川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • アートストリーム2013審査無事通過^^

    審査通知がポストへと爆撃投下〜。
    今年は小さい方の枠がせまいブースにて、
    ひそかに応募したのだが..

    アートストリーム2013無事審査通過!嬉しやぁぁ~^^
    なんだかんだで秋はアートフェスが熱いので、...
    どれかに参加しなければ芸術の秋を満喫出来ぬと思い立ち、
    締切ギリギリで決断して良かった!

    アートストリーム2013心斎橋大丸14階イベントホール
    2013年11月15日「金」〜17日の3日間開催

    なんだかんだで、未発表の作品は溜まってきていてねぇ。
    押し入れにてウズウズしているジラフやホエール達が
    アートストリームを皮切りに一堂に集結するんだ。

    さてさて、関西最大級のアートフェス開幕まで後2か月。
    全速力で自身の周りを取り巻く風景を
    目まぐるしい勢いつけて劇的に変えてゆきたいのだ。
    スピードを伴う行動と実演をひたすら積み重ね行く事で
    1年先の風景は、想像の域を飛び越え、
    次なる風景が、そこから垣間見えてくるのだから。
    行動なければ周りの風景に変化の兆しは無く、
    一年が徒労に終わってゆくだろうから。

    どうせなら足掻きながら、ひたすら動き回りゆき、
    そこから派生する悩みや諸問題を
    解決策、捻り出しながら考えてゆきたく思う。

    自身の可能性を押し広げてゆく大いなる旅路が続いてゆくのだ。

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  • エベレストなる高見へ

    継続は力なり、という古来より伝わりし
    名言があるが、あれは半分本当で、もう半分は嘘なのだ。
    その事を今日はコンテンに記載しようと思う。

    例えるなら、いつもの帰り道に存在する
    Y字路が見えてきたとしよう。
    右側はいつも通る習慣化されし道で
    左側は、まだ一度も通った事が無い未知数なる領域なのだ。
    人と言う生物は習慣化に慣れ親しみ、
    そこに甘んじてゆく弱い生き物なので
    右側が定例化すれば、左のリスクが在るかもしれない道は
    必然的に避けて通る事をしない。
    つまり左側のハイリスクを一生選ばず
    平坦に一生涯を閉じるパターンが実に多いのだ。

    サザエさん一家の様に、エンディング曲で小走りで走りながら
    家路へと一家が一堂に入ってゆき、
    狭く窮屈な家が揺れ動きながら幕を下ろす。
    そんな平坦ループによる積み重ねからは、
    大きなウェーブによるリターンを手にする事など出来ないのだ。
    限界を超えた、己を超越せし先にある能力を手にするためには
    博打によるハイリスクを自身が自ら、しょいこまない事には
    サザエさんファミリーのまま、安定志向で人生の幕が閉じてしまうのだ。

    例えるなら地元の小さき山を毎日昇る様なものなんだよ。
    そこにはハイリスク無ければ、それと同じく
    ハイリターンで自身に跳ね返ってくる喜びも
    平坦な場所以上の高みには届かない。

    高みへと飛翔しながら昇りつめて
    至福なる旨味を我がモノにするためには、
    自身がまずはハイリスクを受けて立たなければ、
    目指した深みによる境地まで行く事など到底不可能なのだ。

    ハイリスクにおける自身に対しての投資。
    それを成すためには地元の、か細き小山を継続させゆくのではなくて、
    エベレストへと挑みゆく過酷なる戦いへと繰り出そう。
    自身の感性に漲る潤いを齎し、ステップアップしてゆくための
    ハイリスクによるエベレスト登山。
    そんな向上心を御旗に掲げた
    研ぎ澄まされしマインドによる発展や進化を僕は強く望みゆくのだ。

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  • まどか☆マギカを熱く語り読み解く!

    まどか☆マギカ、ついに新編.反逆の物語が
    来月から劇場公開されるんだよね。

    大ドンデン返しが映画の方でも展開されそうで..
    先が知りたくて知りたくて、続きの物語を
    垣間見たくて、垣間見たくて..。
    そんな展開の先が読めない魅惑と
    心に突き刺さりし深い琴線へと導き誘ってくれる
    そんな物語を見ない理由など何処にもなくて。

    まどか☆マギカとは、中学生の少女達が
    地球外生命体のキューベイ、
    通称インキュベーターと契約を交わし魔法少女となって
    絶望を巻き散らす魔女と、戦う物語なのです。

    この冒頭だけ読んで、「なんだ、何処にでもありそう..」っと、
    思う人が多いと思うけど、
    あくまで中身の旨味を味合うために用意された布石であり、
    実に奥ゆかしくて噛み応えあるのだ。
    この物語の核を担う二人の少女、かなめまどかと、ほむらあけみ。

    魔法少女とは、そもそもの目的が何なのかが、
    物語が進めば進むほど、インキュベーターから仕組まれし、
    おそるべき内容として浮き上がり明らかなってくるのだ..。
    魔法少女はソウルジェムというアクセサリーの様な器に
    魂を閉じ込め、それを体に纏い魔女と戦うのだ。
    つまり魂を人の身体から分離させ、別の入れ物へと移すのだ。
    そうする事で戦闘においての痛みがほぼ無くなる。
    このソウルジェムが実は、物語の恐るべき
    事実を告げる鍵となってくるのだ。

    そう、魔法少女とは希望の象徴であると同時に
    絶望を生み出しゆく存在でもあるんだ。
    誰かを信じたり、救ったりすると同時に、
    絶望や憎しみが同等で心から巻き起こってくる。
    この負の感情が表出する事により、
    綺麗な輝きを魅せていたソウルジェムはやがて真っ黒に染まりゆく。
    その刻が訪れれば希望の象徴だった魔法少女は、
    絶望と恐怖をまき散らす魔女へと変貌を遂げる。
    つまり魔女と魔法少女との終わる事無き死闘は永久に続いてゆく。

    ほむらあけみは、かなめまどかを助けるために
    未来からやってきた女の子で
    まどかが、何度も何度も戦いに敗れて消えゆく瞬間を体験しているのだ。
    ほむらあけみの願いは、
    まどかに守られる存在ではなくて、彼女を
    守る存在になりたいと願い、
    その願いと引き換えに魔法少女の契約が契られた。

    未来から時間軸を、さかのぼる魔法を使って、
    何度も何度も、まどかの居る過去へと舞い戻る。
    全ては彼女が絶望の魔女へと変貌を遂げる前に是が非でも守り抜くために。

    そう、この物語の真の旨味は
    かなめまどかと、ほむらあけみの
    長き時間軸の果てに結ばれた麗しき友情を描いた物語なんだと
    ラストを見終わり率直に思ったのだ。

    友情や愛情の深さを、かなめまどかが悟りし時、
    ほむらあけみとの埋める事が叶わなかった想いが一つとなり
    新たなる世界へと繋がりし扉が開かれたのだ。

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  • 個人が個人を雇用する時代へ

    カイジの物語で、度々登場する、
    恒例で定番な効果音、ざわざわざわ...。
    顔に緊張感が漲り心の蔵がバクバク高まる瞬間に
    この効果音が、何処からともなく湧き上がってくるのだ。

    この、ざわざわざわ...な効果音、今の不安定で
    急下降を辿る退廃的な時代性と
    ピッタリマッチしているフレーズなんだよね。
    明日にはナニガ起きるか分からない、
    不確かで不明瞭な、地の底に存在する強制労働所へと
    直結している様な言い知れぬ恐怖。

    地元では、はたから見れば
    繁盛していた人気の中華料理店。
    ある日、横を通ったら、もぬけの殻となっていた。

    ざわざわざわ...笑

    友人と久々に奈良に在る
    ボリューム感満点なパスタを提供してくれるお店へと
    久々に出向けば、店の電気は真っ暗で。
    建築物を解体するシャベルカーが店の前へと置かれていたのだ..。

    ざわざわざわ...「笑」


    資本主義経済が成熟期を、とうの昔に通り越し、
    今や物が巷へと溢れ返り、それとは相反して
    人の需要がなくなり、機械文明が支配する時代となってきた。
    巨大な倉庫がネット上に存在する、アマゾンでは、
    そのほとんどを、コンピューターの頭脳により、
    商品を補完.管理しているのだ。
    つまり人が最小限、居れば、
    アマゾンフィールドは自動的に機能を果たすのである。
    巨大な自動販売機が
    バベルの塔の如く、天高くそびえたっている様だ。

    我々はこの恩恵を多大に受けていると同時に
    人間しての仕事をメカに奪われてゆく恐怖や憤りも抱いている。
    自動化が定例化した現代において、
    多くの人の手を費やさずとも
    1台の機械による頭脳やパワーの方が、それを凌駕してしまう。
    ターミネーターの時代が実現してしまったわけやなぁ..「苦笑」

    機械やロボットに仕事を奪われてしまった人々。
    20世紀モデルとしての社会システムであれば
    企業や会社が→個人を雇うのが、お金を得るために
    必要不可欠な術だと誰もが疑わなかった。
    けれどこの雇用システムが崩壊してきた現代において、
    企業が→個人を雇い入れて収入を得るから、
    個人が→個人を雇い入れるという意識が強く芽生えてきている。
    つまり自分自身が自ら仕事を生み出し、
    自身自ら価値や意味があると思える仕事を直に
    作り出してゆく事が必要なってくる。

    もはや、サラリーマンが栄華を誇り
    強い影響力を及ぼしていた時代は、
    恐竜が隕石の落下と共に滅びたみたく終焉を迎えようとしているのだ。
    右肩上がりの社会構造で
    組織に雇われる事で膨らみ拡張してゆくシステムは
    時代と共に右肩下がりとなった。
    急下降してゆくだけの場所では、
    有機的な機能を果たせなくなったのだ。
    これからの時代は、個人が個人における
    自身を自ら雇い入れ、雇用する事を
    つよく意識として捉えながら
    長く大きく生き残ってゆきたく思う。
    それこそが、開放されし真の自由を
    掴み取るために不可欠な要素と成りうるのだ。

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  • 解放戦線

    常日頃から、自身を取り巻く世界を
    リサーチしながら感じ.考えてゆく事。
    その事を習慣化させゆく事で
    自身の培いし感覚が潤いながら研ぎ澄まされてゆくのだ。
    流れゆく情報や見たモノを、
    そのままの形で鵜呑みにするだけでは
    何も得る事など出来ず、血肉へと変化してゆかないのだ。

    外の世界で拾い集めながら見て感じた事を、
    常に分析におけるメスを入れゆき
    自身の言葉や文章や行動へと打ち立ててゆく。
    そうする事を常日頃から心掛けてゆく事で
    自分らしさ、その人らしさが滲み出てくるのである。

    与えられた餌を何の疑問も抱かずに
    口をあんぐり開けて、ただ頬張るだけの豚になってないか?
    身動きが取れなく何もできず
    日々の暮らしに閉塞感を抱きながらも
    現状を何も変えられず
    ただ怯え震えているだけの羊になっていないか?

    我々が常日頃から感じている、ただならぬ違和感。
    不自由な気持ちでナニカに束縛されながらも、
    繰り返されし毎日のループを闇雲に過ごしている人々。
    狭いキュービックな枠の中に自身の身体を放りこまれ、
    窮屈なヨガポーズをさせられし人達。
    それは、人と言うよりかは
    むしろ飼いならされた獣の部類に近いと思うのだ。

    そうならないために、
    自身が真に歩み進んでゆきい道を常日頃から模索しながら、
    人らしく、人間らしく生きてゆく術を身につけてゆかなくては。

    生きねば、人らしく、人らしく活きねば、だな。

    狭い籠の中に閉じ込められし
    飛ぶ事を忘れ去った哀れな幽閉されし鳥に、なっていないか?
    虫かごの中に入れられ、自由な手足を
    引きちぎられた、哀れな昆虫へとなっていないか?
    人らしく生きて、人のまま土に返るためには
    自身が囚われの身から脱却しなければゆけないのだ。

    囲いの中に束縛されし住人として生きてゆくより
    自由で解放されし自由を手にするために
    毎日戦い抜きながら人らしく生き抜いてゆく。
    そんな潔き良きライフワークを
    頑に貫き通しながら生を謳歌してゆきたく思う。

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  • 教育における基盤

    教育による教えって大事で
    必要不可欠なんだよなぁと最近つくずく思う。
    教え、学び、知恵の実を巡り巡らせながら
    果実を増殖させゆく事で
    自身の世界が格段に広がり帯びながら切り開かれてゆく。
    今振り返ってみれば
    美術の高校や予備校、美大に行かせてもらったのが、
    今に繋がる、かけがえのない財産として
    大きく活きているのだと実感するのだ。

    大学辞めた当時は、「大学で得られる事など
    何一つ無い!」などと..
    感情的になって馬鹿な事言ってたけどさ..笑
    基礎造形力や美術の知識や捉え方など、
    今振り返れば、会得した事柄は計り知れないのだ。

    ピラミッドの下地に位置する土台が広ければ広いほど、
    それだけ上に上に石を大きく積み上げてゆけるでしょ^^
    それの、いろはに辺る土台をきっちりと足場作りながら
    積み重ねてこられたのが心底良かったのだ。
    皮肉な事に大学を辞めてからの方が、
    独自で学びや教えを積極的かつ勤勉なって執り行ってるけど、

    それが出来るのは、基礎の足場が
    土台としてしっかりと構築できていればこそ可能なのだ。
    仮に、今から美術の経験や知識、ノウハウや技術、
    感性の泉などが0ベースからスタート切れるかと
    言われれば、かなりきついよなぁ笑

    30過ぎてから絵を始めようにも
    何からまず手をつけてゆけばよいのか分からないし、
    手さぐりで長き時間、探し求めてゆけたとしても、
    途方も無き過酷な戦いになってくるだろう。
    根気や労力、時間、お金、
    モチベーションとの長き戦いを経過して
    ようやく手にする事が出来る、旅路の果てに見い出せし境地。
    そう言った意味では早い段階で、
    スタートするに、こした事はないよな。

    仮に今から陶芸始めたり、写真家の道を志したり
    立体作家とかでデビューしようとしても
    少なくとも5年は最低限、必死になって
    全てを投げ入れるつもりで挑まないと
    鑑賞者を魅いらせれる作品が
    出来ないんじゃないかな。「僕の場合はだけど」

    告知したら展示会に人が来てくれたり
    作品を様々な人の手へと渡る形で購入してもらったりする迄に、
    自身が身を捧げ差し出した対価は計り知れないのだ。
    けれど、それを成すために必要な
    技の極みを一つでも会得できれば
    一生涯戦い続けながら成果を継続してゆけるんだ。

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  • 日本人の美意識

    日本人を海外の人から見た時、
    気高くて美意識の高い民族だと捉えていただいてるらしい。
    同民族として、当たり前の認識として
    捉えている事も、多民族から見れば
    違う観点から垣間見えてくる景色というのが確かにあるのだ。

    法律って秩序による平安が
    成り立っているから機能してるわけで。
    海外での自然災害の後に起こるのは、
    法的なルールが破られた暴走せし世界。
    極限状態においては、そこでのモラルや規範は
    儚くも無惨に破壊され破られてしまうものなのだ。
    海外で自然災害に見舞われた後
    自販機をチェーンでガンジガラメにする。
    そうしないと、盗む事が極限的な状況下では
    至極当たり前となって、そこに住まう住人達に
    盗みとられてしまうので、
    それを阻止するため設けられた措置なのだ。
    賽銭箱なんて、箱ごと持ってゆかれるし、
    腕時計を盗まれれば
    腕ごと切り取られ持ってゆかれた、なんて事件もあったりするのだ。

    モラルや秩序の崩壊した世界では
    人としての美徳が薄らいでしまうのだ。
    正に北斗の拳の世界だな「笑」 
    究極の殺人拳をマスターした
    武術の達人が支配する新たな世界。
    そこには平和だった時に培われた
    モラルや法などは一切通用しないのだ。

    けれど東日本大震災で我々日本人は、
    極限状態における無惨なる状況下においても、
    最低限のモラルを守りながら
    他者を労り思いやる精神を見失わなかった。
    食料や物資の配給所では順番に並び、横に割り込んだり
    列を乱す振る舞いをする者など、一部を除いてはほぼ居なくて。

    人として最低限必要で大事な
    モラルや規律を当然の事の様にこなせる。
    古来から日本人のDNAに刻まれし
    美徳なる精神が現在に宿りながら継承されているのだ。

    順序を規律正しく守って配給待ちながら並ぶ姿勢。
    それに感銘を受けた海外のある国では、
    同じように大きな地震の起こった時、
    我々の姿勢をお手本にし実行してくれたらしい。
    日本人と同じように我々も
    順序正しく規律を守ろうと行動してくれたのだ。


    内輪だけの渦中のみだと見えてこない所も
    外の枠から俯瞰すれば良い面も悪い面も
    一長一短クリアーに垣間見えてくるのだ。

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  • セクハラモンタとテレビメディアの衰退

    逆境無頼カイジ破壊録編、
    第一話目、昨日から見始めました。
    感想を一言で言い表するならば、
    アニメの中に度々出てきた歪な効果音であるザワザワザワ...かな。
    そう言えばサトウキビ畑の
    歌詞フレーズの中にも似た様なのあったなぁ「笑」

    1000万円近い多額の負債を抱えてしまった主人公カイジ。
    黒ずくめの人達に連れて行かれたのは地下にある強制収容施設。
    いわば、ここでは借金を返済するまで外へと出る事が許されないのだ..。
    朝早くからシャベル片手に
    泥臭い仕事を黙々とこなしながら
    夕方まで血眼で働いて得られる金貨およそ3500円。
    この収容所で支給される紙幣は日本円ではなく、
    この収容所のみ適用可能な紙幣が働いた対価として支払われるのだ。
    その紙幣を使い借金返済する時使用したり、
    収容所内で売られてる売店で物を買う時に
    収容紙幣を使う事が可能なのだ。

    まる1日過酷でプロレタリな労働作業を終えた後、
    自身の寝室部屋へと舞い戻る。と言っても、
    一部屋30人でシェアしてる様な、むさ苦しい相部屋であって。
    プライベートな居心地良さなど、これっぽっちも無いわけよ^^
    要するに仮設住宅の避難所みたいな感じだよな。
    この部屋で毎回夜に恒例行事として行われている売店販売。
    これは一見至福な時間を過ごせる様に思えるだろうけど
    実はこの仕組みには裏があって。

    普段売っている350サイズのビールが1本400円。
    単価が普通に買うより明らかに高く、
    ここで稼いだお金を売店にて、たらふく落としてもらい、
    借金を返すのを遅らせるために用意された
    巧妙に仕組まれし甘い罠であって。
    一日汗水垂らし、ヘトヘトになりながら終えた労働者達が
    この甘い誘惑に勝てるはずもなくて。
    毎日高い単価のビールや焼き鳥、ポテチなどを
    束の間の娯楽として購入するんだけど
    購入した結果、得たお金が、ほとんど残らない状態となる。
    多額の借金を返すために1日でも早く脱出するはずが
    ずっと収容施設に居続けなくてはならない、
    悪循環のアリジゴクへと陥ってしまうのだ..。

    そう、彼らは言い様に施設側の者達から
    利用され支配されながら操られ踊らされてしまっているのだ。
    カイジの方も、最初は我慢する事に必死で勤めるのだが
    売店を仕切ってる者に無料で一杯ビールを
    プレゼントされたのがいけなかった..。
    過酷な労働の後に飲むビールの
    極楽感漂う旨味を一度でも噛みしめてしまえば、
    2度3度4度と繰り返し購入してしまうループへと
    はまり込んでしまうのだ..。
    そんなこんなで給料を前借りする迄に堕ちたカイジが
    お得意のギャンブルで極悪売店主と
    一発逆転勝負するって所までが
    昨日の大まかな話の流れであるのだ。

    アートの世界でも怪しい誘惑や
    浮ついた話が美術業者から、度々メールや電話してくる。
    けれど、この甘い誘惑に負ければ
    カイジと同じ運命を辿る事なるんだよね。
    要するに目の前の甘い誘惑に競り負けたり、
    的確な判断が出来なくて、
    間違ったベクトルへと舵を切ってしまったが故に
    本来行きたかった目標地点から大きくずれてしまうのだ。

    そうならないために、目先の利益を追いかけるのではなく、
    着実に自身が積み重ねてきた事に対し
    自分を信じ理解しながら自分自身に
    意味や価値をそこから見出し、高めてゆきたく思う。
    この世界に楽をして幸福なる達成感や充実味を得られる術など
    何処にも存在などしてないんだな。

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  • ムードによる世界観モード構築方法

    日々モチベーションに覇気をスパイスとして与えながら
    気持ちを奮い立たせ、鼓舞させ戦い続けてゆく。
    それを毎日継続させゆくためには外へと据え広がりし、
    他者との関係性や環境をしっかりと踏まえた上で
    上手く構築させてゆかなくてはならないのだ。

    今日は自身の周りに宿る外側の世界観を基軸にしてゆき、
    例え話をいつもの如く絡ませ合いながら
    コンテンツ展開してゆきたく思う。

    例えば高校の美術室に生徒達が居たとしよう。
    課題に集中しようとAさんが取り組もうとしている。
    けれど周りに居るBさん、Cさん、Dさん、Eさんと
    おしゃべりに夢中なって、騒がしくて制作に集中出来ない。
    担当の先生も職員会議や他の業務に追われていて
    今日は教室へと来てくれない状況下へと陥ってしまった場合。
    されさて、あなたがAさんならどうします?って言う問いかけですな。
    この場合、大きく分ければ選択肢は3パターンに絞られてくると思うのだ。

    その1.注意を促して、おしゃべりを辞める様にしっかりと説得して
    美術室における最低限のマナーを伝える。

    その2.その場のムードが悪くて、制作に打ち込む事が
    出来ないので、その場から立ち去り
    場所を変えて、場よる世界観を新たに再構築させ再スタート切ってゆく。

    その3.ひたすら耐えに耐えて我慢しながら
    黙々とおしゃべり終わるまで苦痛噛みしめながらやり遂げる「笑」

    まぁ..、現状を打破するには1と2による周りの
    世界変化を促す以外により良い解決策へとは至らないよなぁ「笑」
    つまり外の世界で巻き起こっているパラダイムシフト、
    つまりルールの変換を自身が巻き起こさない事には
    外側に据え広がる世界観が有機的に出来てくる事はないのだ。
    自身の作品を作り上げてゆくためには、
    周りの空気を変化させゆく事で
    自身の内側に宿りしモチベーションが維持出来て、
    作業へと集中する事が出来るのだ。

    自身のモチベーションを高めるためには
    内堀から入るのではなくて、
    まずは外側に配置された外堀から
    整えゆく必要がある様に思うのだ。

    外側の空気感やムードが、より良い空気感で覆われれば
    自然とモチベーション土台となる覇気が燃え盛りながら
    作品世界へと意識を一極集中させゆき、
    深々と制作にのめりこんでゆけるのだ。

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  • 初体験な、マイルドな旨味

    未開拓の、あまりまだ知られていない所にこそ
    最大級の旨味が潜みながら眠りついているのだ。
    観光地とか有名所というのは、
    すでに知名度が大きく広く知れ渡ってて、
    真の旨味というのを味わう事が出来ないのだ。

    最もコアな旨味を味わうためには、
    誰かが定めし目利きによって
    決められた場所へと行く事ではないのだ。
    先入観をとっぱらった無垢な目利きによる判断で、
    じっくりと吟味しながら
    見つけ出し発掘してゆく事が大事なんだよね。

    最も脂身の乗った大トロの如く極上なる旨味を
    味わうためには自身が作り上げし遊び場を
    まず始めに開拓させ選びながら突き進んでゆかなくては。

    誰かが決めつけた先入観を元に
    全てを委ねながら追体験するよりも、
    先入観や固定観念をとっぱらったピュアな眼差しで
    物事を追求しゆくのだ。
    自身による初体験を最大級の旨味としながら
    繰り返し味わいゆきたいんだ。

    月面に人類で一番最初に月へと降り立った
    アームストロング船長。
    彼は母国のアメリカ国旗を月面へと深々と突き刺し、
    自身が人類初で月面着陸した事に
    大いなる誇りと至福なる喜びを味わえたであろう。
    喩がちょっとばかし大きすぎた感じあるけど、
    言ってみればそんな感じやね^^

    観光地なんかも、そうなんだよな。
    すでに開拓されネームバリューが確立した土地へ赴くよりも、
    限られた人のみが知る場所へと訪れて
    価値を見出してゆく事に、コアな旨味が潜んでいるのだ。
    誰かが探し出した答えを全て鵜呑みにするのではなくて、
    自身と照らし合わせながら導き出した自身による
    確かなる噛み応えを体感できる旅路を続けてゆこう。

    開拓された観光地には
    自身が自ら作り上げゆく事の出来る大いなる
    価値を見つける事など出来ないのだ。
    2番煎じや誰かの追体験による真似の範疇から
    脱却すればそれはその人にしか描けない世界観として確立出来るのだから。

    観光地による追体験よりも、
    未開拓の人知れず佇んだ名も無き風景や場から
    真っ白な状態で価値を見出し、自身の進みゆく道を深く濃厚に
    キャンバスへと刻み付けながら歩んでゆきたく思う。

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