為が成り立ちゆくのだ。

    絵に自信や誇りが持てなく、
    自身の作家活動信じながら理解できずに作品を見せたり、
    販売している人達を、僕は詐欺だと思っている。
    本人がプライド持って取り組んで無い作品を
    世に解き放っても、誰も得しないし、
    それは有害なメデュームの塊でしかないんだ。

    絵に値段をつけて売るのに、自信が持てなかったり
    気負いしてしまう場合、まだ世に絵を流通してはいけない。
    その事を踏まえずに、してしまうと詐欺になってしまい、
    それは後々、自身の首を絞める事となるから。

    他者と等価交換できる価値があるからこそ
    自信や誇りを強く持って、胸を大きく張りながら、
    威風堂々と真っ向から等価交換する事が出来るのだ。
    つまり果実における共有がそこで成り立ってくる。
    そうなれば、絵を魅せたり販売したりする行為に
    自信持てなかったり、負い目を感じたりする事など一切無くなるのだ。

    自信が持ててないというのは
    自身の執り行ってる行為に引け目を感じているから
    一方的に果実を奪ってしまっている罪悪感が
    詐欺をしているという概念へと結びついてしまうのだろう。
    自身が手掛けし作品に価値を見出し、
    継続しながら高めてゆければ、
    自ずと人はそれに信頼を寄せてくれる。
    そして果実の実を分け合う良好なるサイクルが成り立ってくる。
    両者にとって互いが有機的で納得のゆく関係性を構築できる事で
    継続して付き合えたり、
    その後にも繋がりを帯びし等価交換によるWINWINな間柄を築いてゆけるのだ。

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  • 作家活動における普及活動

    作家活動とは普及活動の事を意味する言葉なんだと思う。
    要するに自身が創作活動において
    紡ぎあげし作品を世に送り出し
    それを第三者へと認知させゆく行為なんだと考えていて。

    絵は発表しなければ、
    自身以外の世界との接合点を持たせる事などできない。
    いわば自身の中だけで、絵図においての物語が完結してしまうのだ。
    そこには、シェアにおける共有点が存在しない。
    作品を陽の当たりし白昼の元へと曝け出す事で
    その絵図がどういったモノであるのかを、知って貰う必要があるのだ。

    その絵図は、味が美味しいのか、まずいのか、口に合わないのか、
    好きなのか、嫌いなのか、苦手なのか、..など。
    まずは味を確かめて知ってもらい、
    そこから判断してもらわない事には、
    その絵図は世の表舞台に存在しえないのだよ。
    誰も知らないし、誰にも気付かれる事無く
    押し入れの薄暗い日の当たらない空間内で一生涯を終えてしまうのだ。

    自身のクリエイトしたビジュアルを世に解き放ち、
    何かしらの影響を他者へと与えうる事で
    そこから相互においての実り在る価値が生まれてくるのだ。
    作家活動とは水面から波紋が巻き上がってくる活性現象であり、
    それを繰り返し繰り返し継続させゆく事で、
    波紋ウェーブは大きく広く揺れ動いてゆけるのだ。

    自身の絵図が様々な場所で活躍する事で
    役割や使命感を作者と絵図の両方に持たせる事が出来る。
    それは大きな自信や誇りへと還元され、
    創作意欲を奮い立たせ、作る意味を見出し、
    必然的にモチベーションエンジンへと灼熱なる炎が着火しゆくのだ。
    もっとたくさんの人に絵図を見てもらいたい、
    より多くの人に感性の琴線へと揺さぶりをかけながら、
    自身が進撃に描いた絵図を、味わいながら噛みしめてほしいのだ。
    さすれば絵図は、新たなる絵図を引き寄せて、さらなる場所へと
    駒を突き進むため、僕を導き誘ってくれるのだから。

    今年も残す所、約3分の1から連なる時間軸から展開されゆく
    自身と他者を繋ぎ合わせた濃密なるストーリーを
    垣間見てゆく旅路は続いてゆくのだ。

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  • 第9地区なエリジウム

    最新作のエリジウム..、チケット前売りを購入〜。
    前作の第9地区が、自身としてはすごく良い出来映えで
    昨日、復習がてら再度、鑑賞してみたのだ。
    この手合いの映画って、大抵はエイリアンが地球侵略のために訪れて、
    それらと人類が、どの様に戦い、その場を凌いでゆくのか..って所に
    着眼点設けられてる作品が大半でいて鉄板なんだよな〜。

    けれど、第9地区は、それらとは、一変していて。
    出だしの掴みも、すごく上手いんだよ。
    布石で一気に引き寄せて、物語へ
    そのまま勢い良く引っ張りゆく誘導の仕方がグッジョブなのだ。
    当初、この第9地区の冒頭見た後、すごい笑えて受けたんだけど..
    とにか物語の封切りの仕方が、抜群に良かった。

    巨大な宇宙船が、都市上空で停止していて、
    特殊部隊が危機感を募らせ乗り込んでゆくのだ。
    何のために地球へと訪れたのか?
    我々に対して、これから何をしようと企んでいるのか?
    円盤の中で垣間見た恐るべき風景とは..
    栄養失調になってヘロヘロなったエイリアンが目の前に居たというね..笑 
    要するに今にも亡くなりそうな彼等を
    隔離し、保護するエリアが第9地区であって。
    彼等はここで人との関係を遮断されたエリアで過ごす事となるのだ。
    要するに鎖国による封鎖された状態の中で、
    生活する事を余儀なくされるのである。
    そんなこんなで、ここから巻き起こる諸問題や
    急展開などがいろいろ出てきて物語突き進んでゆく感じの映画なのだ。

    この映画監督の別の作品を
    第9地区見た時からずっと見たいよなぁ..っと、思ってたんだけど、
    ちょうど予告編見て興味湧いた映画が
    偶然にも第9地区の監督作品による最新作だって。
    この作品も予告編の冒頭による掴みが
    すごく上手くて、予告編の後、この後どんな風に物語が形成されるのか
    無性に気になってくるんだよね。

    エリジウムとは2145年の物語だったかな。
    富裕層と貧民層が二極化され、
    それぞれ暮らす領域が分断された未来。
    永遠の生命を手に入れた富裕層が住まうエリジウム、
    そして貧民層達が住まう退廃した地球による2つの場所から
    どの様な形で物語が進みけり、どういった終焉を迎えゆくのか。
    それを確かめ、目撃しゆくため、週末は映画観へと
    足を運ぶ事にする次第なのである。

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