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2010/06/26
今日は天気が思わしくなくて、
カミキリ虫が網戸に緊急避難してきた様です。
この季節、天候があまりよろしく無いので昆虫達もなにかしらと
気苦労が絶えませんね。網戸に張り付いているカミキリを
しばし、じっと眺めていたのです。龍の髭の様な、しなやかでいて
自身の身体の大きさよりも少しばかし長目な感じの
立派な触手を誇らしげに靡かせ、蠢いている姿が
とてもかっこよろしかったんです。そして思ったのですが、
このカミキリのチャーミングポイントは、なんといっても、
この伸びやかで、ウネウネ動き回る機動力豊かそうな
触手にあるよなぁーって思ったんです、うん。
虫に限定して例えると、
それぞれ、真っ先にシンボライズされる特徴的な
目印が脳裏に印象として、くっきり残りますよね。
ノコギリクワガタだと、ギザギザした無数に連なる鋭利な歯だったり、
かぶと虫の場合だと、戦車の様な
分厚く固い装甲盤の様な頑丈ボディーであったり、
カナブンなんかだと、ピカピカした光沢感浮き立つ
神々しい宝石の様な緑色の背中だったりと。
各自が、おのおのの、中心的な位置ずけとなる
目印が特徴として全面に押し出ている気がする。
アート表現においても、得意とする技法であったり
代表的な題材がまず第一に鑑賞者へとチャームポイントとして
色濃く刷り込まれ覚えられてる様に思う。これは絵描きを志す上で
逃れられない宿命として捉え、真っ向から受け取りながら、
その上で自身はどういった道筋に立ち、舵取りしてゆきたいのか、
個人、個人が決定してゆくべきである様に思う。
自分の十八番、つまり代表格となる画題や方法論を中心に据え
それを繰り返し描きながら、そこを第一の軸として覚えてもらうのか。
はたまたそれを脱却する形で新たなテーマや型を築き上げ、
同じ様な高みの頂きにまで引っ張り上げ、横並び追いつかせるのか。
僕の場合、後者のいろんな型、いくつもの題材に挑戦しながら、
変幻自在描いたスタイルやモチーフを同じくらいの
きっちり揃えられたレベルまで並べられたら、
この上無く、至極幸いな事だと思っている。
つまりチャームポイントは鑑賞者それぞれに
偏らず、ばらついて分かれてくれれば良いよなぁー..と思っていて。
つまりAさんから見たチャーミングポイントと
BさんCさんから見たチャーミングポイントは、
ずれてくれている方が、絵師としてやりがい、むしくは張り合いあって
情熱の灯火がメラメラとエキサイトしてくるのだ。
一つの絵に人気が一極集中するより、全体的好みにばらつきがあって、
いろんな箇所から声が鳴り響いて聞こえてくる方が
健全的でいいよね。これは多人数で参加する企画展の場合だって
同様に言える様に思う。一つの突出した作家に人気が
固まるのではなくて、多方面に好みが分かれて、
それぞれにお気に入りの、これぞと
言える一点が分岐される方が展示会としては広がり帯びた
面白味匂わせて素敵な感じするのだ。
新作はシマリスになりそこねた恐竜&はしゃぎ過ぎたカエル達。
7月末までは、小っこい作品群を中心に
製作する毎日が続いてゆきそうですー。
アートスペース亜蛮人|三周年記念.亜蛮人パンダン展
2010.6.25「金」〜7.6「火」
水木定休日 14時〜21時 「最終日16時迄」
ちなみに6月26.27と7月3.4の六時くらいから交流会があります。
http://www.aband.jp/
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2010/06/24
明日から二週間、日本橋にあるアートスペース亜蛮人の
創設三周年記念企画展に作品を一点ばかし
出しておりますー。かなりかわゆい、ふんわりライトな仕上がりの
作品になっておりますので、清くて可憐でお美しい女性の方に
オススメの逸品でございますよぉっと^−0^
アートスペース亜蛮人|三周年記念.亜蛮人パンダン展
2010.6.25「金」〜7.6「火」
水木定休日 14時〜21時 「最終日16時迄」
ちなみに6月26.27と7月3.4の六時くらいから交流会があります。
http://www.aband.jp/
↑画像は大分、昔に描いた未発表お蔵入りの旧作。
作品タイトル、日傘キノコなタートル、夕暮れ帰宅時刻。
過去に描いた多くの作品を押入れから引っ張り出してきて、
片っ端から塗りつぶしリセットさせ新たな図像に
生まれ変わらせ発表している最近。だけど今回の絵は
自分の中で奇怪で珍奇な匂いが、どことなく気に入ったので、
近々、展示会場で発表できる機会あれば
出してみたいなぁー..と思ってる作品なんです。
う〜ん、作品の良し悪しを自分のみで判断するのって
至極難しいですよね。一番健全なのは自身が
すごく気に入っていて、なおかつ鑑賞者からも
もっぱら評判高いのが、理想的ではあるんだろうけどね。
けれど、作品発表する面白さって、自分だけでは判断出来ない
範囲外でいろんな声が木霊する所に展示する時の醍醐味が
ある様に思う。飾りつけて、お披露目する事で
声が一人歩きを始めて、一枚の絵を通し、
様々な捉え方や絵に対しての見解.賛否が
飛び交うのだ。他者の声を聞いていると
自分が思っても見なかった図像に対しての見え方だったり、
その作品に対して、自身すら意識してなかった
無意識上に埋もれていた、思想や想いの丈とかまで、
赤裸々読み取ってくれたりする場合だってあるから。
発表する前、自身が図像に思い抱いていた一人称の見解から
展示スペースで展示させ、多くの声を作品に縫い合わさせる事で、
作品世界に新たな思想や振り子幅がレパートリー広げて加味される。
そうする事で自分が一人称立って自己評価下していた時から
随分見え方が違ってきている事に、多々気付く事があるのだ。
反省点がクリアーかつ如実に見えたりとか。思ってたよりも周りが
気に入ってくれたりした場合なんか展示が終わって
手元に戻ってきた時、図像に
ほんの少しだけ、背伸び出来る誇らしい自信や勇気芽生えて
きたり。自分が思ってたよりも悪くは無いんだなぁ..って
出展するの臆していた気持ちが薄らいで和らぐ様な、そんな感じ。
しかし逆のパターンだってある。誇らし気に見せた
作品が周りから、けちょんけちょんに酷評されたら逆に
発表した時よりも自身のその絵に対しての自己評価が揺らぎ、
疑いの目を向けてしまったり、どんな所が非難の対象に
なっているのかを深く考え、反省したりもするのだ。
やはり図像表現を常に揺さぶり変化させ続けてゆくには
他のアーティストと作品発表を共演したり、現代に息づく
多くの作家作品を随時じっくり眺め、観覧し続けてゆきながら
自身と照らし合わせ考察してゆく必要があるように思うなぁ、うん。
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2010/06/23
音楽をイヤホンやスピーカーを通し、耳に聞き入る。
一つの音源が始まって終わりを告げる。
聞く前と聞く後では、立ち広がる景色の視点が、
ちょっこっとばかし揺り動いている様に思う。
少しだけ心に背負った重たい荷物が紐解かれる様な。
乾いた状態の心が、ちょびっとばかし潤って
落ち着いた気分になったり、緊張感削ぎ落とされる様な。
音楽を耳に流し込む事で、ほんの1サジだけれど
心が豊かになる、気持ちが楽になる、そんな気がする。
各自がそれぞれに見合った自身にピッタリ息の合う音源を
脳内へとインストールする事で、聞く前には感じる事出来なかった
感覚を、飲み込み受信させながら、
ジンワリお風呂に浸かった様な
気分で味わっているのではないだろうか。
これは視覚と聴覚において、出し入れする箇所は違えど、
美術表現においても同じ共通項が当て嵌められる様に思う。
それぞれが、目一杯惚れ込み、心底陶酔出来る、そんな
とびっきりな一枚の名画と巡り合う。
見る前には何気に淡々と過ごしていたり、
表情が冴えない感じだった状態から
一気に開放され、一点の木漏れ日が自身へと
降り注ぎ、照射されるみたいな高揚感が舞い降りてくるのだ。
その図像と自分が出会いたもうた事で、出会う前には
体感出来なかった世界を、その絵がそこへと連れ出し導いてくれる。
日常の中に潜みし非日常的なキラリとした、眩くも儚い様な光景。
自分には到底、発見する事が出来なかった
崇高なる感性の灯火。その世界へと、
そこに住まいし暮らす住人が
自身の手を引っ張っりながら、そそくさ連れ出し、
眼前へと立ち登る風景なって
見せつけてくれるのだ。それは音楽やビジュアル表現の
両者において共通して言える事ではないだろうか。
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2010/06/22
映画.告白を断念して..アイアンマン2を
代わりに観覧いたしました〜「笑」
しかも前作アイアンマン見ずに..今回の二作目から
いきなり突入してしまった感じでございます〜。
映画冒頭の記者会見で、自身がアイアンマンである事を
民衆に発表して、物語は封切られるんです。
放出する様な漲るパワーの代償として
自分の体内に毒素が少しずつ蓄積.溜まってゆく諸刃の刃な
ボディースーツを身に纏い
悪い奴と戦い続けてゆくんですが..。
政府側にボディースーツを
没収されそうになったり、同じ型をベースに構えた悪党が
F1レースに颯爽乗り込んできて
鞭の様なレーザーソードでF1カーを
真っ二つにぶったぎったりと..。
序盤から暗雲漂う感じでダークサイドへと引き寄せられて
ゆく感じでしたが、ラストは相棒のメタリックな
鋼鉄スーツを着込んだアイアンマンと共に
無人ロボットや悪の要を、木っ端微塵ズタボロに
やっつけてゆくという、お約束の内容でござりました。
拙者が、こういった典型的ハリウッドのヒーロー映画に
求めているのは、事前に決まりきった
パターンをストレートかつ単純.爽快に
味わいたい心境なんだと思っておりまして。
画面一杯に爆煙がモクモク燃え広がったり、
ヒーローとヒールがスクリーンで揉みくちゃに
泥仕合繰り広げながら、爽快に暴れまくったり、
スリリングな目にも止まらぬ銃撃戦に息を呑んだりとか^^
要するに時代劇でいう所のラストシーンで
主役がズバズバと敵方の侍を待ってましたー、な感じで
斬りつけてゆく様な
単純明快で刹那に切り取られたその場その場の
速乾的なエキサイトをソウルフルに楽しんでいる様なね。
つまり一時的な心地良さに身を委ねている感じがするのです。
決して後々響き残る様な深みや影響力は無いんだけど、
受動的な状態に身を浸し、
ビジュアルを一方的流れの川から掬い上げ、
飲み干す様な感じなんです。
さてさて、奈良県立美術館では現代中国の美術展が
来月4日まで開催されております。
一見、日本でいう所の日展や院展などの類に近い。
きっちりと骨組みを
画面に取り入れた写実上に現代的な思想を
導き出してる感じ。それらが館内全土に
覆いつくされ飾られておりました。
多くの絵画作品からは、事前に構えて作られた表情や
仕草などのポーズ絵柄が印象的でしたね。
集団や群集で群がり、何かを成し遂げる時の凄まじき光景を
描いた作品からは中国パワーを
髣髴させるお国柄が満開している様でした。
大きな地震で建物が
バラバラに倒壊した瓦礫の上には、真っさらピカピカの
ランドセルや時計、開けられたままで突き刺さった筆箱、
血のりがベッタリ纏わりついた領収書などが
瓦礫中央に配置された二面的時間軸を連想させる作品。
それが特に一番印象残っております。
止まってしまって、もうそれ以上の刻をその者と共に
刻む事出来ない、誰かが身に付けていた日用品。
そこから新たなる再出発を
余儀なくされる人々。生命の破壊と再生が
まがまがしくも歪でいて、無常延々と繋がってゆく世界を、
この作品を通して、まざまざと垣間見た気がいたしましたね、うん。
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2010/06/21
今日はボールペンで携帯感覚にサラリと
20分くらいで描き上げました。技法や画材をシフトさせる形で
揺り動かしつつ、画面を展開してゆきたいですねー。
多角的切り口を最終的には
一個の画面に統合、淘汰させてゆく様な。
広がり幅存分に効かせつつ、
自分色を画面から滲ませ醸し出してゆけれれば幸いであります。
告白を見ようか..見まいか..悩んでおります..。
なんだか映画の内容がネチネチ陰湿そうで痛々しい
予感するんだよねー。
勇気を振り絞って見る覚悟が必要だな。
奈良県立美術館で現代中国美術展が
開催されてるみたいなのですー。こちらは何としてでも
行かないとゆきません。アートを国力として
導入している中国美術の恐るべき魔道底力を
目の当たりいたしたい感じでございます。
徹夜で騒ぎすぎた疲れが..未だ身体に残っているみたいで
だるくて、眠くて、力入んないです〜「苦笑」
いやぁ..しかし神がかった面白さがあの空間にはあったと思う。
最近は小品メインに製作立て続けしていたので
そろそろ大きめサイズに筆をガシュリと入魂
いたしたい心境でございますのよ。
絵の具を大量に投下しながら、パワフルに画面盛り上げて
ゆきたいと思いますー。
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2010/06/20
いやはや、朝帰りの5時前始発時間な感じだった昨日。
19日は個展搬出手伝いや自身の企画公募展搬入だとか
ルノアール見ようと国立行ったら長蛇の隊列で断念いたしたり。
アート仲間の展示観たり、この世の最果て中百舌鳥まで
車を走らせたりと、濃度たっぷり分刻みうどんな感じでした!
心配していたザザブリ雨の方も、一時的にザザザな感じでしたが、
搬出.搬入時にはポツポツした状態まで緩んで
無事作品を納品&撤収いたす事となりました^^
中百舌鳥のサイゼリアで毎度お馴染みの
タクマ氏.タカ氏の両巨匠画伯達に恐縮囲まれながら
相変わらずテンポでしゃべ栗.しゃべ栗〜。
最初、店を入ってから一時間ほど、オーダー注文せずに
ひたすらおしゃべりしていたのには、
後から思い返せば、苦笑いな感じでしたけど..。
そんな感じで四時間ちょい、閉店で最後の客にポツンとなるまで
ひたすら爆笑ならぬ失笑トーク繰り広げ、
悲鳴や甲高いがなり声を店内に
けたたましく密林に住まう鳥の如く鳴り響かせながら、
しゃべ栗サイゼリア会議はお開き、幕を降ろしてゆきまちた^−^
↑画像の新作は南国トロピカルマンゴーに群がる
いたずらファンタジスタ旺盛なアラクレバシリスク達。
夏の季節をイメージしたサムホール作品を
堺アートワールド2010へと投稿いたしたいと思います^−^
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2010/06/18
月に何点、期日までに仕上げて、価格設定はこのくらいで〜..。
そつなく出来そうだと一見思っていても
実はこれが非常に難しくて、容量得ないんだな。
なんだかんだ言ったって
自身はあまりに制約された決まり事を厳しく
突きつけられると、それに相応出来るスキルで
応答出来ない様なのだ。いわゆる自虐的で自身を
とことん追い込み、痛めつけながら、それをバネに跳ね登り、
底上げしてゆく事が至極に困難な絵描きタイプの様に思うのだ。
今回の展示で見せたい全体像は?..と聞かれたり、今回の
自身が突き詰めたコンセプトはどう言ったモノなのか..と
言われたら、僕の作品に、そもそもコンセプトたるモノなど
存在しないんだと、即答するだろう。日々頭に描きたいビジュアルを
感覚頼りに手繰り寄せ、日々イメージの片鱗を
一つ一つ画面へと引き寄せながら、描き表してゆくのだ。
1日1画、それの断片集積末に作品は全体的輪郭を立ちあがらせ
コンプリートされてゆくんだと考えている。
なので個展が決まれば、その日からよーいドン〜のスタートを
即座に切って始まり、ただマイペースに黙々イメージダイビング
しながら随時その都度、作り上げてゆく。
展示空間に合わせたレイアウトに
添って作品サイズを考慮するなんて事は、ほとんどと
いっていいほど無い様に思う。期日前に出揃った作品が
出来て初めて、空間プランを練り合わせ、開始されるのだ。
作品コンペの時だってそう。それの公募に向け目標添えて
描き出すって意識は皆無に等しくて。自信を持って
これを出したいと思ったのを、今まで描いた中から新旧問わず
照らし合わせエントリーする様な形を
いつも取っている。なので出来立てホヤホヤの最新作より
旧作の出来具合の方が良ければ、迷うこと無く
そっちを戦場へと背中押しながら送り込むのだ。
手軽に参加出来る多人数企画公募の時でも自分は
直前まで、どの作品をその展示場に送り出そうか、
決めかね迷っている感じなのだ。
好き勝手気の向くままに描いた、いくつかある
作品の中からチョイス.淘汰してゆく。
当初これをあの場所へ放り込み飾りつけようと決めかねていても、
その後それよりも、こちらの作品の方が
飾りたいよなぁーと思える作品が仕上がった場合、
そちらに急遽変更させ、エントリーするなんて事は
ざらにあったりするのだ。ランダムでアバウトかつ大雑把な
性格気質が、作家活動してゆく過程で
フリーダム奔放スタイルへと形成していった様に思う。
なので今回7月に参加する亜蛮人パンダン展、
ササラサラ、おんさ企画展のどれもが
当初ディスプレーしようと考えてた展示作品と
違った作品へと移行していった感じなのだ。
パンダン展に出すのをササラサラに移動。堺アートワールドの
小品を急遽、亜蛮人パンダン展に変更。そして当初安定した
図柄の旧作をイトヘンに出そうと目下検討していたのだが、
最近出来たひややか透き通った空気感の作品を
鳴り響かせたい衝動に駆られ、そちらの方へと
出展作品をシフトさせていった感じなのだ。
そう、自分自身は本能的な閃きがまず第一に
身体全体を付く動かし、後の言葉とか
計画、実行プランなどの理論は、感覚的な揺らめきを
より具体的な実りある形へと肉付けさせるため必要な
第二のエレメントに相応するものだろうからね、うん。
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2010/06/17
頭に思い描いた事柄イメージや
文章に書き記した計画、平面的な薄っぺらい紙に
書き起こした予定や予測、言葉に言い表し
言い放った言霊を奥行きと広がりが無制限に連なる
荒野の様な現実世界に置き添え
具現化さしてゆく。あくまで自身が頭に想い描いたプランは
とめどなくて..今一つ図り知りえない、
空論上の産物であると思うのだ。空想上の絵空事、むしくは
卓上の空論、それを具現化させて
現実世界へと練り上げ構築させ、イメージプランを
引っ張り出し実行させる事で
それは初めて具体的な形となって意味を成すのだと思う。
今月はあの場所とあの空間やあの土地に訪れてみようとか、今度は
あの人との距離間を、拙く奇麗事だけの上辺言葉だけでは無くて
一つの実効的な行動で誠意指し示し、信頼を得ようとか、
いろいろ最近は特に考えているわけなのであります。
これはあくまで自身が良かれと思い行動へと結びつけた
一つの個人的な提案であるから、それがネガと出るか
ポジとして突き動くかは、絶対的な保障なんて出来ないし、
実行者の自分にすら予想だにしえない事態が
巻き起こる場合だって充分ありうると思うのだ。
それでも一つの行動が指し示すイメージ上の事柄を
きっちりと現実世界に置き換え、痕跡刻みつけることに
意義や価値がおおいにあるのではないだろうか。
今まで培ってきた直感と経験を頼りにさせながら
臆せず怯まず、ログポースを揺り動かしてみよう〜。
2010年後半、自己実現させたい計画はたくさん目一杯
待ち構えているのだ。それを一つ一つ紐解いていって
現実ワールドへときっちりと目に見える形で
落とし込み還元させたい今日この頃であります。ぼやっと突っ立て
いれば一年はあっという間に過ぎ去ってゆくのだ。
常に頭をスピード駆け巡らし回転させながら、
瞬発的な速度で卓上の空論を実行、実現させ、こなしてゆこうかー。
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2010/06/16
今週観た断然一押しな二つのハイパー展示会を紹介。
..と言っても植田正治の方は
先週の日曜すでに会期終了しておりますが..笑^−0^
まずは京都駅ビルで3日前まで開催していた
植田正治の写真展をレビューいたしたいと思います。
この人の撮影する写真はいわゆる創作写真。つまり絵画の様に
人物やモノを意図的に配置しながら魅せるフォトなのです。
広大な敷地が織り成す、広々とした鳥取砂丘を舞台に
傘を持った人物達が手前から奥の方の砂丘まで
ピタリと静止したみたいな状態でポーズ決め込んで
おりました。現実世界の中に住まいし何気ない
日常に垣間見えるライフ生活の匂いだとか色や形。
何処か現実世界から少しずらした様な視点で
登場する人物達。いつの時代にも存在するであろう人間臭い
立ち振る舞いや何気に見せた優し気な動作や
さり気無く置かれた気遣いなどに、思わず笑みが
ホロリこぼれ落ちた感じいたしました。
海辺の壁面の上では着物を着た、ちゃっかり者の母親の隣には、
包帯を腕に巻きつけた少年。
しょんぼりしょ気くれた少年の横脇には
母親が作ってくれたであろうお弁当箱が布に包まれ
画面端の方にちょこんと柔らかく添えられているのです。
レビュー二本目は滋賀県立近代美術館で開催されている
超絶絵本.ドゥシャン.カーライの展覧会を紹介いたします。
こちらの方も、格別にすごかった..。
今年見た展示で一番に入るベストではないかと..、というより
これを越える展示に今年巡り合えるんだろうか..ってくらい
突き抜けておりました!是非お時間作って観に行ってほしい
オススメ展示会です!!今月27日までなので、もう一度
滋賀県立美術館まで赴きたいと思います〜^^
僕は美術館でよっぽどの事が無いと画集買わない部類なのですが、
観た後、即効買いました!
年に一回くらいのペースでは買っておるのですが、
やはり原画に勝るモノは無いし、実物のイメージを記憶に
鮮明焼き付けて終わりたいというポリシーあるのですが、
今回は特別でして。なんというか、もうなんとしてでも、
このイメージを印刷物であってもいいから、切り取って、
自宅へと持ち帰りたかったのです。後はミーハー的な要素も
あると思いますけど「笑」こんな凄い図像描き表せる
作家の絵を見た!、という事柄を画集介してこの作家知らない
仲間とイメージ少しでもよいので
共有させ、味わってほしいんですよ、うん。
僕が思うに良質な絵本っていうのは子供時代だけに
イメージを嗜んで終わるのではなくて、大人になってからも
存分に楽しめるモノだと思うのだ。成人してからも、
再度新たな発見や出会いがその本を通し深々と体験出来るんだと
思うんです。そこから拾い上げた教訓だとか自身の人生に
照らし合わせ考える事で、哀愁に浸ったり、
気分が高揚したり、冒険心くすぐられたり..。
心を豊かな音色で包み満たしてくれるのではないでしょうか。
少し陰りがかった、暗がり灯火浮き出した感じの
いじらし気な作品世界。鮮やかな色彩とそれを適度に曇らせた
冷んやり引き締まった身なりのする色味が自身とシンクロ
しやすい適度な体感温度を奏でているのも、とても魅力的でした。
古代都市や架空生物に
思いを馳せながら、何度も何度も凄いなぁ..と呟き繰り返しながら
長い間ドゥシャンカーライのイメージ図像と対話を
悦に侵食されながら魅入っておりました^^
そういえば..動物のネズミだけ、落ち着き気が無くて、
テンパッテ、歯をむき出しに悲鳴上げ叫んでいる姿は
なんとも滑稽でありましたけど^^
http://www.shiga-kinbi.jp/
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2010/06/16
今、外では..ものすごい降水量の雨がザァザァ
降りしきっておりますねー。今週はずっと天気
悪そうな予感いたしますよ。さてさて、おんさ展に
出す新作がようやく&無事完成いたしました^^
数年前に描いた鹿を塗りつぶして、背景たくさん
浮き出てた形達をさらに描き加えた後、塗りつぶす。
その上から青のトーンを敷き詰めつつ、所々、塗りつぶした形態が
ぼんやり見え隠れしている感じに仕立て上げました。
青い色調は雨季の季節の影響をモロに
受けている感じではありますが..。
かなり絵の具を重層的に塗り重ねているので
もう絵肌がゴツゴツした..クレーターみたいな臨界地点まで
到達している気がいたすのです。かなり凹凸がデコボコしており
最後は描きずらかったですが、無理くり、力技で捻じ伏せました。
テーマは響き。昔の作品の残り香を下地に残しつつ、
今の旬なるイメージを織り合わせました。
最近の作品は形態や色が最小限削ぎ落とされいる様で、
比較的シンプルな図像へとシフトしている感じなんです。
年齢と共に精神の心境だとか世界に対しての眼差し、捉え方が
おのずと変化の兆しを垣間見せてきますよね、うん。
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