1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2013/03/20
絵画とか陶芸、イラスト、舞台、
それぞれ大きく区分けした種類による1ジャンルですよね?
絵画を例えれば、さらに細分化してゆくと風景であるとか
人物や静物、抽象表現など、さらに細かく分類出来るわけで。
けれど、まだこれでも
作家総数を考えた時、それぞれのジャンル総数が
至極多いよなぁ..って思って、そんで、昨日の話の続きね^^
具象だろうが、抽象であろうが、イラストや立体
陶芸、音楽に付随する作家連ってのは腐るほど、
つまり吐いて捨てるほど居るわけですよ「笑」
つまりここを始発点に据えて、おのおのが
スタート切り出しながら、それぞれの持ち味を
根掘り葉掘り、掘り下げてゆかないと、
数多くの星々の一つとして埋もれてしまうよ..って昨日ブログで
書いてた続きから、今日はスタートいたします^^
僕は一点モノのアート原画を
色濃く掘り下げた絵画ジャンルに位置づけられると思う。
絵画ジャンルに該当する作家なんて、プロ.アマ、素人から
ベテラン、ルーキーまで腐って仕方無いほど居座ってるわけで。
それじゃあ、ここから自身は
どうゆう形で展開してゆくの?って、話なわけよ^^
そこをまず前提にして
作家活動を掘り下げてゆかない事には
作家の構え、つまりポーズだけ取って、
「売れず、評価されず、一生終えるよ、このままずっと
コスプレアート商人のままで良いの?」って話を
自身に、きつく突き付けてゆかないとね〜「笑」
絵画をさらに細かく細分化してゆくと
僕の場合は、動物画に該当すると思うんだ。少しは
ウェイトが絞れてきた様に思うけど、まだまだ吐いて
捨てるほど、動物画家なんてのは、ざらに50万と存在在するからね(笑)
つまり横並びで他のアーティストと
明確な差異を示さない限り、一生日の目を見ないし、
成功なんて到底無理なんだよね、厳しい世界だぜ、全く^^
僕が打ち出した策は
動物画の中で最もフォルムラインが美しく自身の
持ち味を最大限に生かせるジラフを主軸に売り出そうと、
2011年、頑なに決意して。
絵画ジャンルからジラフまで、大分ジャンルが細分化され
焦点が絞られてきたでしょ?水鉄砲は穴が小さい方が
遠くへと飛ぶ原理と同じ!?^^
けれど、ジラフ、つまりキリンモチーフを題材に
描くクリエイターってのも、細分化してみても、
まだまだ星の数ほど居て、本当にこの業界は作家数だけは
呆れるほど多くて、それを走らせるアートサーキットが
極端に少ないって言う矛盾を抱えているのだな「笑」
では細分化しても、まだまだライバルが多い、キリンを題材にして
生き残るにはどうすれば良いのか?僕の持ち味は類似性の無さ、
つまり先天的に既に兼ね備えられている能力に+作品枚数を
熟しの精度、洗練具合を後天的に高めてゆく事だと考えて
2011年はジラフを95パーセントくらいの割合で、
つまりジラフ一本に題材を絞り込み、
ひたすら根掘り葉掘りを反復させながら進化を促していった。
2012年、ホエールが登場した事で
そのパーセンテージは少し下がるも90パーセントの率を
キープしながら、ジラフ一本の切れ味を極限まで
高めていったんだ。これが他のジラフを描く作家と
比較した場合、持ち味の相違が、はっきり鮮明に
作品世界へと現れ出した。例えジラフを題材に描く
クリエイターが周りにゴロゴロ転がっていようと一際目立つ
フォルムと形状を遠くから瞬かせているので、
星の数ほど存在する作家世界であっても
自然と見る側の目利きに止まり、生き残ってゆく事が可能なのだ
これから僕は小さなかもめ食堂を
何年、何十年と運営.維持させてゆくだけの
はぐれメタルな武器を、ようやく手にする事が出来たんだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/19
モンスターフェスタにおいては、数千にも及ぶ
ブースが立ち並ぶ、いわば出張店舗なんだよね。
もうこうなれば..混沌と言うかカオスに近くて、
関西の小規模な出展ブースのフェスでアート作品を
回転させてた方が、ある意味楽だよねぇ、と思ってしまう。
モンスターフェスタにおいて、数多くの星々の中から
鑑賞者に発掘して貰う事は至難の業だけど、
それを打ち破る打開策も、徐々に分かり出してきて。
僕の場合、打開策と言うより、自身が何故、
デザフェスやクリマなどの露店総数が多い中で
結果出せたのかを、出た後に
長い時間分析して戦略策が
おぼろ気に垣間見えてきたのだ。
2900ブースにも及ぶ中で他のブースに埋没しないための
鮮烈なPR、つまりアピールが鍵となってくる。
僕の場合は前にも書いたけど類似品の無さが一つ。
もう一つは、最近、いろんな文献を読みながら
なるほど〜っと思った事があって。
このキーワードとなってくるPRを
どの様にセンセーショナルで強烈なる形として
自身のブースへと落とし込みアピール出来るか否かが
巨大なフェスの勝敗をバッサリ分離すると思うのだ。
例えば、人物を主題として描く作家って、腐るほど居ますよね。
そこをアピールした所で
珍しくも何んとも無く興味を引いてくれないと思って。
これが「人物画で南米の女の子を主題にして描いてます」とPRすればどうだろうか?
「人物画を描いてます」ってだけの漠然とした主張よりも
大幅に該当作が絞られ、希少性のバロメーターが増幅しましたよね^^
さらに人物の題材を絞ってアピールしてみよう。
「僕は人物画で南米の女の子とその背景に広がる
雄大なる自然を掛け合わせた人物表現を
掘り下げながら追求しております」ってなると
さらにブースのイメージカラーのPRが強烈になってくる。
つまり他の横並びになってる腐るほど居る
人物画を描くブースの中で、自身の持ち味は何か?と
自問自答しながら、題材を絞り出し、
このブースでししか魅せれない様な人物表現を展開する事で
多くの人がブースへと運んでもらう押しの強いアピールとなるのだ。
僕の去年展開したブースは、独自性の強い
不可思議なキリン作品群が軒を連ねし、かもめ食堂であって。
物珍しい形状な上、ほぼキリンだけをメインモチーフとしての
看板と据えて取り扱ったお店ってのは、
例え2900ブース軒を連ねた激戦地区な巨大フェスにおいても、
遠目からは物珍しく映りながら
興味や好奇心を大いに引き寄せるのに成功したと思うんだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/18
アートフェスってのは
大きなデパートで1ブースを
借りて自身の持ち味を生かしたお店を
出張営業する様なモノで。
たくさん露店の並んだ1つが
自身が運営する自営業なるお店なわけで。
最近お金の流れや仕組みを無料のメルマガにて
毎日購読してて、そこから分かった簡単な仕組みについて
今日は書き記そうと思う。
たとえば大手企業のチェーン店など
組織で働いてお金をいただく場合、例えばマクドナルド。
お客から受け取ったお金は全て企業の方へとまずは納められる。
そこから分散、分配して各従業員の手元へと
給料明細と言う形で納められる。
特にバイトやパート社員だと、時給や日給が
ずっと定められた額で決まってて。
勤務が1年だろうが3年だろうが10年であろうが、
働いた時間に見合っただけの額をお給料として
いただける仕組みとなっている。
これが自営業の場合だと仕組みが違ってくる。
アートフェスで、スペースをレンタルして
一日なり二日なりの期間限定のお店を運営するわけで。
会社勤めだと、例えば2日、15000円、16時間、労働しただけ、
会社から分配され貰えるわけで。
いわゆる金銭面においては安定がある。
自営業でのフェスの場合だと、その保障が
一切無く、自身の腕っぷし一本に絞られてくる。
もちろん様々な条件や環境、場所などのリサーチも含めての
成果が強く求められてくるわけで。
自営業、つまりフリーランスの
面白い所は、成果が皆、均一では無いという所だと思う。
アルバイトの場合だと、5年勤務の経験者だろうと、
3々月勤務の経験浅い人であろうと、日給で貰える金額は均等。
これは能力や仕事量に見合わず平等な形で執り行われる。
一見平等に見える事柄でも
逆に不平等なシステムで動いているんだよね^^
自営業でのフェスに話を戻すとしよう。
アートフェスタは実質、箱のレンタル料を払っているけど、
後は、おのおののブースに全て運営が託されるわけで。
つまり販売に繋がった原画やグッズ..ポストカードなどが
売り手の手から会社を通さず、直に買い手へと
ギフトされる事に醍醐味がある様に思う。
鑑賞者が心から良いなぁと思う価値を見出せば、
それが作家本人へと直接、評価と言う形で
届けられる所に、自営業での運営でしか
味わう事の出来ない喜び深さが存在する。
モノが良ければ、それだけ販売に繋がってゆくし、
逆にその場所でオリジナル作品の良さを見出して
いただけないと、時間に反比例する形で
凄惨たる結果に終わってしまう事だってある。
アーティスト個人が自身の作品に対して、間を通さず
直に作者と鑑賞者を結びつけながら反応を伺える所が
アートフェスな自営業の魅力なんだと思うのだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/17
キリンを描く作家として関西以外の
東海、関東エリアでも少しずつではあるが
認知度やそれに伴う支持者が着実に増えてきてくれている。
それは大変有り難いし、自身の最も得意とするメインモチーフで
アートシーンに一矢投げ込んでゆく戦略.戦術は
実質的にある一定量の成果を上げて成功したと思う。
ただし、自身にとって、ここからさらなる変則的な
シフト術による戦略論は、ジラフのイメージを払拭させながら
良い意味で裏切ってゆこうと思う。
つまりどう言う事かと言うと
ジラフをメインモチーフ、つまり
主軸として描き出して3年目。
そろそろジラフ以外の題材モチーフを武器とし、
シーンへと投げ入れたいんだ。
そちらの方も徐々に精度を上げながら枚数をこなして
即戦力の一つとして、打ち出してゆこうと意気込んでいるんだ。
ホエールをジラフと並行して描き出して、
もう少しで半年になろうとしている。
当初のポッチャリしたフォルムから
スマートな形態へと枚数こなす内に
グラデーションを帯びるみたく少しずつ変化していったのだ。
何故スマートで、か細く、しなやかなる
ラインへと形状が変化していったのか?
その理由は描き続けている上で自然と理解する事が出来た。
ジラフの伸びやかで細く美しいラインで培った財産が
ホエールの方にも、枚数重ねる上で連動していったのだ。
自身の持ち味の、伸びやかで生命感に満ち溢れた
細長いラインがホエールの方にも、おのずと融合してゆき、
ホエールのスタイルを確立しつつあるのだ。
今年は敢えてジラフをホエールの援護射撃に
回そうと考えている。つまりホエールを看板モチーフとして
売り出しながら、ホエールの方も枚数積み重ね、
1年2年.3年と題材を深く掘り下げながら
追求及び探究してゆく心構えでいる。
ホエールが、あるきっかけをトリガーにして
召喚されたのを皮切りに、
これからどんな風な化学反応を自身の中で巻き起こしてゆけるのか、
長いスタンスで見守りながら楽しみにしているのだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/16
ギャラリーCOMPIS×CJキューブによるグループ展
ラブ&ピース展のフライヤーです☆
期間中は来場者によるリアルブラボーシール投票が開催され、
人気投票で1位獲得しました♪
上位5位に選ばれた作家達で5月7日からギャラリーCOMPISにて
再度グループ展を招待企画していただく事と相成りました^^
東京で少しずつ認知度や支持者が着実に増えてきて、
すごく励みと自信なっております、感謝^^
人気投票って、屋台が12名「今回のグループ展の数」軒を連ねている箱であって
味を競い合う様な形で僕の作品が
そこの傾向にマッチしたんだろうね。
つまりその場所や環境.客層やニーズなどとの
相性が最も合致しての結果であってさ。
各自の極めし持ち味を存分に
それぞれが生かすのは大事だけど、コンペ同様、
傾向や場所カラーってのがあって、
そことのバランス取れた作品が一位、つまりグランプリーに選ばれるんだと思う。
それぞれの上質なる持ち味+場所が醸し出すカラー。
ギャラリーの場所や客層、そこの展示空間が求めているものが
変化すれば、それに合わせた順位も変動してくるのだ。
それが今回と同じメンバーや作品であったとしても。
運なる要素も勝ち上がってゆく上では大事なエレメントとも言える。
会期中、自身の絵と見合った人が訪れて
絵を購入してくれる事もあれば逆もしかり。
展示会終わってしまった後に、自身の絵に熱狂してくれそうな
イメージカラーのコレクターがギャラリーへと
訪れるケースもまたあるんだな。
どちらにせよ、今回の展示会に参加した事で
自身の作品の前から流れてきた、多くのブラボーや称賛なる声は
本当にありがたく励みとエールを強くいただいた。
展示に参加するってのは縁を円へと結びつけてゆく事なんだ。
0を1に1、1を2..3.4.5.6.と着実に応援者を増やしてゆく事で
自身が運営経営している、かもめ食堂なる小さな箱は
人の出入りで常時活気ずきながら循環してゆけるんだろうからねぇ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/15
デザフェスが次回から抽選制度を導入する事と相成ったらしい。
つまりジャンケンシステムへと
シフトしちゃったわけで。出展者の平等を図るためと
デザフェスツイートに記載されてたけど
この世界に平等ほど、面白味が無く
退屈なるモノは他に類を見ないんだよね^^
他者との違いや差異による能力の優劣から、
ある制度として設けられたシステムの中で
上下による落差が開く事の方がアートマーケット全体において、健全であり有機性が
そこから満ち溢れてくると思うのだ。
まぁ、決まった事は、このくらいで愚痴ってお開きにしてだよ、
関西と東海地方クリマ及び関東デザフェスによる
マーケット規模の大小より
生まれてくる流れについて今日は書こうと思う。
昨年堺アートワールドでブースが隣だった人と
暇な時間に会話しててさ。隣のブース作家さんは
実用的なアイテムへとアート作品をグッズ化しており、
絵の見た目が当たりさわりない、綺麗に整った絵柄の作家さんだって。
売り上げも一万円は軽く越えていて、「デザフェスとかでは
販売率も凄かったんじゃないですか?」っと、僕の方が質問したわけよ^^
そしたら、売り上げトータルはデザフェスとあまり変わらなくて
むしろ出展料や遠征費、宿泊費などを考慮したら
関西で回してる方が利になるんだって^^
要するに見た目の取っ付きやすさはあっても、
平均的な安定した絵柄で何処にでも炙れた様な作風だと、
デザフェスなどでは逆に埋もれてしまうんだろうなぁ。
関西のフェスだと出展ブースはせいぜい100くらい。
一通りゆっくり見て回れる利点もあり、
鑑賞目的においては、関西の方が落ち着いて見渡せる印象を受ける。
デザフェスの場合なんかだと2900ブースにも及ぶ露店が
設営されてる様なものだからね。
なので平均的で、個性の緩い技術ありきなだけな作品だと
鑑賞者から興味を注いで貰えず、数万人が自身のブース横を
通り過ぎるだけの末路に終始してしまう。
やはり作家の特性が根深く掘り下げられた絵柄で無いと
巨大なブース数が軒を連ねる規模が大きいマーケットでは
その他大勢の数多く存在する内の小さな星の一つとして
埋もれてしまう怖さを抱えているんだろうな。
クリマで出会った洋服を作っている女性作家さんも
クリマでお店出して売るより、
関西の離れ小島としての機能を担った
マーケットの方が売り上げ良かったんだって。
前述で記載したのと同じ理由で、服を手掛ける同業者が
数多く出展している1400ブースのクリマより
出展スケールの小さな関西の方が
ライバルの総数が少なく、自身の手掛けたお店へと
足を運んでくれやすいんだってさ^^
僕みたいに変質的で肩代りな作風だと関東の方が
回転しやすいし、見慣れた安心感の漂う
アクの弱い作風や実用的なアイテムなんかは
関西で回転させる方が成果を上げやすい面はあるよね^^
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/14
自身のルーツ、つまり歴史や生まれた故郷などを
キーワードに見据えながら紐解いてゆくと
イメージの源水となる出所へと行き着き漂流する。
この世に完全なるオリジナルなど存在しないのだ。
ピカソの当時、斬新でセンセーショナルを
巻き起こしたキュビズムにしろ
セザンヌの多角的なる視点から描いたリンゴの静物画から派生している。
アニメーションなんかもそうだよね。
魔法少女まどか☆マギカは
エヴァンゲリヲンに憧れを抱いた
次世代アニメイター連が手掛けた作品である事は
12話全編通して見れば、
すぐに舞台背景から読み取れる。
尾田栄一郎は鳥山明からの影響化にあり、そこから
派生した漫画であるし、鳥山明もイメージの
出所はメビウスである事が相互のイメージを
見渡せば手に取る様に分かるのだ。
僕自身も幼少期、鳥山明やジブリ作品に加え、
親が大ファンだった手塚漫画が
棚にズラリと置かれていたのを
読み漁ったのがきっかけで、
それが現在の作品スープの
ベースとなっているのは言うまでもない事なんだ。
手塚漫画からは、深い思想や哲学をじっくり考えながら
自身の生と照らし合わせて学んだ。
鳥山明からは冒険心くすぐられる絵のイメージや
デフォルメをキャラクターに加え、軸となってる魅力的な形を
デザインさせ、洗練.誇張を経由しながら、
ピックアップし、抽出させる方法論が
現在の画風に大きな影響を及ぼしている。
宮崎駿からは、絵のイメージから
希望や夢を大きく膨らませながら開放させる
魅惑の面白さを多く学んだ様に思う。
ドロドロとして泥と土臭い匂いの漂う現実世界でも、
それとじっくりと向き合った上で
汚れを一つ一つ払い取りながら磨きをかけ
結晶化させた様な美しき世界に憧れを抱いた。
それこそが、僕の言う所の希望に辺るのだ。
希望とは、深く覆われし闇の中から微かに
垣間見えてくる1ヒラの光なんだろうな。
ルーツや故郷をキーワードに、イメージを純化させながら
深めてゆく日々の制作活動であります。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/13
作家志望者は毎年星の数ほど、入学してくるけど
それと同時に退学してゆく数も星の数ほどの量なんだ。
作家の総分母数が多いのは事実であると同時に
その数値の変動も、激しき濁流の如くなのだ。
つまり作家分母数は変動を常に繰り返しながら
出入りをループしているので、クラブ活動の延長としての
構えをとっってる絵描きについては、僕にとって
スルーな部類として位置づけていて。
二.三年で辞めてゆくコスプレ生き商人な作家連は、放ってゆくよ。
いくらセンスや才能、見込が感じられようが、
入社したての社員が即戦力として
使い物にならないのと同様、部活動の延長で
入隊してくる賞味期限付きアーティストt達は、
放っておいても、時期が来れば自ずと登山を辞め
道半ば下山してゆくのだ。
作家分母が多いといっても、数年で引退表明する作家は
アートマーケットにおいて何の影響力も無い存在なので、
作家としての籍を一時的に置いているにすぎない。
真に作家として気迫が感じられる表現者は
継続と共に着実に力を付けてくる。
正しき練習方法.勉強.努力を的確に熟しながら
良いベクトルへと羅針盤を動かしているので、
年数を積み重ねれば、それに相応する絵力を宿してゆくのだ。
やはり即戦力なる戦士として
育つには、それ相応の時間がかかる。
けれど、4年.5年と
創作活動を続けてゆく作家にとっては、
分母の一時的な揺らめきや変動に
関係する事なく成果を着実に上げてゆく事が出来るのだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/11
細川氏が30を目前に就職活動する事となり
今後は日曜画家として再出発を図ると言う感じだ。
それぞれの状況下から、見極めをつけて、
どう言った立ち位置で画業を志すか決定を下す必要がある様に思う。
アートの世界って前回も述べたけど
大抵は場所代をレンタルして、スペースを確保しながら
活動してる作家さんが大半なわけで。
このシステムってデパートのシステムとすごく近いんだよね。
大手デパートの大きな箱の中から小さな1ブースを借りて、
そこで月々の家賃を
支払いながらお店を経営するのに近しいと思う。
お店の場合、ある一定の収益を維持しないと
経営は成り立たないから、その辺は白黒はっきりしてるんだよね。
運営維持出来なければ、店閉いする事で
一つの歴史にキッパリと幕が降りるのだ。
しかしこれがアートの世界では
前述のブログで書き記した内容と同様で
曖昧になってしまうケースが多い様に思う。
それは何故かと言えば、作家活動とは別に職があって
そちらの資金で絵に投資しているので、維持しようと
頑張れば続けてゆく事は可能。
ここが良い面でもあると同時に怖い側面も兼ね備えている。
自身の能力に見切りをつけ、それに見合った
立ち位置で、身の丈に合った作家活動をしないと行けないのだが、
その見極めが出来ずに地団駄踏んでしまうケースも多々あって。
デパートの話を例としてアートの世界に変換すると、
大きなデパートの1ブースをレンタルして
それぞれがお店を運営している様なモノで。
けれど作家業とデパートに軒を連ねる
フード店や洋服のお店とは決定的な違いがあるのだ。
それは作家業の場合、生活資金の延長で捻出した資金を
活動費に回しており、そこをキープさえすれば
いくらでも続けてゆける所に
最大の盲点であり問題も含まれている様に思う。
普通のお店だと経営が赤字続きだと
生活出来なくなるので、運営成り立たなくなるが、
アートの世界だと
そこは実生活の延長資金を投資に使っているので
継続維持は可能。
けれど人も来ない、集客が見込めない、販売が成立しないお店を
投資し続ける価値は果たしてあるだろうか?
毎回イベントで赤字を積み重ね、
黒に持ってゆける資質も見込みも無い場合、
時には経営を退くのも勇気だと思う。
始めは赤字の5万10万だった金額も、
赤字経営を続けてゆく事で雪だるま式に膨らんでゆく。
リターンする見込みが全く無いのは
アートなお店としての経営が破綻していると思うのだ。
それよりかは無駄な赤字で投資するお金を
立ち位置を変える事により、別な使い方に
有効活用した方が有機的で良い様に思う。
日曜画家として歩みをシフトさせるのか、
趣味で続けてゆくのか、
どの立ち位置が自分にとって最も適して
健全なのかを、じっくり考えるのも大事な事だよなぁ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2013/03/10
日本は奇々怪々なレンタルシステムが主導権を握っている
アート業界において、外国から見れば
ある種、奇々怪々で異質なるものであって。
簡単に言っちゃえばお金さえ払ったら
誰でも彼でもプロなる構えが出来ちゃうわけで。
レンタルスペースで展示して、絵には価格まで
自身の自由な形で付けられちゃうわけ^^
資金ぐりも芸術活動を兼業で構えている絵描きさんが、
生活するための資金をメインとした仕事から切り詰めて
捻出さえすれば、いくらでも発表が続けられるわけ。
つまりプロとアマの境界線がピンボケしちゃってて、
曖昧なる土台ベースで発表スペースが設営されている。
なので、入るのも出るのも、いつでも自由なフリーとなっているのだ。
このシステムは海外から見れば一見ネガに捉えられるだろうが、
ポジな面も同時に秘めていて。
僕みたいな企画画廊に所属してない描きにとっては
レンタルスペースで場を借りて発表を繰り返す事で
腕に磨きをかけてこられた様に思う。
絵を第三者に見てもらう場所が無ければ、ここまで
這い上がってはこれなかっただろうし、お金を払ってでも
発表出来る場所が提供されてるこの国の
奇怪なるシステムに助けられたとも言えるのだ。
前に読んだアートの本でお興味深い内容が
書かれてあったので記憶を紐解きながら紹介いたそう。
あるアートのカルチャーセンターでのエピソードを
書き綴ったものだって。講師の先生が主婦の奥さんに絵を教えていて。
主婦の方は趣味としての習い事として
始めたつもりが、メキメキと頭角を現して、
ある時からプロになる事を決意した。
あれよあれよと段階を踏んでゆく内に
画廊でお声がかかる迄になって、そこから
画家としての道を真剣に歩み出したと言う。
教えている講師の方は逆に、
始めは作家活動を維持するために
必要な資金ぐりを捻出させるため、美術講師を始められたらしい。
いわば当初のメインは作家活動を本業として
構える心構えであった。しかし、あれよあれよと、美術講師の
仕事が慌ただしく軌道に乗ってしまい、気が付けば
そちらの方に重点を置くようになって、
作家活動は日曜画家程度な細々とした内容へと落ち着いていったのだ。
美術講師のプロとして主婦からお金を
払って貰い教える立場だった者と、
授業料を納品して美術のノウハウや
プロセスを美術講師から学び取りながら
切磋琢磨を経由して、
最終的にはプロのアーティストとして
画廊デビューするに至った主婦。
始めはプロとして構えていた者が
日曜画家に変化するパターンもあれば
カルチャー的な趣味として始めた者が
プロの世界に身を乗り出すケースもまた存在する。
日本の美術システムにおいて、
こう言ったプロアマの立場が反転するのは
日本土壌ならではではないかと思うのだ。
ログインするとコメントを投稿できます。