川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • アート模様いろいろ^^

    このアート業界は摩訶不思議でいて奇々怪々なんだよね〜。
    つまり異質でいて特殊な部類へと
    分類.カテゴライズされるんだと思うのだ。
    作家.ギャラリスト共に手持ちの資金が豊かでないので、「特に作家は」
    節約に節約を積み重ねながら上手くやりくりしてるわけで。

    作家の世界で、招待企画ってのがあるじゃない。
    お誘いは、無料で展示できるスペースを提供していただけるので
    出展料が作家側にはかからない。この事に関しては
    本当にありがたいけど、後は基本作家負担になるのだ。
    会場までかかる作品運送費や
    画材費用など作家負担で全てやりくりしないといけないから、
    経済的な立場上、作家が最も弱い立場になるわけ。

    他の業界なら、その場所までかかる運送費とか、材料費なんかが
    当然会社や企業から支給されるが、アートの世界では
    その辺りが作家負担なるのは、言ってしまえば
    ギャラリーサイドも、
    それを賄ってあげられるだけの資金力が無いと言えるからさ。
    この辺りはもう、仕方無い事で、作家サイドも十分理解.承知しているので
    画家以外の職業で生活費であるとか、その延長線上にある
    資金繰りを、そこから捻出出来た上で作家活動を邁進するしかないのだ。

    面白い話を作家仲間から聞いて、それがとても
    印章に残ったので紹介しよう。
    東京デザイナーズウィーク内で開催されるアート展示で
    昨年11月、東京に展示するため赴いたのだ。
    その開催期間に、
    近くの青山スパイラルでアートフェアが行われていて、
    それにもアート仲間は絵を出してて、
    打ち上げが青山の居酒屋であったんだって。
    この業界、打ち上げん時は、親玉のギャラリストが飯を出展している
    作家連に自腹切って奢るのが、しきたりみたいなっていて。
    青山で値段がすごく安くて美味しい食事を提供してくれる、
    かなり青山の中では庶民的な位置づけに入る
    お店があるらしくて。そこで打ち上げしてると、
    青山のアートフェアに出展していた、
    ギャラリスト達が次から次へと入ってきたらしくて「笑」
    周り見渡したら、アートフェア出てた
    ギャラリスト貸切の居酒屋みたいになってたみたいで「笑」
    みんなそこが一番金かかんないから自然と集まってきたんだろうね笑
    要するに普段、真っ黒なスーツに引き締まったネクタイをした
    ギャラリスト達も、椀飯振舞できる様な資金など
    持ち合わせていなくて、ギリギリの手持ち資金で
    数字と格闘しながら、運営しているのが実情なんだな。
    普段小奇麗なスーツに身を包んでアートフェアなどで
    優雅で落ち着いた口調で話す術はとても重要であってさ。
    彼らの相手するのは富裕層のお金持ちと相場が決まってるから、
    それに見合った身だしなみと、落ち着いて余裕のある口調で
    しゃべる事が前提になってくるんだと思う。仮に余裕が無くて、
    身だしなみが貧しい感じだったとしたらさ、富裕層に悪い印象しか
    与えられえず、絵なんか売れるわけないじゃない「笑」
    なんだかんだいって、このアート業界はお金で潤える業種じゃないので、
    ヤクザからは芸能みたく目をつけられず安心だけどねぇ^^

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  • 作家と恋愛事情

    江戸時代までの日本、つまり徳川幕府が終焉を迎えるまでの
    この国には身分制度ってのがあって。
    領主の元に武士が居て、商人、町人、漁師などが城下町で
    働いてて、農民が農業を営むって具合に
    それぞれの身分を全う遂行してたわけで。

    結婚とかも現代ではネットで相手を探し求めたり
    結婚相談所や、
    出会いをサポートする会社まで需要が出来る様な
    恋愛においての選択肢が無制限に据え広がった様に一見思える。

    江戸時代までは農民は農民、
    武士は武士、町人は町人って具合に
    同系色な身分での恋愛が絶対条件であったし、
    生まれた時から許嫁として、
    すでに結婚相手が決められてる時代でもあったんだ。

    では現代に立ち戻って、
    アーティスト、ここで主にピックアップして述べるのは
    絵描きの恋愛事情はどうか、と言うのを書き記そうと思う。

    近年、作家同士のカップルが増えているというのを
    数年前参加した、こみまる展のトークショーで話てたのを思い出す。
    僕もこの件に関しては、すごく納得..と言うか自然な流れだと
    思うし、何より絵描きを選んだ時点で他の職種についてる様な
    一般的な恋愛観とはかけ離れた所に位置するんだと思う。

    絵を一点描くためには、まずはそれなりにまとまった時間とお金を労する。
    これが作家と作家であれば、そんなの当たり前や!って
    至極当たり前の事すぎて、逆に怒られたりするかもしれない「笑」
    が、しかし、これが絵の世界とさほど深く関わり無い人の場合だと、
    どうだろうか?まずは絵には時間とお金が相当に
    かかる事から説明して理解を承諾してもらわないといけないし
    事細かに説明したからと言って必ず理解してくれるとは限らない。
    絵描き同士のカップルだとデートする時に良いのは
    一緒に居る時間も同じ目標に対して時間を費やせれるのが
    僕としては、すごく居心地良くて、とても助かるのだ。
    美術館やギャラリーなどをデートプランの主軸として組み込み、
    それが見終わった後は、ゆっくりとお茶したり、
    洋服選びやショッピングなどに繰り出すから、
    何かとバランスが取れてオフの日も収穫ありきで完全なるオフにならずに済むんだ。

    絵に対してもお互い進むべき目的が同じだから
    制作の合間を携帯の写メに撮影したのを送ったり、
    それを見て刺激受けて
    自分も今から取り組もうって気持ちが
    モチベーションとして内側から強く沸き立ってくるのだ。
    将来、一緒になって暮らす場合も、お互いにとって
    メリットが大きい。生活するためのお金を稼ぎながらの
    生活がまず基盤に在って、オフの日や仕事終わりの
    時間空いた時、制作する流れになる時、お互いが
    それに向かい取り組める。深くお互いの割いた時間に
    干渉し合わなくて済むしね。やるべき事をやってのけた
    最後に創作活動をやり遂げる所が通じ合えるから、
    その辺りもすごくありがたい。

    最後にあるリツイートで流れてきた文面が印象深かったので
    アレンジを多少加えながら引用して、文章を締めくくろうと思う。

    障害者を理解しないのはなぜか?それは障害者の友達が1人も居ないからだ。
    オタクを理解出来ないのは何故か?それはオタクの友達が周りに居ないからだ。
    なぜ芸術家を理解しようとしないのか?
    それは周囲の仲間に携わってる人が居ないからなんだ。

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  • 作家とソーシャルネットワークな時代

    ネットでの発信.発言力がいよいよ成熟度合を増して
    安定期を迎えつつある。
    今やソーシャルネットワークの中での
    情報収集や繋がりが日常的に極々当たり前な時代なってきたなぁ。

    小学生の頃は携帯で誰もメールしてなかったのが
    高校く生らいから携帯電話持つ率が徐々にあがってきて、
    ミクシーやツイーターなど
    仮想空間でリアルタイムな今を
    知る術がソーシャルメディアにより生まれてきて
    現在はフェイスブックが一番勢いがあり
    利用頻度が最も高く活気ずいていると思う。

    昔堅気の作家を多く見てきたが、
    彼らは逆にソーシャルメディアが苦手な様で
    登録だけ済ませて
    使いこなせず放置している状態にある。
    これが容認された時代もあったが、
    現在で、そこに興味や意欲を示さないと、
    足場が極めて不安定で不利に働いてしまうんだ。
    情報的弱者と言う言葉は一見聞こえが悪いが、
    正にその通りであって、自身の地の利として
    ソーシャルメディアと上手く向きわねばならない感覚を
    ここ数年の流れを俯瞰しながら強く実感してきたのだ。

    では僕にとってのソーシャルメディアとは何か?
    それはずばり率直に述べると画家としての仕事の一環であると
    思っていて。いわば、ブログやツイーター
    フェイスブックなどは
    自身の活動幅をより広く大きな流れへと導くために
    無くてはならな繋がりを持続的に保つための重要なツールなのだ。

    ツイーターは、限られた文字数で発言された
    各自のメッセージが画面上に絶え間なく流れては消えてゆく。
    いわゆる川の流れに
    漂流してきた言葉とは一期一会な出会いなわけで。
    そこの兼ね合いが最もライブラリーで鮮度も同時に朽ちやすい。
    その場で流れてきた展覧会やギャラリーの情報で
    気になったのものは
    お気に入りリストとして蓄積するか、
    手書きのメモとした取っておく。
    そして週末アート鑑賞に
    巡り歩くプランとして組み込むのが良い。

    事前に行こうとしていた展示の会期がまだ長ければ、
    そちらを取り辞め、流れてきた情報の
    会期わずかな日数の方に計画を柔軟に変更したりする事も良いと思う。
    よく行くカフェの近くでで面白そうな展示がやっていれば、
    そちらを兼ねてから
    カフェでお茶する事だって臨機応変に出来ると思う。
    ツイーター始めて、たくさんの作家関係者をフォローして、
    そこから影響を受けて鑑賞した映画であるとか
    新しく発見したギャラリーだとか
    流れてきた発言から自身の思想や価値観、哲学に大きく響いた
    言葉の言霊は数知れない。

    ミクシーについて言うとフェイスブックを最近始めて、率直に
    思ったのは土台となってるシステムがかなり似ているが、
    開かれた新たなる開拓地に向けての発信や発言は
    断然フェイスブックの方が優れていて、
    作家としての認知度や支持率に対する可能性を
    大きく開拓してくれる気がする。

    最近、ドラードの年末企画、アートギフト展に参加させて
    いただいたのだ。それがフェイスブックやり始めたきっかけ。
    ツイーターでドラードオーナーの小原さんが、
    ギフト展フォトアルバムの
    リンクサイトを貼り付けているのを見つけてクリックした。
    小原さんのフェイスブックサイトには
    丁寧に1人ずつの出展者ブースが
    一枚一枚分かりやすく掲載されていて。
    僕のブース写真を見るとイイネボタンに
    関東の作家さんや美術関係者、
    アートフリークなどから
    数十にも及ぶイイネボタンが押されていて、
    押してくれた人の名前と顔が表示されてる!
    何点か出展作品を掲載していただいてて
    前の写真の時もイイネを押してくれた人が
    売約の絵にも押してくれていて。
    なんだかそれが無性にうれしくて、
    フェイスブック始め時だなぁってその時思って「笑」

    フェイスブック始めてから絵をフェイスブックで
    興味示してくださった方や
    絵を購入していただいた人に申請送り受理していただいた。
    そのメッセージで始めて知ったのだが、
    以前から「川瀬さんの絵が好きだった」、
    「今回のギフト展はキリン目当てで購入した」、など
    嬉しい反応が続々返ってきて。
    アートに関連ある関係者や
    顔なじみの作家仲間、
    以前から絵に興味持ってた作家さんなど
    積極的に申請送り、今や100人以上にまで膨らみを帯びた。
    フェイスブックって適度な距離感で情報を発信できる
    緊張感がすごく良いと思うんだ。
    遠方の展示会で
    作品は以前から見ててくれてたけど、
    僕自身を知らない人達は先入観無く僕の絵を観覧してくれるじゃない。

    フェイスブックが、これから新たな繋がりを段階得て
    結びつけてくれる役割担ってくれるんじゃないかと考えている。
    上手く発信した情報の出し入れを使いこなせてる
    フェイスブックサイトは本当にすごいし活気ずいてる。

    現実でのリアルな展示会って、出展料があって
    開催期間も2週間くらいと制限されてるけど、
    それが終わった後の持続的な繋がりとしての
    役割担える箱に最も近い場がフェイスブックなのかなぁとも思っている。

    展示後の近況であるとか、
    新たな作品掲載や展覧会の告知宣伝などを
    無料の仮想空間で有機的に担えるのだから、
    これをツールとして大いに利用しながら、
    立ち回りを最大限に生かしてゆこうと思うんだ。

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  • 時の試練による査定

    友人で作家の細川高文君を作家の道へと
    引き込んだのは間違い無く僕だと言えるだろう。
    彼とは高校の同級生で年齢は2歳離れてる。
    それは僕が回り道して高校に入学したからなのだが..。
    卒業後もちょくちょく連絡はとってたが、
    細川氏が21くらいの時に
    家庭の事情で宮崎県へと引っ越す事となった。
    電話をたまに掛けながらアートの素晴らしさについて語り、
    よければ一緒に活動しないかと説得したのだ。
    それから1年が経過して京都へ単身帰ってくる事となり
    中学の同級生の家の空いてる部屋を借りて住む事となった。

    実際に僕自身が、どんな活動をしているのか、直に
    見て貰おうと思い
    心斎橋のクリスタで開催された1DAYアートイベントに
    連れ出したのが、始めの出発点なるのかな。
    それから少しずつ創作する事に興味が芽生え始め、
    始めの頃の一年は自宅のアトリエで絵を
    一から教え込む所から始まったのだ。
    絵の具はどの絵の具があるだとか、
    キャンバスやパネルなどの画材を
    直に触れてもらうため画材屋へと連れ出したりもした。
    ギャラリー巡りから美術館に至るまで、
    一からの何もかも
    初めてのスタートだったんだよ、細川君。
    それが時を経過して、今に至るわけだけど
    現在彼は29歳。
    作家活動を30才目前にしてようやく
    一生続けてゆこう、
    自身の生きた証をキャンバスに刻み込みたいのだと
    強い意志を強固に固めてくれた感じなのだ。

    始めた頃は30まで作家活動して芽が出なければ
    きっぱり辞めると公言していたのを覚えている。
    彼女が居た時期はかなり悩んでたみたいで
    絵を取るのか付き合ってる彼女を取るのかの二者択一で
    苦しんだ時期も彼にはあったなぁ..。
    そして20代後半に差し掛かり、一旦絵から離れて
    就職活動をすると言い出した時期もあった。
    1年間作家活動を休止して、いろんな職を転々と
    渡り歩いたけれど、どれも長続きしなかった。
    結局彼は、以前に働いてた深夜で時給が良くて、
    シフトを自由に決定出来るビデオ屋へと舞い戻ってしまったのだ。

    それから作家活動を再開するも
    以前の様な覇気は微塵も感じられなくなっていて、
    表現活動する事に興味が無くなってると漏らしていたのを
    今も強く覚えている。
    けれど、それからまたしばらく少しずつ
    発表をしてゆく内に
    以前の様な絵に情熱を費やしたい熱い気持ちが
    静かなる鼓動となり細川君の内側からメラメラと燃え出したんだ。
    度重なる重度のストレスから鬱病に陥ってしまい、
    現在に至るわけだが、
    絵を生きた証しとして残したいと言う
    自身が絵を描く理由の根本に宿る答えを
    ようやく見つけ出したんだ。

    一生作家として絵を描き続ける事を決意表明する事自体
    強い信念と覚悟が要求されるが、それは一次試練にすぎない。
    本当の試練はそこから時が審判を下してくれる。
    いわば時の試練に委ねられるんだよ。
    決意表明から数年かけて
    自身が作家として一生描いてゆけるか否かは
    時の試練が
    おのずと答えを導き出してくれたんだ

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  • 的外れなOBにはならずにゆこうよ

    作家活動は持続的な資金力と作品枚数の
    集積によるものだと言うのが
    僕のモットーであり、ここが正に基盤となっている。
    けれど、続けてゆけば、いつか目が出て花が咲くのか?と
    言われれば、そうではないと思う。

    同時代のアーティストと自身の立ち位置を常に
    見比べながら、その都度、検証を繰り返し、
    間違いや補わなければいけない改善点、修正点を
    見直してゆく事が大事であり重要。

    努力は間違った仕方でするなら、やらない方が良い。
    勉強も同じく的外れな箇所を見直さなければ
    場数を積み重ねても、
    意味がないし、得るモノが無きに等しい。
    自身の金銭に対する投資だってそうだ。
    ありもしないオアシスへ向けて砂漠地帯を
    突き進んでいっても、喉が干からびる様に、
    資金を溝に捨てるのと同等であるんだよ。

    これらをまとめると、間違った努力や勉強方法、
    ありもしない大きな夢に向かって投資するのは、
    全てにおいて自身をマイナス方向へと突き進めてしまう。
    それなら始めの段階から盲点に気付き、
    マイナス方向から
    初期段階0地点まで引き返す事が賢明な判断の様に思う。
    自身と同等、10年近く作家活動を続けている同期について
    言うならば、僕以上に活動範囲を広げて
    シーンの中央へと邁進していってるタイプと、
    それとは逆に10年続けていても、
    これと言ってパッとした成果が上がらず、地団駄踏んでいる
    的外れなOBの哀れなる存在が気にかかる。

    彼らは活動歴が長いと言うだけでアートシーンに対して
    何かを成し遂げた様な偉そうな態度を取るが
    現状は作家活動1年目や2年目で頭角表した
    勢いとパワーのある若手の方が遥かに優秀で
    栄えある成果を叩きだしてるのを、遠目に僻んでる。
    哀れな末路漂う背中を見ていると同期として複雑な気分になってくるのだ。

    正しき努力の仕方や勉強法、有機的な資金投資などを
    プラスのベクトルへと傾く様、常に自身にクエッションを抱きながら
    改善修正を加えながら
    活動を続けてゆこう。そうしないと..。

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  • 移りゆくアートな時代の転換地点

    時代と共に人類が築き上げてきたシステムというのは
    少しずつ移行しながら改変してゆくものなのだ。
    同じ型のシステムのまま、それを継続してゆくと
    それが老朽化してゆき、
    有機的な機能がいずれは出来なくなってくる。
    これまで培ってきた歴史や文化を受け継ぎつつ
    新しい思想や価値観を上乗せしながら更新させてゆくのが、
    本来あるべき正しき伝統の継承.・継続の仕方なんだろうね。

    アートの世界でも、近年それが転換期を迎えているのが
    作家活動していて沸々と実感として湧いてくる。
    経済が潤っていた80年代の日本では
    バブル真っ只中の渦中で絵の値段が高騰し
    飛ぶように作品が売れた時代あったのだ。
    それがバブル崩壊後、
    不況の下降線を辿る時代へと移った時、
    価格価値以上に値段価値が高騰してしまった状態の作品が
    負の遺産として取り残されてしまったのだ。
    つまり売れた後の居場所が無い。

    今の時代、作家活動して間もない時に
    高いレンタル料金をギャラリーへと支払って
    個展しても、作家に得られるメリットが極端に少ない。
    来る人も極々限られたわずかな身内や
    関係者だけに終始してしまうのだ。
    ここ数年、ギャラリーの在り方も変わってきていて、
    ギャラリーでは
    多人数企画公募展という公募展覧会が
    活気と熱を帯びて各地域で盛んに開催されてる様に思う。
    展示出来るのは一人一点のみだが、大勢の作家が
    近作をギャラリーに持ち寄り、
    それが50.60人くらいの規模として
    それぞれの作品が集まって、一斉に鑑賞.観覧出来るのだ。
    作家1人、1人がDMを配り歩き、
    ソーシャルネットワークや口コミなどで宣伝告知するので、
    展覧会の集客量も、うなぎ昇りに向上してゆき、
    会期中は終始ギャラリーに人が絶えない。
    出店料も値段がとてもリーズナブルで
    平均してどの多人数公募も展示料金が
    大体約3000円程度。
    参加者の人数が数十人単位で集まり
    箱代2週間分くらいのレンタル料金が
    そこから徴収できるので
    会期も2週間で開催される所が多いのも
    魅力的な要素の一つではないだろうか。
    開催期間が長ければ長いほど、
    より多くの人に自身が進撃に取り組み制作した作品を
    見て貰える可能性を帯びてくる。
    多人数企画公募の最大であり一番の特徴は
    会期中交流会が開催される事ではないだろうか?
    会期中の土日だとか、オープニング及びクロージングなどに
    多くの出店作家が会場に集まってくるのだ。
    これは絵が単に会場へと飾られるだけではなくて、
    そこに展示しているクリエイター達の
    生の息遣いを直接聞ける大変貴重なチャンスに恵まれるのだ。
    以前から興味持ってた作家と直に話す事も出来るし、
    絵描き同志で絵の物語を相互に語り合ったり、
    それぞれが持つアート情報を交換したり、
    意気投合して、グループ展やアートフェスでのシェア展示をしたり、
    お互いの絵を作品交換したりする関係にまで
    発展する場合も多々あるんだ。

    個展を開くってのは、順序的に、
    こう言った多人数企画公募展であるとかグループ展、
    アートフェスタみたいな
    アーティストと集客率が
    膨大な数で来場するイベントなどを経過して、
    自身の周りに支持者や認知度が高まってきてから、
    ようやく最後に辿り着く場所が個人によるエキシビジョン、
    つまり集大成となる個展なんだと思うんだ。

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  • 長距離走者の内なる孤独

    作家歴が来年でようやく10年目を迎える。
    長い様で短く、短い様で長かった。
    毎年馴染みのギャラリーの何周年記念とかに
    参加していると「川瀬君は活動歴長いんですよ」って
    紹介されるんだけど・・。
    僕からしたら、始めの10年は、いわば、
    第一関門をようやく突破出来た様な感じで
    まだまだ先は長く、この道のりは死ぬまで続いてゆくんだと思う。

    つまり自身、一生画家でありたいと思うし、そのつもりでいる。
    モノを作っているから、画家だとか絵描き・クリエーター、作家などと
    認識され、そう呼ばれるんだけど、モノ作りを辞めてしまえば、
    画家でも作家でも絵描きでもクリエイターでも、
    そのどれでも無くなるんだな。

    アートフェスタや多人数企画公募展などで
    多くの素晴らしき仲間達と僕は出会ってきた。
    イベント終わり、別れる時は互いが笑顔で握手なんかも
    交わしたりしたんだ、懐かしいな。
    「じゃあ、またね、また次の展示会で!」そう言いあって
    名残惜しさを残してサヨナラした仲間達。
    その多くが、それきりで、それから再会出来てないんだ。

    今何をしてるのかな、

    作家以外のやりがいや生きがいを見つけたのかな?

    絵が思うように描けなくなったのかな、

    それとも経済的に作家活動を続けられなくなったのかな・・。

    長距離走者の孤独を背負いながら、
    僕は絵筆を握りしめ、走らせてゆく。
    絵のイベントで出会った人達ってみな良い奴で
    何より利害関係無しに純粋な形で、個々の世界を
    それぞれ表現し合ってるから、
    すぐに壁をとっぱらい仲良くなって打ち解け合える。

    社会に出てからはそうはゆかないしね。
    高校の先生が「学生の時、巡り会った友達は
    一生涯付き合える大切な仲間だから大事にしなさいね」
    と言ったのが印象に深く残ってる。
    社会に出てからは、まず目の前に
    お金の利害関係が働き先で絡み、競争意識なんかも
    互いに会社の中で生まれてしまう。
    だから学生の頃みたく
    深い仲になって繋がれる友人というのは出来ずらいんだと思う。
    けれど、アートの世界はさっきも述べた様に利害を取っ払った
    純粋な場所と場所とで出会えるから、
    すぐに馴染めて仲良くなれるんだろうな。

    僕は一生涯アート人生を通じて
    一生付き合える友達が欲しいと切に願っている。
    昔懐かしき頃から今の状況、そして数年、数十年先の未来を
    生き抜いて笑い合える関係を、同じ世代を生きる作家達と
    築き上げてゆきたいし、
    そうなってほしいし、そうあってほしいんだ。

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  • 起きて見る夢物語

    作家活動を始めたのが22才の夏の訪れが始まる頃だったかな。
    母校の恩師にグループ展に誘われ、声をかけてもらったのが
    全ての始まり。ここが僕の作家としての始発点であり出発点。
    始めの頃はギャラリーが何処にあるのかとか、発表場所は
    どうやって選べばいいのか、右も左も分からない状態の
    0からのスタート。これは当然、どの作家も同じだと思う。
    始まりはみな同じ、ここから作家としての方向性だとか
    それぞれ思い描くビジョンなどが枝分かれしてゆくんだと思う。
    発表を開始した当時は、とにかくいろんなギャラリーを巡り歩いたし、
    DM置き場などから情報を収集して、そこから新たなギャラリーへと
    足を運んだり、アートイベントやギャラリー公募などの
    情報を拾い集め、参加したものだ。

    自身が今の時点で振り返り思った事は
    過去の自身が発表した
    数々のイベントで惨敗を繰り返した中で、周りの出展者である
    作家達、いわばライバル達の成功が、率直に羨ましく神々しく輝いて見えたのだ。
    アートストリーム2005が僕の初めて参加した
    アートフェスタだったけど、これが情けないくらい惨めな
    結果に終わったのだ。机にたくさん刷って並べて
    その背後にはイーゼルに原画を立て掛けてみたのだけど、
    誰も僕のブースを見ていない。
    ディスプレーも単に並べただけだったし、
    何より肝心の作品が見る者の心を打ち鳴らすには
    まだまだほど遠くか細いモノだったんだろうな。
    周りの人だかりが出来て、絶えず商品化したグッズが
    販売へと結びついてる作家に憧れを抱いたし、
    賞などを貰って表彰台に立ってるクリエイターに
    僕もいつか肩を並べてなりたいと思った。
    5年先、10年先までの自身へと投資する様な
    心構えで、それを目標としてやってきた感じかな。
    石の上にも三年と言う昔の人が考えた
    台詞があるが、僕は芽が出るまで22歳から30歳まで
    8年の長き歳月を費やした。これは何度か
    ブログでも書いたけど、要するになりたい5年先、10年先の
    未来設計図がイメージとしてまず頭にあって、それに向かい
    数年かけてそれを成し遂げるため、自身が設定した
    到達地点まで寡黙に突き進んできた感はすごくあるよ。
    夢は起きて描くモノであると思う。起きて描き起こした夢ってのは
    具体性を帯びて突き進んでゆく場所が明確だからさ、
    そこに向かい続けてゆけば、いつかは到着出来ると思うんだ。
    寝てる中での夢はビジョンが曖昧で不確かなるモノだから
    夢の中でしか、願いは叶わないんだな。
    自身の起きて描いた夢物語は、アートストリームで
    僕なんかでもいつか賞を獲れるようにって、2005年の時は
    思ってた。それが7年の歳月を経てようやく
    掴み取る事が出来たんだ。大勢が見守る中での
    表彰式で賞状を授与された時は
    最高に気分が高鳴り高揚したなぁ。
    他にも当時、思い描いたいくつかの起きて描いた夢が
    ようやくやっとこさ、この手に掴み取る事が出来たんだ。
    アートサイトでのピックアップインタビュー、作品の受注依頼、
    企業とのアート作品の商品化コラボ、絵でレンタルの出店料を全て賄う、
    絵を嫁入りさせた後も繋がり持てる根強いファンの獲得などなど。
    これらの事柄は全て、作家活動を始めた頃
    想い描いて憧れだった、起きて見る夢だったんだな。
    起きて見る夢は長く険しいトンネルを抜けて、
    それでも引き返さず進んでゆけばいずれは
    出口へと辿り着き、その先で待ち構えている未来設計図を
    自身がモノに出来るんだな。アートの世界はサバイバル。
    他者との勝ち負けじなんかじゃないんだ。生き残ったモノが
    その栄光を最後には掴み取り、自身の両腕でそれを
    力強く握りしめられるんだ。

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  • ヤングアーティストジャパン開催中です

    http://www.tagboat.com/event/2012YAJ5_c/index.html

    東京デザイナーズウィーク祭典の一環として
    今年はヤングアーティストジャパンがTDW会場内にて開催されます。
    10.30「火曜日」〜11.5「月曜日」 
    11時〜21時 最終日は18時まで

    月曜日に日帰りのトンボ帰りで
    東京まで行ってきました〜。新幹線のぞみ、往復25000円は
    ちと高いけど、抜群に早い^^
    12時半くらいには会場で黙々と設営しつつも
    向かいの出展者やアート仲間と話し込み、なんだかんだで
    帰るの遅い感じでしたけど..。週末の金曜日から夜行バスに
    揺らり揺られながら、土曜日朝には東京入りいたします。
    土曜、日曜、月曜日の3日間、みっちり腰を据えて在廊
    いたすのでよろしく!そんで僕が居る時に来た事を知らせて
    いただければ無料の出展者パスの予備が手元に
    一枚だけあるので、入り口まで迎えにゆくから
    是非とも遊びにいらしてね^^

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  • 個展する順番.順序

    美大を卒業にしてすぐに個展、
    美大在学中に個展を開催、
    むしくは作家活動初めて間もない頃に個展..。
    この手合いのケースの大半は
    半ば失敗する形で
    幕を閉じるのだ。要するに手順の踏み方が違うんだよね。
    つまり発表歴の浅い内に個展を、いきなり開催しても
    自身のキャパ「容量」がそれに見合ってないし、
    何より自身を目当てに足を運んで
    赴いてくれる人って言うのは
    身内ノリ、家族、親戚、友人、恋人と
    普段顔を合わせている様な親しい間柄だけに
    終止してしまってる事が多いと思う。血の繋がりが深い人達が
    展示会に来てくれるのは、すごくありがたく嬉しい事ではあるが
    それだけで幕を下ろしてはいけないんだよ。

    例え話で言うと漫才師を志すお笑い好きな仲間内だけで、
    笑い合ってるってのは
    真に面白いとは言えないよね。
    顔も名前も知らない第三者が
    それをふと偶然聞いて、「この人達のトーク、すごく面白いなぁ」って
    聞き耳立ててくれれば、
    本物の良さがそこには滲み出ていると思うんだ。

    学園祭のメジャーバンドを
    ただコピーして演奏してるだけなのは、
    ただのクラブ活動でのお披露目会であってさ。
    オリジナル曲を作成して路上で演奏してると
    ふと通りかかった
    見ず知らずの人がピタリと足を止めて
    その演奏者の近くに佇みながら
    曲が終わるまで聞き入っている。
    そして自主制作したCDを一枚買ってゆき、
    次回もまた演奏してるそばで音を聞き入ってくれてる。

    絵の世界もそうだと思うし、どの世界でも
    この事柄は同じだと思うんだ。
    ギャラリーで展示してたら、ショーウィンドウに
    飾っている絵に目を留めて
    ギャラリーの中へと
    見ず知らずの誰かが入ってきてくれる。
    じっと絵と対話しながら
    その後、会話がそこから自然な流れで成立してゆく。
    プロの世界は厳しい。
    けれど自己満足の小さな枠をはみ出した先に在る
    初対面の人達と、表現の場から
    新たなコミュニケーションが生まれ
    小さな輪が大きく外へ外へと膨らんでゆく。
    始めは個展をするよりも、
    アートフェスタや多人数企画での作品展で
    発表をこまめに繰り返しながら、
    少しずつ自身の作品世界に
    魅力を感じてくれる人を探し出しながら
    巡り合ってゆけば良い。
    それの集大成が個展開催する事であって、
    そうなれば、自身の枠の外で培い積み上げてきた
    大きな達成感や充実感が生まれるのだから。

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