川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • 大阪本町SOZOギャラリーでの展示、絶賛開催中です^−^

    大変遅くなってすいません。
    SOZOでのグループ展告知です、残り一週間となりました。
    以下コピペ抜粋

    全国探しても中々見つける事はできないであろう、
    イケイケギャラリーSOZO。

    今回の展示に参加しているARTISTは、
    大阪で活躍中のアーティスト、総勢およそ50人!!!

    平面、立体、インスタレーション、壁画なんでもござれ。

    アートの知識うんぬん必要なし!
    ジャンルを超えたパワー溢れる世界観を、
    是非生で見て感じてもらいたいです。

    Artist(順不同)

    あ〜ネ、穂刈有香、大川陽子、蛇目、ぽよしま、kazy、satomi、さと、
    松井カズヤ、OBA、くすのきあきこ、しおみちひろ、GAKU、oba、
    ねこ家、WOODFILED、KOMEYA 3Q PALABOK、オシマタカユキ、aoi、chika、
    ちー、外山和敬、神田旭莉、松本莉沙、BAJIKO 森村、保育園児、
    KEM、下山 由貴、川瀬大樹、タカ、ちあ紀、SUIKO、DOM、TOERN
    PEZ、COAS、FORM、TINA、MASI、STATUS、SOW、EATER、....and more!!!

    期間 :1/15〜31(13:00〜22:00)
    入場料 :無料


    場所 / SOZO
    大阪市西区京町堀1−12−4
    四ツ橋線、本町駅28番出口より徒歩10分。

    TEL / 070-6688-0017
    HP / http://sozo.sub.jp/

    是非足を運んでみて下さいね〜。
    そして今日の6時から交流会パーティーが開催されるので
    そちらもかなりオススメです。たくさんのアーティストの
    作品を一覧しながら、様々な個性溢れる作家さんと
    互いの言葉を全速力で紡ぎ出し
    有意義に語り合ってみてはいかがでしょうか^−^

    今から天王寺で人形フェスティバルのパネルを事務所で
    調達して、本町の方へと舵を取りながら
    赴きたいと思います〜。6時のパーティまでには
    無事到着出来る予定なので
    皆さんどうぞよろしくお願いしますー

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  • 表現のフィールドだからこそ容認される事柄

    言葉では到底言い表せれない、感情的に直で訴え伝えようとすれば
    人との関係を破綻させてしまう恐れだってある。
    では表現のフィールドではどうだろうか?
    これには通行手形、および許可書が罷り通るのだと思う。
    作品垣間見て、そこに存在しているそれを認めたくなければ
    目を背ければそれで済む話なのだから。
    何より表現だからこそ教育では教えられない非道徳な部分を
    あからさまに伝えられる事が可能なんだろうね。

    要するに刃物を人に突き立て殺意を抱く。むしくはそれで人を
    突き刺すと言う事柄はれっきとした犯罪であり
    決してあってはならない暴力行為以外の何者でも無い。
    けれど人々が抱え持つ個々の
    感情には時に残虐残忍でいて無慈悲な闇潜みし
    悪の部分やそれを時に喜びとしてしまう
    暗黒面が誰の心にも存在している様に思うのだ。
    そんなの自分には無いよーって言われる方も中にはいるだろうが
    根幹の遺伝子レベルでそれは内在するのだ。
    それが有るから戦争や差別は必然的に産まれてくるし
    決して無くなる事は無いんだな。

    表現の分野では、様々な混沌、カオスだとか負の痛々しい感情、
    道徳的には容認されない事象なども描き表す事で
    許可書が降り、それを挟んでコミュニケーションを
    取ることが出来るんじゃないかな。
    そのまま言葉を投げかけたり、
    ありのままの感情を四方八方当たり散らし、真っ向から
    ぶつければ、築き上げて来た人間関係を
    バラバラに粉砕崩壊させてしまうから。
    けれど絵という仲介者を挟む事で
    それが通じ合える、むしくは分かるかも、共感
    出来る気がする..って風な感じ方で
    相互承認し合える事だってあると思うんだ。

    吐き出したい思い、吐き出さなくてはゆけない
    気持ちって言うのが誰の心にも宿っているんだ。
    表現者は描き記す事でそれを形に出来ない鑑賞者へと伝え
    代弁しているんだろうな。そこの共感出来る波長が
    互いにほど近く重なり合った時、その作品に写し出された
    メッセージを実直に受け取れるんだと思う。

    ああ、この人の声や歌は僕の心を打ち震わし
    心にザザブリの雨を降らせてくれるよなぁー。
    中島みゆき 最後の女神一部抜粋

    ああ あれは壊れたオモチャ

    いつもいつも好きだったのに

    僕には直せなかった

    僕の中で今も泣いている

    言葉にならないSOSの波

    受けとめてくれる人がいるだろうか

    ああ あれは最後の女神

    天使達が歌いやめても

    ああ あれは最後の女神

    まぎれもなく君を待っている

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  • 新作.アートに対しての様々な考察

    自分としてはいつも以上に時間かかったのと
    加筆シリーズではなく、零地点から構築する
    アニマル作品が完成いたしました。
    いつもながら画像が光ってしまい細部ぼやぼやで拙い
    フォトで情けないです..。プロカメラマンに代行で記録写真、
    撮影してほしいと切実に思いますからねぇ。

    ○美術と言うフィールドについて
    どうも典型的な美術画壇だとか、お堅いサロン的なノリ
    が大変苦手でして。お金を作家が大枚払って
    経営維持する美術団体システムだとか、
    コネが公募コンクールの勝敗を左右する様な
    お高くとまった老舗コンペティションなど..。
    首をついつい傾げてしまうのだな〜。
    そういう古い体制が崩壊しつつあって、それらから
    離島し、新しく発表できる身近で親しみやすい場を介し
    作品図像をお披露目出来る場へとシフトしつつあるのが
    現在我々が創作活動を展開している地点なのではないだろうか。

    ○美術という分野をもっと手身近で近寄りやすい事柄へ
    そうなんだ、現代美術というのは決して
    ハイカルチャーで
    難解かつ高尚な事象なんかでは決して無く、
    もっと親しみや愛着を込めてコミュニケーションを
    相互、鑑賞者と作り手が立ち合わせ
    交換し合えるものであってほしい。

    ○リサイクルおよび再利用した道具を末永く
    大切に扱う事の重要性について
    お金やモノが溢れ返り、氾濫飽和状態の日本社会。
    貧しいと言ってみても、餓死してくたばるほどの
    極限レベルではない様に思うのだ。モノに焦点を当てても
    それは同様に言えるのではないだろうか?
    新しいキャンバスが無ければ、使い古されたキャンバスボードに
    絵を描けば事足りると思うし、板の上からでも地塗りさえすれば
    図像をそこから自由に描き表す事だって出来る。
    薄っぺらな紙にサラサラ描いた作品に思い入れが芽生えれば、
    それを展示スペースに額装して飾りつける事だって可能なのだ。

    ○理想的な望ましい形だと僕個人が思う展示ギャラリースペース
    空間内で皆が対等な立場で会話を均等に弾ませる事が
    自然と行えれるスペースが好きだ。
    同じ憩いコロニー空間においては
    普段各自が持ちうる、
    ステータスや身分などは一切皆無なのだ。

    ○あくまで自由気まま奔放に
    何者にも縛られる事無く、自分が心底描きたい形を
    率直に描き記す。根底にある芯に根をズシリと織り広げ、
    消費とは裏腹な場所で作業に徹し
    ひたすら描き続け、リリースを重ねてゆくのだ。
    時代の移ろいに左右される事など無く、いつの時代にも
    自律した状態で地に足を
    踏みつけられる様な、そんな感じのモノ造りを。

    ○自分の思いや気持ちを更新してゆく
    日々、図像は揺れ動くし本人も同じ箇所に留まって
    なんかいられない!その時、随時、自分が投げかけたい
    様々な思いや感情の揺らめき、
    祈りの様な願いといった事さえも
    言葉や文章、絵に立ち表し、吐き出しながら、
    アウトプットを続けてゆく。
    結局の所、この世界にある全ての現象は
    起こるべくして必然的に起こるのだから。
    それに対し我々はありったけの誠意や進撃なる態度を持ってして
    寡黙に取り組むしか成す術は無いのだと思う。
    後は運命に身を委ねるしかない。願いが実を結ぶ時は
    どんな逆境でピンチな状況下であっても
    最終的に叶えたい願望まで到達出来る。
    逆に順風満帆に、見えてる様でも築き上げてきた事柄が
    みしみしと鈍い音を立てながら崩壊し跡形も無く崩れ去る
    場合だって悲しいことにありうるのだから。

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  • 男鹿和雄さんの世界に魅了される^−^

    http://www.artm.pref.hyogo.jp/index.html
    兵庫県立で絶賛開催中スタジオジブリの
    背景職人と称される男鹿さんの展覧会へ行って参りましたー。
    動員数が5万人を突破したとかでー。休日は待ち時間かなり
    あるみたいだから、中に入るにも一大行事なりそうですね。

    兵庫県立美術館は場所が不憫だから
    集客が企画される展示によって
    浮き沈み激しい感じだと思うけど、だまし絵展と
    今回のは人のストリームが尋常じゃないって事を会場行って
    恐ろしいくらい伝わってまいりました。

    僕はジブリ作品とても大好きなんだけど、あから様に言うのが
    なんとなくこっ恥ずかしいから、表向きには
    熱烈なるジブリ信者である事の公言を避けて参りましたー。
    けれど見た後で率直に思った感想は、
    「夢の世界へと誘い、
    連れていってくれてありがとぉぉ〜」、でして..「苦笑」
    もう愛して止まないくらいジブリ作品は幼少の頃から
    その世界感に、ただただ魅了されてきて、大人になった
    今でもずっと敬愛しリスペクトすべきな圧倒的存在なのです、うん。
    魔女の宅急便、トトロやラピュタ、ナウシカに千と千尋に至るまで
    週末テレビ放送される度に、条件反射でテレビ釘ずけ状態でした。
    10回以上の回数をしつこいくらい追い回し見ているはずなんです。
    あの名場面の名台詞だとか、あのシーンを簡潔に語れと
    言われれば即座に言葉が飛び出し語り尽くせるほどなのですーー。

    そんな男鹿さん、ジブリ以外のアニメ背景を手掛けた
    作品背景が入ってすぐのフロアーに飾り付けられておりました。
    「幻魔対戦.はだしのゲンなどなど」

    トトロの背景展示の箇所は一番エキサイトしながら
    まじまじ魅入っておりましてーー。トトロが住まう森の中や
    大きな昔からそこに在りし大木樹、壊れかけのおんぼろ屋敷など。
    まだ人と人とが、ねちっこく付き合えていた一昔前の
    名残りがそこにはまだ存在している様で、しんみり。

    初期のトトロから魔女の宅急便、紅の豚に千と千尋、
    ハウルの動く城、最新作、崖の上のポニョまでの
    原画作品が贅沢観覧、一望出来ます!
    これらを一覧して感じたのですが、ずっとテレビや映画観を
    介して見てきた作品が生きた原泉としての揺らめき
    解き放ちながら目の前に存在している事が
    ただただ嬉しくてしょうがなかったのです。
    実物の作品媒体を網膜通しながら、ストーリーを紡いで
    体現させてる気分に浸れるんです。
    テレビや映画観だけでは味わえない
    剥き出しの臨場感がそこには芽吹いていて、それを第三の
    楽しみとして、満喫している感覚なんです。

    原画が、枚数600枚と、ちとボリューム質量は多いんですが
    二時間ちょとくらいジブリの至福空間に入り浸って
    おりました。現実があまりにせち酷くて残忍無慈悲なものだから、
    もういっそこのまま、まっしぐら逃避したまま
    現世に帰還などしたくありません状態でしたー「笑」

    それにしても兵庫までの道のりは長くて遠いなぁーー。
    行きは満員ラッシュを避けるため、
    京都から奈良を経由するルートで
    大阪から兵庫へと出向いたのですが、席にゆったり座れる分、
    目的地着くまで時間がかかるわ、かかるわで。
    久々に降り立った灘駅は
    構内まっさらにリニューアルされていて、改札出た横に
    モスバーガーショップが出来ておりましたとさ^−^

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  • 図像を巡る果てしなき終わること無い物語

    霊安室と名づけている聖なる場所。ひんやりとした空気感が
    身体全体ピリリと突き刺す感覚に随時見舞われるのだよ。
    日々僕が作品製作をしているアトリエなんだ。

    製作室に立ち入る前は、いつも不安で不安で、どうしようもなくて。
    足が竦む、気持ちが億劫で、心がめげそうになる。
    そんな中でも、ここ最近はそんな押し寄せてくる
    恐怖からも逃げ出さずになれる様になった。
    これが出来て当然だと思うし、やっとこさスタートラインに
    立てた感じがするんだ。まだまだ先は長く長く、天竺までの
    道のりは遥か彼方に存在し、位置するんだ。

    画面とは、挑むべき相手であり真っ向から立ち向かう大敵で
    ある事に違いはないと思うよ。
    ただね、製作が終了する頃には、そいつらとは好敵手になっていて、
    握手をがっちり固く交わして、
    絆をより強く、より深く結びつける事がいつも出来るんだ。

    作家活動を始めたばかりの頃は今以上に気持ちが弱く、
    甘さだとか、しょげた気負いがあったり、グラグラと
    揺れ動く無気力な精神で画面と対峙していた。
    立ち向かう気迫、つまり覇気が足りなく、
    逃げ出した事なんて頻繁にあったと思う。
    三日、一週間描かない日も当たり前にあったからね。
    要は放電期間と偽り称して、トンズラ決め込んだんだよな。
    描かなければ、もがき苦しみ、
    心をギトギトかき乱される事から避けられるからね。
    けれど逃げ出した事に対して後悔だとか罪悪の念が自身へと
    強くリバウンドして心を腐敗させたのだ。

    描かなければ切り傷や擦り傷を随時切り刻む事は回避されるが、
    それの代償として精神がたるんでくる。
    気持ちが怠け衰え、生きた屍廃人になった様な錯覚に陥るのだ。

    いつからか、しんどい過酷な苦痛のイバラ街道を
    避けては通れないのを、心身で理解し腹を括ったのか..。
    製作をしなかった後に待ち構える恐怖や
    不安だとか絶望。それよりも数時間、生命を賭け
    戦い抜いて得られる至福の充実度合いや
    生きている証を太陽の光全体浴びて
    光合成する向日葵の様な、痛みを伴った後に訪れる充足感を
    自然と選び取る様になったんだと思うのだ。

    表現活動というのは常に命の灯火を担保に捧げながら、
    身を削り、全身全霊で巨大でいて強大な相手に
    果敢仕掛けてゆく事なんだ。膨大な爆発的エネルギー有した
    終わる事決して来ない、果てし無きロード。
    それに対し、一生涯賭け、挑みゆく、あくなき果たし合いなのである。

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  • ジキルとハイドな明暗を別つ分岐点

    系統がとても似通った画風をした二人がおりました。
    膨らんだマチェールをキャラクターの
    軸に添えた表情が図像から、おおっぴろげに
    飛び出している印象を両者からお見受けいたします。
    絵を始めた年数や歳の差もそんな違いは無い様に思う。

    この両者の勝敗を分けたの、飽くなき探究心だとか、
    画面と競り合う気迫、プレッシャーや重圧を跳ね除ける
    絵に対しての頑なで頑強な姿勢など。
    いわゆるメンタル面での強弱だと思うんだ。

    ①の作家さんは画面に対して、ハングリーかつ積極的な態度で
    図像と対話が出来る人なのだろう。キャラクターの目つきが
    見る側へとクッキリ見開き、前のめりで押し寄せてくる。
    勝気なオーラを匂わせていて、ビジュアルがモチーフから
    モチーフへと連動され、画面全体に旋風が
    巻き起こっている風だ。

    ②もう片方の作家さんは態度が弱気で負け越しな姿勢が
    随時本人から伝わってくる。人から褒められても
    何処か自信無さ気で、うろたえた軸の定まらない
    気持ちがいつもフワフワと体内で右往左往している。
    かいじゅうなんかの架空生物をこちらは
    描かれるのだが、どのキャラクターも目が下向きで
    悲壮に満ちた表情を浮かべている。


    ①の人物は創作活動して短期間の間に見る見る
    頭角を現し、所属アーティストの
    地位を確立させたり、心斎橋にある大型カフェギャラリーでの
    企画展示の賞を頂いたりと、もの凄い勢いでチャンスをモノにして、
    自分のアート作品を活性化させ、押し広げる場所を
    めまぐるしい速さで我が物にしていったのだ。

    ②の人物は①と同じだけの競い合えるキャパ要領や同系統の
    属性を持ち合わせながらも、自らチャンスを
    放棄していったんだと思う。思う様な絵が最近描けて
    無いのだと..嘆いていたのを今も鮮明に覚えている。
    それからほどなく作家活動をぱったりと休止してしまったのだ。
    自分の描いた作品作業に対し
    粘りや、継続力が今ひとつ無いんだろうな。

    納得ゆかない作品を生み出し続け、何点も何点も
    試行錯誤した後に、ようやく自身が判の押せる
    作品が産まれて来るのではないだろうか。短いサイクルで
    結果が出せなくても、長い期間を見越して地道に創作活動を
    続けてゆく内に各自それぞれが、獲たかった成果というのが
    ちょっとずつ、確実についてくる様に思うんだ。

    そんなこんなで先天的なセンスだとか
    持って産まれた絵心なんかと言う以前に
    それぞれが持ち合わせている、画面に対しての
    飽くなき渇望だとか、それをずっと探求し続けてゆける原動力と
    なるモノ、表現に対しての執念だとか愛着という事柄の方が
    作家活動を継続してチャンスをモノにするために
    重要であり必要な事なのじゃないかなぁ。

    やなせたかしが以前テレビで見た特集の締めで
    言っていた名言がとても印象に残りました。
    「満員電車に乗り合わせた時、始めはきゅうきゅうで
    座れなく、立ちんぼくらったままなのだけど、次第に皆
    列車を降りて行って、いずれは座れる座席が
    用意される事になるんだよ」

    いつの日にか、自分の作品世界が必要とされる誰かに
    求められるのだから、座れる座席が空くまで、辛抱強く、
    根負けせん様に、歯を食いしばって踏ん張りながら
    頑張ってゆこうと思う次第でありました。

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  • てんやわんや賑わう大阪へアート紀行

    昨日は昼まで、やんわり篭ってじんわり製作した後、
    搬出前に大阪をぶらりと巡る事に〜。
    中崎のいつも駐車しているパーキングが満杯だったので
    谷町線から少し離れた無人駐車場にマイカーを駐車。
    そこから地下鉄乗り継ぎ、心斎橋までゆく事に。
    ロフトやらハンズで画材を物色するも
    肝心のリキテックスが置いてなく、断念、無念ー。
    休日は人の活気と密度に
    圧倒、むしくは圧迫されそうになりますねー、うん。

    アートマーケットに出展されてた
    イラストレーター乾さんの
    勇ましき勇士と煌びやかな姿を垣間見てきました〜^−^
    なんだか土木作業員みたくコート着込んで似顔絵描きを
    忙しくしている姿見て..思わずニンマリしつつ、ひっきりなしに
    多忙で大変そうでした。順番待ちの列が出来ている上、
    一人描き終わるまで30分間、丁寧に凝って
    描いてくれる水彩的淡い、ほのかなトーンの効いた似顔絵なんです♪
    完成後は木枠の額へと入れて貰えるので、ずっとインテリアとして
    末永く飾りつける事が出来るという優れモノ^お^
    これがとてもとても、毎回大盛況なのだと。

    しばし様子眺めている内に
    店をたたむ時間が来て、似顔絵を今回は描いて
    もらえませんでしたー^^とりあえずせっかく来訪したので
    いろいろ片付けの合間、お話たくさんとして貰いました♪
    似顔絵やらポストカード、絵本の売り上げが
    驚異的で..これだけで生活出来るのでは!?ってくらい
    稼げているんだよなぁ〜。
    売り上げ安定した黒字に乗せ、お金を還元させれるとこは
    これを生業糧にして生計立ててはる作家さんのプロ根性というか、
    ただならぬ凄さを実感させていただきましたよ、うん。

    普段はとても陽気でほんわか愛嬌一杯で楽しく弾ませ会話出来る、
    素敵.大切なアート仲間なんだけど、
    フリーランスとして
    生活をこれで築き上げてゆけるたくましさや、
    根底に宿る芯の強さだとか、気迫めいた厳しさなんかも、
    この人の持つ魅力であって、見習いたかったり、
    尊敬すべきとこなのだと、
    現場を通して実感いたしました。
    僕も自分なりに築き上げた成果を、少しずつだけど
    胸を張って報告出来る様、日々頑張りますわ、ありがとう^^

    そんなこんなでその後は昨日も描いた様に、
    まがたま搬出が無事終わり、帰路に着くことが出来ました。

    製作の方は大分今回もあれこれ遠回り道しながら、後もうちょいで
    完成しそうな..感じがいたします。今年に入って自分の描き出したい
    ビジュアルがより明快でクリアーに見えてきた様に
    思えるのですが、それの成果はこれから出来てくる
    作品の結果によってしか見えてこないので、半年先の
    楽しみにとっておく事にいたしますかね

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  • 作品の更新.インプット.アウトプットの連鎖

    ここ最近、画面に対しての一歩踏み進んだ
    気付きが芽生える。それに対しての注意力、脳内意識へと神経傾け、
    描きたいイメージソースに歩みが
    少しだけ増した様な気がするのだ。

    動物図像はあくまで自然物の一部であって、それを
    取り巻く様に摩訶不思議世界が響きあい、
    共生、共存していると以前に書き記したけど。
    現在、ここからさらに一歩踏み込んだ所で
    図像を転がし揺り動かそうと奮闘している様に思う。

    つまり彼らを自然物の一部分として融合させた後、そこから
    形態を変化させ、動物とそれを取り巻くイメージ図像の
    境界線に融解が生まれ、ボーダーラインを消去するという
    感じなのかもね。アニマル達のシンボライズされた形態が自然物の
    造形図像へと転化しながら移ろいでゆく。
    生命とはこの世に生を受けたその時点から消滅する方角へと
    日々歩みを進めていってるのだよ。
    動物の手足や頭、胴体は、いずれこの惑星の栄養素となり
    分解し、サルベージされゆく。
    過ぎ去りし生命から新たな火種が息吹を上げ産まれいずるのだ。
    そんな命の灯火リレーが受け継がれし
    大きな刻の流れのほんの一部分をキャンバスに描き記した形で
    表現出来ればと思っている。

    ○インプット.アウトプットの連鎖および連続
    そんなこんなで、この現世では日々、自分の身近な周りの事象で
    様々な事が眼前を通りし、過ぎ去ってゆく。
    過去に蓄積された膨大な情報から、現在目の前で捉え上げる事が
    可能な限りの出来うる情報を
    隅々まで満遍なく拾い上げ、自身の脳内へと
    転写させてゆくのだ。知らない事を知れる事、むしくは
    学ぶと言う行いは僕にとって至極ありがたい事で、
    興味や探究心、冒険心を絶えず擽ってくれる。
    自身のちっぽけな狭められた視界では気付く事が出来なった
    英知だとか、曇って遮られたミストなモヤモヤした視界に
    一寸の光を差し込ませてくれて、
    今いる場所よりもほんの少しだけ広い視野を
    手に入れる事が出来ると思うんだ。

    しかし、ただ耳や目へと入ってきた
    情報を淡々惰性的に放り込み、取り込むだけでは駄目なんだ。
    それに対して自分なりの解釈だとか、自身に対しての
    物事の捉え方とじっくり照らし合わせ
    噛み砕き、開かれた脳内の外側へと吐き出してゆく過程が
    インプットしてからアウトプットへと導き結びつかすため
    重要な行為なのではと考える。

    日々人は変化を促し
    心も身体も毎日洗い拭われ、更新されてゆく。
    同じ場所に留まれないし、居座れないのが生物の定めなのだ。
    永遠に存在し続けるモノなどこの世に存在しないから。
    去年から今年にかけ、ほんの些細な心境変化に対し
    時に打ち震え歓喜し、
    ある時は絶望の淵を彷徨ったりを悶々と繰り返す。

    とにもかくにも、目の前に置かれた試練を、
    出来うる限り、取り乱す事無く、直向に取り組んでいきたく
    思う、今日この頃なのでありました。

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  • かいじゅうたちのいるところレビュー

    http://wwws.warnerbros.co.jp/wherethewildthingsare/
    原作絵本はしっかり読んだ事無いのですが、
    世界中で愛されてる名作絵本らしいですねー。

    なんだか、かいじゅう達と主人公の少年を介して
    無邪気な気分に陥ってみたりするかと思えば、それとは相反した
    邪険でいじわるな感情が
    ムクムク痛々しく伝達してきたりと。
    純真なだけじゃないし、いられない、ドロドロした渦の感情と感情が
    ぶつかりあったり。互い分かち合えない壁によって近かったであろう
    距離に溝が出来たりと。

    少年は母親と夜中、口論となり家を飛び出すのです。
    暗い夜道をひたすら走り抜け、森の中を一直線に吼えながら
    突っ切り、海辺に浮かぶ小さなマスト張った船で
    遥か遠く彼方の島へと旅出つんですね、うん。

    やっとこさ辿り着いたのは
    かいじゅうたちが日々喧嘩に明け暮れ暮らす島だった。

    少年は自身の事を王様だと嘘をつき称して、彼らを手懐け
    島では泥投げゲームに勤しんだり、島の中心に
    シンボリックな集落を建設させる事に。

    かいじゅう達の性質はそれぞれ一癖ある連中ばかりで。
    嫌味たらしく、愚痴愚痴しゃべりたがるかいじゅうだとか、
    強気な態度を誇示するかいじゅう、
    やさしい性質なモノや弱気な性格のかいじゅうなど
    多種多様、いろいろなんです〜。

    そんな彼等と苦難やハプニングを幾多も乗り越え、
    この島からホームへと帰る頃に
    少年の心は来る前には無かった
    心境変化が芽生えてくるんだと思うんよね。

    家の周りで起こる対人関係は何処かさえなくて、
    自分に根気が足りなく
    投げやりでぎこちない感じの
    生活ライフを毎日送っていた不甲斐なき自身に
    ピリオドが打てたと思うんだ。

    時間軸は冒険に繰り出す夜へと舞い戻っていて、
    逆行して飛び出した家へとフードに身を包んだ少年は
    一目散母の元まで駆け込んで抱擁し合うラストで
    この物語の幕が下りる事となる。

    物語を通して思ったのは少年が親から日々与えてもらう恩恵的な
    大人の視点に立ち、かいじゅう達と触れ合う事で
    自身の至ら無さを苦おしく実感出来、気付けたんだと思うのだ。
    かいじゅう達は言ってしまえば、少年自身が普段抱え持つ
    甘えだとかずるさ、負の心の結晶なんかを
    彼等通して自身へと写し出す手鏡として捉え、
    じわじわと受け入れる事が出来た様に思うのだ

    映画を通して流れる緩やかな揺り篭的な心地良さを
    誘発させるサウンドメロディーも個人的にはとても印象強かったです。

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  • 5人目のグループアーティスト

    http://cocoa-cafe.biz/art/pentel_kekka.html
    スリッチアートボールペンコンテストたる
    コンクールで「Cell-D Co.LaBo」賞を獲った
    今年幸先から勢い乗ってる
    元気ハツラツちびっこ小人マスタード戦士が
    待望5人目のシェアブースメンバーに決定いたしまちた
    躍動感ある線画が、豪快かつ生き生きと
    縦横無尽に弾け飛び、精神の深く鳴り響く森へと
    ギフトさせ木霊させる図像を描かれる人でござるでおさる!

    そんなこんなで後は、打ち合わせと言う名のしゃべくりトーク
    座談会を何回かに渡り、ドリンクバー一杯でとことん
    粘り狂う、フリードリンク&フリートーク喉が枯れ果てるまで!を
    開催いたしたく思う所存なので、何卒よろしくナリタブライアン

    製作日記
    水を塗してだかどうかは定かでありませんが黒い線を
    引きつめたボールペンラインが
    今日見たら、青く変色していまして!?あららのらぁぁ..でござる。

    もうボールペンは嫌だぁぁ...と半ば開き直って
    乱雑に敷き詰めたラインをチタニュームホワイトで
    えっちら、よっちら描き消してゆきましたとさ。
    遠回りしたボールペン跡から絵の具で描き込み
    再度引き伸ばしてゆきました。
    今日の時点で大まかな全体図像の仕込みを
    終える事が出来てよかった。疲労感が体に重くノシリと
    圧し掛かり、天井へと仰向け寝転がり、薄灯りの電球を
    しばしぼんやり眺めておりました。

    そうなのだ、人や動物達も自然物の一部分の風景であって
    いずれは朽ち果て滅び去ってゆくのだ、跡形も無くね。
    これから謳歌して雄大に咲き誇る花の横で
    最後の微かな息を振り絞った後、
    この星の一部分となり、土へと還りし花が同時刻に存在するのだよ。
    有機的な営みの中で生命のソウルを灯しながら
    拡張や発展、停滞や後退、生と死を繰り返しながら
    永遠と続く生命の賛歌は語り継がれてゆくのだ、
    何世代先もの遥か未来へと。

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