川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • サブカルチャーから派生するアートな流れ

    自身の今するべき作業は繰り返しになるが、
    思想や言葉を明確かつ純化する事なんだと思う。
    「幼少期.少年期を再考する」を、キーワードに、
    自身の過去の柔らかくスポンジの様な吸引力を持っていた脳、
    つまり優秀な幼少期に培われ育まれた
    イメージの源水へとアクセス試みる、回帰的なアプローチ。

    現在の大人になった自分が出来る事。
    それは幼少期に培われた
    感性の宝箱からイメージの玩具を取り出して、
    それに今の視点や思想を加味しながら磨きをかけてやる事だと思う。
    大人になってから身に着けた技術や知識、目利きなどを通し
    幼少期のイメージに付加価値をつけて洗練させてあげる事が
    真の自分らしいイメージを
    自由であるがままな形へと還元してゆけるんだと思う。

    しっくり来る、画面に馴染む形を、それぞれが
    模索してゆくうちに、
    不向きな事、適してない事柄というのが垣間見えてくる。
    それは無理をして身につけなくても良いと思う。

    僕の出発点は漫画やアニメ、ゲームなどのサブカルチャーから
    現在の自分のスタイルへと導く
    大いなる影響が色濃く反映されていて。
    それをまずは自分がしっかりと把握していると、
    イメージの誘導が楽になってくるんだ.。
    キーワードを一つ述べるとアニメのセル画、つまり
    カラフルでポップな色彩。グラデーションによる陰影では無く、
    色面分割による対比はアニメから影響受けて、
    現在の画風へと派生したモノであって。

    僕は画家と肩書を名乗ってはいるが、出発点は
    漫画やアニメなどの敬意、つまりリスペクトから
    絵の道が始まっていったんだと思う。

    小学校の時の画家のイメージって、
    イーゼルにキャンバスを立て掛けて油彩絵の具で
    風景や人物画を
    目の前のモチーフ見ながら描いてるイメージがあって。
    自分とはほど遠い存在に思えたんだ。

    それよりも漫画はとにかく身近にあって、
    好きな漫画を模写したりもよくしたし、
    アニメイトでジブリグッズを夢中で
    買い漁ってた時期もあったんだ。
    いつも漫画やアニメは僕の身近で親しみやすい
    距離感で寄り添ってくれてたし、馴染みがとても深かったんだよ。

    現在の作風もその頃に接していた漫画やアニメの技法が
    絵に投影されてるよなぁ..と、
    幼少期..少年時代をキーワードに
    紐解いていった時、改めてそれは思って。

    パレットで随時混ぜるのではなく、
    色は原色を軸に隣合わさった色と色を色面分割。

    形の出で立ちは
    油彩の様に塗り込むのでは無く、
    線を描き込んで平坦な画面の中から
    重厚感や奥行きを紡ぎ出し演出させている。

    漫画的な遊び心や肩の力を適度に抜いた
    落書きテイストで柔らかい線の魅せ方も
    漫画やアニメなどから学び取った事柄なんだ。
    吹き出しが最近絵に出てきて、これが思いの他、馴むし
    絵の装飾として次から次へと展開し出すのも、
    やはり幼少期に
    培った無理の出ない馴染みから導きだされるモノなのかも。

    油彩技法からくる陰影による立体感帯びた表現や
    西洋の空気遠近法..線遠近法は
    今も昔も自身との相性が悪く
    馴染まないし、しっくりこないんだな〜。

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  • 光と影 影と光

    久々に友人の細川氏に会った。
    いつも大阪へ行く時は
    細川君の自宅までバイクで行き、自宅前に駐車させてもらい、
    そこから阪急西向日駅から梅田まで赴くのだ。
    西向日から梅田までだと片道360円で梅田まで行けて、
    お金を節約する上で大変助かっているのだ。

    久々にどんな状況下に彼がなっているのか気になり
    電話をかけ、細川宅にて話を聞く運びとなった。
    彼は11月に深夜アルバイトの仕事を辞め、
    休職期間中であったので、
    その間、どんな過ごし方をしていたのかとても気になっていたのだ。

    開かれた口からは衝撃的で重い、
    12月の心境を打ち明けてくれた。
    長年飼っていた飼い猫が12月に亡くなってしまい
    ショックが大きくて、その事が影響して、
    その月は鬱の落ち込みが最も重くて辛かったらしい..。
    細川氏は秋に2年間付き合ってた彼女と別れて、
    それからしばらくして、鬱の状態が悪化したため
    接客業を続けるのが困難な状況に陥り、
    休職中に猫の死が
    最後のとどめを突き刺し、2012年が淡くも暮れていった。
    昨日訪れた時は、12月の一番酷かった精神状態から
    一歩抜け出せている様な印象を僕は細川君から受けた。
    亡くなってしまった愛猫、その猫の毛を
    一部拝借して、現在猫の作品を油彩で描きながら、愛猫の毛を
    キャンバスに貼り付けた制作段階の作品が
    自宅の壁へと掛けられていた。
    この作品は何がなんでも描き切りたいと
    切実なる想いが細川氏の口から強い言葉となり滲み出ていた。

    仕事の方も、面接が決まり、現代美術の世界で
    第一線の活躍をしている名和晃平のアトリエ、
    サンドウィッチスタジオでの
    アシスタントアルバイトの面接に志願したと聞いて
    驚きと同時に前向きな気持ちで絵の方にも
    舵取りを少しずつ歩み出したのだとすごく安心した。
    面接が決まれば今月から名和さんの元で
    アシスタントとして働きながら
    休日は一日を通してじっくり制作に打ち込みたいと聞いて、
    僕も改めて気持ちが引き締められたんだ。

    やはり同時代に生きる作家との対話は
    実り多くて実に面白い。
    同じ時代を生きるモノとして
    こちら側へとダイレクトに直通で言葉と絵が深くリンクしてくるのだ。

    それぞれが始動し出した2013年、
    どんな一年に彩られるのか楽しみだな。

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  • 幼少期からの影響下

    大人になってから感性を磨く事って
    幼少期培った感性の宝箱に入ってるキラキラした石達を
    現在の目線で取り出し、磨いてやる事だと僕は思ってて。
    脳がスポンジみたいに最も柔軟で吸引力優れていた頃の
    イメージが作品ベースの土台になってるのをしっかりと認識しながら
    過去に遡り、記憶を紐解いてゆこう。それぞれのルーツ、
    つまり各自に形成された幼年期..幼少期の歴史が
    作品作り根幹に深く息づいてて真に描きた上げたいイメージを
    繰り寄せる意味合いも兼ねて、
    じっくりと考察する作業をしている最近。

    僕は画家という肩書を名乗ってはいるが、幼少期に
    画家と呼ばれる人達はフレームの遥か彼方に居て
    教科書の中で知るくらいの遠い存在であって。
    大人になってから美術館やギャラリーへと
    積極的に足を運ぶ様になったからね。

    では何が自身のスタイルに最も影響を与え、
    現在の画家へと突き進む道へと至ったのか?
    それはサブカルチャーからの影響や恩恵を
    多大に受けていた事が揺るぎ無い事実であると思う。
    宮崎駿のジブリアニメや鳥山明の漫画、
    スーパーマリオなどのゲームなどが
    自身のクリエイティブに憧れを抱き始めた
    始発点であった様に思う。
    少年時代は夢中で漫画を読み漁ってたし、
    大好きなアニメは何度も繰り返し再放送や
    金曜ロードショーなどで見ていたんだ。
    テレビゲームは当時
    アーケードゲームが大流行していて
    ストリートファイターを筆頭に様々な2D格闘ゲームを
    プレイするためゲームセンターへと繰り出した。
    家庭ゲームソフトではRPGや
    特に対戦モノがすごく夢中なれて
    同級生とマリオカートにのめり込んで
    日々熱狂したものなんだ。

    ゲームの方は大人になってから
    プレイする事がめっきり減ったが
    漫画は今現在でも、
    いろんなジャンルの漫画を幅広く読み漁っている。
    最近、絵に吹き出しが登場する様に
    なってきたのは明らかに漫画からの影響下にあるのは
    言うまでも無いだろう。ジラフやホエールなどに
    口から吹き出しが出てきて、その中に文字が入ってたり、
    中にはカラフルな半抽象的な色や形を描き記す様になってきた。
    これが思いの他、画面へと馴染んでナチュラルに落とし込めたんだ。
    自然としっくり形になってくれる感じ。
    一話完結する一コマ漫画の様な世界を
    念写したいんだなぁって描いてて思った。

    一枚の絵の中には、様々な半抽象的な形や模様が
    レイアウトされてて、それが一つのお話として形成している。
    豊富な情報量が僕の絵の持ち味だと思ってて、一枚の絵を
    通してじっくりと対話してほしいと考えてる。
    そこから新たな気付きや発見が出来るはずだから。
    カラフルで柔らかな原色を軸にした
    ポップな色使いはアニメやゲームから影響を貰った賜物だと思っている。
    ペタリとした平坦的な構成で僕の作品は成り立っている。
    モチーフの形状を省略.誇張されたディフォルメは
    漫画からの影響だし、
    細かい線や点を画面へと丹念に描き込んでゆくのも
    漫画のノウハウが軸となり、
    現在の画風へと繋がっていったんだと考えている。

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  • コトワザによる教訓

    良質なる作品鑑賞はお金と時間を押してでも
    むりくり必ず行くってのが
    僕のモットーでありポリシーでもあるのだ。

    良い映画は映画館で是が非でも見るべしだし、
    DVDになってから見ても作品の良さは半減しちゃうと思うんだな..。
    映画ってそもそも劇場の
    フルスクリーン用に投影される事を前提として作ってるわけだからさ。
    等身大に焼き付けられた
    イメージが醸し出す味わいや魅力ってのがすごくあって。
    DVDで良い作品に巡り合った時、その出来栄えが
    良ければ良いほど、
    映画館で見ればよかった..、劇場で見ればよかった..って
    後悔するんだな。

    レ.ミセラブルを今日昼から
    制作切り上げて行っただけの価値はやはりあったね。
    あの時代のフランスの舞台設計を
    よくぞここまで作り上げたなぁって、
    最初から最後までずっと打ち震えてたしさ「笑」
    美術館やギャラリーなどの定められた
    一定期間で開催される作品展にも、
    それは当てはまるし該当すると思うんだ。
    入場料なんて、たかが知れてて1000円くらいじゃない、平均したら。
    そこで見て感じた事柄が、自身の血肉となり一生の宝として
    蓄積さ残る様な良質な作品に出会えると考えたら、
    たかだか1000円なんて安いもんでしょ?^^
    つまり行って後悔する事より
    行かずに後悔する事の方がよっぽど性質が悪いし、
    取り返しつかない事をしてしまった気へと陥るんだな。
    例えばその展示会に行って
    内容いまいちで獲るモノがそんな無い様な
    損した感じを受けた展示会の場合だと、それを教訓として
    次は見合わせようって考えれるわけ。
    けれど、お金や時間の都合で
    今回は無理せず辞めようって諦めて、それが
    自分にとって大きな実りを与えてくれる
    自身にとって大変貴重な展示会だったとしたなら、
    後悔先に立たずって状態なってしまうよね..。
    なので、出向いて後悔する事を怖がるより、
    見合わせて行かずに後悔する事の方がよっぽど損だし、
    後々までずっと引きずりながら後悔する事なるよ、経験上ね(笑)

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  • 編集による見栄え

    どのイベントでもそうだけど、会期後
    ウェブサイトで結果レポートってしてるじゃないですか。
    あれ見てていつも思うのは、かなり編集かけてるなぁ、と言うか
    ピックアップを誇張してるとこはあるよね^^まぁ、どの催しでも
    悪い事とかネガな意見って紹介して書かないじゃない。
    けれど、これから出展を考えてる人達って
    イベントの両面が知りたいってのが根幹にあるわけで。

    YAJにしてもそうだし、芸祭やスパイラル、
    どれもWEBには成功例が大々的に取り上げられてて、
    運営するサイドの見せ方としては
    当然といわば当然なのかもしれないけど...。


    集客量が最も多く活気づいてる時の写真を
    大きく掲載してたり、
    受賞者のインタヴュー読んでて思うのは、
    そりゃあ賞貰ったんだから、このイベントは大変有意義で
    実りあって充実してて楽しかったって答えるコメントが
    ほぼ全般なわけでさ..。個人の成功した結果として
    提示された意見や感想じゃなくて、
    イベント全体として蓋を解放した全体的な流れがどうだった?って方が
    みんな聞きたいし知りたいわけでしょ?^^

    僕の場合、関西が住居だから、関東などの遠距離イベントって
    やはり一番情報として信憑性帯びてくるのは、実際現場を
    体験した人の声なんだよね。口コミで美味しいお店の評判が
    広がってゆくのが一番確かなのかもしれない。
    生の声が現実の風に乗って繋がり
    それが伝播しながら広がりを帯びてくるリアルな実在感があるから。
    自分がそのイベントを直に体感して
    成否を確かめるのも手立てではあるけど、まずは入念な下調べの
    リサーチ、口コミによる評判などから
    じっくり吟味して
    そこで初めてイベント参加する意志を
    固めてゆくのが手堅くて良いのではないだろうか?

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  • 作品コンセプトや題材Q&A

    六甲アートマーケットから、作品のコンセプトや
    主軸モチーフに何故キリンが多いのかなど、お客様に
    説明する時、必要となってくるので教えてほしいと
    連絡があったので、メールで黙々と書いてたら
    長文なったので、本日のブログの方にも
    使い回そうと思う所存でございます笑

    それでは作品の説明させていただきますね。

    制作する時に心がけてる事は、
    無理しすぎない事を常に意識しております。
    集中して長く絵を描き続けていると、
    絵の線や形.色合いに生きた味わいが
    次第に無くなってきます。
    なので、心地良いテンポやリズムで点や色を打つため、
    休憩はさみながら、適度な間をはかって絵筆を動かしてる感じです。
    瞬間的な爆発力が自身の持ち味だと思ってるので、
    短時間でも集中力と気力が充実してる状態で
    一気に画面を動かしながら展開していってる感じです。
    気力が無くなれば頃合いを見計らってじっくり休む、
    そして落ち着いた状態で
    また作業を再開する事の繰り返しを経由しながら
    作品が完成されてゆく感じです。

    そしてキリンがどの作品においても頻繁に登場するのには、
    明確な理由があります。
    一つは、まず好きだからと言うのが前提にあるのはもちろんですが、
    これは幼少期の記憶とリンクしてくる所があると思うんです。
    小さい頃の脳って
    柔らかで滑りある粘土みたいな感じだと思ってて、
    その頃に培われ印象に残った記憶や出来事が、
    大人になってからも大きな影響となり
    画面へと立ち現われてくると思うんです。
    小さい頃母親に連れられていった動物園で
    いつも[キリン、キリン!]と檻の前で
    叫びながら、はしゃいでたのを覚えております。

    動物は今も昔も全般に好きですが、
    幼少の頃の当時から特に思い入れがあったんだと考えております。

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  • 骨董屋みたいな

    アート仲間の蛇目さんが、神戸の、ぶぶりんどう、と言う
    一風変わった名前のギャラリーの
    取扱い作家をしていて
    彼に以前、そこへ案内してもらった事がある。

    三宮降りて、テクテクその周辺を歩いた近くの
    大通りから逸れた、
    少し分かりずらいビル二階にそこはあって。
    扉くぐって、垣間見た光景は衝撃的だったなぁ笑

    本来の僕がいつも通いつめてるギャラリーって
    ホワイトキューブな空間に作品が、ほど良い間隔で
    魅せられていて、適度な間が空間にインスタレーションとして
    存在しているのが頭に刷り込んいるんだ。
    そこも企画で個展してる作家は期間中、独立した部屋で
    展示してるのは、他と変わらないんだけど、その空間を
    除けは、ギャラリーは作品の山で埋め尽くされたみたいになってて。
    常設作家の作品が壁面スペースのありとあらゆる場所に
    ぎっちりと詰め込まれ、まるで骨董屋に来た様な
    気分に陥ったのを今でも鮮明に覚えている。

    物故作家の作品から
    今売り出しかけてる若手や
    大家の名画までアーティスティックで
    ファインアートな匂い漂う古風な作品が
    一堂に軒を連ねていた。
    後で上田さんから聞いたのだが、ギャラリーと言うのは
    本来はこう言う姿形をしていたんだよ、と教えてもらった。
    売る事に特化したスペースが
    こういった本来の企画画廊の姿なんだけど、
    戦後レンタルギャラリーが日本に普及し出して、
    現在ではめっきり骨董屋みたいな空気感漂わせている
    コテコテの企画画廊ってのは逆に珍しくなったのかもしれない。

    なんでも鑑定団のお宝発掘しにゆく様な感覚で
    そこらかしこに置かれたり掛けられてる作品を眺めるのも
    いつもとは違った楽しみ方出来るかもしれない。

    「この絵はいくつくらいの作家が描かれたんだろう?」とか、

    「掘り出し物みたいになってるけど、これからすごく価値が出てくる絵かもと」とか、

    「今の値段が安い内に手を出してモノにしてみるのもよいかも」みたいな、

    ギャラリー中に散乱している絵を通し自分自身が目利きなったみたいな
    本来とは少し違った目線で絵を鑑賞出来るかも。

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  • 柔軟なる方向転換

    大阪のコマーシャルギャラリーで
    女性しか雇わない
    企画ギャラリーが在って、関西の中では有名ですよね。
    当初僕は、単にそこのオーナーが
    女性好きなのかと思ってたんだけど「笑」
    けれど、女性しか雇い入れないのには
    やはりきっちりとした明確な理由がそこにはあってさ。

    男女間での脳内構造による相違ってやつかな。
    作家で女性作家の場合、例えばギャラリストが

    「前の方向性の方が良いのでは?」 

    「絵の背景に遊び心を、うんと取り入れましょう」

    「今の方向性で大丈夫だからこの作風で枚数重ねて」
    、などアドバイスを貰った時に短いサイクルで
    それに対応出来るのだ。つまり自身の築き上げた
    世界観に指摘受けたエッセンスを取り入れ、すぐに
    それが形として立ち現われてくる。
    つまり思考の切り替えが柔軟でいて柔らかい。

    これが男性アーティストの場合はと言わば、
    柔軟な思考切り替えがすごく苦手であって。
    己が街道を走り抜けてゆく系統の人が大多数で
    人の意見は一通り耳を傾けて聞きはするが、
    自身の世界観を頑なに守り通し、
    自分のイメージソースを
    忠実に貫き通す愚直さがある様に思う。

    「このスタイルにカラフルな色を付け加えてみたら?」

    「もっと描き込みに的を絞って、シンプルな形状で見せた方が良いよ」

    、なんて事を言われても、それを取り入れたりしない場合が多く、
    仮にやってみても、やはりこれは違うなぁと感じれば
    すぐに元在る自分のスタイルへと立ち戻る感じ。

    よく女性作家が早く出世する理由の一つは上記理由が
    例として挙げられる気がするのだ。ギャラリストは監督的な
    役割を時として担う事もしばしばあり、それに上手く順応し
    対応する能力が女の子は優れているんだなぁ。

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  • 感受性の宝箱

    感受性の泉の成長が止まるのは
    大体22.23才くらいだと言われている。
    つまり現在の地点で我々が感受性に刺激貰えた..なんて言うのは、
    それは23歳くらいまで培った感性の箱へと刺激が伝わり
    揺らいでいるのであって。
    感受性の箱に対し大人になってから
    どの様に上手くアレンジ、改良加えれるかは、
    培った技術であるとかノウハウや知識.経験、
    目利きにおける力量において
    精度上げながら研ぎ澄ましてゆけると思う。

    粘土は大人になり固くなってから、いくら水を加えようが
    すでに硬直凝固してしまっている。
    子供の柔らかくヌメヌメしていた泥濘の時に、
    感性の宝箱は育てられ、そこで全て決定ずけられるんだ。

    絵に指し記されてるモチーフが
    幼少期に培われ構築されて、育まれてきたのを認識した上で
    それぞれが幼少期..幼年期をキーワードに
    時間を遡りルーツを辿ってゆくと、新たなる気付きに気付けるだろう。

    僕の今現在立ち現われてるモチーフは生物が
    主流だが、僕の場合、やはり幼年期に生き物と近い距離で
    接していたのが、幼年期の頃、柔らかく柔軟だった脳に
    大きな影響を与えていたんだと思う。

    鶏に亀、犬やウサギ.魚、昆虫、ザリガニなど
    実際に飼育していて一緒に時を長く過ごした事が
    現在のイメージソースのベース基盤として色濃く宿っているんだろうな。
    ルーツを紐解きながら探りをかけてゆく事は
    自身が描くイメージの概念をより明確に開けてくれるし、
    自分の足場にある根っこをより深く地中へと張り巡らさせ
    足場を安定させる事へと繋がってゆくと思うんだ。

    さて、今日も幼少期培った感受性の宝箱に
    スパイスを振りかけながら制作してゆくかね。

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  • アート模様いろいろ^^

    このアート業界は摩訶不思議でいて奇々怪々なんだよね〜。
    つまり異質でいて特殊な部類へと
    分類.カテゴライズされるんだと思うのだ。
    作家.ギャラリスト共に手持ちの資金が豊かでないので、「特に作家は」
    節約に節約を積み重ねながら上手くやりくりしてるわけで。

    作家の世界で、招待企画ってのがあるじゃない。
    お誘いは、無料で展示できるスペースを提供していただけるので
    出展料が作家側にはかからない。この事に関しては
    本当にありがたいけど、後は基本作家負担になるのだ。
    会場までかかる作品運送費や
    画材費用など作家負担で全てやりくりしないといけないから、
    経済的な立場上、作家が最も弱い立場になるわけ。

    他の業界なら、その場所までかかる運送費とか、材料費なんかが
    当然会社や企業から支給されるが、アートの世界では
    その辺りが作家負担なるのは、言ってしまえば
    ギャラリーサイドも、
    それを賄ってあげられるだけの資金力が無いと言えるからさ。
    この辺りはもう、仕方無い事で、作家サイドも十分理解.承知しているので
    画家以外の職業で生活費であるとか、その延長線上にある
    資金繰りを、そこから捻出出来た上で作家活動を邁進するしかないのだ。

    面白い話を作家仲間から聞いて、それがとても
    印章に残ったので紹介しよう。
    東京デザイナーズウィーク内で開催されるアート展示で
    昨年11月、東京に展示するため赴いたのだ。
    その開催期間に、
    近くの青山スパイラルでアートフェアが行われていて、
    それにもアート仲間は絵を出してて、
    打ち上げが青山の居酒屋であったんだって。
    この業界、打ち上げん時は、親玉のギャラリストが飯を出展している
    作家連に自腹切って奢るのが、しきたりみたいなっていて。
    青山で値段がすごく安くて美味しい食事を提供してくれる、
    かなり青山の中では庶民的な位置づけに入る
    お店があるらしくて。そこで打ち上げしてると、
    青山のアートフェアに出展していた、
    ギャラリスト達が次から次へと入ってきたらしくて「笑」
    周り見渡したら、アートフェア出てた
    ギャラリスト貸切の居酒屋みたいになってたみたいで「笑」
    みんなそこが一番金かかんないから自然と集まってきたんだろうね笑
    要するに普段、真っ黒なスーツに引き締まったネクタイをした
    ギャラリスト達も、椀飯振舞できる様な資金など
    持ち合わせていなくて、ギリギリの手持ち資金で
    数字と格闘しながら、運営しているのが実情なんだな。
    普段小奇麗なスーツに身を包んでアートフェアなどで
    優雅で落ち着いた口調で話す術はとても重要であってさ。
    彼らの相手するのは富裕層のお金持ちと相場が決まってるから、
    それに見合った身だしなみと、落ち着いて余裕のある口調で
    しゃべる事が前提になってくるんだと思う。仮に余裕が無くて、
    身だしなみが貧しい感じだったとしたらさ、富裕層に悪い印象しか
    与えられえず、絵なんか売れるわけないじゃない「笑」
    なんだかんだいって、このアート業界はお金で潤える業種じゃないので、
    ヤクザからは芸能みたく目をつけられず安心だけどねぇ^^

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