川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • アルタミラよりコースター発売です^^

    http://www.artamira.jp/pickup/taiki_kawase
    いよいよアルタミラからコースターが発売される事となった。
    ようやく、なんとかかんとか、
    掛け時計、名刺ケース、そしてコースターを
    納得ゆく絵図まで持ってゆけたかと思っております。
    自身の新しきフェイスを
    立ち表わせる、その事に挑戦した半年でしたが、
    それの一区切りがようやく終わった感じです。

    さてさて、ここからが本当の勝負なんだよな。
    果たして自身の手掛けたアイテムが
    売れるか否かって所だよね。
    納得ゆく形に仕立て上げるのが第一段階であり、
    それを第三者にプレゼンするのが
    第二段階目の山場なわけで。
    アート作品の場合、まぁ、第一段階目の
    自身による対話により
    納得ゆく仕上がりに出来れば
    それでオッケーな所があるけど
    商品化した場合、それだけでは駄目な難しい所あって。
    商品化って売れなければ
    商品としての価値が0であって、商品化した意味や価値が無いわけ^^
    なので、かなり今回は半年後の成果が
    気になっている所だし、一つでも良いので
    メガヒット飛ばせる商品に自身の絵図が
    成せれたら最高に良いよなぁ..と思っていてねぇ。

    自身でダイレクトに販売する感覚を実感したいと思い、
    コースターの方はいくつかアルタミラから買い取る形で
    在庫を自身の手元に少しばかり
    ストックさせながら、販売しようと企ていて。
    関西で置いてくれそうな委託店舗を
    いくつか探し出して
    値段統一しながら販売する戦略を練っていて。
    やはりダイレクトに随時
    反応が返ってくる方が自身としても
    実感湧いて楽しいので、コースターはその役割を
    担ってもらうアイテムとして、
    自身が直からローカルな関西で広げてゆきたく考えている。

    さてさて、自身の作家活動で初となる
    多岐に渡る商品展開、吉と出る様、
    全力投球でプロモーションしてゆきたく思います☆

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  • それぞれによる価値基準

    モノの価値とは、需要者と供給者の間にある融合点。
    つまり人と人との間に在る相互承認が一致すれば
    モノに対しての価値が、そこで生まれるわけで。
    だから、ある人にとっては価値のあるモノも
    ある人にとっては価値が全く見いだせない
    ガラクタであったりするわけやね。

    ダイヤモンドがある人にとっては
    高価な値段を出してまで買う価値がある場合あれば、
    僕みたく、それに価値が見いだせない者も
    同時に存在するわけで。
    自身にとってダイヤモンドは、その辺に落ちてる石ころが
    キラキラしてるだけにしか映らないわけで^^

    車なんかもそうやね。
    ある人にとってフェラーリーは
    家を買うに相応する金額で取引されてる反面、
    自身にとってはフェラーリよりも
    小回りの効くコンパクトな軽自動車の方が、
    乗り心地良くて価値をそこから多く発見出来るしね。

    だからアートとかも、それと同等で。
    絵を表現する人や見る側、買う人にとって
    それは相互における融合地点が合致した上で
    価値を見つける事が出来る。けれど絵に興味や
    関心の無い人にとって現代アートは
    わけの分からない表現をキャンバスに
    描き込んだだけの絵の具の集積による塊でしか無いわけで。

    価値は人と人との間に在る融合点が
    交わった時に、その物や作品としての
    相互価値が生まれてくるんだな。

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  • 描き続ける理由

    自身の絵を描く目的は絵を描き続けてゆく事であり、
    この事は作家活動始めた10年前から揺らいだ事が一度も無い。
    けれど、この描き続けてゆく事から派生する
    枝分かれした部分は
    10年続けてゆけば、いろいろと変化の兆しを垣間見せてきている。

    始めた頃は、とにかくこの分野で
    勝ち続けてゆこうと考えていて、
    コンペにたくさん出したり、ありとあらゆる
    展示場で修練を重ねながら阿修羅の如く腕を磨いていった。
    けれど今よりも遥かに弱くてか細くて、
    何者でもなかった自身にとって
    描き続けてゆく中で強くありたかったし、強くなりたかった..。
    だから闇雲に漠然とした勝ち続けるという抽象的な概念に縛られ
    自身の視野が狭く、とにかく息苦しくて自分の事で一杯一杯だった。
    周りの景色を見渡せる余裕など無かった様に思う。
    あの頃に比べれれば、自分以外の周りに在る風景に
    視点を置く余裕出来たし、気持ちの面でも
    ゆとりが生まれた様に思う。
    10年前と絵を描き続けてゆくという
    同一の目的は変わらないでも
    その周囲をつかさどる肉付けによる意味合いが
    10年前とは大分変化した様に思う。
    己がのみに画業を愚直なきまま貫徹していた
    当初から、誰かために、何かのために
    絵を描き続けたいという想いが
    絵図の中で形成されてきた様に思う。
    それは自分のためでもあるんだけど、
    そこに他者を巻き込んだ形で
    絵が作り上げる事出来る様になったのが良かった。
    それにより自分色が濃すぎた
    長所であり短所でもあった僕の絵に
    他者が介入しやすい間やテンポが作品空間に生まれてきた。
    誰かのため、ナニカのために絵図を描き起こす、
    この事が劇的変化を促した最たる、
    ここ2.3年で自身が垣間見せた作品フェイスによる変容だと考える。

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  • 自由と責任

    自由とはそもそも何なのか?率直に言えば
    自分自身が自分自身に責任を持つ事だと思う。
    責任を第三者に委ねれば、それは自由が制限されてしまう。
    自由とは自身が責任を
    引き受ける事で真に欲しいモノを
    手にする事が出来るのではないだろうか?
    時に人に任せたり、おススメして貰った品物を
    選んだりしたりする事もあると思うが、
    その場合、他者に選択肢の半分を委ねる事となる。
    最終的な決断するのは自分自身に他ならないけれど、
    そこで他者に任せる事で自由が制限されてくる事も
    視点として捉えなくてはゆけない。
    人が選んでくれた服であったり、人に勧められたお店だったり..。

    意外とそれが予想以上にマッチする時もあるが、
    ハズレを引いた時、自身でじっくり決めながら
    選べばよかったと思う事もまたある「笑」

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  • ニュートラルな世界

    目の前に据え広がりし現実世界は
    あくまでニュートラルな事象であって。
    真の現実世界は目の前宿るのではなく
    頭の後ろに宿す現象であって。
    つまりそれぞれによる現実世界は
    自身の辞書によるイメージフィルターを通して判断しているのだ。
    それぞれの辞書の解釈により
    各自が彩る現実世界は10人10色で変化してゆく。

    目の前に象が居たとしよう。
    その景色を10人が同じ視点から見たとしても、
    それぞれ抱え持ってる辞書が違うので
    現実の解釈が全く同じになる事は無いのだ。
    象の表情に見入ってる人が居れば
    鼻の伸びやかなラインに見入ってる人もまた居て。
    目の前に象が居ても、まったく別の事に
    意識がいっている人も居れば、
    後ろに広がる雄大な景色を
    フォーカスしている人も存在していると思う。

    目の前で展開される世界はあくまでニュートラルなのだ。
    現実世界は、自身の辞書を開いたフィルター解釈により
    価値感や好みや味などがイメージの世界で
    肉付けされて、構成されゆく。
    我々の現実は頭の中で、それぞれが導き出した価値感により
    千差万別な解釈をしているのが現実ワールドなのだ。
    外側の世界は常にニュートラルな形状を
    帯びながら自然なる形で流動している。

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  • 行動と沸点

    行動は、沸点の熱を帯びた時の状態が
    最も行動へと繋がりやすい。
    いわゆる沸点率100パーセントの状態。
    行動には賞味期限が設けられていて、この沸点による
    熱が冷めてくればくるほど、
    行動に移す気持ちが萎えてきて、
    沸騰したお湯が水に変わってしまえば、
    行動に起こす事は、ほぼ出来なくなると言っていいと思う。

    思い立ったら、すぐに行動という名フレーズは、
    正にその通りで、熱を帯びている内に
    行動へと繋げてゆく事を心がければ、
    インプットにより得た知識が
    すぐさまアウトプットとなり、行動してゆく事で
    経験と言う名の血肉となり、それが物事の
    発展や進展へと実を結んでゆくんだと思う。

    珈琲は熱い内に、口に入れて飲むのと同様、
    行動も情熱の灯が付いてる内に行動へと
    シフトさせてゆきたいものだな

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  • 個人における物語

    個人が語り継がれし物語。
    この事について今日は書いてゆこうと思う。
    親がサラリーマンで在れば、サラリーマンの物語を
    子供へと語りついでくるだろうし、自営業であれば
    そこから紡ぎしマインドを次の世代へと継承させようとする。
    けれどその事柄に、疑問を投げかけたい所もあって。

    先人が紡ぎし物語は
    あくまで、その者が通ってきたロードであり、
    その人物が歩んできた道筋であって。
    最も子供が影響を受けやすいのは当然、親であり、
    誰もが影響受けていると思う。

    親や周りの親類などが、教育関係の家庭で育った僕の場合、
    当然親は教師で先生になる道を進めてきたし、
    大学行ってた時も教員免許を取る様に何度か勧められた..。
    これは親が教育関係の職業を人生の中で生きて
    紡ぎ出してきた物語であり、それを最終的に
    受け継ぐか否かを決めるのは、提案を受けた
    本人が決めるべき事柄で良いと思う。
    親が紡ぎし職業から派生する物語を継承するのか、
    新たなる道に踏み出すのかを本人自身が
    じっくりと向き合い、
    答えを実体験や経験と照らし合わせながら決定するべきだと思う。

    昔にテ見たテレビ番組で印象に残った内容が
    在るので、それを例に書き記そう。
    母親と娘との間に生じた将来なってほしい、将来なりたい
    職業の相違をテーマにした番組だって。
    母親の方は娘に芸能関係の仕事に就かせたいらしく
    小学生の頃からそれに関わるレッスンスクールへと
    通わせる事を半ば強制していて..。
    けれど娘の将来なりたい職業は
    盲導犬のトレーナーであって、親の圧力を感じながらも、
    それを反発する形でスタジオで訴えていて。
    この場合、僕が思うに母親は多分だけど、昔、
    女優とかアイドルになりたかったけど
    道半ば挫折や限界を感じて諦め、普通の主婦になったんだと思う。
    けれど、その気持ちが今も心の中で強く渦巻いてて、
    その物語の続きを娘へと
    継承してほしかったのではないだろうか?
    けれど、それは母親が紡ぎしストーリーであって
    娘には娘の物語が希望の灯として持っているわけで。
    だから、娘の真に目指したい、本気で叶えたい夢を
    一歩引いた場所から応援してやるべきが本当の親心なんじゃないかと思う。

    前に作家さんと話した時、こちらの方はその例えとは
    真逆で、良い話をしていただいたので、そちらの事も書き記そうと思う。
    僕が「画家になりたいと、親に言って反対とか
    圧力受けた事あります?特に女性作家さんだと親御さんの
    圧力とか半端無いでしょうからね笑」..みたいな質問をした事があって。
    そしたら返ってきた返答が「家の父や兄も昔、画家を
    目指してて、それぞれの事情から
    途中で辞めて別の道を選んだんです、
    だから絵を描く事の素晴らしさを知っているから
    自身が作家活動やってても、逆に暖かく応援してくれて
    それが心強くてすごく嬉しいんです」..と言っておられて。
    つまりこの場合は自身が叶う事の無かった物語を
    娘さんが強制的な形で受け継いだのでは無く、
    自然な流れで同じ道を志してくれたので、それが良かったんだと思う。
    自身が一昔前に、紡いできた物語だからこそ、
    その物語の素晴らしさや魅力が分かるから、
    心からエールを送りたくなる。
    それが自然なる形で物語の続きを
    受け継いでくれた場合にのみ、ストーリーの続きが
    流動的な流れとなってて繋がってゆくんだろうな。
    自身が紡ぎし物語を自分のストーリーで彩ってゆきたく思う。

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