川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • コトワザによる教訓

    良質なる作品鑑賞はお金と時間を押してでも
    むりくり必ず行くってのが
    僕のモットーでありポリシーでもあるのだ。

    良い映画は映画館で是が非でも見るべしだし、
    DVDになってから見ても作品の良さは半減しちゃうと思うんだな..。
    映画ってそもそも劇場の
    フルスクリーン用に投影される事を前提として作ってるわけだからさ。
    等身大に焼き付けられた
    イメージが醸し出す味わいや魅力ってのがすごくあって。
    DVDで良い作品に巡り合った時、その出来栄えが
    良ければ良いほど、
    映画館で見ればよかった..、劇場で見ればよかった..って
    後悔するんだな。

    レ.ミセラブルを今日昼から
    制作切り上げて行っただけの価値はやはりあったね。
    あの時代のフランスの舞台設計を
    よくぞここまで作り上げたなぁって、
    最初から最後までずっと打ち震えてたしさ「笑」
    美術館やギャラリーなどの定められた
    一定期間で開催される作品展にも、
    それは当てはまるし該当すると思うんだ。
    入場料なんて、たかが知れてて1000円くらいじゃない、平均したら。
    そこで見て感じた事柄が、自身の血肉となり一生の宝として
    蓄積さ残る様な良質な作品に出会えると考えたら、
    たかだか1000円なんて安いもんでしょ?^^
    つまり行って後悔する事より
    行かずに後悔する事の方がよっぽど性質が悪いし、
    取り返しつかない事をしてしまった気へと陥るんだな。
    例えばその展示会に行って
    内容いまいちで獲るモノがそんな無い様な
    損した感じを受けた展示会の場合だと、それを教訓として
    次は見合わせようって考えれるわけ。
    けれど、お金や時間の都合で
    今回は無理せず辞めようって諦めて、それが
    自分にとって大きな実りを与えてくれる
    自身にとって大変貴重な展示会だったとしたなら、
    後悔先に立たずって状態なってしまうよね..。
    なので、出向いて後悔する事を怖がるより、
    見合わせて行かずに後悔する事の方がよっぽど損だし、
    後々までずっと引きずりながら後悔する事なるよ、経験上ね(笑)

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  • 編集による見栄え

    どのイベントでもそうだけど、会期後
    ウェブサイトで結果レポートってしてるじゃないですか。
    あれ見てていつも思うのは、かなり編集かけてるなぁ、と言うか
    ピックアップを誇張してるとこはあるよね^^まぁ、どの催しでも
    悪い事とかネガな意見って紹介して書かないじゃない。
    けれど、これから出展を考えてる人達って
    イベントの両面が知りたいってのが根幹にあるわけで。

    YAJにしてもそうだし、芸祭やスパイラル、
    どれもWEBには成功例が大々的に取り上げられてて、
    運営するサイドの見せ方としては
    当然といわば当然なのかもしれないけど...。


    集客量が最も多く活気づいてる時の写真を
    大きく掲載してたり、
    受賞者のインタヴュー読んでて思うのは、
    そりゃあ賞貰ったんだから、このイベントは大変有意義で
    実りあって充実してて楽しかったって答えるコメントが
    ほぼ全般なわけでさ..。個人の成功した結果として
    提示された意見や感想じゃなくて、
    イベント全体として蓋を解放した全体的な流れがどうだった?って方が
    みんな聞きたいし知りたいわけでしょ?^^

    僕の場合、関西が住居だから、関東などの遠距離イベントって
    やはり一番情報として信憑性帯びてくるのは、実際現場を
    体験した人の声なんだよね。口コミで美味しいお店の評判が
    広がってゆくのが一番確かなのかもしれない。
    生の声が現実の風に乗って繋がり
    それが伝播しながら広がりを帯びてくるリアルな実在感があるから。
    自分がそのイベントを直に体感して
    成否を確かめるのも手立てではあるけど、まずは入念な下調べの
    リサーチ、口コミによる評判などから
    じっくり吟味して
    そこで初めてイベント参加する意志を
    固めてゆくのが手堅くて良いのではないだろうか?

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  • 作品コンセプトや題材Q&A

    六甲アートマーケットから、作品のコンセプトや
    主軸モチーフに何故キリンが多いのかなど、お客様に
    説明する時、必要となってくるので教えてほしいと
    連絡があったので、メールで黙々と書いてたら
    長文なったので、本日のブログの方にも
    使い回そうと思う所存でございます笑

    それでは作品の説明させていただきますね。

    制作する時に心がけてる事は、
    無理しすぎない事を常に意識しております。
    集中して長く絵を描き続けていると、
    絵の線や形.色合いに生きた味わいが
    次第に無くなってきます。
    なので、心地良いテンポやリズムで点や色を打つため、
    休憩はさみながら、適度な間をはかって絵筆を動かしてる感じです。
    瞬間的な爆発力が自身の持ち味だと思ってるので、
    短時間でも集中力と気力が充実してる状態で
    一気に画面を動かしながら展開していってる感じです。
    気力が無くなれば頃合いを見計らってじっくり休む、
    そして落ち着いた状態で
    また作業を再開する事の繰り返しを経由しながら
    作品が完成されてゆく感じです。

    そしてキリンがどの作品においても頻繁に登場するのには、
    明確な理由があります。
    一つは、まず好きだからと言うのが前提にあるのはもちろんですが、
    これは幼少期の記憶とリンクしてくる所があると思うんです。
    小さい頃の脳って
    柔らかで滑りある粘土みたいな感じだと思ってて、
    その頃に培われ印象に残った記憶や出来事が、
    大人になってからも大きな影響となり
    画面へと立ち現われてくると思うんです。
    小さい頃母親に連れられていった動物園で
    いつも[キリン、キリン!]と檻の前で
    叫びながら、はしゃいでたのを覚えております。

    動物は今も昔も全般に好きですが、
    幼少の頃の当時から特に思い入れがあったんだと考えております。

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  • 骨董屋みたいな

    アート仲間の蛇目さんが、神戸の、ぶぶりんどう、と言う
    一風変わった名前のギャラリーの
    取扱い作家をしていて
    彼に以前、そこへ案内してもらった事がある。

    三宮降りて、テクテクその周辺を歩いた近くの
    大通りから逸れた、
    少し分かりずらいビル二階にそこはあって。
    扉くぐって、垣間見た光景は衝撃的だったなぁ笑

    本来の僕がいつも通いつめてるギャラリーって
    ホワイトキューブな空間に作品が、ほど良い間隔で
    魅せられていて、適度な間が空間にインスタレーションとして
    存在しているのが頭に刷り込んいるんだ。
    そこも企画で個展してる作家は期間中、独立した部屋で
    展示してるのは、他と変わらないんだけど、その空間を
    除けは、ギャラリーは作品の山で埋め尽くされたみたいになってて。
    常設作家の作品が壁面スペースのありとあらゆる場所に
    ぎっちりと詰め込まれ、まるで骨董屋に来た様な
    気分に陥ったのを今でも鮮明に覚えている。

    物故作家の作品から
    今売り出しかけてる若手や
    大家の名画までアーティスティックで
    ファインアートな匂い漂う古風な作品が
    一堂に軒を連ねていた。
    後で上田さんから聞いたのだが、ギャラリーと言うのは
    本来はこう言う姿形をしていたんだよ、と教えてもらった。
    売る事に特化したスペースが
    こういった本来の企画画廊の姿なんだけど、
    戦後レンタルギャラリーが日本に普及し出して、
    現在ではめっきり骨董屋みたいな空気感漂わせている
    コテコテの企画画廊ってのは逆に珍しくなったのかもしれない。

    なんでも鑑定団のお宝発掘しにゆく様な感覚で
    そこらかしこに置かれたり掛けられてる作品を眺めるのも
    いつもとは違った楽しみ方出来るかもしれない。

    「この絵はいくつくらいの作家が描かれたんだろう?」とか、

    「掘り出し物みたいになってるけど、これからすごく価値が出てくる絵かもと」とか、

    「今の値段が安い内に手を出してモノにしてみるのもよいかも」みたいな、

    ギャラリー中に散乱している絵を通し自分自身が目利きなったみたいな
    本来とは少し違った目線で絵を鑑賞出来るかも。

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  • 柔軟なる方向転換

    大阪のコマーシャルギャラリーで
    女性しか雇わない
    企画ギャラリーが在って、関西の中では有名ですよね。
    当初僕は、単にそこのオーナーが
    女性好きなのかと思ってたんだけど「笑」
    けれど、女性しか雇い入れないのには
    やはりきっちりとした明確な理由がそこにはあってさ。

    男女間での脳内構造による相違ってやつかな。
    作家で女性作家の場合、例えばギャラリストが

    「前の方向性の方が良いのでは?」 

    「絵の背景に遊び心を、うんと取り入れましょう」

    「今の方向性で大丈夫だからこの作風で枚数重ねて」
    、などアドバイスを貰った時に短いサイクルで
    それに対応出来るのだ。つまり自身の築き上げた
    世界観に指摘受けたエッセンスを取り入れ、すぐに
    それが形として立ち現われてくる。
    つまり思考の切り替えが柔軟でいて柔らかい。

    これが男性アーティストの場合はと言わば、
    柔軟な思考切り替えがすごく苦手であって。
    己が街道を走り抜けてゆく系統の人が大多数で
    人の意見は一通り耳を傾けて聞きはするが、
    自身の世界観を頑なに守り通し、
    自分のイメージソースを
    忠実に貫き通す愚直さがある様に思う。

    「このスタイルにカラフルな色を付け加えてみたら?」

    「もっと描き込みに的を絞って、シンプルな形状で見せた方が良いよ」

    、なんて事を言われても、それを取り入れたりしない場合が多く、
    仮にやってみても、やはりこれは違うなぁと感じれば
    すぐに元在る自分のスタイルへと立ち戻る感じ。

    よく女性作家が早く出世する理由の一つは上記理由が
    例として挙げられる気がするのだ。ギャラリストは監督的な
    役割を時として担う事もしばしばあり、それに上手く順応し
    対応する能力が女の子は優れているんだなぁ。

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  • 感受性の宝箱

    感受性の泉の成長が止まるのは
    大体22.23才くらいだと言われている。
    つまり現在の地点で我々が感受性に刺激貰えた..なんて言うのは、
    それは23歳くらいまで培った感性の箱へと刺激が伝わり
    揺らいでいるのであって。
    感受性の箱に対し大人になってから
    どの様に上手くアレンジ、改良加えれるかは、
    培った技術であるとかノウハウや知識.経験、
    目利きにおける力量において
    精度上げながら研ぎ澄ましてゆけると思う。

    粘土は大人になり固くなってから、いくら水を加えようが
    すでに硬直凝固してしまっている。
    子供の柔らかくヌメヌメしていた泥濘の時に、
    感性の宝箱は育てられ、そこで全て決定ずけられるんだ。

    絵に指し記されてるモチーフが
    幼少期に培われ構築されて、育まれてきたのを認識した上で
    それぞれが幼少期..幼年期をキーワードに
    時間を遡りルーツを辿ってゆくと、新たなる気付きに気付けるだろう。

    僕の今現在立ち現われてるモチーフは生物が
    主流だが、僕の場合、やはり幼年期に生き物と近い距離で
    接していたのが、幼年期の頃、柔らかく柔軟だった脳に
    大きな影響を与えていたんだと思う。

    鶏に亀、犬やウサギ.魚、昆虫、ザリガニなど
    実際に飼育していて一緒に時を長く過ごした事が
    現在のイメージソースのベース基盤として色濃く宿っているんだろうな。
    ルーツを紐解きながら探りをかけてゆく事は
    自身が描くイメージの概念をより明確に開けてくれるし、
    自分の足場にある根っこをより深く地中へと張り巡らさせ
    足場を安定させる事へと繋がってゆくと思うんだ。

    さて、今日も幼少期培った感受性の宝箱に
    スパイスを振りかけながら制作してゆくかね。

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  • アート模様いろいろ^^

    このアート業界は摩訶不思議でいて奇々怪々なんだよね〜。
    つまり異質でいて特殊な部類へと
    分類.カテゴライズされるんだと思うのだ。
    作家.ギャラリスト共に手持ちの資金が豊かでないので、「特に作家は」
    節約に節約を積み重ねながら上手くやりくりしてるわけで。

    作家の世界で、招待企画ってのがあるじゃない。
    お誘いは、無料で展示できるスペースを提供していただけるので
    出展料が作家側にはかからない。この事に関しては
    本当にありがたいけど、後は基本作家負担になるのだ。
    会場までかかる作品運送費や
    画材費用など作家負担で全てやりくりしないといけないから、
    経済的な立場上、作家が最も弱い立場になるわけ。

    他の業界なら、その場所までかかる運送費とか、材料費なんかが
    当然会社や企業から支給されるが、アートの世界では
    その辺りが作家負担なるのは、言ってしまえば
    ギャラリーサイドも、
    それを賄ってあげられるだけの資金力が無いと言えるからさ。
    この辺りはもう、仕方無い事で、作家サイドも十分理解.承知しているので
    画家以外の職業で生活費であるとか、その延長線上にある
    資金繰りを、そこから捻出出来た上で作家活動を邁進するしかないのだ。

    面白い話を作家仲間から聞いて、それがとても
    印章に残ったので紹介しよう。
    東京デザイナーズウィーク内で開催されるアート展示で
    昨年11月、東京に展示するため赴いたのだ。
    その開催期間に、
    近くの青山スパイラルでアートフェアが行われていて、
    それにもアート仲間は絵を出してて、
    打ち上げが青山の居酒屋であったんだって。
    この業界、打ち上げん時は、親玉のギャラリストが飯を出展している
    作家連に自腹切って奢るのが、しきたりみたいなっていて。
    青山で値段がすごく安くて美味しい食事を提供してくれる、
    かなり青山の中では庶民的な位置づけに入る
    お店があるらしくて。そこで打ち上げしてると、
    青山のアートフェアに出展していた、
    ギャラリスト達が次から次へと入ってきたらしくて「笑」
    周り見渡したら、アートフェア出てた
    ギャラリスト貸切の居酒屋みたいになってたみたいで「笑」
    みんなそこが一番金かかんないから自然と集まってきたんだろうね笑
    要するに普段、真っ黒なスーツに引き締まったネクタイをした
    ギャラリスト達も、椀飯振舞できる様な資金など
    持ち合わせていなくて、ギリギリの手持ち資金で
    数字と格闘しながら、運営しているのが実情なんだな。
    普段小奇麗なスーツに身を包んでアートフェアなどで
    優雅で落ち着いた口調で話す術はとても重要であってさ。
    彼らの相手するのは富裕層のお金持ちと相場が決まってるから、
    それに見合った身だしなみと、落ち着いて余裕のある口調で
    しゃべる事が前提になってくるんだと思う。仮に余裕が無くて、
    身だしなみが貧しい感じだったとしたらさ、富裕層に悪い印象しか
    与えられえず、絵なんか売れるわけないじゃない「笑」
    なんだかんだいって、このアート業界はお金で潤える業種じゃないので、
    ヤクザからは芸能みたく目をつけられず安心だけどねぇ^^

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  • 作家と恋愛事情

    江戸時代までの日本、つまり徳川幕府が終焉を迎えるまでの
    この国には身分制度ってのがあって。
    領主の元に武士が居て、商人、町人、漁師などが城下町で
    働いてて、農民が農業を営むって具合に
    それぞれの身分を全う遂行してたわけで。

    結婚とかも現代ではネットで相手を探し求めたり
    結婚相談所や、
    出会いをサポートする会社まで需要が出来る様な
    恋愛においての選択肢が無制限に据え広がった様に一見思える。

    江戸時代までは農民は農民、
    武士は武士、町人は町人って具合に
    同系色な身分での恋愛が絶対条件であったし、
    生まれた時から許嫁として、
    すでに結婚相手が決められてる時代でもあったんだ。

    では現代に立ち戻って、
    アーティスト、ここで主にピックアップして述べるのは
    絵描きの恋愛事情はどうか、と言うのを書き記そうと思う。

    近年、作家同士のカップルが増えているというのを
    数年前参加した、こみまる展のトークショーで話てたのを思い出す。
    僕もこの件に関しては、すごく納得..と言うか自然な流れだと
    思うし、何より絵描きを選んだ時点で他の職種についてる様な
    一般的な恋愛観とはかけ離れた所に位置するんだと思う。

    絵を一点描くためには、まずはそれなりにまとまった時間とお金を労する。
    これが作家と作家であれば、そんなの当たり前や!って
    至極当たり前の事すぎて、逆に怒られたりするかもしれない「笑」
    が、しかし、これが絵の世界とさほど深く関わり無い人の場合だと、
    どうだろうか?まずは絵には時間とお金が相当に
    かかる事から説明して理解を承諾してもらわないといけないし
    事細かに説明したからと言って必ず理解してくれるとは限らない。
    絵描き同士のカップルだとデートする時に良いのは
    一緒に居る時間も同じ目標に対して時間を費やせれるのが
    僕としては、すごく居心地良くて、とても助かるのだ。
    美術館やギャラリーなどをデートプランの主軸として組み込み、
    それが見終わった後は、ゆっくりとお茶したり、
    洋服選びやショッピングなどに繰り出すから、
    何かとバランスが取れてオフの日も収穫ありきで完全なるオフにならずに済むんだ。

    絵に対してもお互い進むべき目的が同じだから
    制作の合間を携帯の写メに撮影したのを送ったり、
    それを見て刺激受けて
    自分も今から取り組もうって気持ちが
    モチベーションとして内側から強く沸き立ってくるのだ。
    将来、一緒になって暮らす場合も、お互いにとって
    メリットが大きい。生活するためのお金を稼ぎながらの
    生活がまず基盤に在って、オフの日や仕事終わりの
    時間空いた時、制作する流れになる時、お互いが
    それに向かい取り組める。深くお互いの割いた時間に
    干渉し合わなくて済むしね。やるべき事をやってのけた
    最後に創作活動をやり遂げる所が通じ合えるから、
    その辺りもすごくありがたい。

    最後にあるリツイートで流れてきた文面が印象深かったので
    アレンジを多少加えながら引用して、文章を締めくくろうと思う。

    障害者を理解しないのはなぜか?それは障害者の友達が1人も居ないからだ。
    オタクを理解出来ないのは何故か?それはオタクの友達が周りに居ないからだ。
    なぜ芸術家を理解しようとしないのか?
    それは周囲の仲間に携わってる人が居ないからなんだ。

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  • 作家とソーシャルネットワークな時代

    ネットでの発信.発言力がいよいよ成熟度合を増して
    安定期を迎えつつある。
    今やソーシャルネットワークの中での
    情報収集や繋がりが日常的に極々当たり前な時代なってきたなぁ。

    小学生の頃は携帯で誰もメールしてなかったのが
    高校く生らいから携帯電話持つ率が徐々にあがってきて、
    ミクシーやツイーターなど
    仮想空間でリアルタイムな今を
    知る術がソーシャルメディアにより生まれてきて
    現在はフェイスブックが一番勢いがあり
    利用頻度が最も高く活気ずいていると思う。

    昔堅気の作家を多く見てきたが、
    彼らは逆にソーシャルメディアが苦手な様で
    登録だけ済ませて
    使いこなせず放置している状態にある。
    これが容認された時代もあったが、
    現在で、そこに興味や意欲を示さないと、
    足場が極めて不安定で不利に働いてしまうんだ。
    情報的弱者と言う言葉は一見聞こえが悪いが、
    正にその通りであって、自身の地の利として
    ソーシャルメディアと上手く向きわねばならない感覚を
    ここ数年の流れを俯瞰しながら強く実感してきたのだ。

    では僕にとってのソーシャルメディアとは何か?
    それはずばり率直に述べると画家としての仕事の一環であると
    思っていて。いわば、ブログやツイーター
    フェイスブックなどは
    自身の活動幅をより広く大きな流れへと導くために
    無くてはならな繋がりを持続的に保つための重要なツールなのだ。

    ツイーターは、限られた文字数で発言された
    各自のメッセージが画面上に絶え間なく流れては消えてゆく。
    いわゆる川の流れに
    漂流してきた言葉とは一期一会な出会いなわけで。
    そこの兼ね合いが最もライブラリーで鮮度も同時に朽ちやすい。
    その場で流れてきた展覧会やギャラリーの情報で
    気になったのものは
    お気に入りリストとして蓄積するか、
    手書きのメモとした取っておく。
    そして週末アート鑑賞に
    巡り歩くプランとして組み込むのが良い。

    事前に行こうとしていた展示の会期がまだ長ければ、
    そちらを取り辞め、流れてきた情報の
    会期わずかな日数の方に計画を柔軟に変更したりする事も良いと思う。
    よく行くカフェの近くでで面白そうな展示がやっていれば、
    そちらを兼ねてから
    カフェでお茶する事だって臨機応変に出来ると思う。
    ツイーター始めて、たくさんの作家関係者をフォローして、
    そこから影響を受けて鑑賞した映画であるとか
    新しく発見したギャラリーだとか
    流れてきた発言から自身の思想や価値観、哲学に大きく響いた
    言葉の言霊は数知れない。

    ミクシーについて言うとフェイスブックを最近始めて、率直に
    思ったのは土台となってるシステムがかなり似ているが、
    開かれた新たなる開拓地に向けての発信や発言は
    断然フェイスブックの方が優れていて、
    作家としての認知度や支持率に対する可能性を
    大きく開拓してくれる気がする。

    最近、ドラードの年末企画、アートギフト展に参加させて
    いただいたのだ。それがフェイスブックやり始めたきっかけ。
    ツイーターでドラードオーナーの小原さんが、
    ギフト展フォトアルバムの
    リンクサイトを貼り付けているのを見つけてクリックした。
    小原さんのフェイスブックサイトには
    丁寧に1人ずつの出展者ブースが
    一枚一枚分かりやすく掲載されていて。
    僕のブース写真を見るとイイネボタンに
    関東の作家さんや美術関係者、
    アートフリークなどから
    数十にも及ぶイイネボタンが押されていて、
    押してくれた人の名前と顔が表示されてる!
    何点か出展作品を掲載していただいてて
    前の写真の時もイイネを押してくれた人が
    売約の絵にも押してくれていて。
    なんだかそれが無性にうれしくて、
    フェイスブック始め時だなぁってその時思って「笑」

    フェイスブック始めてから絵をフェイスブックで
    興味示してくださった方や
    絵を購入していただいた人に申請送り受理していただいた。
    そのメッセージで始めて知ったのだが、
    以前から「川瀬さんの絵が好きだった」、
    「今回のギフト展はキリン目当てで購入した」、など
    嬉しい反応が続々返ってきて。
    アートに関連ある関係者や
    顔なじみの作家仲間、
    以前から絵に興味持ってた作家さんなど
    積極的に申請送り、今や100人以上にまで膨らみを帯びた。
    フェイスブックって適度な距離感で情報を発信できる
    緊張感がすごく良いと思うんだ。
    遠方の展示会で
    作品は以前から見ててくれてたけど、
    僕自身を知らない人達は先入観無く僕の絵を観覧してくれるじゃない。

    フェイスブックが、これから新たな繋がりを段階得て
    結びつけてくれる役割担ってくれるんじゃないかと考えている。
    上手く発信した情報の出し入れを使いこなせてる
    フェイスブックサイトは本当にすごいし活気ずいてる。

    現実でのリアルな展示会って、出展料があって
    開催期間も2週間くらいと制限されてるけど、
    それが終わった後の持続的な繋がりとしての
    役割担える箱に最も近い場がフェイスブックなのかなぁとも思っている。

    展示後の近況であるとか、
    新たな作品掲載や展覧会の告知宣伝などを
    無料の仮想空間で有機的に担えるのだから、
    これをツールとして大いに利用しながら、
    立ち回りを最大限に生かしてゆこうと思うんだ。

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  • 時の試練による査定

    友人で作家の細川高文君を作家の道へと
    引き込んだのは間違い無く僕だと言えるだろう。
    彼とは高校の同級生で年齢は2歳離れてる。
    それは僕が回り道して高校に入学したからなのだが..。
    卒業後もちょくちょく連絡はとってたが、
    細川氏が21くらいの時に
    家庭の事情で宮崎県へと引っ越す事となった。
    電話をたまに掛けながらアートの素晴らしさについて語り、
    よければ一緒に活動しないかと説得したのだ。
    それから1年が経過して京都へ単身帰ってくる事となり
    中学の同級生の家の空いてる部屋を借りて住む事となった。

    実際に僕自身が、どんな活動をしているのか、直に
    見て貰おうと思い
    心斎橋のクリスタで開催された1DAYアートイベントに
    連れ出したのが、始めの出発点なるのかな。
    それから少しずつ創作する事に興味が芽生え始め、
    始めの頃の一年は自宅のアトリエで絵を
    一から教え込む所から始まったのだ。
    絵の具はどの絵の具があるだとか、
    キャンバスやパネルなどの画材を
    直に触れてもらうため画材屋へと連れ出したりもした。
    ギャラリー巡りから美術館に至るまで、
    一からの何もかも
    初めてのスタートだったんだよ、細川君。
    それが時を経過して、今に至るわけだけど
    現在彼は29歳。
    作家活動を30才目前にしてようやく
    一生続けてゆこう、
    自身の生きた証をキャンバスに刻み込みたいのだと
    強い意志を強固に固めてくれた感じなのだ。

    始めた頃は30まで作家活動して芽が出なければ
    きっぱり辞めると公言していたのを覚えている。
    彼女が居た時期はかなり悩んでたみたいで
    絵を取るのか付き合ってる彼女を取るのかの二者択一で
    苦しんだ時期も彼にはあったなぁ..。
    そして20代後半に差し掛かり、一旦絵から離れて
    就職活動をすると言い出した時期もあった。
    1年間作家活動を休止して、いろんな職を転々と
    渡り歩いたけれど、どれも長続きしなかった。
    結局彼は、以前に働いてた深夜で時給が良くて、
    シフトを自由に決定出来るビデオ屋へと舞い戻ってしまったのだ。

    それから作家活動を再開するも
    以前の様な覇気は微塵も感じられなくなっていて、
    表現活動する事に興味が無くなってると漏らしていたのを
    今も強く覚えている。
    けれど、それからまたしばらく少しずつ
    発表をしてゆく内に
    以前の様な絵に情熱を費やしたい熱い気持ちが
    静かなる鼓動となり細川君の内側からメラメラと燃え出したんだ。
    度重なる重度のストレスから鬱病に陥ってしまい、
    現在に至るわけだが、
    絵を生きた証しとして残したいと言う
    自身が絵を描く理由の根本に宿る答えを
    ようやく見つけ出したんだ。

    一生作家として絵を描き続ける事を決意表明する事自体
    強い信念と覚悟が要求されるが、それは一次試練にすぎない。
    本当の試練はそこから時が審判を下してくれる。
    いわば時の試練に委ねられるんだよ。
    決意表明から数年かけて
    自身が作家として一生描いてゆけるか否かは
    時の試練が
    おのずと答えを導き出してくれたんだ

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