川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • 手探りの作業中でふと

    大作を乾かす合い間に小作品へと筆入れ。
    極め細やかな作業が要求される小作品。これを執り行った後、
    大作へ再度取り掛かると、小作品で描いてた
    緻密な手仕事が継承され画面に繊細な、か細さが加味される様だ。
    大胆にザックリ攻め上げる大作に対し、
    ミクロの小宇宙を奥深くへと探索する小サイズ。
    それぞれの利点を大小へとそれぞれ上手く接続させながら
    作品世界に振り幅を持たしてゆきたい感じだな。

    オーダーメイドを意識した小品と自己の作品世界を
    色濃く映し出した大作。両者は対極に位置していて、
    今の僕にとっては、どちらの描き表し方も
    バランスだとか絵を立ち回らせるために必要不可欠であるんだな。

    今日もアトリエで描いていて、ふとした考えが頭をよぎる。
    ファインな表現一極集中で作り続ける選択肢で行く方が
    近道なのでは?..などと思いつつも、今の自分に
    大作だけをずっと描き続けてゆく勇気は無くて。
    自身の表現スタイルを大作で色濃く深めながら、
    小作品では図像を回してゆく方法論でここ数年行く事となりそうだ。
    好きな表現を継続するためには、時に苦渋し我慢しなくては
    成立し得ない事も撒き起こってくるのだ。
    自由が存在するのは不自由さの中であって、
    制約や束縛の渦の中でしか獲得できないものなんだろうね。
    何かを手にする事によって
    入らなかった何かというモノが必ず出てくるわけで。
    拾捨選択から幾重にも枝分かれした道のりを
    1手1手選択迫られながら、自身の決断力により
    決定してゆくんだな。さあ、今年はどの様な
    形で選択しながら一年過ぎ去ってゆくのか、
    慎重に吟味し検証してゆく事となりそうです。

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  • アルフォンス.ミュシャ生誕150周年展

    昨日のお目当てはミュシャの150周年をメインに据えて
    堺の地までドライビングいたしてきました^−^
    アルフォンス.ミュシャ館は初期から晩年までの
    様々な角度で捉えながら展示会しているミュージアムなのです^^
    来館するの、実は初めてであります!!
    細くてしなやかに何処までも伸びゆく様な開放的かつ躍動的な
    曲がりくねった自然物の曲線を工芸品や絵画世界に
    ドッキングさせたのが、アールヌーヴォという
    表現スタイルなのです^^18世紀の産業革命により
    機械文明が急成長を遂げ合理的でいて効率重視な
    現代社会のベースになったものが、
    いわゆる産業革命と言っていいと思います。
    自然への愛着や敬意敬とばれ、
    失われていきつつある自然への憧れを作品表現へと
    汲みこんだアールヌーヴォーがこの時代、大流行を来たすんです、うん。
    生命力豊かで長々と連なる線が
    装飾意匠としてデザインポスターへと絶妙なバランスで
    意気揚々と取り入れた作品、思わずうっとり優美に眺めておりました。
    サラサラと煌びやかに流れゆく女性の髪が文字の部分まで誘い、
    ロゴに目線が自然と赴くよう誘導してゆきます。
    植物の芽が文字へと変容してゆく何気ない演出も良い感じであります^^
    今回、特に見てよかったと思ったのは、自身が植物と動物を
    均衡保ちながら、良いバランス導き出して、
    融合.融解するテイストへとミュシャから還元出来る刺激を
    戴けた事だと思います〜。出会うべきタイミングで
    出会うべき人や巡りあうべき作品へと
    タイミング良く遭遇するんですよ、上手い具合にね。

    その後は昨日も少し書き記しましたけど、中崎へと
    しゃべ栗しながら雑貨屋さん見たりワンプラス、さいかろう、
    ジャムポット、キリン雑貨店、サクラビルなどを
    ブラブラと、ほっこり楽しく巡っておりましたぁ^−0^

    ギャラリーでの一押しは今回も、イトヘンでした。展示作家選びが
    毎週、関心するくらい素晴らしくてあっぱれなんです^^

    南美 展 君は美しいが冷淡だhttp://www.skky.info/
    一見正面に向けられた少女がペンでさらりと描かれている
    印象だったのですが、
    これが見所多い感じで、至る箇所に視線を合わせながら
    全体の流動を離れて確認してみたり。
    少女の瞳が宇宙空間となっていたり、髪の毛が
    北斎が描いた波の様にダイナミックに揺れ動いていて、
    その中を鯨がのんびりした表情浮かべて泳いでいる。
    髪の毛から頭をひょっこり顔出した鯨が愛らしくて
    和らいだ気分に浸れる感じ。
    こちらの作品も、絵として魅力的で惹かれるのは勿論なんだけど、
    自身が描き表したい世界感ととても親しく近い距離にあり、
    いろいろ参考になりました!
    つまり自然物と人との融合で溶解サルベージュ。
    部分の全体であり全体から見渡した一部分な断片。
    境界線が曖昧でノーボーダーな何処までが人物で
    何処までが自然物や据え広がる小宇宙なのか、
    隔たりが抽象的な摩訶不思議ワールド。
    自然物は部分的な人物あり宇宙の中の一部分でもあるわけで。
    南美さんの作品もこの時期に出会えて良かったと
    心底思える作品であり展覧会でした。
    巡り合うべきタイミングでなんととも不思議と引力の様に
    不思議と引き寄せられるんだなぁ〜。

    夕飯は昨日も書いたけど、秀さんのハンバーグ店に
    初来店いたす!チーズハンバーグ250、チーズ牛に濃厚とろける
    感じで美味しかったですが、5250マックスは
    ちと少ないかも。どうせなら1000グラム特大ハンバークを
    平らげたかったですよ、豪快な勢いで^^
    一見スリムに見えますが、胃袋はかなり大きく
    フードファイターなんですよっと^−0^

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  • アートによる作品の底上げを具現化

    今年の目標は、ずばり、ひきこ森になる事なんです!
    休日は兎にも角にも製作アトリエへとひきこ森、。
    一日中、朝から夜迄、モクモク製作、製作〜。
    そんなの至極当たり前の事じゃないか!!..って思われるかも
    しれませんが、アグレッシブに一日かけて
    美術館&ギャラリー巡りするのが
    大好きなアート観覧フリークですからね。
    人の作品をじっくり嗜んで心行くまで
    観覧するの、良いですからねぇ。
    けれど、今年はもうちょいそれを自粛して、外出に費やす
    時間と労力および気力を製作へと
    フィードバックいたしたく思っております。
    今よりさらなる高みを目指し進化いたすため、
    クオリティーをハングリー果敢に
    底上げいたしたく思うのです。何にウェイト〔重点〕を
    置くかなんだよねー。昨年は少し緩く行きすぎた、特に2010年前半は。
    後半にいろいろと自身の心境変化により、
    作品の様相が変化を遂げていった気がする。
    それが人との新たな出会いだったり、
    話しの中で響いてきた痛烈なる批判であったり、貴重な意見だったり..。
    とにかくこのままでは、
    自分が進めるフィールドは限界だと思いしらされたり、
    手痛い挫折を経験したり、
    同じ系統の動物ジャンル操る手強いライバルが
    突如目の前に出現する事により、眠りかけていた
    剥き出しの対抗意識、闘争本能に業火なる灯火が着火したりと〜。

    アートイベントも今年は昨年以上に拾捨選択を絞りに絞って
    展示会へとエントリーいたそうかと。
    過去の経験から照らし合わせて、このイベントは
    自身にとって建設的であるか否か?出展料を支払うに
    値するだけの価値を持っているものであるかどうかを
    一つ一つ問いかけ、煮詰まる所までとことん突き詰めて
    現段階で導き出せる自分なりの結論を随時算出させるのだ。

    芸術闘争論で書き記してあったんだけど
    日本のアートシーンは芸術=貧=正義であるという
    慎ましやかなる貧乏神話たるナンセンスたるものが..定着しているが、
    僕は村上氏と同様、その考えは間逆だと思うね。
    どの様なアプローチをかけて自身のアート表現を底上げさせながら
    勝ち上がり成功させてゆくのかを
    前提に添えて表現活動しているつもりなんだ。
    それを元に考え抜いて捻出した結論を具現化させながら、
    作家活動を継続更新。作家活動を続ける事が大事なのは無論だが、
    何より、作家活動を継続し続けてゆけるだけの
    資金調達や環境作りが最重要なんだと思う。
    作品が出来ても発表する資金が無くては、製作活動出来ても
    作家活動する事が出来ないし、、
    何より日々クリエイティブする最低限の絵の具やキャンバスなどの
    お金もきっちり確保させる必要性があるのだ。
    軌道に乗るまで貧しいのは当然だと思うし、
    お金がアート活動へと支出ばかりしてゆく悪循環ループを
    好循環のサイクルへと少しずつ転化させる様にしなくてはいけない。
    これまではそのための投資であり下積みであったと思っているのだ。
    着実に荒れ狂う岩場を一歩一歩上の頂きまで
    這い上がり登りけるために、前進してゆく事といたそう。

    p.s.震災について一言、二言
    ツイーター恐いよな〜。各自が現時点で出来る、
    精一杯切実な行為に対して心無い野次や批判を
    果敢に繰り返している人を多々お見受けする。
    そう言う輩に限って外野で面白可笑しく冷笑に騒ぎ立てるだけで、
    当の本人は何も出来ない弱虫でか細い人間なんだな。
    こい言った類の人が周りに居たら確実に距離置いて避ける、正直、苦手です。

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  • 東日本大震災チャリティー展に参加いたします

    tp://www.gallerycomplex.com/jishin_act/
    総勢175名による東京アートコンプレックスセンターでの
    チャリティー企画展に参戦いたします〜。

    「東日本大震災チャリティー展」
    4月12日(火)〜17日(日)(最終日は17:00まで)
    アートコンプレックス・センター
    http://www.gallerycomplex.com/
    東京都新宿区大京町12-9
    tel/fax 03-3341-3253
    info@gallerycomplex.com
    <義援金 寄付先>
    日本赤十字社(予定)
    http://www.jrc.or.jp/
    いやぁ..、周りの作家さん.実力者さん達の名前が
    ちらほら豪華絢爛お見受けいたし..、恐縮しつつも
    同じ土俵で作品展出来るの、今から待ち遠しいです^−^
    やはり自分は絵描きであり画家なので、絵で売り上げた
    お金を被災地へと還元するのが、
    一番しっくりくる感じだと思っておりまして。
    なので毎日、絵を引きこもって淡々&黙々と製作しとります^^
    F50号完成後、息継ぐ暇も無く、F30号の大作を
    豪快に製作開始しちゃってます〜。この二つの大作は
    4月の大型ギャラリーで発披露いたす事と相成りそうです^^
    F50号の新作、画像写りはよろしく無くて
    判断しずらいかと思いますが、
    キリンシリーズの集大成であり過去の大作中で最高傑作だと
    自信を持って言い切れます!なので実物見て度肝抜いてくださいね!!

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  • 被災地、救援物質の送り方記載

    具体性帯びた信頼出来る情報です。
    どの様な物が現在被災地では必要とされてて、
    逆にどう言った形の物が
    必要とされてないのかをきっちりと判断した上ですぐに
    実行出来そうなので、コピペして貼らせていただきます〜。
    救援物資についての注意事項、以下コピペです。


    ■暖かい食べ物、飲み物、毛布、コンロ、ストーブ、使い捨てカイロ  

    救援物資でオニギリが届いても、寒さのため凍っていることがあるそうです。

    体育館等に避難していても底冷えがするそうです。

    避難経路が絶たれていたり、避難所に入りきれない方も沢山いらっしゃいます。

    寒い中、野宿している人も居るかもしれません。

    ライフラインが絶たれているため、ガスや電気は使えない地域もあるかも知れません。

    暖をとれるものが至急、必要だと思われます。




    ■トイレ、紙おむつ、生理用品

    トイレ不足で、寒い中、何時間も並んで待たなければいけない状況もあるでしょう。

    統計学上、女性が4人居たら、そのうち1人は生理なんです。

    紙おむつ、生理用品の不足も深刻になると思われます。

    神戸の震災の時は、お母さんがショックを受けて、おっぱいが止まり粉ミルクが無くて、お腹を空かせて泣いてる赤ちゃんが多数いたそうです。

    赤ちゃんのための粉ミルクや、おむつも必要だと思います。

    お年寄りの介護用用品も不足してたそうです。
    お年寄り用のおむつも必要でしょう。




    ■下着、靴下

    入浴ができない状態なので、下着や靴下などの「新品」が必要だと思われます。

    よく「古着」を「救援物資」として送られる人がいるそうですが、被災地では古着の処分に困り結局ゴミになるだけなんだそうです。

    送るのなら「新品」の下着、靴下にしましょう。

    ※過去に神戸で被災されたマイミクの方からの情報も追記しました。


    ※他にも役に立ちそうな情報を書いたブログを見たので一部転載します。



    災害が起きると全国から様々な支援物資が送られてきますが、物資が原因の新たな災害が引き起こされる危険性があることはあまり知られていません。

    中越地震では物資が無節操に届き過ぎることで、 被災者が毎日徹夜で仕分け作業を行わなければならなくなったり、日が経って腐ってしまった生ものを報道陣に隠れて処分しなければなりませんでした。

    せっかくの支援物資が災害を起こさないために読んで欲しいです。

    *まだ、詳しい情報が出ていないのでこれから更新していく予定です。

    過去の地震の場合の情報ですので、今回の地震には当てはまらない点もある可能性があります。




    ○追記○

    寄付先です。(リンクは宮城県ホームページ)

    こちらは宮城県で常に募集している寄付です。

    今後専用の寄付先が開設される可能性があります。

    http://www.pref.miyagi.jp/zeimu/hurusato/tetsuduki.html




    ○物資の送り方○

    1つの段ボールには1種類のものしか入れない。

    いろいろなものを少しずつ入れると仕分けに苦労します。

    段ボールの表面の見えやすい場所に大きく何が入っているかを書く「水」や「おむつ」など。

    重すぎないようにする。ペットボトル飲料などを入れるときは注意。

    常識ですが、食べ残しのようなものや、消費期限の切れたものは入れない。

    お金を送る方がいい場合もあります。

    お金は封筒に入れて送るとわかりにくいので必ず振り込みましょう。


    ○何を送ればいいか○

    避難所で喜ばれる物資を分類して書いておきます。
    また、送られると困るものも書いておきます。

    ソースは「震災がつなぐ全国ネットワークさんの冊子より」

    食料

    喜ばれるもの:飲料水、カップ麺、お湯だけで作れるレトルト食品、乳児用粉ミルク、哺乳瓶

    困るもの:野菜や魚などのなまもの、アイス、電子レンジで調理しなければならないもの、消費期限切れ食品

    衛生用品

    喜ばれるもの:おむつ、生理用品、歯磨き、石けん、タオル、トイレットペーパー、ウエットティッシュ、マスク、水を使わないシャンプー、

    その他

    喜ばれるもの:マスク、新品の肌着や衣類、使い捨てカイロ

    困るもの:古着(古着は誰も貰いません、ゴミになるだけです)、家でかきあつめたようなこざこざ、趣味で作った装飾品、絵画など。


    医薬品

    医薬品は医師や薬剤師がいないと配れません。

    自分に処方された薬などをたまに送る方がいらっしゃいますが誰も使えません。

    本音を言えばモノより金です。

    自宅の不要品処理のような気持ちで送らないようにしましょう。


    ■献血
    長期にわたって必要になるはずです。今すぐ必要とされる血液が何型なのか?
    今、献血をするより、日をおいた方がよい場合もあるはずです。献血をするタイミングもしっかり考えよう。

    献血情報こちら http://www.jrc.or.jp/donation/index.html

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  • 情報過多な社会にて

    間違った情報やデマなどが情報過多な社会では、
    どんどん伝播されていってしまい、
    それが結果として現場の混乱をさらに肥大化させてしまう要因になるんだよな。
    正確かどうか定かで無い情報をむやみやたら貼り付けるのは危険だよね。
    情報が洪水の如く溢れ返る社会システムでの危険要因、
    ネガな引き金として表出されてる感じだ.

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  • 僕は評価されない芸術家

    大きな作品をマンツーマンで描いてて、ふと思った事が
    今日のタイトル、として書き記す。
    誰が望む訳でも欲する訳でもない、自分のための自分だけによる
    自分が渇望せしめんがための芸術表現を展開中。
    二週間同じ図像のみと対話しながら、崇高なる気持ちへと入り浸る。
    やはり自分にとって大きなサイズと小さなサイズでは
    追い求めている意味合いが全然違うモノであるという事を強く認識いたす。

    自由由奔放に誰に咎められるわけでも無い
    大きな大作は純粋性が極めて高く、
    誇らしきテンションへと昇華されるんだな。
    けれどこればかり続けていると、他者から見れば使い物にならない
    巨大なゴミダメを続々溜めゆく
    ゴミ屋敷の住人と大差無いのだという事は重々理解しているつもりだ。
    純粋芸術はお金にはならない。けれど自身にとって
    これを推し進めるのは、自身の芸術活動を
    ありのまま曝け出し発散するために無くてはならないものなのだ。
    自分自身、かなりわがままで、
    あまのじゃくな性質ある人間だから、
    二極要素をバランス良く取り揃う事で
    メンタル面の安心感得ている所あるんだと思う。
    評価されなくて良いと言い切ってしまえば、それは
    もう勝手にやってください、そもそも発表なんてしなくて
    よいじゃないか!!..という結論へと辿り着く様に思う。
    しかしそこまで付き抜けて割り切れるほど、強靭な人間じゃないし、
    何より、何度もブログで書き記している様に、
    世間から評価される及び売れる絵が出てきて、作家として
    活動出来るフィールドが格段に広がってきたり、
    実現したい事を叶えてくれる足枷になるのは当然の事だから。
    その事も考慮しつつ図像を回転させるための作為的な
    アプローチをジョイントさせながら、
    純粋芸術と折り合い付けて作る小品オーダーメイドの
    住み分け行き来を、これから作家活動する上で
    往来してゆきたい感じなのですよ。

    自分の望むがままに吐き出し描いたファインな作品を生み出す担保として、
    図像をリリースさせゆく手立てを
    間に仕込みながら、二束草鞋を変幻自在と使い分けてゆきたいですね。

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  • オーダーメイドな型作り

    今年に入り、小品は商品による意味合いとして
    強く捉えながら製作しとります。自身の中で得意分野の型を
    再度題材として焼き直し、画面へと再構築してゆく感じなのです。
    これが自身にとってのオーダーメイド。
    過去作品から評価高く獲た題材を選び抜きながら
    得意な路線技法で画面展開いたす感じ。
    過去に手放した作品というのは、それを基盤に同じ構図モチーフとして
    ためらい無く再使用出来る感じがするんです。
    これは手元から手放す事で
    飛んでいってしまったイメージを再度手元に
    具現化したいという欲求願望が
    芽生えてくるんだと思う。以前のイメージにアレンジ加えながら
    画面変化をもたらして、シリーズモノとして展開してゆく様な。
    焼き直しをキーワードに小品を描きため
    図像を次から次へと回してゆきたい感じですね、うん。

    アメリカでは大きいサイズの作品から順に売れてゆくらしい。
    日本でだと小品から嫁がれてゆくのだけど、
    向こうの国で小品は逆に最後まで売れ残ってゆく感じなのだ。
    これは現代美術を求めている層が富裕層大多数で
    大きな広々とした大邸宅に
    飾り栄えするサイズを欲するからなんだそうです。
    もう一つは購入した作品を美術館に
    寄付するという目的があるのです。民間及び企業の寄付集積により
    美術館というモノは本来成り立っているのです。
    とか、いう事を芸術闘争論読みながら、
    頭にインストールした内容をアウトプット〜。

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  • 50分の1ピースを描き綴る感じで

    F50号サイズ、後半戦開幕〜。
    いつ仕上がるのか皆目分からない状態なのですが、
    今月中には確実、完成しているはず。
    キャンバス内にぶちまけたインスタント珈琲が
    香ばしい風味をコンガリと醸し出しております。
    全体の部分景色、部分からの全体風景。
    僕は細かい形を一つ一つの物語として捉え、
    部分.部分で描いては繋ぎを繰り返しながら絵画製作しております。
    全体の中のトリミングされし一部分。
    それは50号枠に部分として位置する一号サイズ一枚を
    書き綴ってゆく感じなのです。1号サイズが
    50枚分据え広がり、寄り集まった感じかなぁ。
    今日は1号、明日も1号、その次の日も1号という具合に
    日々浮き上がってゆくイメージをコラージュさせながら
    増築させゆく様な感じなのです。
    最終的にはそれが50パーツのピースとして出揃った時に、
    作品世界が息吹を上げ誕生するんだと思うんです。

    僕の描いているのは動物画なのではなくて、
    あくまで日々揺れ動く精神の私小説であり心象風景であるのだと思う。
    自然物の中に融合せしアニマル達。
    何処までがキリンの尻尾で何処までが植物の葉っぱや実なのか。
    境界線が曖昧なグラデーションとして弧を描き
    地続きに繋がっているのです。自然物のスープに融解せし
    サルベージュなアニマル達。生と死が画面の中で危うい
    均衡保ちながら同居していて、躍動的な生命が刻一刻と
    終わり脈打ち、生まれ落ちた星へと帰郷してゆくのだ。

    3月は製作強化月間〜。休日は自宅に引き篭って
    仙人みたく黙々製作いたします〜。
    4月は大阪で一番大きなスペースのギャラリーで
    発表するので、それを目標に構え、製作いたします。
    3月.4月は発表する回数が少ない分、5月はそこそこ予定入りそうなので
    その間に新作をどれほど生み出せるか、
    気合と熱意、日々注入しながら挑んでゆきたく思います^−0^

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  • 部分と全体図像について

    大きな作品をさらに考察、検証。大作は、いわば
    魅せる事が主体だとは昨日もブログに書き記しました。
    個展で言う所のメイン、
    つまりコア〔主軸〕に当たる役割を担ってくれるのです。
    空間に目を通し、全体を見渡した時、
    瞬時に目を奪いし装置として機能するんだと思う。
    大きな世界に作者が込めた等身大の想いが宿り火灯すのだ。

    ここ数日.大作と小品〔商品〕について絡ませて
    考える事が多くて今日もそれの続きです。

    大作は各作家の腕前スキルを明確に画面へと浮かび上がらせる。
    手の平に納まる小品〔商品〕サイズでは、ごまかしの効いていた
    プロポーション.フォルム.色彩も
    大きな画面では精度の拙さや曖昧さが赤裸々に暴露されてしまう。
    きっちりと大きいサイズを書き記せる作家には
    見る側はきちんとした技量が
    絵描きに備わっているのだと安心感を抱くのだと思う。
    けれど大きい図像は魅了されはしても、置き場所や値段価格の
    問題で購入して貰うまでに至るケースは、
    ほとんどといって無い様に思う。
    つまり展示した後は、押入れへと片付けられる運命にある。

    大きい作品で人気作というのは当然あるが、
    この作品達を眺めていて、ふと思ったのは、
    大作サイズの部分をトリミングして
    小さな小品へと再構成してみると良いのではないだろうか?
    大きな作品の横に同じテイストの小品をシリーズとして並べ、
    空間レイアウトさせてみると良いかもね。
    大作で、とても良い好印象を抱いていただき、
    その横脇に似た感じの小品が設置していれば
    自ずと所有欲湧き出てくる様に思う。
    大作の好感度合いが小品へと加担され、大作の世界感も含め
    小品を愛着してくれる様に思う。
    この連動作用で、それぞれの大.小が持つ世界感に相乗効果が加わり、
    魅せる作品と所有していただく小品の
    ジョイント効果が生まれてくるのではないだろうか?
    部分と全体、これをキーワードにしながら
    小作品製作へと取り掛かろうと思うのである。

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